第2話 伝承のみなしご(2)

「いきなり何をおっしゃるんですか、カリスさん……え、師範……嘘、ですよね」

「それどころか魔術の教育も一切受けていない。そうですよね」

「……その通りさ。カリスには薄々バレてるだろうなと思っていたが、俺は魔術を何一つ使えない人間だ」


 ダメ押しの言葉を受け、シャルルはあっさりと降参した。


「え、そんなはずが……そんな人がいるんですか!?」

「おかしいな、とは常々思っていました。異国で生まれ育ち、この国に流れ着いたと聞き及んでいましたから、魔術に関しての教育を受けていないから理解が難しいだけなのかと思いましたが……しかしその他の教養は相応に持ち合わせておいでなのに、魔術のことだけはあまりにも知らなすぎるのはどう考えても不自然だと」

「皇帝陛下と持ち上げたかと思えば、教養のない非常識な人間扱いをしたり、今日は随分と忙しいな。まぁそのへんの話はいったん後回しにして続けてくれねぇか」


 見るからに動揺が隠せないでいるオクタウィアを見かねてカリスが口を開く。


「では、続きは私からお話ししましょう。騎士殿がエールセルジーに刺している鍵剣ですが、あれにはガーネットが使われています」

「そうだな。深い赤色をした石だ」

「ガーネットが司るのは火と聖……『光』の属性です」

「ですが、師範が乗るエールセルジーの属性は水と風の複合である『雷』。象徴石はトルマリンなんです」

「トルマリン? そいつは虹石のことか」

「騎士殿の国ではそう呼ぶのですね。おっしゃるとおり、一言にトルマリンといっても赤、青、緑と様々な色合いを持ちます」

「やっと話が読めてきた。“ケイローン”と俺の鍵剣の属性とやらが一致していねぇ、それがおかしいってこったな」

「その通りです。騎士殿は前にオクタウィア様の鍵剣を見て瑠璃ラピスラズリが使われているとおっしゃいましたね。その理由はオクタウィア様の乗るサイフィリオンの属性が風と聖の複合属性『空』であり、その象徴石がラピスラズリであるからです」

「二つが一致しないのに動いてるのはおかしい、その理由を探っていたってわけだ」

「そうです。そして今回の調査で、先に申し上げた『卵』が果たしてどの機動甲冑の物なのか確かめる必要があったわけです」

「たしか、エールセルジーは『リガ・レイアー』と言っていましたが……」

「長らく研究用に保管されていた機動甲冑の残骸があります。おそらくそれらの内の一つでしょう」

「そして、そいつには古代帝国時代の英雄が実際に乗っていた。それがアルトリウスってわけだな。でもさ、おかしくねぇか?」

「何がです?」

「博物館で俺はソフィア様からこう聞いたんだぜ。『エールセルジーはアルトリウスの愛馬だった』ってな」

「千年前の伝承ですから。どこかで記述や言い伝えが変異して残るというのは十分にありえることだと思います」


 そう言い切ったカリスと対照的に『資格者』二人は未だ釈然としない顔である。


「しっかし他の部分が一致してて、ここだけ話がズレているっていうのも……なんか奇妙なもんだ」

「うーん……」

「……一度休憩しましょうか」

「俺はまだ大丈夫だが……」

「オクタウィア様、よろしいですね」


 対面に座るオクタウィアの思いのほか険しい表情を見るや、パンと手を叩いた彼はこう促した。


「わかった、休憩だ。冷たい水でもいただこうか」


 再び席を立ったカリスが杯に水を注いでくるまで、オクタウィアは難しい顔をしたままだった。三人が冷たい水を口にして、短い休憩を終えた。


「それでは、ここでエールセルジーが抱えている問題についてお話しします」

「問題って……“ケイローン”の修理は順調じゃねぇのか。部品はもう全部できてるってさっき言ってたじゃねぇか」

「はい、修理それ自体の進捗は予定よりかなり順調です。問題はそれ以外の部分で」

「そいつがさっきの座席の話ってわけか」

「それも一つですね。サイフィリオンが稼働状態に入ったことでわかってきたんですが、エールセルジーは本来の性能を十全に発揮できていないようなのです」


 思わず息を呑む。


「それは……あのドラゴンとやり合ってぶっ壊れちまったせいか」

「いいえ、それは無関係です。それ以前からですね。仮に機動甲冑の全力稼働を百とします。引き出せているのは五か、せいぜい一〇がいいところでしょう」

「は!? ちょ、ちょっと待てよ。あれだけのバケモンを倒して一〇って……」

「対してオクタウィア様のサイフィリオンはおそらく二〇程度は発揮できています」

「まじかよ……俺はてっきり五割、魔術が使えないのを割り引いても三割は行けてるって思ってたぞ。お嬢に負けてちゃ『師範』として示しがつかんだろ……」


 がっくりと肩を落として意気消沈といったシャルルにオクタウィアが声を掛けた。


「師範……その、百といってもそれはただ力が強いとか、速度が出るとか、そういう話だけではないみたいです」

「ん、そいつはどういう意味だ」

「騎士殿にはわかりやすくたとえたほうがよさそうですね。例えば、騎士殿と同程度の体格で、より筋肉があり、走るのが早く、剣の腕も一流の兵士がいたとします」

「ほう、なかなか魅力的じゃねぇか」

「では、その兵士が全く言葉を喋れない、理解できないとしたらどう評価しますか」

「そりゃあ問題外だろう。兵士失格だ。言葉も喋れねぇし理解もできないんじゃどうやって統率を取るんだ。ただ暴れるだけじゃしつけのできねぇ野獣と変わんねぇよ」

「おっしゃる通り、単純な戦闘能力だけが評価を決めるのではありません。機動甲冑はもっと様々な能力を秘めているらしく、それらをどれだけ引き出せるかという話を申し上げたかったのです」

「とりあえずお前の言いたいことは理解した。じゃあ戦力以外の力ってなんだ」

「昼間、座席に取り付けた革布を思い出してください」


 ハッとした。大がかりな仕掛けだが、そのような機構はもともと機動甲冑にはなかった。つまり、本来必要ない装備ということだ。


「そうだった、お嬢にはあれが必要ないんだったな」

「そうです。あれは魔術によるものだと以前お話しましたが、正確には搭乗者の魔力や魔力回路などを検知して行われているようなんです。先に鳥の卵で喩えましたが、搭乗者を黄身であるとすると、白身のような形で搭乗者を保護するように空気に作用する魔術が発動し、内側と殻とが衝突することを防げる仕組みになっています」


 しかし、シャルルが竜との戦いに臨んだ時はそうならなかった。それで彼が魔術を使えない可能性にカリスは思い至ったのだろう。


「それってやっぱり……俺が魔術を使えねぇのが原因なのか」

「それだけではないようです。本来の座席部位が装着されていないことも原因です。こちらはもっと深刻な問題でして、先の戦闘では外側から魔術回路に介入し、会話をすることが出来ました」

「ん、それは良いことじゃないのか」

「いいえ、逆です。外部から干渉が出来てしまう、ということは他の魔術を扱う人間からも似たようなことが出来てしまう、ということでもあります」

「……どういうことだ。戦闘では情報は大事だ。それを外側から伝えられるっていうのは重要だと思うんだが」

「会話だけで済めばよかったのですが、場合によっては他者に乗っ取られる可能性もあるわけです」

「乗っ取るって、そんなバカな……」

「可能です。すでに騎士殿がいらっしゃらない時に試してみましたが、簡単な操作を受け付けてしまいました」

「おい、嘘だろ……」


 自らの握る愛馬の手綱が勝手に他人に奪われてしまう――騎士にとってこんな屈辱的な話はないし、生死の狭間に立つ鉄火場では命取りになりかねない欠陥だった。事の深刻さを思い知った彼は頭を抱え、うずくまる。


「どうすりゃいいんだ、わっかんねぇよ……まさか“ケイローン”から降りろってか、冗談きついぜ」

「いえ、原因の一つは分かっています。その呼び名です」

「呼び名って……“ケイローン”のことか?」

「はい。ここからはオクタウィア様が先ほどご指摘なさったことの続きになります。魔術の行使において対象を正確な名で呼ぶことが重要である、というのはすでに説明いただいてますが、騎士殿がエールセルジーをそれ以外の呼び名で呼び続けることによって、機動甲冑はその存在の理由や意味があやふやな物になってしまうのです」

「うーん、その説明が少々理解しにくい所なんだが……」

「そうですね。実際に体感していただきましょう、『カロルス・アントニウス卿』」

(ウッ……!?)


 カリスに氏名で呼ばれると同時、一瞬ではあるが肩に何か重しのようものが乗っかったのをシャルルは感じた。気だるさを感じ、呼吸が乱れる。


「し、師範!?」

「これは……いったい何をした」

「少々力を込めてお名前をお呼び差し上げただけですよ、『騎士殿』」


 同じように力がこもった口調だが今度は何も感じることはない。


「おわかりになりましたか。対象を正確な名で呼ぶとはこういうことを意味します。当たり前の話ですが、人間にも『真の名』という物が他者に名乗る名前とはまた別に存在します。普通は親や姉妹くらいしか知ることはありません。ですが、こうして表向きに使う名前ですらこれだけの力を持っているのです――本来、魔術が扱えるのであれば、さほどでもないかと思われますが」

「カリスさんは魔術師として傑出した方です。私もサイフィリオンをメチャクチャに操縦した時、似たようなことを一度されてしまいましたが、その時の方がもっと力がこもっていましたから……」


 オクタウィアの言葉にしばらく前の出来事を思い出した。


「じゃあ、お前……前に、俺をフルネームで呼びつけたのは……ッ!」


 あの時、心臓が止まる思いをした。それは比喩でもなんでもなく、目の前の少女はおそらく本気でそうするつもりだったのだろう。そう思い至った。


(ちっくしょ……これじゃ蛇に睨まれた蛙じゃねぇか)


 脂汗が垂れる。小娘と侮った相手に、その気になれば生殺与奪すら握られかねないと思い知らされたからに他ならない。


「ってことは、“ケイ”……」


 言い慣れた愛称を口にしようとして、少女二人から険しい視線が突き刺さる。


「……エールセルジーの能力が発揮できない理由は俺自身の問題だってことか」

「一度や二度であれば問題はないでしょうが、騎士殿は日常的にそのように呼んでいたようです。いくら騎士殿が魔術を扱えないと言えど、そんなことを繰り返されたとすれば、手綱を握られた馬は困惑してしまうのです」

「たぶんなんですけれど、エールセルジーは定義された名で呼ばれないことで、その能力がかなりの部分発揮されていなかったのではないかなと……」

「オクタウィア様のおっしゃる通りです。今後は正確な名で呼んでいただけますね、アントニウス卿」


 あえて彼の名前を呼ぶカリスに今さらながら戦慄を覚えた。

 名前を呼ぶ。そんな単純な行為がこの世界でこれだけの意味と力を持つなど、シャルルは想像だにしていなかった。

 だが今はそれが痛いほど、骨身にしみたといっていい。


「よくわかったよ……ん、ちょっと待て。ってことはカリス……お前」


 前にこの部屋に招かれて彼女を激昂させて以来、ずっと「アントニウス卿」と呼ばれていたのはなぜか、そこに思い至った。


「……私、今も怒ってるんですよ」


 笑顔こそ浮かべているが、その目は一切笑っていない。


「……今までずっと無責任なことばかり言っていた。すまなかった」


 心の底からの謝罪とともに、彼は深く頭を下げた。


「やっと謝っていただけましたね……私も感情的になりすぎてしまいました」


 シャルルにとっては初対面の時から侮り続けていた少女だった。しかし、とんでもない傑物だということを嫌というほど思い知らされた。


「カリスさんは年下でも、機動甲冑の専属のお医者さまのような方ですから。ね?」

「ああ。本来敬わなくちゃいけねぇ、ありがたい存在ってわけだな」


 オクタウィアとシャルルがそう口にすると面映おもはゆい表情で口をもごもごとさせる。人は見かけによらぬというが、こんな年若く不器用な少女が不世出の俊才だと外見でわかるはずも無かった。


「あの……お二人は私からすれば、本当は雲の上の方々なのです。たまたま女神様のめぐり合わせでこうしてお話しさせていただいてますが、無礼であったというのは承知しています。ですが、機動甲冑を雑に扱われたり、そのお立場に見合った責任から逸脱するような言動が許せなくなる瞬間が時にあるのです」


 思い当たる節が無くはない。

 国が亡ぶかもしれないから『光の剣』を二度と使うなと言われたときのことだ。

 今になって思えば、あれほど強力な武器をどうにか使うことにこだわった彼の態度が許せなかったのかもしれない。


「どうにも気分が高まると感情が抑えられなくなります。私はまだまだ子どもです」

「何を今さら。お前が感情的になって大声出すのは今に始まった話じゃないだろ?」

「う……」

「女王陛下の御前で大声で叫んだの、俺はこれっぽっちも忘れちゃいねぇからな」

「あの時はですねぇっ!」


 二人の言い合いを傍らで見ていたオクタウィアの頬がふっと和らぐ。

 ずっと気になっていた二人の間の溝のような何か――それがまさに埋まった瞬間に居合わせたゆえの微笑に、子供同士の口げんかのような二人は気づきようもない。

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