Prologue : Mankind Empire Baltica

A long long time ago : The end of the Ancient Empire

Episode 0: Collapse of Paradise

 戦場に轟く足音――。

 それは人類の楽園が崩れ去る音か――。

 あるいは世界最後の日を告げる音色か――。

 大地を揺るがす轟音とともに『破滅』が押し寄せてくる。


 地平の彼方まで埋め尽くす巨大な波――。

 否、巨大な群れを彼女は真正面から見据えていた。

 身の丈六メートル。人の形をした化け物の群れが我先にと押し寄せる。

 栄光の落日、あるいは、神々の黄昏――。

 いつか読んだ小説の言葉を借りれば、そんな光景が眼前に広がる。

 物語のクライマックス、終焉、終幕は決まってこんな絶望を演出する。


 そんなことはさせない。絶対に。

 されど、その感情に身体が着いてこない。

 自分でもわかるほど、干上がる瞬間が近づきつつある。


「ねぇ、何匹……斬ったの、よ……」

『現段階で三四〇二体の撃破』

「あと、何匹……連中はいるの……」

『索敵範囲内の目標、三五七九体』

「なぁんだ、あと半分じゃん……ラクショーね」


 わらう。

 乾いた笑いを漏らした少女の腕は震えていた。

 操縦桿を握りしめる両手から握力は確実に消えつつあった。


『危険。体温低下の兆候』

「――ッさいっ! アンタはどうなのよ!!」

『魔力供給停止。魔力残量残り三〇パーセント。フォトン残量ゼロ。フォトン・ザンバー、ブラスターモード使用不可』

「じゃあ、なんなら使えるってのよ……」


 苦虫を嚙み潰したように彼女が尋ねる。


『ジャバウォック、バンダースナッチ、健在。左腕部装甲脱落。通常戦闘に支障なし』

「稼働時間は……」

『作戦行動時間三〇分』

「上等……ッ」


 嗤う。

 苦しいなら嗤え。辛いなら嗤え。

 この見知らぬ天地に辿り着いて以来、そうして常に自分に言い聞かせてきた。

 戦いなんて知らなかった。

 この世のルールなんて何も分からなかった。

 何が善で、何が悪かなんて秤にかけたことがなかった。

 この白亜の機体を操ること以外に何も得られなかった彼女が身につけた、最も上等で最低な手段がそれだった。


『警告。残敵の掃討までの予想時間が作戦行動可能時間を大幅に超過』


 帝都につながる巨大な街道に独り立つ少女。その戦況は絶望的。

 その前には三千を超える敵が埋め尽くす。

 わが後ろには未だ無数の無辜むこの民が待つ。

 彼女がここで倒れれば、そのすべてが邪悪な化け物どもに蹂躙される。

 そんな未来がわかり切っているからこそ、ここで倒れることは許されない。

 否、。死んでもさせる気はない。

 腹を括った彼女が親指を立てて、己が胸を指す。


「魔力なら、ここにあるじゃない! 使いなさいよ!」

『――拒否。貴官の生命維持が優先』

「いいから好きなだけ持ってきなさいよッ!! わかってンでしょ、ここで私が倒れたら……っ」

『拒否。優先提案戦術、撤退』


 命が沸騰する。


「違うでしょッ!!! アンタの中に叩き込まれてる使命はなンなのよッ!! この帝国くにを守ることじゃないのッ!?」

『――最優先項目、帝国の繁栄、防衛』

「私の今の目的はここの防衛! それとこれと何が違うのよッ!?」

『――』


 鋼の巨人のわずかな沈黙。

 あたかも人の如く何かを言い淀んだ後に、こう応える。


『了解。生命維持装置の一部機能をカット。魔力増幅炉、稼働レベルファイブに移行。ニュートロン・エンジン、フルドライブ。ハーモニクスアジャスター感度、リミッターカット――』

「やりゃ、出来るじゃないの……じゃあ、もう一仕事と行くわよ!」


 白亜の機動甲冑に、再び火が灯る。

 魔力の尽きかけた巨人は、『資格者』たる少女の魂をその炉にくべて、立ち上がる。

 背負った斜陽が白亜の装甲で乱反射し、煌めいていた。

 彼女は自らに与えられた二つ名のままにただ敵をまっすぐに見据える。

 人は彼女を『白虹びゃっこう騎士きし』と呼んでいた。


 ***


 同じ斜陽の空。斑雲まだらぐもの蒼に茜が差す。

 空を染める朱色よりなお紅い巨人が大地に伏していた。


「リガ・レイアー。調子はどうだ……」

『魔力供給停止。魔力残量残り五パーセント。ニュートロン・エンジン機能停止。脚部全損、メインセンサー、反応消失』

「随分よさそうじゃないか。武器はどうなってる」

『FCS検索。固定兵装クトゥグア喪失、左アトラク=ナクア全損。トゥールスチャ喪失、ティンダロス健在』

「……砲台代わりにもならんか、これは」


 ため息だけが漏れる。

 死力を尽くした。その結果がこれだ。

 ともに戦ってきた相棒は命運尽きて最期を待つのみ。

 相棒を助ける手段はない。もはや彼にはどうすることもできない。

 誰が見ているというわけでもないというのに、男は自らの不甲斐なさを自嘲した。どんな地位も、名誉も、今の彼には何の力も与えてはくれない。

 無力だった。

 を使わずに乗り切ることができたら――それは淡い希望ゆめだった。


 力が欲しいか――。


 脳に直接語り掛けてくる何か。

 たった一つ残された『力』を彼は知っている。

 幾億もの犠牲と屍を経て、ようやく腹が据わった。


『マスター。当機はここまでのようです。全機能停止まで残り――』

「……やるしかないか。リガ・レイアー、ご苦労だった」

『提唱。ニュートロン・エンジンのオーバードライブを――』

「もういいんだ。ありがとう、相棒」

『――――』

「眠れ。お前はもう十分に仕事をした」

『――――はい、マスター』


 その言葉を最後に、紅の巨人は眠りについた。

 巨人と同じ真っ赤な宝石を柄に埋め込んだ短剣を傍らから引き抜く。

 戦友だった相棒の最期を看取った彼は、その剣を腰に差した自分の鞘に納めた。


「お前とともに戦ってきた日々は忘れない。死ぬまでずっとお前と一緒だ」


 戦友が残した形見の短剣を引き取った彼は、重い体躯を起こし、立ちあがる。


「俺も……最後の仕事をせにゃならんな……」


 ***


「よう、調子はどうだ」

『――最高ね。切っても切っても湧いて出てくる。繁殖しか脳がない、連中らしいやり方ね』

「何体殺った?」

『四千。ボーパレイダーが言うにはあと三千だって。夕飯には戻るから、ヨロシク』


 耳に聞こえる少女から出てくる言葉。

 そのどれもが強がりで言った言葉なのが、この男にはよくわかっていた。


「息切れしてんぞ」

『ちょっと疲れただけ。どうせ、もう半分もいないんだから――』

「……あとどれだけなら持つ」


 冷徹な言葉で男は返す。

 底なしに思われた深い水瓶の底が迫っているように男には見えた。


『正直な話していいかな……もう今すぐ倒れたいんだけど』

「……十分、いや五分でいい。そこで踏ん張ってくれ」

『無茶言ってくれるじゃない』

「頼む。それで、全てが終わる」

『待って、何をするつも――』


 通信を切り、男は大きく息を吐く。

 十二体の機動甲冑、そのうち最後まで健在機体は二機。

 その一機、彼の愛機だった『リガ・レイアー』が先ほど眠りについた。

 残る一機は彼女の『ボーパレイダー』のみ――それももう長くはない。


「正直、お前を動かすつもりはなかった。だが……もう動かせるのはお前だけだからな」


 この鋼の胎内がこの世界で最も安全で――。

 そして、もっとも危険な場所であることは彼自身がよく理解していた。


「――ルキウス・アルトリウス・バルティカヌスの名を以て、お前を起こす」

『システム起動。全機能オンライン。ネットワーク、データリンク樹立』


 それは神を超え、悪魔をも滅ぼす、魔神マシンの皇帝。

 それは人間が進化の果てに掴んだ、機械の化物ドラゴン

 人類の存在証明のため、救世主の炉に炎が入る。

 始まった破滅を幕引くべく、彼はその名を呼ぶ。


「行くぞ――ナイトロザイン、起動!」


 その日、人は『力』を見た。


 ***


 剣が舞う。

 一振りで血風が巻き起こる。

 剣が舞う。

 二振りで肉塊が千ぎ切れる。

 剣が舞う。

 押し込められた窮屈な巨人の胎内で獣の咆哮を上げる。


『危険、危険。発汗、発熱が異常値を計測』

「だまれええええぇぇぇぇッッッ!!!」


 殺到する巨体を骸に変える斬撃は止まらない。

 破壊衝動のままに押し寄せる亜人どもを肉片に変える。

 名誉も、栄光も、誇りも無い。全部殺すか、殺されるかの二択。


『警告。生命維持の保証不可。危険、危険』

「ここで止まったら、みんな死ぬんだよッ!」


 吠える。切る。


「魚苦手だって言ってんのに毎度白身フライおまけしてくれる食堂のおばちゃんもッ!」


 たおす。叫ぶ。


「いつもセクハラしようとする整備のオッチャンもッ!」


 咆える。殺す。


「王様は身勝手だし、女の子相手に無茶苦茶言うしさッ!! だけど!!」


 倒す、倒す、倒す。


「私がっ……倒れたら……っ! みんな、みんな……ッ……だからっ」


 もう二度と泣かない。潰したはずの涙腺から溢れる涙。

 自律神経が狂い、口の端からよだれが垂れ流しだった。

 どれほど拭っても脂汗が止まらず、滲んでは目に入る。

 それでも、倒れない。止まらない。壊れてでも、進む。

 ある日どこかもわからない異世界に導かれた自分。

 何一つ知らず、たった独りで大地に放り出された。

 誰も頼らない、何も頼れない。摩耗を繰り返した。

 欠片の救いもない中で掴み取った理由、今は――。

 守りたいモノがある。失いたくないモノがある。

 間違いなくある。あるはずなんだと砕けるほど奥歯を噛む。


「負けられないんだよッ!!!」

『――同意。パイロットとの同調率、三〇〇パーセント到達。特級権限の開放を確認。規定によりシステム切り替えを行います』

「……えっ」


 鋼の巨人はいつもと変わらない口調で少女に告げた。

 しかし、そこには明確な意思を彼女は感じた。


資格者ソードホルダー、アスカ・セナガワ。当機、ボーパレイダーの全ての機能を貴官に委ねる』

「システム……切り替え……これは……『ハーモニー・システム』……」

『――待たせたな。これがお前に頼む最後の無茶だ』

「王様……」

『これから敵の中核を俺が直接叩く。お前はここで敵を食い止めてくれ。一匹も漏らすな。頼んだぞ――』


 通信が切れると同時、彼女も知らない、鉄巨人が秘めた『力』。最後の扉が開く。


『ニュートロン・エンジン、オーバードライブ。魔力増幅炉、最大稼働。ボース粒子、強制変換開始。ハーモニクス・アジャスター感度、完全開放。ハーモニー・システム、起動』


 直後、少女の中で何かが変わる。

 これまで『手足のように扱っていた』機動甲冑の五感と四肢が『自らの手足そのものになる』感覚。

 そして、膨大な情報が脳に直接入り込む。

 損傷箇所、魔力残量。索敵、火器管制、地形、気温、風速、気象。知覚しうるありとあらゆる物が自明となる。


「これが……ボーパレイダーの見てた、世界……」


 腕を、剣を振るう。

 生々しい肉を切り裂く感覚。吹き出し、降りかかる血潮。

 鉄面皮に返り血が流れるのが分かる。

 呆けるでもなく、悟るでもない。

 全てが、総てが彼女自身の物になり、手にした暴力を躊躇なく振るう。


『「南南東、敵、増援。三千……なおも増加……倒す――!」』


 機械と少女の声が重なる。

 明らかに動きの変わった白亜の鉄巨人に、殺到していた巨人たちもその有様にはわずかに戸惑いを見せたが、その隙を彼女は当たり前のように逃さず、撥ねる。その稚拙な隊列を撹拌かくはんする。

 手にした剣はいくつもの首と胴を分け、腹を貫き、頭蓋を割る。

 そこからは一方的な虐殺だった。

 唐突に現れた、万を数える巨人の群れ。

 そのことごとくを潰し、刻み、戦場に白虹びゃっこうを残して駆け抜ける風。

 疾風暴風が過ぎ去りし後に残ったのは無数の巨人たちの骸。

 彼方に立ち上がる光の柱。天を貫くきざはしか、宇宙の流す涙か。

 そして――


『――魔力残量、ゼロ。ニュートロン・エンジン、停止。ハーモニー・システム終了。全機能――停止――』


 西陽よりも赤く染まった大地で――

 こうして鋼の戦士たちは眠りについた。











 ――367104 days after Doomsday.

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