第11話 漁村と塩田(1)

 イメルダ・マルキウスからの使者として訪れたイレーネ・マルキウスとファビア・ウァルスは、郡伯カロルス・アントニウスとの交渉妥結に至った。

 最初に提案した一年分の貢納金の前納、その代わりとして非常に希少な金属である黄金こがねで鋳造された金貨の譲渡を郡伯カロルスから提案されたイレーネは、それを貢納金の代わりとして受け取ることを受諾したのだ。

 貢納金が金貨をもって支払われた以上、その他に提案された賦役労働、軍役奉仕、そして港湾の租借はすべて撤回された。

 ルナティアにおいて黄金とは王家の魔術属性の対極に位置する物質で、政治的には邪欲の象徴と位置付けられ、世間的にも忌避されている金属であった。一方、魔術的にも重要な素材である。このため国内での黄金の価値は極めて高かった。

 ゆえに黄金を譲られるだけでも大事件である。この知らせは遠からず世間に広まるのが目に見えていた。この上、他の何かを要求することは彼女たちの盟主であるイメルダが黄金をもってしても満足しない強欲な悪女である、という善からぬ風評を招くおそれさえあった。よってこれ以上深入りせずに引き下がるほかなかったのだ。

 こうしてカルディツァ郡とキエリオン郡の領主として、郡伯カロルスはマルキウス氏族から追認を受けたのである。


「これでなんとかなったか……」

 交渉を終えて郡都を去るイレーネとファビアを見送って、肩の荷が下りた彼はようやく一息つくことができた。

「アントニウス卿があんな奥の手をお持ちだったとは……恐れ入りました」

「いや、アグネア殿のおかげさ。いつか役に立つだろうから大事に持っておけと前に言われてね。君もよく粘ったよ、ユーティミア」

「カロルスがあの場で黄金を出すとは思いもよらなかったがな。足りない分は物資でどうだ、と切り出したときはさすがに笑ってしまったよ。なぁ、侍女殿」

「ええ。これで無事平穏に乗り切れたのなら、一安心ですね」

「アグネア殿もエレーヌも本当に尽くしてくれた。礼を言う」

 こうして、郡伯カロルス・アントニウスことシャルル・アントワーヌはテッサリアの「辺境伯」イメルダ・マルキウスからの内政干渉を凌いだ。

 彼はささやかな晩餐会を開き、交渉妥結に尽力してくれた関係者を労った。それが終わると、客人や関係者を迎えるために陰ながら力を尽くしてくれた使用人たちにもヘレナを通じて激励を忘れなかった。

 数少ない味方をより確実な味方としていく――彼の静かなる戦いが始まった。


 ***


 その三日後、シャルルは予定していた領内の視察に出かけることになった。

 一台の馬車が馭者ぎょしゃとともに屋敷の前で待っている。

 そこにはシャルルともう一人、彼の従者として黒髪の少女が背筋を伸ばして立っていた。

「クロエ、くれぐれもよろしくお願いいたしますね」

「はい、家政婦長様。全身全霊でお仕えいたします」

 今日からはクロエが単独でシャルルの侍女として彼に仕えることになる。少し緊張しているような面持ちであった。それをたしなめるヘレナの顔に笑みが浮かんだ。

「肩に余計な力が入っていては道中で身体を痛めます。深呼吸をしてごらんなさい。肩の力が抜けるように」

「はい、姉様あねさま

 十五の少女の旅立ちを心配そうに見守る姉の姿に、彼の頬が穏やかに緩んだ。彼の目がもう一人見送りに立った、赤い髪の女性へと向けられた。

「それでは留守をお願いするよ、アグネア殿」

「ああ、任せておけ。貴殿の留守は私が守る」

 軍服を着たラエティティア・クラウディアが敬礼で彼らの見送りに立った。

 王国正規軍士官としてカルディツァに派遣された彼女は正規軍大隊とカルディツァ政庁との間の連絡将校という役割を担っていた。

 シャルルからは彼が留守の間、領主の屋敷に出入りすることを許されている。彼と家令を務めるヘレナの両方と面識があり、ともに同じ軍事行動を共にしていた経緯もあって信頼関係ができていたためだ。

 加えて軍務卿ユスティティアの実妹でもあることは言うまでもない。したがって、正規軍とカルディツァ郡の地方官僚との間を取り結ぶのに絶好の人選であった。

「それでは参りましょうか、アントニウス卿」

「ああ、案内をよろしく頼む。ユーティミア」

 今回の視察には大蔵府の官僚ユーティミア・デュカキスが彼に随行することを申し出ている。馬車の中にユーティミアが乗り込んだ後、家令を務める銀髪の家政婦長に旅立ちの挨拶を述べた。

「しばらく留守にするがくれぐれも頼んだぞ、エレーヌ」

「はい、シャルル様。道中お気を付けください」

 昨晩、寝床の中で真っ赤に染まっていた素顔はおくびにも出さず平然としている。使用人としてのその矜持きょうじはまことに大したものであった。

「君は本当によくできた使用人だな。では行ってくる!」

 シャルルは馬車に乗らず自ら馬に乗った。自らの目で領地を見渡したいという彼の希望による。

 また、彼ほどの巨躯が体格のよい馬に騎乗すると非常に衆目を集める。郡都を出て川沿いを下り、パラマス湊に向かう間にすれ違った旅人や商人、道端の農地を耕している農民たちが彼の姿を目にした時の反応は千差万別であった。

 しかし、彼を領主と知る者はほとんどいなかった。無名の騎士から領主になった彼は、自身がまだ民草の多くから見向きもされない存在であることを思い知った。


 パラマス湊にはその日の午後に到着した。

 王国正規軍の兵士たちが街の復旧工事に従事している。瓦礫などはきれいさっぱり無くなったが取り壊された建物の有った個所は空き地になっている。街が復興したとは到底言い難い状況にあった。

 シャルルは最初にパラマス湊に駐留する正規軍中隊の本部へ挨拶に出向いた。

 領主に任命された彼が視察に訪れた最初の地が湊町パラマスだったことを知った中隊長は自ら彼を現場に案内して現状を訴えた。

「家屋の復旧に時間を要しています。思いのほか被害を受けた住居が多く、資材確保が追い付いていません」

「足りない資材とは、主に石材ですか?」

 ユーティミアの問いに対して、中隊長は頷いた。

「はい、石切り場から石材を運んでくるのに時間がかかっております。平時であれば全く問題ありませんが、今のパラマスでは石材の需要が跳ね上がっており……それが調達価格にも跳ね返っているのです」

「なるほど、予算不足でもあるわけですか……うーん、どうしましょうか」

 大蔵府の官僚であるユーティミアは湊町の復旧に宛てられた予算規模を、その策定根拠まで含めて知っていた。しかし、想定を超える事態が起こっているという。

「補正予算を王都に求めるには時間がかかりすぎるし……あの予算でさえ相当無理をして絞り出したものだから、補正予算を組むのは現実的じゃないわね……」

 顔をしかめているユーティミアを尻目に、シャルルは中隊長に訊ねた。

「撤去した瓦礫はどこにある?」

「ご案内いたしましょう」

 中隊長は街の裏、川の近くに積みあがった瓦礫の山に彼らを連れて行った。

「この瓦礫、どうやって処分する予定だ?」

「街から一マイルほど離れた、前に竜の屍のあった付近に大きな窪地ができた個所があります。最終的にはそこに埋め立てることを考えています」

「これを全部持っていくのか?」

「いいえ、壊れた石の廃材については重くかさばるので持っていかず、川岸に投げ込むなどして護岸工事に転用する考えです」

(こいつをそのまま川に投げ込むっていうわけか、うーん。こいつをうまく活用できればいいんだが……あっ、待てよ!)

 この瞬間、彼の中に一つの閃きがあった。

 異教徒たちとの戦いで遠征に赴いた先で防壁を築くため、父アルテュールが考案したものの中に瓦礫を詰める籠があった。石材の確保が難しい土地で即席の要塞を築くのに役立った記憶が蘇ってきた。

「おい、なんか籠ねぇか? 多少こわれててもいい。できればちょっと大きめのやつがいいな」

「籠ですか。何に使うんです?」

「それはやりながら説明する。目の粗いやつでもいいから持ってきてくれ」

 突然、大きめの籠を要求した彼に怪訝な顔をした中隊長だが、近くで作業していた町の住民が石を運ぶのに使っていたものを一つ持ってきてくれた。

 シャルルはその中から壊れた石材を拾い上げて籠の中に詰め込んでいく。その中がいっぱいになるまで石を詰め込んだ彼はこう言い放った。

「これで一つできたぞ。こいつが壁の一部に使える。石材の節約になるはずだ」

「なんですか、これは!?」

石籠せきろうという。似たようなので蛇籠じゃかごってのもあるんだが……昔、親父が戦場で陣地をこしらえるのに使った。それなりに強度が得られるし、籠がそれなりに丈夫なら形状も保てる。中に詰め込む石は形がいびつでもよいし、大きくなくても構わない。だから腕力がないやつでも作業できる」

「これってもしかして……籠の形状に合わせて形も大きさも違う石を組み上げることができるんですか?」

「ああ、そうさ。同じような籠をたくさん作って、その中に石を放り込んでく。普通は川の護岸とか、要塞の防壁なんかに使う」

 シャルルの発案を横で耳にしたユーティミアも頷いた。

「わかりましたよ! それで家の外壁に転用するんですね。それならば石切り場から石材を運んでくる量を削減できます」

「港の方もいくらか崩れたんだろ? そこに使っても良い。植物で編んだ籠は数年しか持たん急ごしらえになるが、この冬を乗り切るくらいなら十分なはずだ」

 すると中隊長も意図が呑み込めたらしい。

「細かい瓦礫ならここにたくさんありますからね。問題は籠に使えるような植物はこの近くには自生していないかと……」

「籠は別に植物で作らなくたっていいんだぜ。加工がしやすく形状が保てれば素材は何でもいい。なんかないか?」

「では、細長くした鉄線のようなものでもよいのでしょうか?」

「確保できるんだったら、軟鉄なんかで作るほうがずっと加工もしやすくて頑丈かもしれないが、そんな簡単に手に入るものなのか? どうなんだ、ユーティミア」

 あまり期待していなかったが、彼女の答えは非常に前向きであった。

「ええ、いけます。直轄領は植物よりも鉱物のほうがずっと手に入りやすいんです。それこそ食糧よりも手に入りやすいくらいで、テッサリアから食糧を買う引き換えに直轄領からは鉄などの鉱物を売っているんですから」

「まじか……」

 驚く彼を尻目に、彼の思い付きを耳にした現場の兵士たちが動き出した。

「屑鉄ならいくらかありますから……一つ作ってみましょうか?」

「詰所に使い物にならない武器があったので持ってこさせましょう」

 ある者たちは割れた石材を取り出し、またある者たちは鉄をかき集める。

 取り出した屑鉄は一カ所に集められ、ちょっとした小山を形成したほどだ。

「随分集まったじゃないか。コイツを使うのか。しかし、鉄を鋳溶かす炉はどうする?」

「そうですね……とりあえず、ありあわせでよければ一本作ってみましょう」

「資格者殿、出来上がったら強度を見てもらえますか?」

 事も無げにそう言うと、兵士の一人が軽く手で印を結び、何事か呟くと、一筋の銀に輝く紐のような物が立ち上がる。

 さながら、とぐろを巻いたヘビのようなそれは、兵士が指で空を切ると同時に、均一な太さの細い棒となる。

「いかがでしょうか?」

「……あ、ああ……ちいと細いが、強度はおそらく問題ないだろう。これで籠を編めるか?」

「では、もう少し太く仕上げるように指示を出します。この程度のものでよければ、炉はいりませんね。早速組んでみますので、指示して頂けますか?」

「お、おう……」

 思わず呆気に取られたシャルルだったが、手のひらで鉄線をあらためて強度に問題ないことを確認する。

(カリスといい、こいつらといい……ある部分ではより遅れちゃいるが、別の部分ではよりずっと進んでいるというか……俺たちが知らない何か、それこそ錬金術みたいなおっそろしいことを平気でやってのけるよな)

 もはやとしか言えない。

 彼にとって、この『ルナティア』とはかつて生きていた世界とではないだろうか、そんな思いがいっそうこみ上げてきた。


 それから工兵たちは更に鉄の強度を増すため、屑鉄の山に木炭を投げ入れ、屑鉄と混ぜ合わせ、シャルルの目で見ても分かるほど簡素な魔術で鉄線を紡いでは、籠の形に編み上げ始めた。今回は実験的な意味合いが強く、量は多くなかったものの、いくつか籠を編むだけの量は確保できた。

 とはいえ、町の家屋すべてに使えるほどの鉄には僅かに足りない。使用する鉄の量を節約するため、植物で編んだ籠よりも目を粗くした鉄籠を作った。それに石を詰めてみたところ、かなりの強度になることがわかった。

「蹴っ飛ばしてもビクともしない。十分だ」

「よし、これを使って明日から家屋の再建を急ぎます!」

「材料となる屑鉄であれば一両日中にでも集められるでしょう。街の住民の手も借りやすくなりました。どうもありがとうございます!」

「いや、実際に色々考えてやってみたのは諸君らだ。俺はちょっと思い付きをしゃべったに過ぎないよ」

「また何か思いついたことがあったら教えてくださいね、殿!」

 領主と呼ばれて、まんざらでもない思いが笑みとしてこぼれたシャルルであった。


--------


お知らせ:亜人戦争を描いた新プロローグ「楽園の崩壊」を追加いたしました。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054896245637/episodes/1177354054934733241

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る