第12話 漁村と塩田(2)

 郡都を発って二日目になる。

 初日にパラマス湊の視察を終えた郡伯カロルス一行は、湊町の宿泊先から次の目的地へと出発した。

 ラリサと王都を結ぶ街道は郡都を経由する東廻りの山街道とパラマス湊を経由する西廻りの海街道の二つがあり、一行はその海街道を北に向かっていく。

 パラマス湊を離れると海街道の景色は一気に閑散とする。潮の香りを乗せた冷たい海風が吹き寄せる一帯は耕作に向かないのか農地がほとんどなく、漁村ばかりが時折ある。沖に白波が立つ青黒い海はモザイク状に濃淡が入り乱れていた。

「同じ海でも地中海とはまるで異なる景色だな」

 馬上の彼が見渡す風景はかつて見慣れた故郷の海とは似ても似つかぬもの。

 温暖な地中海沿岸とは異なり、カルディツァ郡の西岸には果てしない海が広がっている。この先に陸地はない。つまり、この一帯は彼の領地の西端にあたる。

 さらに北に上ると王都周辺から延びる広大な湿地帯の南端にぶつかり、その先には陸路で進むことはできない。実質、そこが彼の領地の北西端であり、今日の目的地であった。

「遠くに葦原よしわらが見えるな。あれが湿地帯の端か」

 街道が通る丘陵に馬を止めて物見に立つ。彼の隣に地図を手にして馬車から降りてきたユーティミアが並んだ。

「はい、この地図でいうとこの付近になります。海街道はここから東に向かって山を登り、直轄領へと通じる関所へと続いていきます」

 葦原が無くなった付近から砂地の海岸が広がっているが、それ以外には何もない。こんなところを訪れる者はほとんどいないであろう。

(それにしても、どうしてこんな場所に街道が走っているのだろうか)

 当然ながら現在のルナティア王国が整備した街道ではない。バルティカ街道の脇街道として古代帝国時代に整備されたものであるらしい。郡都カルディツァを経由する山街道のほうが利便性が高いため、海街道を使う旅人は少ないという。

(きっと何らかの理由があったんだ。悠久の昔にここに街道を通す理由がな)

 自らの領地の果てをこの目で見たシャルルは元来た道を引き返すことにした。

 カルディツァの外港であるパラマス湊と王都の外港であるパトラ湊の間には、アルデギアと呼ばれる漁村が連なる地域がある。その中で一番賑わいを見せている漁村に立ち寄って、彼は馬を下りた。


「あンたさん、この辺りじゃ見慣れない顔だねェ。どこからいらした」

 潮風吹き付ける厳しい土地柄で育ったガタイの良い漁師たちにも引けを取らない偉丈夫に惹かれて、老婆がしわがれた声をかけた。

「カルディツァからだ」

「はー……立派な格好なさって、こんな田舎に、なにしに?」

「一応貴族らしいが、そんなに偉いわけではないさ。自分の領地を隅々まで見ておきたいと思ってね」

「ってぇ、あンた様は領主様?」

 顔にしわを湛えた老婆はその目を丸くした。領主がこんなところまで自ら足を運んでやってくる機会など無かったからである。

「ばーちゃぁぁん! カキいっぱい獲れたから手ぇ貸してけれー」

「おお、呼び止めてすまんかった。孫が呼んでおる」

「ここでは牡蠣カキが獲れるのか?」

「ええ、ええ。うちらが食うぶんだけな」

「手が要るなら、貸してやるぞ」

「とんでもねェ。領主様の手を汚すなんて、とてもとても」

 後からやってきた青い髪を短く切り揃えた女性に、上着を脱いで手渡した彼が袖をまくった。屈強な腕には古傷がいくつもあって痛々しいほどであった。

「あンた様、戦場にも出てらしたンか?」

「ああ、馬鹿力ばかりが自慢でね。じゃ、ユーティミアとクロエはそこで待っていてくれ」

 服を手渡された女性があきれ返った顔をしているが、意に介さずにその自称領主は老婆とともに海辺へ降りていく。岩場の上に立った孫娘が籠いっぱいに収穫した牡蠣を詰めている。籠が合わせて三つほどあった。

「あれ、ばあちゃん。その人、誰?」

「通りがかりの武人だ。手が要るなら貸してやる」

 孫娘が両手で一つ持つのがやっとの籠を片手で一つずつ、合わせて二つ軽々と持つ武人の腕力は大したものである。三つあった籠はたった一回の往復で持ってくることができた。

「お手を煩わせてすまんね、領主様」

「いいや、こちらこそ仕事中に邪魔したな」

「せっかくだ。牡蠣でも食っていくかい?」

「おお、本当か。ではそこの一つもらうぞ」

 孫娘が貝殻をこじ開けるナイフを手渡すよりも前に、その自称領主は自分のナイフを突き刺してそれを開けてしまった。

「見事なもので」

「いや、少々失敗した。身が綺麗に取れなかった」

 その自称領主は採れたての牡蠣の身をナイフで貝殻から切り取って、そのまま口にしたではないか。それを見ていた老婆と孫娘は啞然とする。

美味うまい……ッ!!」

「ほ……生牡蠣なまがきの食い方を知ってらっしゃるのか、領主様は」

「故郷でも食べたことがあったからな。俺の知るカキとは大きさも形も違うが、ここの牡蠣は良いな。味が濃い」

「ほ、ほ。領主様はよくお分かりで」

「どうだ、ユーティミア、クロエも食べてみるか」

 彼が振り返って声をかけると、青い髪の女性と黒い髪の少女はともに青い顔をして首を横に振っていた。

「お嬢様がたは生牡蠣は苦手かい……キキ、なんぼか焼いておやり」

「はぁい!」

 キキと呼ばれた孫娘が手早く指を切り、火を起こす。それを枯れ草に移して、焚火を作った。使い慣れたナイフを手に、彼女は慣れた手つきで牡蠣の貝殻をこじ開ける。火が入り始め、バチバチと殻が弾け始める。きれいにはぎ取った身が乳白色の汁とともに煮立ち、磯の香りとはまた違った香ばしい匂いが辺りに漂ってきた。

「熱いうちにおあがりよ、お嬢様がた」

「は、はぁ……」

 眼鏡をかけた女性は「こんなものが食えるのだろうか?」と書いてあるような顔で孫娘が差し出した貝を受け取る。

「アントニウス卿……これ、本当に食べられるんですか?」

「いい匂いするだろう? 騙されたと思って食ってみろよ」

 未知の何かを前に渋っていた女性は、鼻腔をくすぐる匂いに興味が込み上げてきたのか、恐る恐るそれを口にした。

「……!?」

 言葉を失った女性の顔を凝視する老婆と孫娘。

「……嘘、美味しい」

「だろう? クロエももらっておけよ」

「……え、はい……いただきます」

 孫娘と近い年頃の少女は領主の使用人なのだろう。おずおずと牡蠣を受け取って、上品に口にする。

「え? 美味しい……旨味が、すごいです……っ!」

 こんな食材があるのか!? と使用人の少女は非常に驚いたようであった。

「アルデギアの沖は潮が混ざり斑模様まだらもようでね。暖かい海と冷たい海が出会う場所なンよ。冷たい海が北からいっぱい海の幸を運んでくる。みんなそれを獲っておる。わしの婆さんも、そのまた婆さんもそうやって生きてきた。ここでは牡蠣も大きく育つ」

「なるほどな!」

「しかし……牡蠣はニシンと違って干物にならン。。昔は漁に出て魚も獲っていたが、娘たちが嵐で帰らんようになってからはここで海女をやって、磯で獲った牡蠣を売って食ってくしかない」

 老婆が孫娘と二人で糊口ここうをしのいで暮らしている身の上を口にした。それを耳にした青い髪の女性と黒い髪の少女の顔が曇る。屈託のない笑みをかき消した彼は真剣な眼差しでこう訊ねた。

牡蠣コイツはこの辺では量が獲れるのか」

「わしらが食ってく分はな。他の連中は日持ちするニシンしか獲らン。わしらが生きていく分には十分すぎる量が獲れる」

「よし、決めた!」

 手を叩いた領主がこう言い放った。

「週に一度、に牡蠣を入れてうちの屋敷まで届けられるように馬を手配しようじゃないか!」

「へぇ!?」

 彼の思い付きに老婆が素っ頓狂な声を上げた。

「とんでもねぇ! わしら漁民しか食わねえこんなモンを領主様になんて」

「構わん! カネもちゃんと払う! だから俺と取引しようぜ、ばあさん」

「待ってください、アントニウス卿」

 そこに眼鏡をかけた女性が割って入った。

「傷みやすいとおっしゃっている海産物をどうやってカルディツァのお屋敷まで運ぶおつもりなんですか?」

「羊乳を運ぶかめがあるのは知ってるよな、ユーティミア」

 頷く女性。

「あの中にここの海水を入れて、その中に牡蠣を入れりゃいいだろ。あの竜の生き血だって王都まで運べたんだ。全然難しいことじゃない」

 彼の答えは単純であった。

 街道の下に龍脈が走っていること、その龍脈から魔力供給を受けることで内容物の品質を保つ仕組みがこの国にあることを彼はカリス・ラグランシアから聞いていた。微塵も迷うことなく、その仕組みを使うことを考えていたのだ。

「あの魔術の瓶は王都でしか作れないのですが」

「じゃあ、王都で瓶を作らせて調達すればいい」

「しかし、その費用は……」

「それぐらいなら俺が払う。俺が食いたいんだからな」

 彼の示した意志は固かった。

 続く言葉が尽きた女性を前に、彼はこう宣言した。

「考えてみろよ。ここには美味な海産物がある。舗装された街道だってあるんだぜ。ほんの少し頭をひねれば、コイツを内陸まで届けられるんだ。それを前の領主たちはちっとも生かしてこなかったみたいだが、俺は違うぞ!」

 並々ならぬ決意が言葉となって迸る。

「ここも俺の領地だ。コイツを生かして、ここを発展させてやるんだ!」


 郡都から領主がやってきた――。

 船を戻った漁民たちがそんな話を聞きつけて、何人かやってきた。

「新しい領主様と聞いてやってきたけど、今度のは随分デカい身体してんな」

「コラッ! 誰彼構わずそんな口きくなって言ったろ!」

 そう言った漁師二人は親子だろうか。似たような顔つきで、ともに屈強な体つきをしている。

「ここに住んでる漁師たちはみんないい体格をしているな」

「たりめぇだろう! アルデギアの海は荒れる。網曳くには力が要る。モヤシじゃやっていけねぇ」

「で、領主様はどうしてこんなところへ? 物見遊山で来る場所じゃないだろうに」

 逆に問われた彼はこう言った。

「先代の領主に代わって、俺がカルディツァ郡を治めることになったんだが、領地に何があるのかさっぱりわからなくてな……自分の足で見に来ようと思ったわけだ」

 集まってきた漁師たちの表情は千差万別。

 だが、厳しい目を向ける者たちが少なくないように思われた。

「お遊びならけぇれ。ここはお貴族様が来るような場所トコじゃねェ」

「貴族なんざ誰もえばりくさったヤツだろ。たまに来るのもどうやったらカネをむしるか、それしか考えてねえ連中だけだ」

「ここにゃあ畑もねぇ、釣った魚もすぐに腐ると知って貴族連中は寄り付かなくなっちまった。ちっと少し前にソフィア姫様がいらして、お声かけ頂けたぐらいでよ」

「なに、ソフィア様がおいでになったのか?」

 彼の顔色が変わったのを見て、その漁師はさらにこう言った。

「魚以外のエビだのカニだのに興味をお持ちで、普通にお召し上がりになったよ。王族の方々だってのに珍しい方がいらっしゃるもんだ」

「エビというと、あの湿地帯に棲んでいるようなやつか?」

「カワエビか? いや、海で獲れるエビはもっとデカいし美味い! だが、王都まで持っていくには遠すぎる。姫様は残念そうだったけどな。結局あきらめてお帰りになった」

「ふむ……なるほどな」

 彼の受け答えを不審に思ったか、怪訝な表情を浮かべた漁師に彼はこう答えた。

「以前にソフィア様よりザリガニ料理を振舞っていただく機会に立ち会ったのだが、湿地帯からザリガニを見つけて庭園の池で養殖していると伺ったのだ。どこでそのような着想を得られたのか不思議に思っていたが、おそらくここで見聞きしたことも念頭にあったのだろうな」

 ザリガニ料理と聞いて、さすがの漁師たちもびっくりしたらしい。

「あの姫様が!? ……やっぱり、あの姫様は変わってるな」

「いや、変わってるのはその領主様もだよ。さっき牡蠣を生で食ってたし」

 そう言い放った若い娘は先ほど牡蠣を焼いてくれたキキだった。漁師たちが集まり騒ぎになっているのを聞きつけて、様子を見に来たようであった。

 キキの言葉に漁師たちは互いに顔を見合わせる。そのうちの一人が訊ねた。

「あのう、領主様はソフィア姫様と親しい間柄でいらっしゃる?」

「ああ、ソフィア様は俺の主人だ。俺の名はカロルス・アントニウス。ソフィア王女に騎士としてお仕えする者だ」

「カロルスって……まさか、『竜殺し』カロルスってアンタか!?」

「ああ、その通りだが。ここでもそんな名前で呼ばれているのか」

 平然とした彼と対照的に、漁民たちは青ざめた顔をしていた。

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