第三章:竜殺しの雌伏

第1話 第三の力(1)

 叙勲祝賀会に先立ってカロルス・アントニウスは女王ディアナ十四世臨席のもと、叙爵じょしゃくを受けることになっていた。

「以下の者、正七位に叙し、カルディツァ郡伯ぐんはくの称号を与える――カロルス・アントニウス」

「――はっ!」

 進み出てひざまずいた彼の前で王太子ベアトリクスが羊皮紙を開いて読み上げる。

「貴殿はわが王女ソフィア・ディアナ・アルトリアの忠実な騎士として、王命を受けた王女の傍にあってその職務遂行を支えてこられました。カルディツァ遠征においては氷嵐竜討伐という過去に前例のない偉業を成し遂げ、わが王国の権威を諸邦に知らしめる勲功を上げました。その功績に鑑み、貴殿を正七位に叙し、正式にわが臣民と遇することといたします」

「――はっ!」

「貴殿にカルディツァ郡伯の称号を与え、カルディツァ郡ならびにキエリオン郡を所領として与えるものといたします。以上、月の女神セレーネの恩寵おんちょうによる月の王国レグナ・ルーナの女王ならびに信仰の擁護者ディアナの名のもとに、このように決定いたしました――今後とも王国に対する忠義を果たされますように」

「――はっ! ありがたき幸せにございます!」

 ベアトリクスの手より以上の旨を記した羊皮紙を授与された彼は、引き続き侍従を通じて勲章を授与される栄誉にもあずかった。彼が賜ったものは三日月を象った白銀しろがねの勲章――三日月勲である。

 こうして彼は王国臣民のみならず、貴族の一員として正式に認められた。これまで彼に対して遠慮がちであった者たち――それこそ彼の邸宅に入る使用人たちも、彼を貴族の一員として受け容れるようになりつつあった。


 この日を境に、彼の生活は一変するかと思いきや――。


「暇だああああああっ!!!」

 王都の邸宅で彼は絶叫した。何もすることがないのである。

 氷嵐竜との戦いで傷ついたエールセルジーは修復を余儀なくされており、アルス・マグナに留め置かれたままになっていた。彼の主人である王女ソフィアもこれまでに溜まった政務を処理しなくてはならず、彼と会う時間もないほどであるという。

 クラウディア家での剣術師範は当面の間取りやめとなっている。第二軍務卿ユスティティアがカルディツァ郡に派遣され、その妹であるアグネアことラエティティアもカルディツァ郡に向かうことになったからである。また、オクタウィアはエールセルジーとの相性がよかったことでアルス・マグナに呼ばれる機会が増えたようだ。

 そして、王女ソフィアより彼の身の回りの世話を仰せつかっている侍女のヘレナは、というと――。

「皆、作業は正確かつ迅速に。郡伯様がカルディツァに移っても不自由しないように怠りなく行ってください」

「「「はい、家政婦長様」」」

 ヘレナは王都の邸宅からカルディツァの新しい屋敷へ荷物を運び出す使用人たちを指導、監督する立場にあった。この小さな邸宅のことを一番把握していた彼女は陣頭指揮を執っていたのである。

 それだけではなく、カルディツァの屋敷で必要となる使用人の人選も行っていた。夜は邸宅ではなく、王城のソフィア王女を訪ねて報告や打ち合わせなどを行うため、邸宅に戻らないことも少なくない。あまりにも忙しいため、日ごろシャルルの給仕を自ら務めていた彼女が他の使用人に給仕を任せるようになっているほどだ。

 このような状況であり、シャルルは誰にも構ってもらえず、暇を持て余していた。本を読んで時間をつぶせるかと考えたが、邸宅の本はカルディツァの屋敷に運ぶためすべて梱包しなければならず、それも叶わないのであった。


「あー! ホント暇だ、やることがない!」

「それでこんなところまで愚痴りに来たとは……騎士殿は本っ当に暇人なんですね」

 面会を求めてきたシャルルを呆れた顔をして迎えたのはアルス・マグナの研究員、カリス・ラグランシアであった。

「“ケイローン”に乗れないと何もすることがないんだ。いいかげん隠居老人みたいな生活に飽きてきたところさ」

「こちらは暇どころかやることがいっぱいで大変ですよ……しかし、まあ、ちょうどいいでしょう。いずれ騎士殿にもお話しすることがあったんですが、お呼び立てする必要がなくなりました。どうぞ中へお入りください」

 関係者であることを示す札を手渡された彼は、カリスの後をついていくように館内へと案内された。

「そういえば……正七位、ならびに三日月勲の叙勲、おめでとうございます」

「ん……ああ、ありがとう。これでようやく『流れ者』からこの国の臣民になれた」

「正八位を飛ばしていきなり正七位ですからね、異例中の異例だと思います」

「そうなのか? この国の位階制度いかいせいどというものがよくわかっていないのだが」

「貴族として扱われるのが正七位以上、正八位は平民の扱いです。勲功ある外国の方が正八位に叙され、臣民の地位を得ること自体は少なくないようですが、いきなり正七位という話を私は聞いたことがありません」

 カリスと会話しつつ円柱を多用した構造になっているアルス・マグナの廊下を進むと、その先に白亜の彫像が聳え立っているのがわかった。

「こいつは初めて見るな……これも機動甲冑か?」

「はい、『サイフィリオン』という機動甲冑です。お見せするのは初めてでしたね」

 流線型の機体から目を逸らしたシャルルの視界の端に、茶色の髪をした少女の姿が入った。アルス・マグナの研究者たちの服装とは異なり、軍服を着た彼女のいでたちが目を引いたからである。

「あっ、師範――いえ、失礼しました。アントニウス卿」

「いえ、かまいませんよ、オクタウィア」

 彼に声をかけて歩み寄ってきたのはオクタウィア・クラウディアである。まだ彼の称号が呼び慣れないようであった。

「ちょうどオクタウィア様にご説明しようと思っていたところですが、騎士どっ――失礼、アントニウス卿にもお聞きいただくことにしましょう」

「気を遣わずとも、如何様いかように呼んでいただいて構わないのだが」

「では失礼して……先日、騎士殿から短剣をお預かりして、こちらで色々と詳細な部分まで調べさせてもらいました」

「ああ、こいつを何日か預かってもらったよな。それで何かの役に立ったのか?」

「そうですね……こちらをご覧ください」

 そう言ってカリスが箱の中から取り出した短剣を見て、シャルルは言葉を失った。彼が腰に差している短剣と全く同じものがそこにあったからである。

「前に見た剣は赤碧玉ジャスパーがあしらわれていたが、こいつは……瑠璃ラピスラズリか?」

「その通り、こちらの剣にはラピスラズリを埋め込んでいます」

 シャルルが口笛を吹く。オクタウィアが話の内容についてこられずに困惑していたことに気づいたカリスは、こう説明した。

「この短剣は機動甲冑の『鍵』となるものです。騎士殿がお持ちになっている短剣と同じ役割を果たします。これはオクタウィア様にお贈りするための一本です」

「私に……ですか?」

 頷くとカリスはこう言って二人を驚かせた。

「オクタウィア様、その剣を使ってこの機動甲冑『サイフィリオン』を起動してください」

「……!?」

 絶句するオクタウィアを尻目に、シャルルがこの剣について以前受けた説明とほぼ同じ内容をオクタウィアに語ったカリスは、シャルルの剣と同じ業物わざものをほぼ完全に再現したことを明らかにした。

「この機動甲冑『サイフィリオン』は風と聖の属性……すなわち『空』の属性が備わっていることがわかっています。オクタウィア様のお家柄、クラウディア家は代々土と風という反属性『氷』の血筋を受け継いでいらっしゃる。それ故でしょうか、先の遠征で水と風の属性――『雷』のエールセルジーと良好な適応反応を示しておられました。そこで我々アルス・マグナとしてもサイフィリオンとも相性が良いと推察した次第です。つまり、正規の搭乗者にふさわしい資質を備えているのでは、と」

「私がこれに乗れると、おっしゃるのですか?」

「はい。騎士殿がエールセルジーを操るように――いいえ、それ以上にこのサイフィリオンを自在に操ることができるかもしれません」

 オクタウィアが緊張した面持ちで白い機体を見上げた。しばし逡巡した彼女にカリスがこう言葉をかけた。

「なにより、この件はアルス・マグナ総裁以下、機動甲冑に関わる者たちの総意でもあります」

 アルス・マグナ総裁とは王太子ベアトリクスを指す。それほどの期待が自分の双肩にかかっていると知った彼女は迷いを振り切った。そのまなざしには年頃の少女らしい好奇心があふれていたのであった。

「……わかりました、やってみたいと思います!」

 オクタウィアの意思を確認したカリスは箱から短剣を取り出して、それをオクタウィアに見せてこう言った。

「まず、この剣の使い方を説明しますね。この剣には持ち主を登録する仕組みがあります」

、だと?」

「はい、万が一剣を奪われることがあっても機動甲冑を乗っ取られることがないように、という仕組みだと思われます」

「それで……どのようにして登録するのですか?」

「この剣のにオクタウィア様の血を垂らすのです」

 血を垂らすと聞いて、二人は呆気にとられた。かりにも伯爵家の令嬢に血を流せというのである。その不安を読み取ったか、すかさずカリスは説明を補った。

「血判をすくらいの量で十分です。いたずらに血を流すというわけではありません」

「……わかりました」

 オクタウィアは短剣を鞘から引き抜いて、その刃に親指を押し当てて軽く引いた。彼女の端整な顔がほんの少し歪んだ。刃を当てた個所はきれいに切れて血がにじんでいた。その傷口を短剣の樋の上にかざし、数滴の血を滴らせる。

 間もなくして、オクタウィアは握った短剣の柄より、何かの魔術が励起する反応があることを察した。

「剣が……反応している?」

「これでその短剣はオクタウィア様だけの物です。他の何者にも扱えません。では、こちらに」

 カリスはオクタウィアを機動甲冑の周りに組んだ足場へと導いていった。シャルルは呼ばれなかったので、それを下から眺めているだけである。足場を伝って上がり、一〇フィート三メートルほどの高さにある操縦席に連れていかれたオクタウィアは驚いた。

「この席の部分、エールセルジーにすごく良く似ていますね」

「はい、構造的には全く同じです。意図的に同じ作りとしているのかもしれません。どうぞおかけください」

「この剣はたしか……挿すところがありましたよね」

「はい、操縦席の脇に挿すことによって鍵が入った状態になるはずです」

 シャルルが操縦席に座る姿を何度も目撃していたオクタウィアは、彼がそうしていたように操縦席に座った。そして、先ほど自分の血を垂らした短剣を席の傍らの溝に差し込んだ。

インフィックスInfix確認。システムSystemリスタートRestart

「……今、何か喋りましたか?」

 オクタウィアは振り返ってカリスの顔を凝視した。彼女は不思議な顔をしている。

「いいえ、私は何も……」

『――音声入力開始確認。ランゲージLanguageフォーマットFormatロードLoadオーソライズAuthorizeスタートStart――搭乗者、姓名及び所属、階級をどうぞ』

「どうしました、オクタウィア様?」

 唖然としているオクタウィアに再びカリスが言葉をかけた。

「搭乗者、姓名及び所属、階級をどうぞ――そう言われているように聞こえます」

「……なるほど、騎士殿の時と同じ反応のようですね。サイフィリオンはオクタウィア様をお認めになった、と言うことです」

 オクタウィアの言葉に、カリスは笑みをこぼしながらそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る