第2話 第三の力(2)

「騎士殿――つまり、アントニウス卿の時と同じような対応をすればよいのでしょうか?」

「はい、おそらくは。ご自身のお名前、所属、階級を口頭で答えてみてください」

『――姓名及び所属、階級をどうぞ』

 再度脳裏に語り掛けてきた声に対し、オクタウィアは口を開いた。

「姓名はオクタウィア・クラウディア、所属はルナティア王国軍、階級は士官候補生です――これでよろしいでしょうか、カリスさん」

『搭乗者名、オクタウィア・クラウディア。声紋、マナサーキットMana-CircuitスキャニングScanning

「え……なに、何なの? これ……」

『搭乗を検知――搭乗者はオクタウィア・クラウディア――フィッティングFittingデータDataロードLoadスペックSpecs、FCS、マナサーキットMana-CircuitダイレクトDirectラーニングLearningスタートStart

 先ほど剣に血を垂らした時とは比べ物にならないほどの『力』――オクタウィアは圧倒されていた。自身の内側でこれまで生きてきて初めて体感するほどの魔力の奔流を実感した。全身のあらゆる機能が胎動を始めた感覚であった。

「いったい……何が起こっているのかしら……」

『心拍数、正常範囲内――オペレーション継続』

 耳にしたことのあるような無いような言葉の数々の脳裏で飛び交っている。困惑の表情を滲ませてオクタウィアが振り返ると、いつの間にか足場の上に離れていたカリスが微笑んで言った。

「大丈夫です。機動甲冑を受け入れてあげてください。オクタウィア様なら出来ると確信していますから!」

 その瞬間、機体の背中にあった扉がガコンと音を立ててひとりでに閉まった。声にならない悲鳴を上げてしまったが、それ自体は初めての経験ではない。

(そうだ……エールセルジーでも真っ暗になった後で外が見えるようになったはず。大丈夫、怖くない、怖くない……)

 あえて目を瞑り、エールセルジーに乗ったときの感覚を思い出す。『資格者』カロルス・アントニウスのがっしりとした体躯にお姫様抱っこされたときの恥ずかしさ、そして言い知れない頼もしさが蘇ってきて、次第に呼吸が落ち着いていった。

『バイタルサイン・グリーン。マナサーキット正常――適合率七五パーセント。リスタート・オミット。ハーモニクスアダプター、パッケージオープン。ネルフ・コネクト・スタート』

 小さな空間の中は暗く閉ざされているものの、目まぐるしく何かが駆け巡っているように思われる。目を閉ざすことで一層意識が研ぎ澄まされたオクタウィアはそれを感じ取っていた。

『ビジョン・コネクト――ネルフ・コネクト・コンプリート』

 そこで暗闇と静寂が嘘のように晴れ渡った。大きく見えたはずのアルス・マグナの格納庫がこじんまりと思える違和感がある。それはつまりオクタウィア自身の身体が大きくなったに等しい。彼女を下から見上げているカロルス・アントニウスがとても小さく感じるほどであった。

「師範がまるで妖精のように見えますね」

「ん……その声はオクタウィアですか?」

「え……ここで喋ったら外にも伝わるんですか!?」

 そんな反応をしたオクタウィアに彼はしばし考え込んだ。

「ということは……そうか! きっと、オクタウィアの目も耳もコイツを通じて外とつながっているんです。エールセルジーに乗った時と同じなんです」

「ほら、やっぱり! オクタウィア様には素質があるんですよ! サイフィリオンの搭乗者となる資格が!」

 真後ろからカリスの興奮じみた歓声が聞こえてきた。オクタウィア自身には今一つ現実感がなかったが、この瞬間、彼女はカロルス・アントニウスに次ぐ第二の『資格者』となりうることを示したのである。

(もしかしたら……この巨人を私が……動かせるの?)

 オクタウィアは深呼吸をして、真正面から自分を見上げている彼に告げた。

「師範、そこから離れていただけますか? 歩けるかやってみたいと思います」

 彼女の意図を汲んだ彼はサイフィリオンから距離を保った。カリスも周囲の者に声をかけて、サイフィリオンの周囲三〇フィート約九メートル以上距離をもたせた。

「サイフィリオン、歩くにはどうすればいいの?」

『――オリジン・パターン、イニシャライズ、コンプリート。パイロット・データ、オプティマイゼーション、コンプリート』

「ねえ、サイフィリオン。聞いていて?」

『――『歩く』と念じてください』

 念じるだけでいいのか、とオクタウィアはほっとした。

「……いきます。せぇの……っ!」

 オクタウィアが右足を踏み出そうと意識すると、機体は右足を踏み出した――のだが、いきなり天地がひっくり返ったような感覚に襲われた。

「きゃあああああああああっ!」

 右足を滑らせて思い切りひっくり返ってしまった機体を目の当たりにしたアルス・マグナの研究者たちは言葉を失った。距離を置いていたシャルルが仰向けに転倒した機体に駆け寄った。

「まずい……大丈夫ですか!? オクタウィア」

 しかし、彼の心配をよそにオクタウィアは少し動転しただけであったようだ。

「へ、平気です。このくらいなんとも……身体がぴったりと座席に張り付いているようでどこにも身体をぶつけていませんから、傷一つありません」

「そうでしたか……それならよいのですが」

 どこか言い足りないような彼を尻目に、彼女が乗る機体は再び動き出した。

『サーボ限界値、モーション誤差、オートバランサー、リアルタイム修正――立ち上がります』

 すると目の前の視界が先ほどの高さに戻る。オクタウィアが想像するに、おそらく機動甲冑は自らのだ。

「なに、これ……すごい。どうなっているの……」

 自分にはとても考え及ばない出来事が続いて、頭痛がするほどの疲労感を覚えた。

(だけど……これを意のままに動かせるようになれば、私は!)

 カロルス・アントニウスと肩を並べて戦える存在になれる――そんな高揚感もまた沸々と湧き上がってきた。


 その後、オクタウィアを乗せたサイフィリオンは十分もかからないうちに二本足で歩行できるようになっていた。人間の赤子には到底及ばないほどの早さで歩行に適応していったのである。搭乗者となったオクタウィアもサイフィリオンに思いのほか早く順応していったが、彼女の疲弊を案じて早々に初稼働は打ち切りとなった。

 この「朗報」はほどなくしてアルス・マグナ総裁でもある王太子ベアトリクスにも伝わり、女王ディアナ十四世に報告された。由緒ある貴族の一門であるクラウディア家の令嬢が『資格者』すなわち機動甲冑を操れる一人であるということは、この国の王侯貴族たちにとって大きな意味を持っているからである。


 翌日も、その翌日も――オクタウィアはアルス・マグナに通ってサイフィリオンに乗った。日々機動甲冑の操作に慣れていくだけでなく、その構造にまで理解を深めていくオクタウィアの姿を遠くから眺めていたシャルルの目からは、機動甲冑の操縦者としての素質に限れば自分よりも彼女のほうが優れているのではないかと感じ始めていたほどであった。

 教え子でもあるオクタウィアの成長が頼もしく思われるその一方で、彼は遠からず自分が必要とされなくなるような予感を抱きつつあった。

 数少ない親しい友人たちが新しい仕事に勤しむなか、独り暇を持て余し、ある種の疎外感に似た気持ちを誰にも打ち明ける機会がなかった彼は、アルス・マグナに通うのを止めて、図書館で書を読んで時間をつぶすようになっていた。


 ***


 カリス・ラグランシアから再びアルス・マグナに来てほしい旨、連絡を受けたのは新領地への旅立ちを翌日に控えた午後のことである。彼にやることはもうなかったので、邸宅での最後の一日をのんびり昼寝をして過ごしていたところであった。


「わざわざアルス・マグナまでご足労願ってしまってすみません」

「隠居老人みたいな生活だったからな、むしろお前に呼ばれて助かった所だよ」

 シャルルの気楽な返しにカリスも軽く笑い返して応えた。

「こちらです、どうぞ」

 シャルルはカリスに先導されて、今回は機動甲冑の格納庫ではなく、官舎のようなところのある一室に通された。

「……ここは?」

「私の自室ですが、何か」

 彼はその無機質さに驚いた。年頃の子女の部屋、というには殺風景が過ぎるその部屋は十分な広さこそあれど、寝床に書き物用の机、そして応対のための簡易的な長椅子と机があるのみだった。そんな彼の思うところを察したのか、彼女はこう言った。

「引っ越してからまだ日が経っていないものでして、有りものを適当に置いているだけなのですよ。今の所は寝るだけの場所なもので」

「ここの前はどこに?」

「寮ですよ。研究員、職員、魔術師そのほとんどが相部屋なのですが、このほど機動甲冑の専属『調律者』という立場を頂きましたから」

 そう言って彼女は長椅子をシャルルに勧めた。

「先日、騎士殿と同じものを私もいただく機会がございまして」

 彼女が懐から取り出した銀の三日月は、数週間前にシャルルも女王陛下から賜った勲章と全く同じものであった。

「氷嵐竜退治はそれだけの戦果だったわけです。相部屋から個室に移ったのは、でもあります」

「なんだか持て余してるような言い回しだな」

「……以前の同居人が色々と良くしてくれましたので」

「なるほど、そうか……」

 カリスはどこか寂しげな顔を見せたものの、すぐに立ち直り、シャルルに問う。

「何か飲みますか? あまり高価なモノはないですが」

 聞かれるも、この部屋の状態を見れば流石に彼も答えに窮してしまう。

「……適当にお茶でも淹れますね。少しお待ちください」

「ああ……助かる」

 長椅子に彼を残し、カリスは席を立った。手持ち無沙汰になったシャルルだが、殺風景な部屋には退屈しのぎになるものがあるわけもない。結局、数分後にカリスが戻ってくるまでいたずらに時を過ごしただけであった。

「すみません、お待たせいたしました」

「……これは?」

 陶器のカップに入った熱い茶が長椅子でくつろいでいたシャルルの前に出される。妙に濃厚で香ばしい香りがするので、好奇心からうっかりカップを触ってしまった。

あっつッ!」

「……どうしました?」

「問題ない、冷まして飲むさ……」

 カップを触らずに息を吹きかけて、一見すれば泥水のような茶を冷ました。鼻孔をくすぐる香りが立って、脳を強く刺激してくる。

「タンポポの根を煎じたお茶です。苦いのは大丈夫ですか?」

「いや、大丈夫だ」

「それは良かった」

 そう言うと、カリスもまたシャルルの対面に座り、目の前の茶に口をつける。

 恐る恐ると言った調子でシャルルが口にすると、口の中に芳醇な苦味と渋み、少々の酸味。そして温かみのあるかすかな甘味が広がった。

「お口に合いますか?」

「初めて飲むが、悪くない」

 シャルルの受け答えにカリスは、確信のようなものを得たように頷く。

「やはりですか」

「……何がだ?」

「騎士殿は、この国とは違う場所からやってきた、と聞いておりましたが、自然豊かな場所で生まれ育ったのですね」

 それは問いかけというよりも断定の言葉であった。意図を測りかねたシャルルを尻目にカリスは言った。

「このルナティアの王族、貴族の多くはこういった植物由来の物を口にしようとしません。しかし、あなたは違う。リンゴ農園で生のリンゴを丸かじりしたと聞き及びますが、高貴な人間のすることではないのです」

「……俺の出生が知りたくてわざわざ呼び出したのか?」

「私も同じだからですよ、騎士殿」

 眉間にシワをわずかによせたシャルルに対して、カリスはそんな反応すら予想通りだと言わんばかりに続けた。

「カリス・ラグランシア。それが私の名です。穀倉地帯の人ラグランシアという名の通り、私の生まれはルナティアでも辺境の農村地帯です。それこそ女王陛下の威光も届かないような……本来であれば、こうして王侯貴族の方々とお目通りする機会など、一生縁のない場所で産み落とされたんですよ」

 唐突な少女の告白に、シャルルは思わず口を閉ざす。

「貧しい農村だった、ということは覚えていますが、もう親の顔も思い出せません。おそらくは口減らしという形で人買いに売られたんでしょうね……そんな私を拾ってくださったのがアルス・マグナの総裁であられる、王太子殿下でした」

「そんな経緯が……」

「私もそういう生まれ育ちをした、というだけです……ま、今日はそんな下らない話題のためにお呼びたてしたわけではないんです。早速ですが本題に入りましょう」

「お……おう……」

 凄まじい切り替えの速さにシャルルは気圧されながらも、目の前に座る少女が机の上に広げた真新しい羊皮紙の数々を見やった。そこには文字や図形が書きなぐってあるのだが、お世辞にもきれいな字とはいえない。読解するのに必要な根気を手放した彼はこう言い放った。

「これが何を意図したものか、よくわからないのだが?」

「エールセルジーの修理案、とでも言うべきでしょうか」

「修理案って……おい、んじゃなかったのか!」

「その辺も含めていろいろお話しすべきことが山とある、というところですね。話を続けます」

 他でもない彼女が一か月前、絶対に直せないと断言した機動甲冑。その理由は単純明快だったはずだ。それがどうして修理できるとなったのか、彼は訝しく思った。

「そもそも“ケイローン”は鉄で出来てるんだよな?」

「機動甲冑の装甲に使われているのはただの鉄ではありません。ウーツ鋼と呼ばれる特殊なはがねです。確かにほとんどが鉄で出来ていますが」

「鉄なら、この国でもいくらでも見たから、そう貴重な物でもないんだろう?」

「ええ。問題はその加工手段がこれまで分からなかったのですよ」

「加工手段だって? 詳しいわけではないが、鉄なんて炉で火を炊いて溶かしたのを型に入れて冷やせば良いものだろう?」

「……っ!」

 彼が言い放った言葉が気に入らなかったのか、カリスは露骨にため息をつき、一気にまくしたてた。

「いいですか、騎士殿! そんな単純な話ではないのですっ。鉄を鋳溶かすだけでは良い鉄はできませんっ! 微量な炭素、珪素、ニッケル、コバルトを含ませて、最適な温度で――」

「待て待て待て! そんないっぺんに言われてもわからん」

 熱の上がったことを自覚したか、カリスは咳払いをして間を置いた。

「失礼いたしました。ともかく、機動甲冑に用いられる鉄は、素材としては手に入らないこともないのですが、それを作る方法がこれまではわからなかったのです。故に修理するのは不可能だと申し上げました」

 シャルルが頷いたのを見て、カリスは続けた。

「ところが……先日オクタウィア様がサイフィリオンの起動に成功させましたよね。騎士殿も二日ほど立ち会っていらっしゃったのでご存じでしょうが……オクタウィア様曰く、あれから機動甲冑の構造が手に取るようにわかったそうです」

「ほう……」

「機動甲冑に用いられているウーツ鋼の作り方もその一つです。彼女の言うとおりの調合と加工をした所、なんとか機動甲冑の装甲に使われる物とほぼ同じ水準の強度を持ったウーツ鋼が手に入りました」

「そいつはすげえな……じゃあ、それを使って修理できるってことか!?」

「しかし、話は言うほど簡単ではありません。今現在の工法ではウーツ鋼の製造には莫大なお金と時間、そして魔術師を拘束する必要があるからです」

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