第14話 リンゴ畑でつかまえて(5)

 エールセルジーがブレッザに代わって追跡を開始してから五時間ほど過ぎた後、はしけは河口にたどり着いた。河口の右岸側には川の名前の由来にもなっているパラマスの湊町が広がっている。穀倉地帯テッサリアから南のゴロス、その先の商業都市サロニカへと沿岸を伝って穀物を海上輸送する拠点となっていた。

「お嬢様、そろそろ湊町に着きます」

「さすがに、これ以上は距離を取って追跡できませんよね。他の艀と混ざってしまうとわからなくなりますし」

『もしもーし! 騎士殿、起きてますか?』

 無造作に話しかけてくる声に二人はびっくりした。

「……起きてるよ。こんな状況で寝られるわけないだろ。そっちも起きてるのか?」

『はいっ。王女殿下の陣頭指揮で街道を下っています。こちらはパラマス湊までおよそ一〇マイル一六キロメートルです。そちらはどの辺りですか?』

「河口に着いたところだ。艀を追っているがそろそろ湊町に入ってしまう。これ以上は距離を保つと見失うかもしれないが、近づくと逆にこちらの存在がばれる」

『わかりました。もう一度上空にブレッザを送ったので追跡を受け継ぎます』

 艀が湊に入る直前に、上空に大きな鷹が現れた。追跡が途絶えるのを間一髪避けることができたが、気が休まる暇はなかった。ブレッザの目は夜明け前にもかかわらず荷役作業を急ぐ悪党たちの姿を捉えていたからである。

 シャルルは湊町から一マイルほど離れた郊外に機体を止めて、ずっと窮屈なところに押し込められていたオクタウィアを休ませるために背中の扉を開いていた。彼女が頭痛を訴えたので、エールセルジーとの接続を切って、彼女を機体の外で休ませようとしたのだ。彼女を下ろしていたところに、再びカリスからの声が届いた。

『騎士殿っ、聞こえますか?』

「ああ、聞こえる。どうした」

『連中が荷の積み下ろしを急いでいます。こちらも急いではいるのですが……出航までには間に合わないかもしれません』

「俺は何をどうすればいい?」

『今、殿下と補佐官殿が打ち合わせをしています。取りこぼしを無くしたいので味方の数を確保したいのですが、船への積み込みが始まる兆候が見えたら、最悪エールセルジー単騎で湊に踏み込んでいただくことになるかもしれません……』

 どれくらいの敵が潜んでいるかもわからない場所だ。万が一戦闘になってしまったら、オクタウィアをエールセルジーから下ろす必要があるかもしれない。だが、敵地にたった一人、オクタウィアを下ろしても問題ないか、彼には判断しかねる。

(どっちがオクタウィアにとって安全だろうか……どうすればいいんだ?)

 漆黒の闇が今は紺碧に、東の空は薄明かりへと色が変わりつつある。腕組みして難しい顔をしていた彼にオクタウィアが声を掛けた。

「お待たせいたしました、師範」

「もうよろしいのですか?」

「外の空気を吸って身体を伸ばして、少し疲れが取れました。怖い顔をなさっていましたが、どうかなさいましたか?」

「荷役作業が進んでいて、大きな船に積み込むかもしれないのです。そうなれば湊町に乗り込まなくてはならない事態になり得ます。戦闘になるかもしれません」

「先日のエールセルジーの戦いぶりを見れば、戦闘で負ける気がしないのですが」

「俺ひとりで戦ったときはそうです。ですが、今は……」

「……私が足手まといになるかもしれない、と」

「いいえ、身の安全が保障できるかわからない、ということです。ただ、ここでお嬢様を下ろしても安全なのか、わからないでおります」

「では、いずれにしても結果がわからない、ということですよね。でしたらば、私は師範と行動を共にすることを望みます」

 それでいいのか、とシャルルがじっと色違いの目を見る。エメラルドとアメジストの色をした美しい目に覚悟が宿っているように思われた。

「わかりました。お望みを受け入れましょう!」

 シャルルとオクタウィアが迷いを振り切った時、再びカリスの声が届いた。

『船に積み込みを始めた模様です。こちらでは決行の是非を殿下と補佐官殿が判断している最中です』

「了解。指示を待つ」

 操縦室の扉を開いたまま、オクタウィアを扉の外で待たせつつ、彼は次なる指示を待っていた。およそ一〇マイル離れた街道上を湊町へ向けて行軍する馬車の上で難しい判断を強いられている以上、結論が出るまで多少待たされるのではないかと彼は思っていた。

 しかし、積み込み開始の知らせからものの数分で判断が下った。

『補佐官殿から騎士殿へご指示あり。市街に踏み込んでください!』

「……承知! 行きますよ、お嬢様」

「はい! ご一緒いたします!」

 カリスの指示を受けて、機動甲冑『エールセルジー』は湊町へ向けて滑走した。


 ***


 夜明け前のパラマスの湊町みなとまちは静まり返っていた。波止場のある一角を除いて。

「日の出まであと三〇分しかないよ! さっさと急ぎな!」

 険しい顔をした強面の女性が発破をかける中、柄の悪い者たちが木箱を運んでいる。積み荷が潮風で傷まないようにするため、艀で運び入れた作物を梱包したものであった。

「艀の中に葉っぱ一枚すら残っていないか、キチンと確認したかい?」

「はい、何回も確認させました」

「ここで足がついたら商売上がったりだからね、ヘマしたら許さないよ!」

 柄の悪い者たちに高圧的な態度で指図をする女性のもとへ一人の貴婦人がやってきた。

「もう少し静かに作業していただけますか、親方」

「これは……ご領主様自らこのようなところまでおいでにならなくても」

 カルディツァ領主はこのパラマスみなとを訪れていた。その理由は『親方』と呼ぶ彼女が取り扱う品物にあった。

「カルディツァに『リンゴ姫』が来ているのです。足がつかないように理由をつけて街から締め出していますが、夜が明けたらそうも行きません。痕跡を残されては困ります。後で聞き取りがあったとき、湊のほうが騒がしかったなどと戸口監察官ここうかんさつかんの耳に入ったら我々が困るのです」

「ご心配は無用ですから。できるだけ早く持ち去るようにしますので!」

 パラマス湊とその倉庫街は交易で富を稼ぐサロニカの商人である彼女たちにとって重要な施設であり、ここを使わせるかどうかの裁量を握る領主には迷惑をかけるわけにいかない事情があった。

(一応も用意してあるからおおせることは不可能じゃないだろうが、を使っちまうとしばらくここで商売ができなくなっちまう。奥の手を使わないで済むに越したことないからね、さっさとずらかってしまおう)

「おい、ちんたら作業してるんじゃないよ! ご領主様にご心配おかけしないようにさっさと片づけちまいな!」

 急ぎの作業を陣頭指揮する真横で小言を並べる領主を内心迷惑に感じつつ、『親方』と呼ばれた商人は手下どもに向かって静かに怒鳴った。

 そんな頃であろうか、ドーン!と聞き慣れない重くて低い音が遠くから聞こえた。

「今のなんの音かしらねえ……」

「馬鹿、よそ見すんな。また親方にどやされるぞ!」

 一瞬顔を上げた悪党の手下たちは再び作業に没頭した。日の出が近いせいだろうか市街の鳥がバタバタと慌ただしく飛び立っていくが、それにしては物々しい。妙だと何人かが顔を上げた刹那、見張りに立たせていた仲間の絶叫が飛び込んできた。

「なんだありゃ!?」

「あれは、まさか!」

「リンゴ姫と一緒にいた奴じゃねぇか!」

 リンゴ姫と耳にした商人と領主は表情を一変させた。カルディツァの街に留め置いてあるはずの戸口監察官がやってきたのかと表情を凍りつかせたのだ。ほどなく巨大な鋼鉄の塊が波止場に滑り込んできたではないか。

「あれ、見たことがあるぞ。確か、王都の博物館にあったデカいやつだ」

「嘘だろ……なんであんな物が動くんだよ!?」

「おい、こっちに向かってくるぞ!」

 積み荷の箱を手にしていた者たちは腰を抜かしてしまった。二階建ての家の高さを軽く超える物が迫ってくるのだから無理もない。すると巨大な鋼鉄の塊が動きを止めた。人馬獣の背中から人影が現れて、こう言い放った。

「無駄な抵抗はお控えなさい。私はオクタウィア・クラウディア。軍務卿クラウディウス伯の長女にして、第二王女ソフィア殿下の配下です。女王陛下の勅命に基づく王女殿下の御命令により、その積み荷の中身を改めさせていただきます」

 オクタウィアと名乗った少女の手には羊皮紙が一枚あった。国章の印が魔術で焼き付けてあり、公的に発行された文書であることを示す。戸口監察官に与えられる捜査令状である。

「戸口監察官……そんな乳臭い小娘がか? ぎゃっはっは! 笑わせるねぇ」

 ギョッとした眼差しで領主が商人を凝視した。商人はまったく臆していない。それどころか巨像の中から出てきたのが小生意気な少女ガキであったことに余裕たっぷりの表情を取り戻していた。

「お嬢ちゃん、残念だったねぇ。たった一人でアタイらを相手にしようだなんて……そんな舐め腐った態度が命取りなんだよ!」

 商人が右手を上げる。数人の黒づくめの者たちが物陰から現れて一斉にクロスボウを撃ち掛けた――のだが、それは大きな腕に阻まれてしまった。

(ちっ! 話には聞いていたが、図体がデカいだけじゃない、頑丈なくせに機敏な奴だ。こんなものをまともに相手するのは無理か……こりゃあ仕方ないねえ)

 商人は覚悟を決めた。そして、不気味な薄笑いを浮かべた。


『“オクタウィア”のインシデント感知、緊急防護発動――警告、“オクタウィア”の機外退避を推奨』

 オクタウィアへの攻撃を腕で遮ったエールセルジーがそのように意見具申するが、周りを見渡せば敵ばかりである。

「機外退避って、こんなところじゃ降ろせねえだろうが」

 シャルルは扉の外で青ざめているオクタウィアの腕を引っ張った。

「きゃあっ!」

「一度引き上げるぞ、“オクタウィア”」

 オクタウィアは言葉を失った。たくましい腕にしっかりと抱きしめられて、今この瞬間まで覚えていた恐怖を瞬時に塗り替えられてしまったからだ。背中の扉が閉まり、外の光景が目まぐるしく転換していく。間近で見上げた彼の顔に緊張が走っていた。

「この近くで一番安全な場所はどこだ……どこにいけばいい」

 オクタウィアはこの湊町について知っている情報を思い出し始めた。そして、ある事実に気づいた。

「あっ……あります! たしか重要港湾なので正規軍の詰所があったはずです」

「そこだ! そこでオクタ――失礼、お嬢様を降ろします!」

 太い道を縦横無尽に走り抜けているうちに日の出が近づき、街並みが見えてくる。その中に少し広い敷地を持った一帯があった。オクタウィアが叫んだ。

「あそこです! あの前で降ろしていただけますか」

 正規軍の紋章の装飾がついた建物の前で機動甲冑は静止した。背中の扉を開くと、オクタウィアは操縦室を抜け出して縄梯子を下りていく。勢いよく詰所の扉を叩いて保護を求めた彼女を、中から正規軍の兵士が現れて応対した。

「朝早くにすみません。軍務卿ユスティティア・クラウディアの娘、オクタウィアと申します。勅命による任務中に賊の襲撃を受けました。保護をお願いいたします」

 彼女が手にしていた捜査令状を目にした兵士の顔色が変わった。中に入る許可を得た彼女は、身を乗り出して様子をうかがっていたシャルルに向かってこう叫んだ。

「保護していただけることになりました。ありがとうございます!」

 彼が安堵した笑みを見せると、こう付け加えて――。

「それとこれからも……『お嬢様』じゃなくて、オクタウィアって呼んでください。カロルス・アントニウス様……どうかご武運を!」

 その叫びを背中に受けて、機動甲冑『エールセルジー』は元来た道を戻っていく。本来の任務に戻るために波止場へと疾走している彼に語り掛ける声があった。

『騎士殿! 聞こえますか、騎士殿! 今の状況を教えてください!』

「カリスか、聞こえるよ。オクタウィアを正規軍の詰所に預けてきた。今は一人だ」

『大変です! 波止場がとんでもないことになってます!』

「なんだよ、とんでもないって――おい、なんだありゃ?」

 朝焼けの中、見たことのない生き物の姿が浮かび上がっている。

『召喚獣です! よりにもよって町中まちなかドラゴンを召喚したんですよ!』

(嘘だろ……ドラゴンってそんなもの……本当にいたのかよ……!?)

 エールセルジーの大きさに引けを取らない――いや、もっと大きい巨体が鋭い目を吊り上げてこちらを睨んでいたのだ。

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