第15話 ドラゴンとの死闘(1)

 初めて耳にするドラゴンの雄叫び。

 天に追いやられた無数の鳥たちに空が埋まる。

 伝説上の生き物を実際に目の当たりにして身がすくんだ。

「ドラゴンって……冗談だろ、あれをどうにかしろってか!?」

 鋭く尖った歯が並んだ顎を目いっぱい開き、恐ろしい叫びを放っている。

「見たことも聞いたこともないのに、できるわけねぇだろ……」

 今まで剣を交えた相手はすべて人間だ。

 あのような獣――いや、怪物を相手にしたことなど一回もない。

「あんなのとどうやって戦えばいいんだよ!?」

 戸惑う彼に構わず、怪物の口から何かが吐き出された。

 完全に後手に回ったシャルルはその直撃を受けてしまった。

 しかし、それほど大きな被害を受けた印象はない。

(なんだ、今の……ただの見掛け倒しか……っ!?)

 真っ白な視界が開け、言葉を失う。

『外気温、急激低下。要警戒』

「おい、何が……どうなっている?」

 見渡して半径一〇〇フィート約三〇メートル以内はすべて瓦礫の山。

 人馬獣の真後ろを除き、周囲にあった建物がことごとくなぎ倒されていた。

『騎士殿! 大丈夫ですか、騎士殿ッ!』

「あ、ああ……俺は大丈夫だが」

 目を凝らすと彼の周囲の建物はみんな凍り付いていた。

 ドラゴンの吐く息には一帯を凍らせる力があるようだ。

 建物だけではない。

 視界の片隅に映るは、路地で天を仰いで静止した人の姿。

 命の灯火ごと凍り付いてしまった民草たみくさたちの声なき断末魔さけび

 胸を刺し貫く悲惨な光景に湧き上がる憤り、無辜むこの民を守れなかった苛立ち――。

 それら全部、奥歯で噛み潰した。

「……周りはそうでもないみたいだがな」

『無理もありません。“ブレッザ”からも確認していますが、そいつは……』

 “ケイローン”よりも一回りほど大きい竜の咆哮。

 シャルルは息を呑み、鋭い歯列を見せつける怪物を凝視していた。

『おそらく氷嵐竜トルメンタドラゴンです。エールセルジーは竜の口から吐き出された猛吹雪の直撃を受けたみたいですが』

 この機体とドラゴンの間に何かが光る。

 目を凝らす。無数の氷の鋭利な塊が宙を舞っている。

 未知の敵との遭遇にどう対処しようか考える間もなく、彼は身構えた。

『あれは……“フリーズ・ランサー”!?――風の禁忌術じゃないですか!』

 カリスが叫ぶと間もなく、エールセルジーに無数の槍が突き刺さった。

 視界が真っ白に閉ざされた刹那、頭をぶん殴るような不快感に顔が歪む。

 後頭部を打ち付けるように、けたたましく脳裏に鳴り響いた警報。

 それから逃れるように、機体を前に疾走させた彼を追いかける轟音。

『ちょ……本当に気を付けてくださいっ!』

 大地を揺るがす震動が五体にとどろいていった。

 氷霧こおりぎりが晴れた瞬間、とんでもない巨躯が目に入った。

 天を仰いで固まった氷像たち――それを跡形もなく踏みつぶした大きく黒い影。

 象の三倍を軽く超える大きさの怪物が咆える様に、脂汗をかいた彼は毒づく。

「クソッタレが! デカいくせに空も飛べるのかよ!?」

『……先ほどの猛吹雪も、風の禁忌術も、こちらで見える限りではエールセルジーに大きな損傷を与えていないようです』

「何……!?」

 カリスは至って冷静だった。

 その声に、はっと我に返る。

 そうだ――初めて見る敵なら、まずはどんな相手か見極めなければならない。

 不思議にも自身の気持ちがやや落ち着いてきた。

(凍結したものは砕けやすくなる。アイツはそれを狙ってこの機体を氷漬けにしようと試みたんだろうか)

 硬直から解けた怒れる巨体。

 彼を睨みつけ、飛び掛かってくる大質量に“ケイローン”が警告する。

『大質量接近、緊急回避』

 粉砕された建物や名も知らぬ民草だったものたち。

 それらを足場に、あるいは盾にして敵をかわす人馬獣。

 灰色の視界に映った荒んだ世界の中で、彼は未知なる敵を観察する。

(だが、氷の槍がいくら刺さってもこいつの脚は止まっちゃいない)

 食い下がる怪物の牙、そして爪。

 それを紙一重で避けていく相棒の躯体は相変わらず冴えている。 

(まさか……機動甲冑こいつには氷の魔術に対する抗堪性こうたんせいがあるのか?)

 壊れた瓦礫の上に跳び上がる。

 俊敏に迫ってきた巨躯の爪が空を斬る。

 わずかに生まれた隙で、彼はおのが機体に問う。

「おい、“ケイローン”。この機体が負っている傷はどのくらいだ」

『胸部装甲への被弾を確認。各部センサー、動力部、オールグリーン』

(全然効いてないってことか?)

 想像以上に被害が少ない――さらに訊ねる。

「敵の攻撃に対する対策はできているか?」

『推定目標“ヤング・ブリザードドラゴン”。推定攻勢手段――ブレス、魔術。全てに抵抗可能。推定ダメージ軽微』

「まじか……こいつはおっそろしい甲冑だな!」

 畏怖すべき強敵を前に武者震いを覚える。

 しかし味方もまた恐ろしいほど頼もしい。

「わかった! 大きな損傷を及ぼす危険があればすぐに教えろ」

『了解――大質量攻撃を優先警戒対象にセット』

「飛んだり跳ねたりする奴に押しつぶされるのを避ければいいってことだな」

 魔術による攻撃の大部分が防げる。

 ならば魔術に対しては下手に回避行動を取るよりも、正面から受け止めつつ反撃の機会をうかがうほうがよい。

 シャルルはそう理解し、判断した。

「……よし、いいだろう! やってやるぜ!」

 敵に背を向けることを良しとしない、自分の性に合った戦い方ができる。

 怪物と距離を取って対峙する彼は沸き立つ闘志を胸に、心強い相棒に再び問うた。

「戦うには武器が必要だ。お前何か武器あるのか?」

『FCS、検索――突撃槍“アイグロス”』

「おおっ! そんなものが!」

『――現在、対象の位置不明』

「って……持ってないってことか! ぬか喜びさせるなよ……」

 突撃槍があれば槍騎兵ランシエのように戦える――そんな期待はすぐに潰えた。

 きらびやかな氷晶ダイヤモンドが舞い散る中、凍りついた槍が雨の如く叩きつける。

 それらをひとつ残らず正面で受け止め、彼は身構えた。

「カリス、ちょっといいか?」

 突進してきた怪物を華麗に身を翻していなす。

 イベリアの闘牛士のように軽やかに舞いつつ、合間を縫うように彼は訊ねた。

「“アイグロス”とかいう武器があるらしい。何か知っているか?」

『えっ? そんな話、初めて聞きましたよ』

「もともと武器なかったのか? こいつは」

『発掘された際に見つかった装備は博物館にある物がすべてと聞いています』

 博物館でこの機体を初めて目にして以来、この機体に釣り合うような巨大な武器を彼は見たことがない。

「丸腰で戦うのはしんどいな。こいつを使うしかないか」

 シャルルが知っている武器は二つ――造兵廠で仕立ててもらった刃渡り七フィート二メートル強という特大の長剣と弩砲バリスタだ。

 だが、バリスタは発射準備に時間がかかる。この場で使う意味がない。

(バリスタを撃つには一度機体の外に出なければならない。あんな奴を前に外に出たら間違いなく死ぬぜ)

 猛吹雪の餌食になることが目に見えている。街の住民がそうであるように。

 機体の外に出られない以上、やはり腰に差した長剣で斬りかかるしかない。

「腰の鞘から抜剣、右手で構えろ!」

『――該当兵装の氷結を確認。強制接続』

 どうやら先ほどの氷の槍を受けて鞘と長剣が凍りついてしまったようだ。

(造兵廠で作ってもらった装備そのものは氷結を防げないのか……なるほどな!)

 長剣を抜くまでは魔術を回避しなければならない。

 竜の周囲に再び氷槍が浮かぶ。

「回避!」

 シャルルが叫ぶのと機体が横に跳ぶのはほぼ同時。

 鋼の人馬獣がいた場所に無数の氷刃が突き刺さる。

 武器の凍結が解除されない限り丸腰に変わりない。

 荒れ狂う暴風雪、それらすべてを彼は避け切った。

『不明なユニットを接続――FCS、異常無し。イニシャライズ――システムに問題無し』

 ついに機動甲冑は長剣を抜き放ち、右手に構えた。

「よし! よくやった!」

(……こいつをこんなに早く実戦で使うことになろうとはな)

 あまりに大きすぎる獲物で、対人戦で使う機会はないと考えていた。

 しかし、“ケイローン”より一回り大きい体格をした竜と戦うにはちょうどよい。

 これまでの逃げの一手から一転、長剣を手に怪物に相対し、叫んだ。

「アイツで試し斬りだ! いくぜ!」

 怪物に向かって駆け抜ける鋼鉄の軍馬。

 巻き起こる竜巻、暴風雪――竜の魔術に舌を巻く。

 堅固な装甲は微塵もぐらつかない。だが、恐るべき風圧に軍馬の脚が止まった。

「くそっ! どこだ!?」

『警告――直上、大質量攻撃』

「回避!」

『了解』

 飛びのくと同時に大轟音。

 色を失った真っ白な世界の中で相棒だけが淡々と語っていた。

『――以後、回避運動はオートで実行』

 荒れ狂う暴風雪を抜けた先で、人馬獣は立ち止まる。

 眼前にまだ無傷の街並み、背後は変わり果てた氷の世界。

 改めて思い知る――自分が生と死の狭間に立っていることを。

『騎士殿! あまり戦禍を広げないでくださいよ。このままでは街がめちゃくちゃになってしまいます!』

「無茶言うな! こっちだって必死なんだ!」

 家々から逃げ出した民草の足が止まった。

 呆然と人馬獣の巨体とそのはるか奥で鋭く睨む怪物を見ていた。

「立ち止まるな、バカ! 死にたいのか!」

 口を衝いて出た罵声。

 喋った鋼鉄の馬に顔色を変えた者たちへ向かって叫んだ。

「死ぬ気で逃げろ! 潰されるぞ!」

 叱咤に鞭打たれ、うのていで逃れる民草たち。

 壊れた家屋の下敷きになって、もはや助からない者も少なくないだろう。

 しかし、犠牲は少しでも少ないに越したことはない。

(奴が少し暴れまわって街がひどい有様になった。これが続けば、せっかく下ろしたオクタウィアの身に危険が及んでしまう。畜生め!)

 民草を背に飛来した氷槍を全部受けきって、シャルルは竜へと駆けていく。

「ちっ! 本当に面倒な奴だ……こっちは何の飛び道具もぇってのによ!」

 接近戦に持ち込むしかないと悟り、距離を詰めるシャルル。

 怪物の攻撃を躱しつつ、カリスに訊ねた。

「カリス! あの竜は召喚されたと言ったな。どうにか制御できないのか?」

『あの竜の真名をる者であれば、制御可能です――理論上は』

 含みがある言い回し。彼はいぶかった。

『召喚した対象を使役するにはその真の名をった上で、相応の魔力、精神力を消費します。加えて、それを制御するには然るべき鍛錬を経て、術式を身につける必要があります。対象の使役に失敗すれば逆に魂を奪われる可能性があるからです。それをわきまえ、技量の伴った召喚術師が果たしてこんな市街地でドラゴンを呼び寄せて無差別な攻撃をするでしょうか?』

「それは『制御不可能』と聞こえるんだが」

『状況から判断するに、そう推定するのが一番妥当である……というだけです』

「なるほどな!」

『本当にわかってますか?』

「わかってる! !」

 逃げ回りながら聞いた長い説明。

 その果ての結論は至極単純明快。

 ここで竜を討伐する以外に、彼と仲間と民草たちが生き延びるすべはない。

 そう覚悟を決め、長剣を手に、彼は怪物の懐に飛び込む。

「フラァァァァァァァァ――ッ!」

 無数の氷槍を弾き返して疾走する鋼鉄の軍馬。

 一瞬で迫る怪物の腹に突き刺さる巨大な長剣。

 襲い来る大きな衝撃。あまりに少ない手応え。

『警告、大質量攻撃。回避……不可能』

 五体を震わせる恐ろしい咆哮と同時に回転する天地。

 叩きつける衝撃に翻弄され胎内をのた打ち回る肉体。

「ガハッ!」

 苦悶とともに喉の中を何かが逆流する。

 一瞬手放しかけた意識を握りしめる彼。

 今までになく騒がしくわめき散らす相棒。

『後脚部ダメージ軽微。左腕部パワーレベル・ダウン。背部装甲ダメージ、装甲を一部パージ。サブ・センサー、シグナルロスト――警告――パイロット、バイタルサイン・イエロー、負傷ならびに急激な血圧、脈拍上昇を検知――警告――当該地域よりの離脱を提唱』

『騎士殿! 大丈夫ですか、騎士殿!』

「いってぇ……ちっくしょうっ! 痛ぇな、このクソッタレ! 何しやがる!」

 赤く染まっていく視界。

 明らかに負傷したとわかる痛み。

『あの竜の尻尾に打たれて吹き飛んだのに、よく生きてますね……』

「こんなところで死んでたまるかってんだ!」

 いくつもの古傷が刻まれた彼の身体。

 それほどの傷を負ってもなおずっと生き延びてきた彼の勲章がまた一つ。

「突き刺したのに致命傷じゃないみたいだな」

『思った通り……ドラゴンの表皮に刃が通らなかったようです。それでも鱗に比べれば守りの薄い腹側を狙っていたので、手傷を負わせることは出来たかと……』

「……そうみたいだな」

 大空に轟く絶叫とともに、大地を揺るがして怪物が奔りだす。

「怒り狂ってこっちに向かってきてるもんな!」

『警告、大質量攻撃。回避運動』

 けたたましく警報が脳裏で響き渡る。

 奥歯をぐっと噛みしめて闘志と気力を絞り出す。

 荒れ狂う怪物を迎え撃たんと長剣を構え、彼も負けじと叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る