第13話 リンゴ畑でつかまえて(4)
「行っておいで――“ブレッザ”」
大きな鷹を見送った少女の長い髪が月明かりに青く透き通っている。その様は神々しい天使のようにも思われた。
「驚いたな……一人で二つの召喚獣を同時に使役するとは、なかなかの離れ業だ」
驚きを口にしたアグネアが凝視している少女、カリス・ラグランシアはその年齢に見合わないほどの才覚を示した。
『外見は子供ですが、魔術の才能はわたくしが保証します』
ベアトリクスがそう言った意味をシャルルはようやく理解し始めた。魔術のことは正直これっぽちもわからないが、すごいことをやっているとはなんとなくわかる。
「あの猛禽を使って街の様子を探るのですか?」
「はい、ブレッザはその目で見た光景をそのまま私に伝えることができるんです」
自分の問いにこのように答えたカリスを見て、ソフィアは目を丸くした。
「鳥が飛んでいるだけなら、わたくしたちが街に入ることなく情報を仕入れているだなんて想像もつかないでしょうね。すごいですわ!」
もう一頭の召喚獣、白いトラのネーヴェは周囲に不審な気配がないか、じっと耳をそばだてている。こちらの動きを先方に悟られれば対策を打たれるおそれがあった。ソフィアたちは士官候補生たちや徴税監察官たちにも行動を伏せていた。
『……街の中に入れないのではどうしようもございませんわね。さあ、今日は早々に休んで翌日に備えましょう』
そう言って皆を休ませているのだ。今夜はネーヴェが見張ってくれるので、みんな眠ってもらってかまわないと当直ひとりも置かなかったほど周到であった。
『気が張り詰めて、疲れがたまり始めている新兵を休ませたいのです』
そんな王女の言葉を真に受けて、歓喜してこれを受け入れた皆はすっかり寝静まっている。
「カロルスとオクタウィアも今のうちに寝ておけ。後で叩き起こしてやるから」
アグネアはそう言って二人を休ませた。悪党が行動を起こすのは皆が寝静まった今夜未明と読んでいたからだ。それを待って、エールセルジーで追跡を試みようと彼女は提案した。
しかし、一つだけ困った問題があった。土地勘のないシャルルにはこの一帯の地理情報が皆無だったのだ。したがって単独行動は困難であった。
『でしたら、私が師範に同行します』
そう切り出したのはオクタウィアである。地名を耳にして位置関係がわかる程度の土地勘があり、地図でそれを十分に補うことができたからだ。また、この陣から抜け出して影響が少ないことも理由に挙げた。
『わたくしも、アグネアも、ここを離れるわけにいきませんものね』
『召喚獣を使役する私も、さすがにここから動くことはできません』
『王女様のお許しさえ出れば、私はここを離れても問題ありませんが……それ以前にシャルル様のお役に立てるかどうか……』
ソフィア、カリス、ヘレナはこのような見解であった。結果として、オクタウィアがシャルルとともに機動甲冑『エールセルジー』に乗って追跡を試みると決まり、今に至っている。
それから四時間余りが経過した。夜の闇が深くなった頃、机に頭をもたげてうたた寝をしていたカリスがぱっと目覚めた。
「……動き始めたみたいです」
大きな鷹のブレッザが城壁の周囲上空を回るように飛んで哨戒を続けていたところ異状を検知したらしい。真夜中に積み荷を乗せた
「囮の可能性もありうる。しばらく上空で様子をみるか……機動甲冑もいつでも出せるようにするべきだな」
アグネアの提案により、艀がブレッザの視界に留まっている間はそのまま哨戒を続けてもらった。その間、アグネアはシャルルとオクタウィアを起こして、機動甲冑の出撃準備を進めつつ時を待った。艀を見つけてから三〇分ほど哨戒を継続したがその他の異状は見られなかった。
「ほかに目立った動きは無いようです」
「よし、追跡は可能か?」
「わかりました。艀を追跡します」
「カロルスも距離を保って追跡を開始してくれ。オクタウィアも頼んだぞ」
「まかせておけ!」
「わかりました!」
街の上を円を描くように飛んでいた大きな鷹は川に沿って南西に向かった。時同じくしてシャルルとオクタウィアは縄梯子を使って機動甲冑『エールセルジー』の操縦席に上ったが、そこはかなり窮屈に思われた。
「え……かなり狭くないですか?」
「本来は一人分しか無い空間です」
「王太子殿下はどうやってここに乗り込まれたのです?」
「こうやって、腕に抱えてました」
「ええええっ……!?」
シャルルが両腕を前に突き出した様子を見て、オクタウィアの顔から火が出る勢いであった。まさか、お姫様抱っこされるとは思ってもみなかったのだ。しかし迷っている時間はない。
「わ、わかりました……王太子殿下にできたんですから、私にだって!」
彼の両腕に腰と腿の裏をしっかりと抱えられたオクタウィアは恥ずかしさをぐっと耐えた。彼の首の後ろに右腕を回して引き寄せる。
「ではお嬢様、中に乗り込みます。頭を打たないように気をつけてください」
頭を丸めこむようにして彼が着座するのを待った。機動甲冑の背中の扉が閉じると真っ暗になり、彼にすがりつく腕に緊張が走る。
「怖いですか?」
「だって、真っ暗じゃないですか。どうして師範は平然としていられるんです?」
「すぐに外が見えるようになるからです……彼女にも外を見えるようにしてくれ、“ケイローン”」
『
「その『ゲスト』の名前はオクタウィアだ。彼女も外を見えるようにできるか?」
『了解、
目の前で起きている出来事にオクタウィアは言葉を失っていたが、次の瞬間ざっと脳裏に割り込まれた感覚がした。
「え……嘘っ! 見えてる!? 見えてますよ!」
「お嬢様――じゃわからないか、オクタウィアは夜目が利くそうだ。何か見えたら彼女の指示に従ってくれ」
『了解――“オクタウィア”へのセンサー割り当て最適化。声紋登録。
「あ……何これ、よく見えます……自分の目で見ているようです。これがエールセルジーの性能……本当にすごい」
オクタウィアが惚けていると二人きりの操縦席の中に少女の声が聞こえた。
『騎士殿、オクタウィア殿、そろそろ出撃可能ですか?』
「あっ、カリスさん! はい……地図も持ちました」
『本来機動甲冑は一人乗りなので、どうなるのか不安でしたが、問題なさそうで何よりです』
「なんだ? 外からでも分かるのか?」
『その説明は後からします。取り急ぎこちらからお伝えする必要のある情報だけお伝えします。オクタウィア殿の魔術属性はエールセルジーとかなり良い相性のようで稼働にも大きな懸念はないと思われますが……オクタウィア殿、どこか体調が優れないとか、吐き気がするとかはありますか?』
「えーと……ちょっと窮屈、ですね」
『何も問題なさそうですね!』
「いやいやいや」
『騎士殿、オクタウィア殿の誘導に従って進んでください』
「むー……わかりました! では師範、私の指示する通り針路を取ってください」
「心得ました――いざ、出撃!」
エールセルジーは陣地から離れて東に向かって動き始めた。そのまま川に向かっては相手方に動きを察知される可能性があるからだ。街から十分に距離を取ってから針路を南に取る。麦畑を軽やかに駆け抜けた先に西に向かう小道があった。その道を先に進むと舗装された街道に合流することを地図は教えている。
「川は次の街まで街道と並走して南下しています。艀を上空から追跡している“ブレッザ”を見つけられたら、それが目印になるはずです」
オクタウィアは空を眺めて大きな鷹がいないか探した。そして、街道に合流する直前にエメラルドの宝石の色をした美しい羽根を持った鳥が川に沿って飛翔しているのを見つけた。
「見つけました。川の上を優雅に飛んでいますね。そうすると艀は――ありました。一艘だけゆっくりと川を下っています。距離を保ちたいので速度を落としましょう」
中流を過ぎて川の勾配が緩やかになったので、ゆっくりと進む艀に追い付くのは難しくなかったようである。
一方、カリスもまたエールセルジーが大きな鷹を目印に艀を尾行していることに気が付いた。
「エールセルジーが無事に追いつきました。オクタウィア殿はかなり良い目をお持ちですね」
エールセルジーが合流するまでの間に、アグネアは艀の積み荷を確認できないかと考えを巡らせていた。機動甲冑が追跡に入った以降であれば、積み荷を持ち帰ることができるかもしれない、と彼女は考えた。
「上から急降下して、草をひとつかみできるだろうか」
「いいですね。鳥の悪戯になりすまして、くすねてきちゃいましょう」
ブレッザは艀の上に潜んでいるネズミに気が付いた。狙いを定めると勢いよく艀に向かって突っ込む。鋭い爪でネズミを鷲掴みにしつつ、あたりを見渡すと、ガラの悪い連中が何人か艀に乗り込んでいた。いきなり上空から落ちてきた大きな鳥に驚いたようだが、爪の中で虫の息になっているネズミを見て、手を叩いている。
ブレッザはネズミを
刈り取った草が積んである。隙を見てそいつを啄むと、目の色を変えた連中が棍棒を手にした。次の瞬間、鷹は草をしっかりくわえたまま、掴んだネズミを棍棒を振りかざそうとした者の顔面に放り投げて、悠々と空へ舞い上がった。
「よし、成功! では、ブレッザをこちらに呼び戻しましょう」
少し離れた地点から艀を追いかけていた機動甲冑『エールセルジー』の操縦室に、再び少女の声が割り込んできた。
『あーあー! 聞こえますか騎士殿?』
「……!? カリスか? お前なんでこんなところまでついてきているんだ!?」
『いえいえ。私は騎士殿からずっと後方で待機中ですよ。先程と同じようにエールセルジーと遠隔接続しているだけです』
「えんかく? せつぞく……だと!?」
『はい、私はここから動けないので、どうやって連絡取ろうかと考えて……考えるのが面倒になったので、エールセルジーの魔術回路に干渉してこうして話しているのです』
積み荷をつまんだブレッザを呼び戻すこと、エールセルジーでそのまま追跡を継続してほしいことを伝えると、彼女の声は聞こえなくなった。
(こいつ、絶対ただのガキじゃねぇ……)
シャルルは汗をだらだらかきつつ、オクタウィアとともに艀の尾行を続けた。
一方、ブレッザは無事にカリスのもとに戻ってきた。その
根元まで深く切れ込んだ形状の奇数枚の小さな葉が集まった手のひらのような草の外見、そして明瞭な葉脈の形状を目にしたアグネアは確信した。
「間違いない――こいつは大麻草だ。レンディナ村にあったモノと同じ品種だな」
艀からかすめ取った草が大麻草であるとわかった以上、
アグネアは仮眠をとっていたソフィアと徴税監察官も起こした。そして、郡都から下流へ向けて発った艀の中に大麻草があることを掴んだ旨を初めて共有した。手が足りないことがわかり切っていたので、レンディナ村を翌朝発つ予定であった第二陣、そして北の関所に向けてそれぞれ大麻草を見つけた旨を知らせる早馬を出した。
「これでもう長居は無用ですわね。わたくしたちもパラマス
次いでアグネアは新兵たちを叩き起こした。抜き打ち訓練だ、すぐに天幕を畳んで出発するぞ、と容赦ない号令が飛んだ。起床から一時間弱で出発準備を終えた王女一行は、まだ夜も明けないうちに郡都の城壁の外を迂回、東門から南門へと移動して、南門から先に延びる街道を下っていった。
ソフィアはアグネアを馬車に乗せて仮眠をとらせる間、自ら騎乗して隊列の指揮を執った。馬車の反対側には白いトラに騎乗したカリスがいる。隊列の上空では大きな鷹が哨戒を続け、アグネアとオクタウィアの不在を補っていた。
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