第6話 軍事教練(1)
「えっ! もう許可を取ってこられたのですか?」
王城から自ら馬を飛ばして屋敷にやってきたソフィアを前に、アグネアも呆れ返っていた。ソフィアが持ってきた許可証を受け取って確かめる。そこには確かに王太子ベアトリクスのサインとともに、決裁済みであることを示す印が押されていた。
「しかも……一ヶ月間もわれわれが演習場を使わせていただけるのですか!?」
「ええ、お姉さまが向こう一ヶ月間の予定を押さえてくださいましたわ」
これはソフィアの要求ではなく、効果的な訓練を行うにはまとまった時間があったほうがよいだろう、という王太子の計らいによるものであった。想像以上の好条件にアグネアは言葉を失っていた。
「さて、これで約束は果たしましたわよ。どうしますか、アグネア?」
「申し訳ございません。さすがに昨日の今日とは思っておりませんでした。明日からご一緒できるように手はずを整えます」
「造兵廠の方におふたりの装備をあつらえてもらうように依頼してありますが、さすがに明日には間に合いません。汚れてもかまわない丈夫な衣服をご用意ください。馬を含め、武器などはこちらで確保しておきますから」
そう言ったアグネアの表情はひときわ明るかったように、ソフィアには思われた。
王城へ引き返す前にソフィアはシャルルの邸宅を訪れて事の仔細を伝えているが、彼も驚きを隠さなかった。
「軍務卿の心証がよろしくないのでもっと難航すると思っていたのですが、意思決定が思いのほか早かったようですね。アグネア殿も面食らったのではないですか?」
「ええ、早すぎて造兵廠の準備が間に合わないとのことです。明日からわたくしたちも加われるようにするそうですから、準備いたしましょう」
「
「当たり前ですわ。王族に二言はございませんの」
「一度言い出すと聞かないお方でございますから、どうぞあきらめてくださいませ」
王女にリンゴ酒を振舞いつつ、歯に衣着せぬ人物評を口にしたヘレナにシャルルは笑みを堪えることができなかった。
「……笑いすぎではありませんか、シャルル」
「申し訳ございません、ツボに入りました……そうなると機動甲冑を博物館から運び出さなくてはいけませんが、いつ動かしますか?」
「そうですわね……日中は目立ちすぎますので、夜間に運びましょうか」
「その旨、あらかじめ博物館に伝える必要がありますね。昼間はこちらで用意すべきものを確保しますか」
「そうですね、ヘレナにも手伝ってもらいましょうか」
「かしこまりました。衣服などは私が準備いたします。王女様はこの先のご公務などご予定の調整を、シャルル様は博物館や関係各所への申し入れをお願いいたします」
「承知した!」
ヘレナは軍事教練に参加する際にソフィアとシャルルが着用する衣服や下着などの準備に取り掛かった。
シャルルは夜間に機動甲冑を運び出す旨王立博物館に申し入れしつつ、機動甲冑をアグネアの邸宅の敷地内に仮置きする旨段取りを進めたのである。
王都ルーナに西日が照らし始めた頃、博物館の神殿に何人かの人影があった。彼女たちが見上げる巨像の背中には屈強な体格がひときわ目を引く者が立っている。この場所で騎士叙任式を行った
機動甲冑に乗り込むと彼は短剣を引き抜き、機体側の溝にはめ込んだ。すると機体が
「よう、機嫌はどうだ。“ケイローン”」
彼がそのように呼びかけた相手は他でもない、この機動甲冑『エールセルジー』である。たまによくわからない言葉をつぶやくが、おおむね自分の要望を聞いてくれると理解したシャルルは、この機体に
『システム通常起動。全システム・オンライン』
「そうか、上出来だ! では、博物館から出るぞ。くれぐれもぶつけるなよ」
『ニュートロンエンジン、クォータードライブ。SAS作動、オートドライブ』
機動甲冑はゆっくりとその体躯を前に進めた。壁と柱がなくなった神殿を抜けた先に噴水広場があるが、巨像は一度そこで静止した。
『カタパルト、オンライン――』
すると水を湛えた噴水が真っ二つに割れて大地がきれいに裂けていった。たまっていた水が流れ落ちてなくなると同時に、地面が地滑りを起こした感覚があった。
「おい、大丈夫なんだろうな?」
すると地面がゆっくりと斜めに滑っていくのがわかった。噴水広場があったところをそのまま床ごと素通りしていくと博物館に面した大きな通りに接したところで床の動きが止まった。
「まさか……このために動いたのか、この床が!?」
シャルルが前へと念じると、エールセルジーが前進して床から離れた。
『アイ・ハブ・コントロール――目的地設定可能』
「目的地って……お前、アグネア殿の屋敷がわかるのか?」
『該当座標、サーチ――未登録』
「やっぱりわかんねえよな……一回だけ俺が案内してやるからしっかり覚えとけよ」
『経路追跡モード・オン、
「まずはここの道をまっすぐ、突き当たったら右だ!」
『システム通常モードを維持』
こうして夜の帳が下りた頃――シャルルの操縦によって、エールセルジーは博物館から自走して目的地の邸宅の正面にたどり着いた。
「着いたぞ、ここがクラウディア家のお屋敷だ。記憶しておけ!」
『座標登録完了。件数一件』
「どうやら無事にたどり着いたようだな、騎士殿!」
声のした方向に意識を向けると、日ごろのポニーテールを解いた赤毛の女性が屋敷の中から現れた。どうやらくつろいでいたところだったようである。
「扉を開けろ、“ケイローン”」
命令に忠実な相棒が背中の扉を開くと同時に、相棒と一体になっていた視覚と聴覚が切断される。暗順応によって目がこの一帯の暗さに十分慣れたのを見計らって、彼は短剣を抜き取って鞘に納め、縄梯子から大地に降り立った。
「少し遅くなってしまった。遅くにすまない、アグネア殿」
「なぁに、気にすることはない。おっと、姪も来たようだ」
「ごきげんよう、師範」
メガネをかけたオクタウィアがお辞儀をして彼を迎え、彼も会釈して応えた。
「ごきげんよう、お嬢様。夜分遅くに失礼いたします」
「いえ、どうぞお構いなく」
「それにしても間近で見ると大きいな。こんなものが戦場で突撃してきたら兵の統率など木っ端微塵に消し飛ぶぞ……これがどんな動きを見せてくれるのかな」
「明日からいろいろ楽しみが増えますね、叔母様」
月夜の中、庭に屹立する人馬獣を見上げるアグネアとオクタウィアは呆気に取られつつも、翌日からの軍事教練でどんな刺激的なことが起きるのか、心を弾ませていたのであった。
***
その翌日、アグネア率いる新兵一二〇余名は王都ルーナから北へ延びる街道を進んでいた。成層火山ルキアの北西麓に広がる正規軍の演習場が目的地であった。街道は石で舗装された道になっているだけでなく、人馬が通るには広すぎる幅が確保されていた。しかし、機動甲冑が通るには都合の良い道幅である。
アグネアが先頭で馬に乗り、そこに同じく自ら手綱を握るソフィアが続く。その後方に貴族の子女たちで構成された士官候補生たち二〇名が馬に乗り、馬一頭に五名ずつ平民出身の歩兵たちが付き従っていた。
荷物を乗せた荷馬車数台が通り過ぎた最後尾は二〇名の筆頭である伯爵令嬢オクタウィア・クラウディアと五人の歩兵、そして『資格者』カロルス・アントニウスことシャルルが乗り込んだ機動甲冑『エールセルジー』である。
「足を動かさなくても前に進むなんて、機動甲冑って不思議な乗り物なんですね!」
「はい。四本の足の下に車輪がついているらしく、平坦な路面では足を動かす必要がないようです」
必然的にシャルルはオクタウィアと話す機会が多くなった。話すといっても彼とは生身で話しているわけではない。彼は地面から
王都からおよそ二時間歩いた後、馬を休ませるのを兼ねて清流の近くで休憩を取ることになった。火山由来の清流の湧水は美味であり、馬たちはもちろん、新兵たちも美味しそうに喉を鳴らしている。
「シャルル様はお飲みにならないのですか?」
荷馬車に同乗していた王女の侍女ヘレナが彼に尋ねた。
「いや……まだ喉乾いてないから」
「かしこまりました。水筒に水を入れてまいりましたので喉が渇きましたらいつでもお飲みください」
シャルルも飲水を勧められたが、生の水を飲むことにまだ抵抗があった彼は丁寧に辞退した。操縦席に戻ってから、ヘレナに持たせてもらった水筒で水を飲んだ。
「お前は水とか飲まなくて平気なのか、“ケイローン”」
『魔力残量一○○パーセントを維持』
「はぁ……すげえな、お前は!」
休憩を終えた一行は再び街道をゆく。シャルルが気になったことをオクタウィアに打ち明けた。
「お嬢様、ルナティア国内にはこのような街道が整備されているのですか?」
「はい、有名な街道がいくつかあります。それらは数百年前、帝国時代に整備されたものをそのまま使っていると耳にしたことがあります」
オクタウィアの話では、どうやら現在の王国が整備したものではないらしい。
街道に限らずその前の古代帝国時代に建設されたものをそのまま使っている施設が国内には少なからずあるようだ。
(確かに博物館への支出を出し渋っているような国家だからな。そんなに潤沢な国力があるわけではないということか)
それにしても、古代帝国とはどれほどの国力を有した大国であったのか。
この広い街道を石で舗装しなければならなかったほどの軍隊を有し、広大な版図を誇っていたのであろう。それがなぜ滅んでしまったのか――古代ローマ帝国の文明の残滓を見知った時に感じた疑問を今再び思い出した気分であった。
円錐状のルキア火山を右に見つつ、街道を北に進むと少し大きめの街にたどり着いた。街道はここから西に逸れてだいぶ先の海岸に向かって下っていくという。
「この街から東に向かうと演習場だ。ここで腹ごしらえしたら次は演習場まで休みなしだからな、しっかり馬にも水と飼料を与えておくように!」
アグネアが皆に指示を出した。新兵たちは市街地の外で持ち運びできる保存食――黒パンと魚の燻製を噛んでいる。王女ソフィアといえども例外ではなかった。
固い黒パンをナイフで切り落とし、じっくりと時間をかけて噛んでいるソフィアにシャルルが話しかけた。
「ソフィア様もこんな固くて酸味のする黒パンをお召しになるのですね」
「ええ、
てっきり王女様というくらいであるから粗食には慣れていないのかと思っていたが彼はその認識を改めた。少なくとも兵士と同じ釜の飯を食う者には、将たる器の片鱗が垣間見える。
王女が喉を詰まらせないよう、水筒を手に様子を見守っていたヘレナが言った。
「王女様は王族にしては珍しく黒パンをお召しになります。この国の食糧事情に関心をお持ちだからでしょう、庶民が口にするものをお召しになるのです」
「珍しく、ということは他の王族はそうではないのか?」
「裕福な王侯貴族の中では白パンが好まれます。ユリアヌス侯爵のご一家は黒パンをほとんどお召しにならないと聞き及びました。ベアトリクス王太子殿下に嫁がれた王太子妃様も侯爵家のご出身ですので、殿下が酸っぱいパンをお召しになるのは家門の恥――そのようにおっしゃり、貴重な白パンを献上しているそうでございます」
「なるほど、国家財政で倹約を主張する割に大蔵卿の私生活は
食事を終えた彼らは再び行軍を開始した。石畳の街道に別れを告げ、山麓をなぞるように北東に伸びる未舗装の軍道を一時間半ほど進んだ先に、背丈の低い草だけが生える
「さあ、着いたぞ! ここが今日の目的地――演習場だ!」
ルキア火山の北西麓に広がる緩やかな傾斜地には森も林もなく、耕作にも不向きな荒れ地であるがゆえに農地もない。したがって思う存分機動甲冑を動かすことができる――そのような期待がシャルルの胸で力強く鼓動していたのであった。
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