第7話 軍事教練(2)

 三〇マイル四八キロメートルの行軍を終えて演習場に着くや否や、休む間もなく天幕を張る訓練が始まった。日没が迫っていたからである。舗装された街道を使ったとはいえ長い距離を行軍した新兵たちにとって、軍事教練の前日から過酷な鍛えの場となっていた。

「初日からなかなか手厳しいな、アグネア殿は」

「なぁに、これくらい耐えてもらわなければ、王国軍の正規兵など名乗れぬ。貴族の子女たちは士官に、他に連れてきた新兵たちは下士官にそれぞれ育成するために私が見込んで選んだ者たちだからな」

 三〇マイルという距離は王都から南に進んでテッサリアとの境目にある関所までの間を往復する距離に等しいという。関所警護は正規兵にとって最重要任務であり、王国軍の中でも精鋭中の精鋭に託されているそうだ。

「これでも獅子がを谷底に突き落とすのに比べればぬるすぎる。これしきで音を上げるようでは期待外れというものさ」

 将来の精鋭を育てようという気概に満ちたアグネアの横顔にシャルルは頼もしさを感じた。彼もまたきっと充実した訓練ができるだろうと期待していたのである。


 その翌日から軍事教練が始まった。初日は騎馬の訓練である。

 練習馬場の中でしか走れなかった士官候補生たちは火山の北麓に広がる広大な演習場を馬で駆けていく。馬場とは異なって良くない足場もあるなか、颯爽と駆けていく巨体があった。

「さすがは古代帝国の発掘兵器……こんな足場の悪いところでも全く問題なく歩けるみたいですね」

 昨日は舗装された街道で凹凸が少なかったので、機動甲冑『エールセルジー』は脚を動かさずに足裏の車輪を用いて移動していた。道なき原野に入ってから四本の脚を器用に動かす様は生きた馬の歩様を目にしているようであった。

 原野から奥に進み、火山由来の大小の軽石がごろごろ転がっている一帯に入っても危なげない歩様を目にしたオクタウィアが感嘆していたのである。

「大きいぶん目立ちますので隠密行動には向かないかもしれませんが、高い機動力と悪路への適応能力を生かした斥候せっこうに使えそうです」

 オクタウィアは生まれつき視力がよく、屋内ではあえて視力を落とすためにメガネを掛けるほどであった。馬術も得意としていたため、アグネアは斥候としてその能力を生かせるように育成を行ってきた。そのオクタウィアならではの気づきであったといえる。自ら手綱を握って乗馬していたソフィアがそれを耳にして傍らの教官にこう尋ねた。

「アグネア、斥候せっこうとは具体的にはどのようなものでしょうか?」

「斥候とは本隊の移動に先駆けて最前線に立ち、進行方向の偵察、敵への警戒を行う任務でございます」

 ソフィアには軍務経験がまったくない。したがって専門用語の解説から入る必要があった。アグネアは基礎的な知識から説明を行うことで、ソフィアが順序だてて理解できるように努めていた。

「殿下、斥候には二種類ございます。ひとつは偵察を主とするもの、もうひとつは戦闘を主とするものです。いずれも少数で編成されること、本隊から離れて単独で行動することが特徴といえます。資格者殿は正規軍の指揮命令系統から離れているので、このような単独で行動する任務への適性が高いと思われます」

 アグネアたちと同様に馬にまたがってついてくるソフィアに、アグネアは座学と組み合わせて実地での講義を行っていた。実践と講義を組み合わせることで、机上だけでは得られない知見を体得させるのが目的である。

「今すぐは無理だと存じますが、後々正規軍と連携できれば、敵の後背を衝くなどの攪乱に使えるかもしれません」

「そのような使い方もあるのですね」

「はい……ですが当面は単独で成り立つ任務で実績を積み重ねていくのがよさそうです。騎士殿の一件で明らかになりましたが、正規軍内部にはまだ『資格者』の運用に対して懐疑的な見解を持つ者が少なからずございますゆえ」


 こうして馬を軽く飛ばした後は天幕を張った近くに戻り、射撃の訓練に入った。

 士官候補生たちは軽騎兵を想定した装備になっており、その多くがショートボウ、オクタウィアは両端が逆側に反り返った複合弓コンポジットボウを手にしている。天幕の近くで別の訓練を行っていた下士官候補の新兵たちも合流してきたが、彼女たちはクロスボウ、そのうち一部はロングボウのようなものを持っていた。

 一方、馬上にまたがっているアグネアにはそれらしいものが一切ない。何もしないつもりなのかと思っていたシャルルの予想を覆すことが起こった。


セットSet――ゲットGetレディready――ファイアFireスタートstart


 機動甲冑『エールセルジー』の操縦席から彼はアグネアのつぶやく言葉を聞き取っていた。どこか聞き覚えのあるような響きがする言語であった。

 そう――エールセルジーがたまに発するに似た何かであった。

「火土転身! 必滅火槍、浄火顕現」

 彼女がそう叫ぶと同時に天にかざした右手の中に赤く光る棒状の何かが現れる。刹那、彼女は馬を走らせて、それを投げ槍のように投擲した。

「ファイア・ジャベリンッ!」

 真っ赤に光った槍が虚空に弧を描くように飛んで、標的を射抜くと同時に爆発的な燃焼を起こした。その一帯を焼き尽くす勢いであった。シャルルはぼう然と凝視したまま言葉を失っている。

(あの決闘の折も見たが――まさか、これが彼女の魔術か?)

 王女の侍女を名乗ったヘレナ・トラキアが彼の前で初めて披露した魔術は『水』を取り扱うものであった。一方、アグネアが実演して見せたものは『火』を取り扱ったものである。

(エレーヌがこんなものを使うのは目にしたことがないぞ。もしかしたら取り扱える魔術の種類には個人差があるのか?)

 そのように感じたシャルルは新兵たちがどのような特技を以って的を射抜くのか、興味深く観察してみようと考えた。

「少し派手な手本を見せてしまったが、どんな手段でも構わない。各々が最も得意な方法であの標的を狙ってみるがいい」

 アグネアの指示の下、士官候補生たちは各自が好むやり方で的を狙った。やがて、オクタウィアの順番が回ってきた。馬を駆った彼女は馬上で矢をつがえると弓を引き、何かを口元で呟く。


コマンドCommandアクティベーションactivation――オリジンOriginタイプtypeバリデーションvalidation……ウィンドwind――」


 まただ――やはり機動甲冑『エールセルジー』の発する言葉に似ているとシャルルは確信を深めた。

「わが身に宿る風のオドよ、渦巻く風によってこの矢を包み、あの的まで運べ――」

 オクタウィアの身体に風がまとわりついていくのがわかる。彼の肉眼ではわからなかったかもしれないが、この機動甲冑の目を通してみることで彼にも見えるのだ。

「ワールウィンド・アロー!」

 彼女が叫ぶとともに射出された矢はグンと空に向かって勢いよく飛翔していった。垂直に近いほど高く前方に上った矢は普通に考えればそのまま放物線を描いて標的のはるか手前に落ちてくるように思われた。

(なんだ、あれは!?)

 だがその矢は頂点で緩やかな傾きを保ったまま加速していき、標的を撃ち抜いた。ただの矢には思われないドオオオンッ!という轟音を彼の聴覚が捉えた。

(エレーヌは水、アグネアは火、そしてオクタウィアは風――やはり得意とする魔術には個人差があるのかもしれないな)

 彼が凝視するオクタウィアは騎乗したままエメラルドとアメジストの色違いの目オッドアイを以って標的を観察していた。馬上から遠く離れた標的に向けて矢を放ち、命中させる――いわゆる騎射という戦法は、弓といえばクロスボウを連想するシャルルには無いものである。

(剣術ではまだまだ俺にかなうものではないが、あの騎射の腕前を見るに後生畏こうせいおそるべしだな。経験を積めばアグネアにも劣らない、頼もしい武人に育ちそうだ!)

 自分にない戦法を持っている彼女たちの特技を目の当たりにしたシャルルは身震いを覚えた。そして、昨晩アグネアが口にした厳しい言葉の裏には、並々ならぬ期待が込められていたのを改めて思い知った気がした。


「殿下もやってみますか? 馬を止めてもかまいません」

「わたくしがですか?」

「はい。やってみれば、難しさがわかるというものです」

「わかりました、やってみましょう!」

 そして、今度は王女ソフィアの順番である。ドレスを脱いで、丈夫な麻で編まれた服を着た彼女は金色の後ろ髪を後頭部に結い上げている。彼女が手にしているのは、ショートボウであった。

 的の近くまで馬を飛ばすが、さすがに馬を走らせたままとはいかずに、馬を止めて馬上から矢を射かける。しかし、なかなか的に当てることができないようであった。

「殿下、身体に力が入りすぎておりますよ」

「そんなことを言われましても」

「オクタウィア、殿下にご指南して差し上げろ」

 見かねたアグネアが姪を差し向けた。オクタウィアが寄り添って、姿勢を直して、矢を射かけるとなんとか命中させることができた。 

「や、やりましたわ! シャルル、見ていましたか!?」

「お見事でしたよ、ソフィア様」

 その後、機動甲冑から降りてシャルルもやってはみたものの、オクタウィアのように馬を駆って矢を命中させることはできなかった。最終的には下士官の新兵たちと同じようにクロスボウを持って標的を射抜いた。彼の故国では重装備で固めてランスを持って突撃する槍騎兵ランシエが主体であったので無理もない。ルナティア王国の軽騎兵とは根本的に騎兵の運用方法が異なっていたのである。


 ***


 演習場の傍らには厩舎が用意されており、訓練から戻った新兵たちはこれまで乗ってきた馬をその厩舎に戻した。馬の世話も新兵たちに課せられた教練の一環である。

 練習馬場で同じところを周回させているのでなく、のびのびと馬を走らせたぶん、馬も気持ちよく走って体力を消耗したようで、水と飼料をよく食べている。

 厩舎一帯を回って新兵たちを激励するアグネアとともにシャルルはその様子を興味深く観察していた。

「この辺りは土地が痩せていて小麦などは栽培できないのだが、雪解け水のおかげで新鮮な水だけは豊富にある。それを生かして少し離れた川の近くで飼料になる燕麦エンバクを栽培させている。ここは馬術の訓練に適しているんだ」

「なるほど、それもここに演習場がある理由か」

「ここも大蔵卿から予算の無駄遣いと設備の縮小を促されたが、これ以上国防を疎かにすれば王国はいつか滅んでしまう、と姉上がメガイラ殿下も巻き込んで撤回させた経緯がある。大蔵卿と縁戚関係にある殿下が健在でいらっしゃるうちはなんとかなるかもしれないが、それだけでは心もとない。そこで軍務を希望する貴族の子女たちを我々が預かって、鍛錬を積ませることになった」

「他の貴族の後ろ盾を得ようということか」

「まあ、そんな思惑も別にあるということさ。しかし、一番はやはり次世代の精鋭を育成したい……そこに尽きる」

 この演習場には厩舎のほか練習馬場もあり、クラウディア家の屋敷に隣接したものよりも充実した設備であった。小規模ながら造兵廠の鍛冶場も備わっており、騎馬に必要な鞍や鐙、馬銜はみなどの馬具のほか、剣や弓矢といった武器や鎧や盾といった防具の整備なども王都に戻ることなくできるようになっていた。

 この施設を守りたい――そんなアグネアの考えに、彼も共感を抱いたのである。

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