第2話 洗礼と騎士叙任式(1)

 博物館の一角、屋根の開いた神殿に機動甲冑『エールセルジー』が立っていた。屋根が開いたままになって一部が野ざらしになっていた機動甲冑には冷たい風雨が打ち付けている。古代の『資格者』アルトリウスが乗ったと伝承にあるほどの巨像にしてはみじめな取り扱いとなっていた。

 博物館に代わって機動甲冑を管理することになったアルス・マグナへの移転も検討されたが、王城のすぐ近くという王都の中心に建物を破壊するかもしれない巨像を置くわけにいかないと異論が相次ぎ、移転できずに留め置かれていたためである。

 昨年来の天候不順が災いした飢饉による収穫の減少、それに伴う税収減はこの国の財政を締め上げており、大蔵卿ユリアヌス侯コンスタンティアは不要不急の支出を打ち切っていた。博物館も不要不急な施設とみなされ、臨時の予算執行が難しい情勢にあった。結果として何の対策も打てず覆いを失った機動甲冑はゆく場所も見つからずそのままとなっていた。


 女王ディアナ十四世もこのような状況を座視していたわけではなかった。復活させた機動甲冑を王国正規軍で扱ってみてはどうか、と正規軍を管掌する軍務府に対して諮ってもいる。

 しかし、第一軍務卿を務める王族のメガイラ・ディアナ・アルトリアは機動甲冑を正規軍で利用することに懐疑的な見方を示した。博物館の建物を破壊してしまうほど図体の大きいものを虎の子の精鋭部隊とともに運用するのは手に余る、万が一味方に踏みつぶされるようなことがあっては敵わない、という主張であった。

 こうして機動甲冑はシャルルが直感したような軍事的利用価値がまともに顧みられることなく、アルス・マグナの管理下に置かれることが決定したものの、移転先が決まらずに博物館の一角に一週間ほど放置されたままであった。

 機動甲冑を再び動かしたこと自体は歴史の中に燦然と輝く偉業――それは疑いない事実であった。残念ながらそれを手放しで喜んでいられるほどの余裕が今この国にはなかったのである。


 そのような状況であり、流浪の騎士シャルル・アントワーヌを英雄アルトリウスに連なる『資格者』ソードホルダーとして叙任することも決して簡単ではなかった。大蔵卿は支出削減という理由で王城での式典開催に後ろ向きであり、第一軍務卿に至っては異邦から流れ着いた異教徒を『月の王国』レグヌム・ルナエの資格者と認めることが不適当であると騎士叙任それ自体に否定的であった。


 ***


「はぁ、なかなかうまくいかないものですわね……」

 シャルルの邸宅を訪れた第二王女ソフィアは苦い表情を顔に浮かべてそう言った。大好きなリンゴ酒を飲んでいても、忸怩たる思いがにじみ出た主人の横顔が晴れることはない。

「いつになく退屈そうなお顔をなさいますね」

「……誰のせいだとお思いですか、シャルル」

「私があの巨像を動かしてしまったためでしょうか」

「……そういうことが言いたいのではありませんわ」

 ソフィアはいっそう不機嫌そうに唇を尖らせた。

「わたくしだって、あなたが悪いとは思っていません。扱い方がわからない古代の遺物をわたくしたちが指示してあなたに動かしてもらったのですから、その責任はわたくしたちにあります」

 大きくため息をついたソフィアの口調は重たい。

「それにもかかわらず、あなたを快く思わない者が少なくないのです。特にわたくしたち姉妹の従叔母いとこおば――女王陛下おかあさま従妹いとこである第一軍務卿メガイラがシャルルの騎士叙任に異議を唱えているのです。異邦人をわが国の騎士にするのは容認できないと……ほんとうに頭の固い人で困ってしまいますわ」

「それは致し方ないのではありませんか。私の国でも騎士になるためには教会で洗礼を受ける必要がありました。この国の教会に属さない私への騎士叙任に反発が出るのは無理もないと思います」

 彼がルナティア王国に来てからひと月近くになる。王都での生活習慣になじむうちにこの国にも教会があることに気づいた。月の女神セレーネを主神と崇める国教会が国家の典礼にもかかわる重要な地位を占めているようである。

 自分より物分かりのよいシャルルをジト目で見つめるソフィアはいっそう不愉快そうであった。

「この国の王族や貴族の多くはご自分たちが月の女神の連枝と信じて疑わないので、シャルル様のような異邦の方が重用されるのを快く思っていらっしゃらないのです」

 ヘレナが相槌を打つようにソフィアの愚痴を聞いていたところ、突如ソフィアは彼にこう言った。

「やはりそうですね……シャルル、改宗ですわ。国教会に改宗いたしましょう!」

「は……はぁ……しかし、軍務卿が異議を述べている以上、この先私が国軍に加わるのは難しいのではないのでしょうか?」

「ですから、わたくしの騎士になればよいのです」

 先ほどまでの不機嫌がどこへ行ったのか、自信満々にそう言い切ったソフィアを目の当たりにして、シャルルとヘレナは戸惑った顔を互いに見合わせていた。


 しゃべりつくして気が済んだソフィアが王城に帰った後、シャルルはずっと難しい表情を浮かべていた。

 ソフィア王女から改宗して自分の騎士になってほしいという誘いを受けた彼は、応じるべきか、固辞するべきか、珍しく決めかねていたのである。

 この王国には彼が籍を置いていた公教会がまったく存在しなかった。それどころか救世主メシアや聖人たちの名や足跡を刻んだ聖典すら誰一人として知らないのである。彼が信じ、時に命を惜しまずに守ってきた教えの一端すら得られない、そのような国でこれまでの信仰を保ち続ける自信はもはや失われつつあった。

 異教徒から取り戻すべき聖地も、擁護すべき教会も失ってしまった――異教徒との戦いに半生を捧げてきた彼にとって生きがいを喪失するに等しい出来事といえる。そのような彼にソフィアは改宗を求め、自分の騎士になるよう求めたのである。それは彼がこれまで信じてきた拠り所をまた一つ失うことを意味していた。

「シャルル様、ご入浴なさいますか?」

「ん? ああ……」

 晩餐の後の軽い休憩が終わった後ヘレナがこのように尋ねてくるのは一つの日課となっていたが、その日彼の受け答えはどこか生返事になっていた。いつものように彼と一緒に浴槽に並んだヘレナがこの日に限って自分から身を寄せてきたのは、それをおもんぱかっていたためであったのかもしれない。

「シャルル様のお悩みは尽きないのでしょうか」

「……なんだい、急に」

「ここしばらく、あなた様のお気を煩わせる出来事が続いておりますから」

「気にかけてくれるのかい、嬉しいな」

 浴槽の中で手を握り合った彼女の存在が孤独な彼にはかけがえのない支えであった。

 その後、いつものように一人で寝室に向かう。あとからお香を焚いたヘレナが部屋にやってくるからだ。

「お待たせいたしました。お香を焚いてみたのですが、嗅いでいただけますか」

 香炉に鼻を伸ばし、息を吸い込んでみたが匂いがしない。

「匂わないな……香りのしないお香とは不思議なものだ」

「……っ!?」

 その瞬間、ヘレナの表情が険しくなった。香炉を安全な台の上に置いたヘレナは彼をいたわるように抱きしめてきた。こんなに積極的な抱擁は過去になかった。

「香りのしないお香を焚いたのではございません。シャルル様の嗅覚が鈍っていらっしゃるのです」

「なん……だと!?」

 耳元でささやいたヘレナがどんな顔をしているのか、彼にはわからない。

「シャルル様の食が細っていたのがずっと気にかかっておりました。味覚がしないのではございませんか?」

「……!?」

 ここ数日シャルルは食事を美味しいと感じて食べていない。腹に何か入れなければ空腹になって力が出ないと考えて、無理に食べていたのである。

 ヘレナは食が細ったと感じていたが、この時初めて彼の味覚と嗅覚がおかしいことに気づいたようであった。

「どうしてこんなことになってしまわれたのでしょうか……変な食材を選んだ記憶はございませんし、私も全く同じものを食べているのですが以前と変わりありません。シャルル様の身に特別な何か起きているのでしょうか?」

 シャルルに思い当たることがあるとすれば一つ――博物館で『選定の剣』を抜いたことである。それ以来白昼夢というのか、不可解な幻覚を見ることが多くなった。

 それ以外にも初めて経験するはずの出来事であるにもかかわらず、その体験を過去に経験したような違和感を覚えることもまた増えたように感じていた。

 シャルルから打ち明けられたヘレナは戸惑いを隠せない様子であったが彼女なりにそれを紐解こうと訊ねた。

「シャルル様の記憶にあるはずのないものがある……それが何をきっかけに表に出てくるのでしょうか。以前からこのようなことはございましたか?」

「いや……あったとしても、そう感じることがここ最近急に増えたのは間違いない」

「そうすると……よくわかりませんが、あの聖剣を抜いたことと何か関わりがある、そのように考えるのが自然かもわかりません」

「ありがとう、エレーヌ。こんなとりとめもない話を聞いてくれて」

 これまで自分が感じてきた違和感を吐き出し、それだけで気持ちが安らかになった彼の頬には笑みが戻っていた。


 翌朝、彼は何日ぶりかに気持ちの良い朝を迎えた。

 全身が汗だくになるくらい愛し合って熟睡してしまった恋人の頬に愛しさを込めてキスをすると、彼は心に決めた決意を口にした。

「改宗するよ、エレーヌ。そして君の期待と愛情に見合った騎士になってみせる」

 『資格者』ソードホルダーがいかなるものかわからないが、なってやろうじゃないか。この世界で武功を挙げて、再びなりあがってやる!

 深く静かに沸々と湧き上がってきた決意が彼を戦場へと駆り立てる原点となった。時に向こう見ずなほどの勇気を敵味方に見せつけたカロルス・アントニウスの戦いはここから始まったのである。


 ***


 朝が開けるとシャルルは王城のソフィア王女に宛てて手紙をしたためた。

 そこには国教会への改宗を希望する旨、そして以前に王太子ベアトリクスから提案されていた『資格者』ソードホルダーへの推挙を受け入れる旨が簡潔に記されていた。

 ソフィアは手紙を受け取るや否や、これを姉のベアトリクスにも見せた。そして、国教会の枢機卿にも改宗を希望する者がいると話をつけた。ソフィアの手の打ち方が早かったこともあり、国教会の洗礼式は速やかに執り行われる段取りが付いた。


 一方、『資格者』ソードホルダーへの推挙は王太子ベアトリクスから女王ディアナ十四世へと奏上されてから一波乱を巻き起こした。カロルス・アントニウスを『資格者』ソードホルダーとして叙任する旨を諮ったディアナ十四世に対して、大蔵卿コンスタンティアの妹を妃に迎えている第一軍務卿メガイラが異議を唱えたのであった。大蔵卿は厳しい国家財政を理由に奢侈な騎士叙任式の挙行に否定的であり、二人で示し合わせた行動であることは明白であった。

「軍務卿の考えはわかりました。また大蔵卿からも騎士叙任式について挙行を見送るべきとの意見があります。いずれも筋が通った意見で無視するつもりはありません」

 そう口にした女王は事前に用意した文書を侍従長トラキア伯に読み上げさせた。その要旨はおおむね以下の通りである。


 一、カロルス・アントニウスを王国の騎士でなく、王族であるソフィア王女の騎士として叙任すること。

 二、ソフィア王女個人の騎士である以上、国庫からの支出を伴う騎士叙任式を行う必要はないこと。

 三、伝説の機動甲冑を動かした事実を軽視して『資格者』ソードホルダーであると認めない決定を行えば王国の歴史に瑕疵を残すため、カロルス・アントニウスを『資格者』ソードホルダーと認める旨を公文書に残すこと。


 第一項は第一軍務卿メガイラが拒否感を示した王国の騎士への登用を見送る意向、第二項は大蔵卿コンスタンティアの懸念に対して奢侈な騎士叙任式を行わない意向を示したものである。両名の懸念を受け容れたうえで、第三項としてカロルス・アントニウスを『資格者』ソードホルダーと認める意向を女王は示したといえる。

「よいお考えかと存じます。先にメガイラ殿下がお示しになったご懸念が反映されておりますし、『資格者』ソードホルダーの取り扱いについても異議はございません」

 最初にそのような見解を示したのは第二軍務卿の地位にあるクラウディウス伯ユスティティアであった。王族である第一軍務卿メガイラに次ぐ序列であるが、名目上の軍務卿であるメガイラに代わって実質的に軍務府を管掌する実務者である。

「機動甲冑を操るという伝説上の存在『資格者』ソードホルダーがこの世に現出した――これが本当ならば、古代帝国の後裔を内外に誇るわれら月の王国レグナ・ルーナがその存在を軽んずるわけにはまいりません。奢侈なものは開かないにせよ、相応の格式をもって迎えるべきではないでしょうか」

 第二軍務卿ユスティティアはこのように奏上した。娘オクタウィア・クラウディアと妹ラエティティア・クラウディアの二人を通じて、カロルス・アントニウスという武人の人となりを知っていた彼女は彼の今後の地位に関心を寄せていたのであった。

 このような紆余曲折を経て、彼は第二王女ソフィアの騎士として、略式ながら騎士叙任式を受けることが決定した。

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