第二章:リンゴ姫の初陣
第1話 目覚めた巨像
とある短剣の調査にあたり、昼は食を断ち夜は眠りを断つほど研究に没頭していた少女は、その役目から解放されるや昼夜問わずの長い眠りについていた。
それから目覚めた寝ぼけ眼の彼女を見た同僚が気の毒そうな顔で見やる。膝裏まで伸び切った水色の髪はくしゃくしゃになっており、その先端は傷んで枝毛になっているありさまだ。
「カリス、もういいかげんこの髪の毛切ったほうがいいんじゃない?」
「言ったでしょう、願掛けしているんだって」
この国には自分の大切なものを女神様に捧げると誓う代わりに願いを叶えてもらうという祈り方がある。長く伸ばした髪を切って女神様に捧げる方法もあれば、祈りが叶うまで髪を切らずにおくという方法もある。彼女の場合は後者であった。
「機動甲冑が動く日まで、この髪はぜーったい切らないって決めたんだからっ!」
髪がどんなにボロボロになっても、願いが叶うまでは髪を切らない――そう決めてから何年が経ったのか。もしもこのまま願いが叶わなかったら、いつか自分で後髪を踏んづけることになってしまうかもしれない。
でも、こんな生活でも惨めだった昔に比べればずっと幸せなんだから。だからこそこの幸せにおぼれてはいけない。成果を出すまでは髪を切らずに、やみくもに研究を続けるんだ。そう誓ったから、絶対にやり遂げてみせる――。
小さな少女はそんな決意を胸に秘め、自分を奮い立たせていたところであった。
「カリス、起きてる!? 大変よ!」
そんなところに別の同僚が息を切らして飛び込んできた。
「さっき博物館から連絡があったわ。エールセルジーに異変が起こったんですって。だから悪いけどすぐに服に着替えてちょうだい!」
紫色をしたつぶらな瞳をキュッと絞り、口を真一文字に結んで彼女は頷いた。
***
博物館のエールセルジーを金髪碧眼の少女――第二王女ソフィアが興味深い表情で眺めていた。その傍らには考え事をしているのか、難しい顔をしている者がいる――ソフィア王女が王都に連れてきた騎士シャルル・アントワーヌであった。
その他には博物館の職員たちが何人も集まっていた。エールセルジーの真後ろから気が気でない表情を浮かべるのは博物館のムネモシュネ館長である。ずっと静態保存されていた機動甲冑が異音を立てたと聞き、この場にやってきたのだ。
「こちらです、どうぞ!」
一人の職員に先導された何人かの集団が噴水広場の方から歩いてやってきた。
魔術殿堂「アルス・マグナ」の総裁でもある王太子ベアトリクスと機動甲冑の研究にあたっている数人の研究者たちであった。その中には最年少の研究者であるカリス・ラグランシアの姿もあった。
「お姉様、ご足労いただきありがとうございました」
「驚きましたよ、ソフィア……そして、貴殿にも」
「申し訳ございません。騒ぎを起こすのは本意でなかったのですが」
ひざまずいた彼の手には件の短剣が握られていた。それを見たベアトリクスは目の前に聳え立つ鋼の像をじっと見つめてこう言った。
「この短剣を調べてわかったことがいくつかございました。この短剣には『火』の属性と『聖』の属性の魔術が仕込まれているということ――ガーネットがあしらわれていることから予測はしていたのでそれはよいのですが……問題はこの属性に合致する機動甲冑は現在のルナティアには存在しないということです」
話を聞いてもシャルルにはさっぱり意味が分からない。隣のソフィアに目を向けても似たような反応であった。
「つまり、お預かりした短剣によってその構造が分かっても、現存する機動甲冑はこの短剣では動かない――私たちはそのような結論に至りました」
王太子とは違う声にシャルルとソフィアはその方を振り向いた。見覚えのある髪の長い――そしてところどころ髪が傷んでいる少女が、彼ら三人の近くにやってきてお辞儀をした。初対面の印象があまりにも強かったのでシャルルもその顔をよく覚えている。
「先の説明を翻す不可解なことが起きています。この短剣で絶対に動かないはずの機動甲冑が反応を示しました。できればわたくしたちにも当時の状況を詳細に教えていただけるでしょうか?」
「かしこまりました。王太子殿下」
それ以降、シャルルとソフィアはこの場で起こったことをそのまま説明した。
彼が形見の短剣を鞘から引き抜いて天にかざしている間に、このエールセルジーという鉄の巨人が鉄の板を軋ませるような音を立てたので耳をふさいだ。音が止んだ後にもう一度様子を見たところ、見慣れないロープが垂れ下がっていた――と。
こんな話を聞いて、そんな馬鹿な……と機体を見やった研究者たちは不自然に垂れ下がった何かに気づいた。一見すると縄梯子のような形状にも見える。
「あの……騎士殿はどうして、ここにいたんですか……っ」
「最近、こいつがよく夢に出てくるんだ。こいつと一緒に野を駆けたり、そんな夢を見るもんだから眠りが浅くてかなわない。いいかげん俺の夢に出てくるな!と文句を言いに来たんだがね」
自分の問いにそのように答えたシャルルにカリスが厳しい眼差しを向けるが、彼は微塵も悪びれる様子がなかった。
「王太子殿下、確認したところエールセルジーの背中に隙間が空いているようです」
「隙間……まさか、操縦室の扉でしょうか?」
腕を組んで思索をしていた王太子ベアトリクスはシャルルの顔を見てこう問うた。
「貴殿の夢ではどのようにしてこの機体に乗ったのですか?」
「この剣を掲げて、あの上に登り、何かの扉を開けて……うーん、その後はあんまり鮮明には覚えていませんでした」
「鮮明に覚えていないなら、それを実際にやってみれば何か思い出すのではなくて。いかがでしょうか、お姉様」
二人の会話にソフィアが割り込んできた。これまでもシャルルの白昼夢や夢の内容に関心を払ってきたベアトリクスは妹の提案にも一理ありと考えた。
「館長、このエールセルジーをしばらくの間アルス・マグナの管理下に置きます。女王陛下より決裁は下りています」
「か、かしこまりました……」
「では、貴殿が覚えている範囲で構いませんので、夢の内容をなぞってみましょう。お願いいたします、シャルル・アントワーヌ殿」
博物館の館長や職員たちが不安げに見守る中、シャルルは下りてきた縄梯子のような何かに手足をかけて登っていった。登り切った先は一〇フィートほどの高さがあり馬とは比べ物にならない視界にさすがの彼も足元がすくむ。
「どうですか、シャルル! 怖くありませんかー?」
彼の気持ちを見透かしたかのように眼下のソフィアが尋ねてきたので、シャルルは心中に吹きすさぶ臆病風を振り切ってこう応じた。
「はっはっは! ちょっと高いですが、このくらい大したことございませんよ!」
意識を眼下ではなく目の前の巨像に向けると、確かに壁に扉のような何かが開いている。空いた隙間に両手を差し込んでこじ開けた先には、大人ひとりが入れるような空間があった。
(この空間、なんだ……前にも見たような気がする。どこで見たんだ?)
その瞬間、彼の脳裏に何かが割り込んできた。
――剣…………力、解錠……
とっさに耳を塞ぐも、その『
――汝……鍵……剣……
「うわあああああああああああっ!!!」
彼が絶叫したその瞬間、腰に差した短剣にはめ込まれたガーネットが鮮やかな赤い閃光を発した。そして誰かが命じた――剣を抜け、鍵を差せ、と。
「こいつが欲しいのか!? 待ってろ!」
目に見えない存在に直接頭の中に語り掛けられて、気が狂いそうなほどぐらついた意識をなんとか保って、彼は光る短剣を抜いた。刀身の真ん中に走る樋を中心に赤い光の筋が走っていた。それを誰かが命ずるまま、傍らの切れ目にガンと突き刺す。
その瞬間、目の前に広がっていた真っ赤な光が止み、頭をぶん殴るような暴力的な呼びかけもまた止まっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……これでおさまったか……」
『
「なんだ!? 今のは!」
この国の言葉とは明らかに違う言語が耳に入ってきた。いつかの夢で耳にした――どこか記憶の片隅にある言葉の断片がふっと浮かび上がってくるような何かだ。
「おい、お前しゃべれるのか? 何か言ってみろよ!」
『――音声入力開始確認。
「……お前は、なにを言っているんだ……?」
『――姓名及び所属、階級をどうぞ』
***
「エールセルジーが……稼働状態に入っています。こんなこと信じられませんっ」
カリス・ラグランシアは全身が震えていた。想像もしていなかった出来事に危うく失禁してしまいそうだった。がくがくと震える小さな身体に精いっぱい力を込めて、目の前の事実に対峙していたのである。
「シャルル! いったい何がどうなっているのですか? 答えなさい!」
ソフィアの凛とした声がその空間で透き通った。しばらくすると大きな巨像の背中に梯子でよじ登ったシャルルが隙間から出てくる。
「背中の扉から中に入ったところ短剣が光ったのでこいつに突き刺しました。すると搭乗者、姓名及び所属、階級を答えよと問われ、どうすればよいか困っております」
「なんですって……」
驚愕の眼差しで機動甲冑を見上げてそう言ったのはソフィアの側に立っていたベアトリクスであった。
「わかりました。それではこう答えてみてください――所属はルナティア王国、階級は資格者、姓名は……カロルス・アントニウス、と」
ベアトリクスが口にした言葉の意味するところはよくわからなかったが、シャルルは機体の中に戻って、問いかける音声に対して答えた。
「いいだろう、教えてやる。所属はルナティア王国、階級は資格者、姓名は――カロルス・アントニウスだ!」
『搭乗者名、カロルス・アントニウス。声紋、
その瞬間、彼の周りで血の巡りに似た何かが動いたのを感じた。
『搭乗を検知――搭乗者はカロルス・アントニウス――
知っているような響きで、まったく知らない言葉が飛び交っている。彼はぼう然とその様を見守っているしかなかった。
『
その瞬間、彼が入ってきた出入口が勝手に閉まった。真っ暗な闇の中に閉ざされて彼は叫んだ。
「おい、これじゃ真っ暗じゃねーか!」
『――
「聞いてんのか!」
『――パイロットの要望を優先。
刹那、また脳裏に突き刺すような感覚が走り、身をかがめた。恐る恐る目を開くと驚愕の光景が広がっていた。
「なんだこれ……壁が透けているのか?」
つい先ほどまで目の前が真っ暗だったはずなのに、今は周りの景色がよく見える。眼下を見ると二人の王女とちっちゃい少女がこちらを見上げていた。
「きーしーどーのーっ! 今、何が起きていますかーっ?」
不思議にも壁を隔てて何十フィートも離れた場所に立っているはずの少女の声がよく聞き取れている。分厚い壁などそこにないかのようだった。
(これは……とんでもないやつだ……こんなものに父上は乗っていたのか?)
人間の身にまとうプレートアーマーとは比較にならない大きさと質量、そして強度を持ち、中にいながらにして周囲の物が手に取るように分かる古代兵器――こんなものが本当に動いたらこの時代の戦争を一変させることは疑いない。
「ああ、カリスといったか。お前の顔も声もよくわかるぞ! こいつはすごいな!」
シャルルは興奮を抑えきれない声で感想を口にした。夢で見たときよりずっと比較にならないほど高揚感が胸に迫っていたのである。
「シャルルにはその中からわたくしたちの姿が見えるのですか?」
「はい。よく見えますし、よく聞こえます。何がどうなっているのかさっぱりわかりませんが、この巨大な像についた目と耳が自分の感覚につながっているようです」
王太子ベアトリクスが何かに気づいたのか、こう尋ねた。
「もしかしたら……シャルル・アントワーヌ殿、歩くことはできますか?」
「あるく? どうやるんですか?」
「何をどうしたら我々の顔が見え、声が聞こえるようになりましたか?」
「所属と階級と姓名を答えたら背中の扉が勝手に閉まって、仲が真っ暗になった後にこいつがしゃべりだしたら今の状況になっておりました」
「あっ……もしかしたら、この機動甲冑は搭乗者の声を認識できて、声を通じて指示ができるのかもしれません!」
カリスという少女が何かひらめいたらしい。ベアトリクスはその建物にいた者たちを建物の外に退避させたうえで、シャルルにこのような指示を出した。
「歩くにはどうすればよいか、機動甲冑に尋ねてみたらどうなりますか?」
「やってみます……おい、エールセルジーと言ったな。歩くにはどうすればいい?」
『――
(こいつ……たまに意味わからないことをしゃべるな、独り言か?)
『『歩く』と念じてください』
「念じろ、か……よし、やってみよう」
(前に、歩く――最初はゆっくりと)
すると再び鉄が軋む耳障りな音がする。視界がわずかに動くとともに身体がゆっくりと縦に動いたのがわかった。
「動いた……動きましたわ!」
ソフィアが目をらんらんと輝かせている。それを見て微動だにしなかった鋼鉄の像が実際に動いていることをシャルルは理解した。
「いやあああ! ぶつかるぅぅぅぅ!」
博物館の職員の悲鳴が耳を差した。この機動甲冑の大きさに比べて決して余裕があるとは言えない神殿の壁が目の前に迫っていた。
「まずい――止まれ!」
『データリンク樹立』
声に出してシャルルが指示を出すと鋼鉄の人馬獣は音を立てて動きを止めた。下手をすれば建物に衝突していたかもしれない――危険を回避してホッとしたのもつかの間、地面が揺れ始めた。
「え、なに……大地が揺れてる?」
「し、神殿がっ!? 壁と柱が動いています!」
なんと機動甲冑が衝突しそうになった壁や柱が地面に向かって沈み込んでいく。
「皆、外へ避難して! 急いで!」
その上にあった屋根も左右に開き、神殿の正面の形状が変わってしまったのだ。
「神殿が……壊れたの? そんな……」
「な……なんということ……あぁ……」
博物館の館長であるメガネの婦人はその予想外の出来事を目撃して気を失ってしまった。事前に関係者以外の立ち入りを制限していたために命に及ぶ重傷を負った者が皆無であったことが不幸中の幸いであった。
こうして博物館に静態保存されていた機動甲冑『エールセルジー』は、動態保存状態に置かれた唯一の発掘兵器として現代によみがえったのである。それは同時にアルトリウス以来絶えて久しかった
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