第四幕:剣の継承者

第17話 英雄の背中

 見渡す限り広がる荒野。おびただしい血と屍が埋め尽くす戦場。彼方から怒涛の如く押し寄せてくる巨人たち。それに向かって人型の巨大な騎士甲冑が駆け抜けてゆく。

 

(なんだこりゃ……)


 止まらない身体の震え。武者震いか、はたまた恐怖に立ち竦んだか。動けぬ彼を追い越して巨人たちに突撃する騎士甲冑。幾多も積み上がる肉塊と返り血が戦場を覆いつくす山河となる。

 

(まさか、これが……『いかりの』ってか……)


 いまず、やがて来たる最後さいご審判しんぱん

 それに先立つ世界の終焉しゅうえん――かみ子羊こひつじの怒りの大いなる日が来たのか。

 黙示録もくしろくで読んだよりもずっと凄惨な鉄火場てっかばに立つ十二人の英雄。その中にどこか彼に似た面影――だが彼ではない男性の姿があった。

 

(あれは……ッ)


 赤い宝石で彩られた短剣が男性の傍らに突き刺さっている。見知った短剣の鞘を腰に差す男性が何者か彼は知っている。

 彼の声帯が震えだすより早く、はるか遠くへ駆けていった。呼びかけることも能わず、ただ彼方へ去る背中を見送るしかなかった彼の両目から滂沱の感涙がこぼれた。

 

(嘘だろ……なんでアンタがそこにいるんだよッ!?)


 追いかけた背中があった。志半ばで命運尽きて、彼に後事を託して帰天した英雄の背中があった。

 幾多の戦場を駆け抜けて死んだ英雄は怒りの日に若返って甦り、神の敵対者に従属する巨人たちとの苛烈な死闘の渦中で返り血を浴びながら戦い続けていた。











 続けて見る景色の数々。

 幾星霜と終わることのない光景。鉄と炎と、血と潮で彩られる地獄。


 耳鳴りがする。

 三千世界のカラスが一斉に鳴き出したような音の暴力。

 あまりにも膨大な金切り声の混じった音の瀑布が容赦なく注がれる。

 思わず耳を塞ごうとも、手は動かない。まぶたのない耳は防ぐことなどできない。

 自らのうめきすらかき消して流れ込む何か。


 それから間もなく、彼は巨大な何かを目の当たりにした。

 目に見えるものでない。だが、明らかにそこに存在しているものであった。

 何かはわからない。しかし、とんでもない威容を誇る何者かであるとわかる。

 それが何か――思索を深めるより早く、その巨大な存在は消え去ってしまった。

 ただ、その巨大ななにかが最後に言った言葉だけが脳に残る。


力をここにLet there be power


 そして、霧が晴れたように光が消え去った――。











(何だったんだ、あれは……)


 眩んだ目が徐々に視界を取り戻す。

 巨像が鎮座する神殿に立ち尽くす自身の手に一本の剣があった。

 まったく抜ける予感がしなかった刀身が鞘から解放されて姿を現している。


「抜けた……抜けちまった……」


 錆一つない磨き上げられた刀身は金剛石の如くきらめいていた。

 千年間誰も抜いたことがないと伝わる聖剣は思いのほか美しい。

 

「抜いちまった……ふふふ、ははは……よぉし、抜いてやったぞォォォッ。ソフィア様にコイツを抜くコツを教えていただいたおかげですねッ。ありがとうございます!」


 嬉々として聖剣を高く掲げたシャルルの傍らで言葉を失ったソフィアに気づいた。一部始終を興味津々で見守っていたお姫様は目を丸くしたまま立ち尽くしていた。


「どうしました、ソフィア様」

「わたくし、夢を見ているの……ねぇ、シャルル。頬をつねってもらえるかしら」

「何をおっしゃいますか、間違いなく現実です。どうぞ剣を握ってみてください」


 シャルルがひざまずいて聖剣の柄を差し出す。目をパチパチさせて聖剣の柄を握りしめたソフィアがその重さに音を上げた。


「剣ってこんなに重いの? 夢じゃない……やっぱり夢じゃないのね……ッ!」


 シャルルに聖剣を返したその手で口元を覆うソフィアの顔に微笑が広がっていく。肩を震わせ、やがて笑い声をこらえきれなくなったお姫様は満面の笑みでシャルルの目を直視して言い放った。


「シャルル、あなたとんでもないことをやらかしましたね」

「ソ、ソフィア様がやれとけしかけたんじゃないですかッ」

「そうじゃなくて、聖剣を千年ぶりに抜く偉業をやってのけたのッ。これはとんでもないことなんだからッ!」


 あまりの興奮で丁寧な言葉遣いが消し飛んでしまったソフィアは金髪を振り乱して小走りで神殿を駆けだしていった。聖剣を手にしたまま何をしてよいかわからないでいたシャルルを置き去りにして――。


 ***


 王城からほど近いところにある魔術研究機関『アルス・マグナ』は混乱の坩堝るつぼと化していた。数百年来研究されてきたがまったく動かすことができなかった機動甲冑が突如目覚めたからである。

 目覚めたといってもひとりでに歩き出したわけではない。鋼で作られた甲冑に魔力が通ったというだけだ。それだけでも研究に携わってきた者たちには大事件である。この知らせはすぐに王城で公務中のアルス・マグナ総裁――王太子ベアトリクスのもとにもたらされた。


(そんなことがあるわけ……いえ、まさか……)


 宝石で彩られた短剣を持っていた騎士の面影がベアトリクスの脳裏によぎった。

 ただでさえありえない出来事が続いているのだ。この先何かが起きても不思議とは言い切れない。


「申し上げます。博物館にお出かけのソフィア殿下から急ぎの使いが参りました」

「え……ソフィアから?」


 侍女から手紙を受け取って驚いた。どこにあった物かわからないような粗末な紙に鉛筆で文字が書き連ねてあった。雑に書きつけられた字体は明らかに妹特有のもので、特に急いでいる時に現れやすい彼女の癖だった。

 

(よほど急いでこれを書いたのでしょうね)


 選定の聖剣が引き抜かれたこと。その場に自身が立ち会ったこと。重大な出来事であり、すぐに女王と王太子に目通りして聖剣とそれを引き抜いた者を引き合わせたいので許しを願いたいこと――それらが走り書きで記されていた。


(選定の剣に選ばれる資質を持った者……やはりあの者でしょうか)


 片手で口元を押さえ、もう片手で胸をさすったベアトリクスに侍女が寄り添った。


「いかがいたしましたか、殿下」

「いえ、発作ではないわ……この手紙を持ってきた使いに渡す返書をしたためます。紙をここへ」

「はい、只今」


 ベアトリクスはソフィアに宛てて返書を書いて使者に託した。使者が去るとともに女王ディアナ十四世の執務室へ向かってアルス・マグナとソフィアから受けた報告を女王にも伝えた。

 

「状況は理解しました。その者がソフィアとともに登城する頃合いに、ベアトリクスはアルス・マグナの研究者たち幾人かを立ち会わせなさい。何か重要なことがわかるかもしれませんから」

「かしこまりました。そのように取り計らいます」


 それから一時間足らずで第二王女ソフィアの馬車が王城に戻った。さすらいの騎士シャルル・アントワーヌと博物館の館長を伴ってソフィアは女王に目通りを願った。

 謁見の間には何人もの先客がおり、ソフィア一行がここへ来るのを待ち構えていた。彼女たちはどこか殺気立って落ち着かない様子であった。


 ***


「女王陛下、王太子殿下、そしてアルス・マグナの皆々様。お忙しいところお集まりいただき恐れ入ります。早速、本題に入らせていただいてよろしいでしょうか」


 ソフィアが恭しく頭を下げてお辞儀をする。その物腰の低い態度にアルス・マグナの者たちも呆気にとられたようであった。


「女王陛下、ご指示通りアルス・マグナの幹部たちをこの場に集めましたが、事態が事態ですので手短に済ませていただけるとわたくしも助かります」

「わかりました。それでは説明を求めます、ソフィア」

「はい。博物館にある『選定の剣』を抜いた者が現れましたので、急ぎ報告したいと参上つかまつりました」


 集まった貴族たちがソフィアの発言にざわめく。


「そんなバカな……信じられない」

「皆、静粛に」


 王太子の一声で場は一斉に静まった。それを見守っていた女王はこう続けた。


「剣を抜いた証にこの場へ持ってきたのでしょう。それを見せてご覧なさい」

「はい、こちらにございます……シャルル」

「はっ!」


 栗色の髪を生やした騎士が一歩進み出るとひざまずき、皮布で包んだ聖剣を押し戴くように差し出した。きらびやかな装飾が施された剣の柄には女王も王太子はもちろんのこと、アルス・マグナの研究者たちも見覚えがある――そんな反応であった。

 

「証人として博物館館長にも同行を願いました」

「館長、これは確かにあの『選定の剣』ですか」

「はい、陛下。間違いなく台座から引き抜かれた本物の聖剣でございます」


 館長の証言にどよめきが広がる。


「私も目を疑いましたがほかにも博物館の学芸員が現場に立ち会っています。事実と認めざるを得ません」

「どう思いますか、王太子」

「いまだ信じられません。ここに集まった皆もきっと同じ気持ちでしょう」


 王太子が並み居る研究者たちの顔を見渡す。皆、重苦しい表情に満ちていた。


「本物かどうかこの場で確認してもよろしいでしょうか、陛下」

「よいでしょう、王太子。アルス・マグナ総裁の務めを果たしなさい」


 女王の許しを得て、女王の傍らに立っていた王太子ベアトリクスがさすらいの騎士シャルルに歩み寄った。そして、彼が差し出した聖剣を受け取ってゆっくりと皮布をはいでゆく。錆一つなくキラキラと光る抜き身の聖剣が露わとなって皆が息を呑んだ。ベアトリクスもまた唖然としていた。


「……信じがたいですが間違いなく『選定の剣』でしょう。まったく手入れがされていなかったにもかかわらず、刃がこんなに澄み渡って美しく輝いています。並の刀剣ではこうはなりません」


 聖剣を再び皮布で丁寧に包んだ王太子ベアトリクスがシャルルを一瞥いちべつした。


「シャルル・アントワーヌ殿、貴殿はこれをどうやって抜いたのですか」

「ソフィア王女殿下に言われるがまま、力試しと思って柄に手を掛けました。なかなか抜けないので意地になって、ありったけの力を込めつつ抜けろと強く念じました。するとまばゆい光に包まれて幻覚を見て……気がついた時には剣が抜けておりました」

「なんということをしてくれたんですか、あなたはッ」


 その瞬間、感極まって叫んだ者がいた。一番殺気立っていたうちの一人であった。透き通る水のような色をした髪を生やした女性で、ひときわ小柄なせいか甲高い声をしていた。


「アルス・マグナに収蔵された機動甲冑に一斉に命が宿ったんですよッ。どうしても動かせなかった物が動いたんですよッ。こんなこと今まで一度もなかったのに!」

「落ち着きなさいッ、カリス。陛下の御前ですよ」


 王太子ベアトリクスが一喝するとその者は口を噤んだ。シャルルに向き直った王太子はこう口にした。


「見苦しいところをお見せしましたね。ですが、この者が取り乱したのも無理はないのです。何しろ千年間、誰もこの聖剣を抜くことができなかったのですから」


 この剣を抜いてしまったときのソフィアの動揺、興奮を思い出した。


『シャルル、あなたとんでもないことをやらかしましたね』


 その場に立ち会ったお姫様は博物館の職員たちを呼びに行き、館長をはじめとする何人もの研究員が彼と聖剣を取り囲んだ。何か咎められるのか覚悟を決めたが皆一様に興味深く聖剣と彼を観察するばかりであった。反応は違うがさっき大声を上げた女もひどく興奮している意味では似通っている。


「我々アルス・マグナに立ちはだかっていた最大の謎がこの剣でした。人を選ぶモノと伝わっておりますが、誰ひとりこの聖剣に選ばれることがなかったのです。鞘から抜けなかったので魔術的解析も不可能でした」

「それが全部解決してしまった――そう言いたいのですね、ベアトリクスは」


 王太子の名を呼び捨てにできる唯一の女性が口を開いた。瞬間、謁見の間に集った皆が言葉の主に向かって背筋を伸ばし耳をそばだてた。


「シャルル・アントワーヌよ。これは我が国にとって大変由々しき事態なのです」


 女王に直接言葉をかけられた瞬間、彼はその場にひざまずき頭を下げた。


「余は貴殿に王都への滞在を許しましたね。ここを去ろうとしても差し止めはしないつもりでした」


 嫌な予感がする。

 何かの不利益が課されるのではないかと。


「今回の一件があって貴殿を我が国から出すわけにはいかなくなりました。我が国の最高学府、アルス・マグナの研究対象として失うことのできない存在であると判ったためです」


 面を上げなさい――。

 そう促され顔を上げたシャルルは息を呑む。眼光炯々がんこうけいけいといった女王のまなざしに畏怖を覚えた。女王は少しだけ表情を和らげて話を続けた。


「貴殿には引き続き王国への滞在、そしてアルス・マグナの研究に協力を願います。その対価として貴殿の身分を娘の客人ではなく国家が必要と認める者とします。アルス・マグナの研究が継続する間、国庫から俸給を出します。もちろん不自由なき今の生活はそのままに。どうでしょうか、悪い取引ではないと思いますが」


 拒否する立場にはない。生殺与奪を握られているに等しいからだ。

 迷う余地はない。ならば――。


「俺――いや、私はこの国の民でございません。にもかかわらず命の危険を王女殿下に救っていただき、衣食住まで与えられています。何の不満がありましょうや」


 どうせ拒否する立場にないなら、二つ返事で応じるまで――。


「ありがたく存じますとともに身に余るご恩に何もできず、まこと不甲斐なく思っておりました。女王陛下の御為にこの流浪の身が役立つと聞き及んで、この身が震える思いでございます」


 ほんのわずかな時間で彼は腹を決めた。思い切りの良さとは戦場で絶えず即断即決を余儀なくされてきた彼が獲得した資質の一つだったのかもしれない。

 

「喋るのがすっかり上手になりましたね。どうかこれからも励まれますよう」


 にこやかに微笑んだ女王に向かい、シャルルは深々とこうべれた。

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