第16話 選定の剣
木剣を手にした日を境にシャルルの顔付きが変わった。
朝は早くに起床して庭で木剣を振るって軽く汗をかき、朝風呂に入って身を清め、
昼は
日が暮れる前に邸宅に戻ってきて
それを一番身近にいて感じていたのは銀髪の侍女ヘレナである。それだけにいたく気の毒に感じてしまう。
『よそ者をこの国の武官に登用できない。今はそのような声が強いのだそうです』
その日、シャルルがクラウディア家に発った後にソフィアが馬車に乗ってヘレナを訪ねた。ヘレナに相談したいことがあると馬車に乗せられて王城へ向かう途上、彼の武官登用が見送られた旨をソフィアから打ち明けられた。
『困りました……シャルルにいつ、どのように伝えればよいか計りかねています』
そのような偽らざる心境を漏らしたソフィアにヘレナもまたどう言葉をかけてよいかわからなかった。それから一日経った今もまだわからないでいる。
(シャルル様には
立派な騎士になりたくて生きてきた。
彼にとってそれが重要な目標であり、そのための努力を惜しまなかった。
武官登用というより明確な目標を得てから、水を得た魚のように彼は生きている。彼の一番近くに仕えはじめて、日々そう思い知らされていた。
よそ者という理由で武官登用が見送られたと知ったら、彼は道標――言い換えれば彼が何をすればよいかを見失ってしまうかもしれない。それがヘレナには気がかりでならなかった。
「今帰ったぜ、エレーヌ」
「おかえりなさいませ、シャルル様」
「ん、どうした。表情が硬いけど具合悪いのか」
「お気遣いありがとうございます。少し考え事をしていました。今日はお帰りが早いのですね」
「明日からクラウディア家の皆でしばらくお出かけになるらしい。なので剣の修練はしばらくお休みというわけだ」
「皆様のご準備があるので早めに切り上げたのですね。承知いたしました」
「少し休憩するよ。その後は新しい本を読んでみることにする」
「かしこまりました。そういえば王女様がシャルル様に博物館を案内したいと仰せでした。明日のご予定はいかがですか」
「剣の修練が無くなったからな。いつでも大丈夫さ」
「かしこまりました。そのように王女様へお伝えいたします」
ヘレナは王城のソフィアに使いの者を送った。その者は明日シャルルと一緒に王立博物館を訪れたいというソフィアの返事を携えて帰ってきた。
結局、ヘレナの口から武官登用の結果を話すことはなかった。ソフィア自ら伝えると聞いていたからである。
***
明くる日、王女ソフィアが午前のうちにシャルルを訪ねてきた。応接室の長椅子に腰かけたソフィアは拳をキュッと握り、開口一番こう言った。
「シャルルに残念な知らせがあります」
「それは……仕官の件でございますか」
「察しがよいのですね。ええ……第二軍務卿ユスティティアより正規軍武官の登用を見送る回答がありました」
「そうですか。お知らせくださりありがとうございます」
「そうですかって……シャルルは悔しくないのですかッ」
「残念かそうでないかと問われれば残念です。まぁでもこればっかりはしょうがないんじゃないでしょうか……この国じゃ俺は田舎者みたいですし」
思いのほか淡々とした受け止めにソフィアはもちろん、あとからリンゴ酒を持ってやってきたヘレナも唖然とした。甘いリンゴ酒を口にして気を取り直したソフィアはこう言った。
「今日はシャルルを王立博物館へ連れていきたいのです」
「かしこまりました。いつでも出かけられます」
それからお姫様に連れられて、シャルルは王立博物館に向かった。図書館と同じようにコンクリートが使用された堅固な作りとなっているが、円柱を多用している点が顕著な違いであった。
博物館の入り口で職員にあいさつしたあと、彼の手をつかんだお姫様はつかつかと中へ引き連れていく。いくつかの展示を見て回った後に、彼らは噴水のある中庭へとたどり着いた。
「この噴水に水を供給する水道は帝国時代に作られたものとされています」
(ということは……少なくともコイツは千年以上も動いているってわけか)
古代ローマや、その文化を継承した
噴水広場に面した中庭の向こう側に、古代ギリシアの神殿のような荘厳な建築物が建っている。この国の中でもかなり古い建造物とわかった。それを見つめている彼にお姫様が気づいた。
「どうしましたか、シャルル」
「あれは神殿ですか」
「気になるようなら行ってみましょう。ちょうどシャルルに見せたいものがあちらにあるのですよ」
大理石で建造されているたいそう立派な白亜の神殿。正面の大きな開口部から屋内に入れるようだ。お姫様に手を引かれて、彼は大きな神殿の中に入った。
(何か特別な意味を持った建物みてぇだが……)
整然と並ぶ円柱、隙間から差し込む光。
暗がりに目が慣れる。そこに圧倒的な存在感を伴った何かがあった。
(こりゃでけぇ、なんだコイツ!?)
神殿の屋根に届かんと
四つの足で胴体を支えている様は馬に似ている。だが馬そのものではない。明らかに異なるのはその上半身。二本の腕があり、右腕には人の背丈を超える長さを持った騎槍、左腕には国章のような紋章をあしらったシールドがついている。
「これは王国を守護した英雄アルトリウスの愛馬で『エールセルジー』と言います。前に読んだ歴史の本にあった巨大な甲冑ではないかと言われています」
「アルトリウスの愛馬……これが……」
お姫様の言葉に唖然とするシャルル。
高さは軽く見積もって
「愛馬ってこんなでけぇ馬がいるわけ……そもそもコイツは馬じゃねぇ、どっちかというとケンタウロスじゃねぇか」
ケンタウロスとは人間の上半身と馬の首から下の全身を合わせ持った半人半獣――もちろん実在の生物ではなく、古代ギリシアにおける神話上の存在である。
しかも巨像の造形は明らかに生物ではなかった。どちらかというと
「先ほど愛馬とおっしゃいましたが、アルトリウスがコイツに騎乗していたと?」
「ええ、魔術によりこれを自在に動かすことができたと伝わります」
「こんなものにまたがっていたなんて、アルトリウスの背格好は巨人か何かだったんですか?」
「何を言っているのですか、シャルルは……」
そう口にしたお姫様はあからさまに呆れ顔だ。
「しっかしコイツ、鉄でできてるみたいですが……こんなものが本当に動いたんですかね」
「街道だけでなく野を駆け山を越え、縦横無尽に行動することができたそうですわ。ゆえに『
口をあんぐりと開き、彼は呆然と立ち尽くした。
「とんでもねぇ。そんなモンがあったら、戦争の仕方が全然変わっちまう。とても信じられねぇな」
もっとも千年も昔の出来事らしいし、先日図書館で見聞きしたような神話のような誇張もあるかもしれない。彼はそう割りきって話半分に聞くこととした。
「こんなでけぇモンをどうやって動かしたんでしょうね。何か伝承はあるんですか」
「ええ、ありますとも」
言い切ったソフィアは彼の手を引いて鎮座する巨像の斜め右前に向かう。何か突起物があり、脇に文字のようなものが刻まれた石板が置かれている。
「これが『選定の剣』。機動甲冑と一緒に発掘された帝国時代の遺物だそうです」
深々と大理石の床に突き刺さった何かには豪華な意匠が刻まれているが、お姫様が『剣』と口にしたことで理解した。それは『鞘』なのだ。大理石の台座に突き刺さり一体となった鞘に一振りの両手剣が納まっていたのである。
剣の鍔にはとても実用に向かない装飾がなされており、鞘から抜剣して実際に打ち合いをするには明らかに不向きであった。儀礼的な剣に過ぎないようである。
「この聖剣を鞘から抜き放つことができた者は古代帝国の皇族、つまり皇位継承権を持った者だけ。その者がこの機動甲冑に騎乗することが許されたと伝承にあります。そして、これを最後に抜いたのがアルトリウスだったと言われます」
(大理石に突き刺さった剣ってまんまアーサー王伝説じゃねぇか……子供のおとぎ話みてぇなモンだ)
子供の頃に聞かされた、偉大な
だがそんなものが現実に存在していると今も思うほど、彼は夢の世界に生きてきたわけではない。
「皇位継承権を持ったアルトリウスが最後ということは……王族の方々であっても、この剣は抜けなかったというのですね」
「ええ、誰一人抜くことができたという話を聞きません。もちろんわたくしも子供の頃にやってみましたが抜けませんでした。ですからこの甲冑も聖剣も千年間動くことなく、ずっとここにあるのです」
この聖剣は誰もが触ることができるという。幼かった年頃のソフィアが柄を握って一所懸命に抜こうとした姿を思い浮かべて、ふふふと彼の頬が和らいだ。そんな彼をよそにお姫様は熱心に講義を続けた。
「この『エールセルジー』は古代帝国の運用した兵器の中でも特に強大な一つだったのです。そのため誰しもが簡単に扱えないよう細工されていると言います」
「ほう、だから動かせないと」
「これらの『機動甲冑』には強固な鍵のような物がかかっていて、我が国のあらゆる魔術師が総力を結しても解錠には至らなかったのです。この聖剣が何かしら作用しているのかもしれない――そんな説もあるようですが、誰も聖剣を抜けない以上真偽のほどはわかりません」
「皇位継承者がいなくなって動かせねぇ甲冑だけが残り、今はただの飾り物になってるってわけかぁ……なるほどな」
(現実離れした言い伝えって得てしてそういうモンだ。昔は動いたが今は動かない、だから動くものを見ることはできないんだ)
これが実際に動いたらきっと面白いことになるだろうがそう都合よく物事はできていない。そう思っていたシャルルの横でソフィアが笑みを浮かべて言った。
「シャルルにだったら抜けるかもしれませんわよ。いかがなさいますか」
「やめておきます。王家の血筋であらせられるソフィア様に抜けない
「わたくしよりもずっと力持ちなのに」
「この国で田舎者扱いされる俺に王家や貴族の御歴々ですら抜けない剣が抜けるとは思えません」
にべもなく言う彼をお姫様がジト目で見上げている。
「シャルルほど剣を見事に扱える騎士であれば、もしかしたら……そう思っていたのですが、ふーん、そうですか。わたくしの買いかぶりでしたか」
「わかりました。そこまでおっしゃるなら、やってみましょう」
本当に抜けるのか、いや、ただの装飾に違いない――。
だが、お姫様に抜いてみよと言われた手前、これに挑まずにあきらめるのは騎士の面目が
そのような気持ちでシャルルは聖剣の真正面に立ち、柄に両手をかけてしっかりと握りしめた。そして徐々に力を込めていくが、剣は微動だにしなかった。
「ふんッ。ぬおおおお……ッ!」
両腕だけではなく全身の筋肉を総動員してありったけの力を捻りだしたがびくともしない。心が折れそうになったシャルルは一度聖剣から手を離した。
「どうしたのです、シャルル。もう降参ですか」
「いえ、まだまだ。しかし手ごわいですね……何かコツのようなものは?」
「コツとは?」
お姫様が不思議な顔をして聞き返してきた。こちらが聞きたいぞと内心言いたいのをぐっとこらえて具体的に彼は尋ねる。
「この石板に何か書いていないのでしょうか」
「この剣は甲冑を扱う適性――ふさわしい血統、身体と精神の強さ、そして魔術的素養が備わるか否かを試す。適性を有する者がこれを握ったならば剣はおのずと鞘から離れるであろう――そのように書いてあります」
身体と精神の強さという一節が彼の脳裏に引っかかった。単に力任せではダメなのだろうと彼は理解したのである。
「もう一度やってみます」
シャルルは再び聖剣の柄を握りしめた。
ぐっと力を込め、意志を流し込むように剣を引き抜こうとする。
(まじで抜けんのか、ただのレプリカじゃねぇのか)
剣の形をしただけの記念碑か何かじゃないか、と疑ってしまうほど、どんなに力を込めても抜けない。腕だけでなく全身に力を込めて足腰の踏ん張りで抜きにかかってもだ。普通ならここで諦めるところだ。
(俺だって庶子だが征服王アルテュールの息子だぜ。俺にだって誇りがある)
しかし、シャルルは諦めが悪かった。
仕えた父を失い、父が彼と一緒に育てた子飼いの精鋭たちを失い、愛した許嫁をも失った――今はこれ以上失うものが何もなくなって、
この国の人間が彼を認めないなら、いつか鼻を明かしてやりたい――そんな負けん気もある。目の前に聳え立つ巨像を見上げ、シャルルは眼光鋭くにらみつけた。
(千年間ずっとここで待ってたんだろ。アルトリウスに代わる新しい主人を……お前を乗りこなせたら、俺は地の果てまでだって駆けてやるぜ。千年も寝てたお前を叩き起こしてもう一度戦いに連れていってやるんだ!)
彼を無言で見下ろす騎士甲冑。それを睨み付け、渾身の力を振り絞って咆哮した。
「ぬぅぅぅおおおぉぉぉッ、抜けろおおおおおおぉぉぉッ!!」
叫ぶと同時に奔る閃光。
隙間なく埋め合わさった鞘と剣のつなぎ目に眩い光の筋が迸る。
その瞬間、目を開けていられないほどの光に包まれたのであった。
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