第15話 剣術指南役
王国への仕官という新たな糸口を見出したシャルルの面接が終わった。面接官たちは持ち帰って検討したいと言い残して引き揚げていった。
元の世界に戻ることの叶わない異世界に来てしまった――そう思い知ったばかりのシャルルには新たな道標が必要だった。
元の世界に帰るのでなく、この世界で生きていける確信という道標が――。
シャルル自身には並外れた努力と忍耐力で生まれの卑しさを跳ね返してきた確信がある。どんな環境に陥っても生き残ってきたしぶとさが武人として生きていく自信となっていた。
つまり彼に今必要なのは武人の才覚を存分に発揮する戦場である。
剣術の腕前を披露する最前線――アグネアが言っていた『抜刀隊』とやらに加わることができれば、身命を惜しまず戦ってやる。
若く屈強な五体にはそんな気概があふれていた。
「どうでしたか? シャルル、アグネア」
控室で待っていたお姫様が戻ってきた二人に尋ねる。アグネアが答えた。
「正規軍剣士の精鋭『抜刀隊』に彼を推挙しておきました。いったん持ち帰って検討するそうです」
「まぁ……よい結果が出るとよいですわね」
「ご助力ありがとうございます、ソフィア様」
軍務府で面接の完了を見届けた王女ソフィアは軍務府庁舎からほど近い王城通用門まで二人に送り届けられた。
「アグネア、今日はありがとうございました」
「いえ、また何かございましたらお声がけください」
「シャルル、今日はご苦労様でした。それではごきげんよう」
「はい、ソフィア様。今日は朝からありがとうございました」
会釈して通用門の向こう側に微笑むお姫様が帰っていった後、アグネアが彼にこう言った。
「さっき家で話した剣の修練場のことだが……せっかくなので見てゆくか?」
「そりゃありがたい。拝見させていただくよ」
「ちょうど帰り道が重なるからな。家で木剣を拾ってから行くとよいだろう」
途中、シャルルの邸宅で木剣を回収してから二人はクラウディウス伯爵家の屋敷を目指した。アグネアについていくと道はどんどん郊外に向かって、軒を連ねた家々がまばらになっていく。
「貴族の屋敷はもっと王城から近いところにあると思ってたんだが」
「普通はそうだ。本邸は王城の近くにあるんだが手狭で……だから私は郊外の別邸に好んで住んでいるんだ」
王都の端に近い場所、庭木と柵で覆われた広い庭をもつ屋敷が見えてきた。
「ずいぶん大きい庭の屋敷があるぞ……ひょっとしてあれか」
「ああ、当家の別邸だ。馬小屋と訓練用の馬場も備えている」
「あれ、庭じゃなくて馬場なのか……すごいな……」
馬場を駆けている駿馬が一頭。鞍上の茶色い髪をした誰かがこちらに気づいたか、馬を止め手を振っている。目を細めた彼がつぶやいた。
「あれは……」
「私の姪、オクタウィアだ」
「よく気付いたな。ここまで何百ヤードはあるぞ」
「姪は生まれつき目がよすぎるのでな。特殊能力というやつだ」
やがて屋敷の正門の前に着くと、茶色い髪を肩にかからない程度に切り揃えた少女が待っていた。年齢は王女ソフィアと同じくらいであろうか。とりわけ特徴的なのは右の瞳が緑色、左の瞳が紫色という色違いの目であった。
少女はスカートではなく男性と同じようにズボンを穿いている。乗馬に適した服装を選んだのだろう。着慣れた風に見えるところ、日常的に馬に乗っているようだ。
「叔母様、おかえりなさいませ」
「ただいま、オクタウィア。紹介したい人がいて連れてきた」
アグネアがそう告げるのを待って、彼はひざまずいてお辞儀をした。
「はじめまして、お嬢さん。俺の名はシャルル・アントワーヌ。どうぞよろしく」
「お名前は叔母から聞き及んでおります。クラウディウス伯ユスティティアの長女でオクタウィア・クラウディアといいます。どうぞお見知りおきを」
シャルルは道中アグネアの家族構成について説明を受けていた。
アグネア――本当の名はラエティティア・クラウディアというが、姉に伯爵家当主である軍務卿ユスティティアがおり、その一人娘がオクタウィアであるという。
「オクタウィアは年の離れた姉の娘なんだ。姉から預かって面倒を見ている。その他にも貴族の子女をお預かりして一緒に鍛えているんだ」
「なるほどな」
「騎士殿にはうちの修練場に来てもらって、私が面倒を見ている教え子たちに剣技の稽古をつけてもらえると助かる」
「その程度であれば喜んで引き受けるぜ。俺も暇を持て余すつもりはねぇんだ」
「なら決まりだ。ほかにもうちで預かって武術を教えている貴族の子女がいるんだが彼女たちはまた後日紹介しよう。先に騎士殿に見せたいものがあるんだ」
シャルルはアグネアによって武器庫へと連れていかれた。短剣、片手剣、両手剣、槍――いろいろな長さの武器が揃っている。
「せっかくだ。この中に貴殿の手になじむものがあったら一本差し上げよう」
「いいのかッ、ありがとう。助かるよ」
気前よくそう言ったアグネアを尻目に、彼はいろいろな剣を触って感触を確かめていった。その中でほこりをかぶっていた一本の剣が彼の目に留まった。鞘を手に取り柄を握り締めて引き抜くと、使い込まれていないのか綺麗な刀身が露わになる。
「これを試してみたいな。外で振ってみてもいいか」
「そいつは長剣にしては使いどころが難しい剣で誰も使いたがらなかった。ほとんど汚れていないのはそれが理由だ」
その長剣は他の剣より一回り長い。しかし、彼女たちより体格が大きい彼に合っているのではないか、そんな気がした。
彼はその剣を収めた鞘を腰に当てた。両手剣に比べると短いので、腰に携帯できるほどの大きさに収まっているようであった。
「うん、これぐらいがよさそうだ。抜剣させてもらうぜ」
そして鞘から刀身を抜き放つ。胸の前で柄を持ち、陽の光を浴びてギラギラと輝く刀身を眼前に垂直に立ててじっと凝視する。
こうすることで自分の生命を預ける剣と「対話」するのだと――そのように父から教わったままに剣の感触を確かめた。
「いい感じだ、ふんッ」
敵がいると見立てて剣をふるう。彼だけに見える敵の影をいなして斬っていく。
取り扱いが難しくて誰も使おうとしなかった剣を難なく振るった彼を目の当たりにして、アグネアとオクタウィアは言葉を失っていた。
「……気に入った。この剣をいただきたいがかまわねぇか」
「ああ、当家で持て余していた剣だからな。かまわないさ」
その後、訓練用の木剣に持ち替えて、シャルルはアグネアと一戦交えた。
実力は伯仲していたものの、数分の試合を終えた後はシャルルのほうがまだ余力を残していた。
「お手合わせありがとう。こんどはなんとかアグネア殿に負けずに済んだな」
「いえ、こちらこそ。前回は魔術を使ったからな。純粋な剣の取り扱いは私よりも騎士殿のほうがずっと優れているようだ。今のを見てどう思う、オクタウィア」
「はい、お側で拝見して圧倒されてしまいました」
「お前も騎士殿と手合わせしてみるがいい」
アグネアから木剣を渡されたオクタウィアは一礼するとシャルルに相対した。
「お先にどうぞ。先手はお嬢さんに差し上げるから」
シャルルがすました顔で手招きをするが、オクタウィアはどう斬りかかってよいか考えあぐねていた。先手のほうが有利なのは間違いないが、あまりにも余裕を示した彼の真意が気にかかる。
オクタウィアは少しずつ距離を詰めていき、ダッと飛び込んで木剣を突き出した。すると彼は軽く受け流して木剣をはじき返してしまう。何度か木剣を振るっても結果は同じであった。
「やああッ!」
柄を両手で握り、刺突の構えを見せたオクタウィアは彼の懐に飛び込もうとする。しかし剣筋を読んだ彼がそこに自分の木剣を構えて上に弾いてしまった。がら空きになった首元に彼が鋭利なものを突き付け、オクタウィアの身体は恐怖に硬直した。
「チェックメイトだな、お嬢さん」
「……驚いたな。先日まで一切言葉が分からなかったのに古代語まで学んでいるのか。恐れ入った」
「ん? 何のことだ」
「いやいや、侍女殿の教育の賜物だと感心しただけさ」
そう口にしたアグネアは姪に向かって言葉をかける。
「どうだ、オクタウィア。騎士殿と剣を交えた気分は」
緊張が解けてへなへなと尻餅をついた彼女にすっと歩み寄って右手を差し出し、彼はこう言った。
「この小枝が懐から抜いたダガーの刃だったら、お嬢さんの命運はここで尽きているところだぜ」
「はい、迂闊でした……どんなに打ち込んでも弾かれてしまうので思い切って内側に飛び込もうと考えましたが、むしろ私が間合いに踏み込まれてしまいました」
「実戦じゃ敵がどんな手段を使うかわからねぇんだ。相手の懐に入ろうとして逆手に取られることだってある。いつどんな時も注意を怠っちゃいけねぇよ」
「わかりました。ありがとうございます」
差し出された手を握って、オクタウィアは立ちあがった。その手を握り締めて彼の身体のたくましさがわかった。彼の体格なら本気になれば木剣であっても骨を砕けるだろう。そうならず済んでいるのは明らかに彼の手加減のおかげである。そのような実感がオクタウィアにはあった。
「自分の未熟さがよくわかりました。もっと修練を積みたいので、どうかこれからもよろしくお願いします」
「これで晴れて当家の剣術指南役だ。よかったな、騎士殿。期待している」
「ありがとう。まかせとけ!」
こうしてシャルルは伯爵令嬢オクタウィアの剣術指南役として実力を認められた。親しげに言葉を交わした二人の横で少女がじっと上目遣いで彼を見ている。
「ん、どうした。お嬢さん」
「あの、差し支えなければ……『師範』とお呼びしてよろしいでしょうか」
「かまわねぇよ、俺も『お嬢』って呼ばせてもらうから」
「ありがとうございます。師範に教えを乞うてますます精進したいと思います」
そのやり取りを見守っていたアグネアは彼と目を合わせ、満足そうに頷いた。
***
一方、そのオクタウィアの実母である第二軍務卿ユスティティア・クラウディアはある板挟みに悩んでいた。
第二王女ソフィアからシャルル・アントワーヌというさすらいの騎士を武官に登用してもらえないかと改めて要請があった一方で、軍部内の派閥から「女王陛下の御楯たる武官に流浪人を登用するなどもってのほか」と強い反発が起きていた。
(メガイラ殿下は件の騎士の謁見の際、あの者を王都に留め置くべきではないと口にされていた。きっとそんな殿下の意向を受けているのだろう)
王族でありながら政務より軍務に明るく、他の王族のように輿に乗ることなく自ら騎馬して従軍するメガイラ王女は軍部に対する隠然たる発言力を持っていた。それを追認する形で女王ディアナ十四世は従妹のメガイラを「第一軍務卿」という名誉職に据えて、ユスティティアを第二軍務卿として事務方の最高位に任命している。
多くの場合、第一軍務卿メガイラは実務に介入せずに第二軍務卿ユスティティアが実務を取り仕切っているのだが、まれに行動を起こすことがあった。縁戚関係にある大蔵卿コンスタンティアが主導する国家予算の削減が軍部に及んだ際は自ら動いて、国防のために必要な予算を削れば国が亡ぶ、容認できないと大蔵府の官僚に詰め寄り撤回させた。
権勢を誇る大蔵卿が説得を試みてもメガイラには歯が立たなかった。数多くの官庁が軒並み予算を削られた中、ただでさえ人手不足気味の軍部が定員を削られずに済んだのはひとえにメガイラの功績である。名誉職でありながら軍内部の人望を集めて、一大派閥を形成するに至った彼女の意向は容易に無視できなかった。
(ソフィア殿下からの要請も無下にはしたくないが……どうしたものか)
他方、第二王女ソフィアは女王ディアナ十四世の次女――いわゆる直宮であるものの、軍務に全く関わりを持ってこなかった王族と認知されている。軍部の人間には現場を知らない「やんごとなきお方」と映らなくもない。
王位後継者ではないソフィアが王都を離れて育てられた一時期、クラウディア家の領地で預かっていた縁がユスティティアにはあった。娘のオクタウィアと同年代でもある王女が外交に政務に尽力している姿を知るだけに、手助けとなって差し上げたい気持ちも少なからずある。
(しかし、今はまだ時期尚早かもしれない)
ユスティティアの権限でさすらいの騎士シャルル・アントワーヌを正規軍の武官に登用することはできなくもなかった。
しかし、今の時点でそれを強行すれば軍の組織内に軋轢を生むことが避けられず、ひいてはソフィアに対する反発を生むことにもなりかねない。それは避けたい。
ソフィアの要請とソフィア自身の立場――それらを天秤にかけたユスティティアは異国の騎士シャルル・アントワーヌの武官登用を見送る決定を下したのであった。
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