第14話 図書館デート(2)

「さて、そろそろ正午になりますわね。一度、ヘレナのもとに戻って、正餐せいさんにいたしましょうか」

 図書館で借りた本を両手で抱えて、シャルルは邸宅へ戻る王女様を追った。

「そういえば、ヘレナに訊ねたという質問にお答えしていませんでしたね――この国に戦争はないのか、でしたか?」

 帰る道すがら王女との会話は続いていた。王女はシャルルの問いを保留していたことを思い出した。

「はい。この国はとても平和な国に見えましたので」

「平和な国――果たしてそうでしょうか」

 王女は歩みを止める。つられて一歩後ろをついてゆくシャルルもまた立ち止まった。王女は雲一つない天を仰いでつぶやいた。

「たしかに、百年以上この国は戦禍から無縁でした。しかし、この国はゆるやかに滅びへと向かっています。少なくともわたくしはそう考えています」

 振り返った王女は思いもよらぬ言葉を聞いて呆然としているシャルルを目の当たりにした。彼女の意図がわからないでいる騎士に彼女はこんな問いを投げかけた。

「今朝シャルルが食べたもの、それは何でしたか?」

「ライ麦パンと野菜のスープでしたが、それが何か」

 彼の答えに王女は一つ頷いただけだった。まるで、そんな答えが返ってくることなど初めからわかっていたかのように。そして、この市街を見下ろす大きな山体を指さして言った。

「火山の麓にあるこの王都では小麦がとても貴重なのです。とても小麦だけのパンは作れないので、ライ麦を混ぜています。地方に行けば燕麦エンバクを混ぜることもあるそうです」

「それは……ここでは穀物が育たないということでしょうか?」

 大きな成層火山〝ルキア〟の山麓に存在する王都ルーナは、飲用にも適した自然の湧き水や温泉という恵みが得られる一方で、小麦に向いた耕作地が無いのだと王女は語った。

「あなたが食べたライ麦パンに入っている小麦は、直轄領の土壌から得ることができません。王都の民のほとんどは小麦の少ないもっと黒くて硬いパンを食べています。そのライ麦でさえも食糧自給に充分な量ではないのですが」

「つまり、食糧自給に問題を抱えている、と」

 ソフィアは頷いた。

「この王都には火山の恵みがあります。古代帝国から受け継いだ高度な文明の残滓ざんしもあります。しかし、それですべてが解決するわけではありません。パンを作る小麦はこのルーナで得ることができません。それらの大部分は、わたくしたちが越えてきたあの高地の向こう側、テッサリアで栽培されたものです」

 テッサリアという名前に聞き覚えがあった。

 王女に初めて会ったとき、シャルルはここがどこかと尋ねた。そのとき王女は言った――ここはテッサリア地方の北の端である――と。つまり、シャルルが王女に拾われた場所から南がテッサリアと呼ばれる土地であるということだ。

「テッサリアは本来、王国の食糧庫として無くてはならない土地でした。ですが、この百年で王政が弱まったために、あの尾根の向こう側まで統治が及ばなくなっていきました――豪族が力を得た今では、肥沃な土地をめぐって小競り合いが絶えません。そんな土地から小麦を買わなくては、わたくしたちは立ち行かないのです」

 食うに事欠くことは軍隊の運用に大きく支障をきたす。ゆえに兵站の確保、とりわけ安全な水と食糧の確保が肝要だという理解はシャルルにもあった。

 だが、彼の国はもともと大陸有数の農業国であり、遠征で兵糧の確保に難儀することはあれど、国家として慢性的に食糧自給に窮することはほとんどなかった。

「たくさんの穀物が得られた豊かな土地は戦乱で荒れてゆきました。収穫が少なくなった分、豪族たちは穀物に高い税率をかけています。重税に苦しむ民が王都へ直訴することも増えました。ゆるやかに、しかし確実にこの国は滅びへと向かっている――わたくしはそう考えています」

 たった十七歳の乙女が国のゆく末をこれほどまで危惧していることにシャルルは驚いていた。自分が十七歳の頃はどうだっただろうか、父に仇なす敵や異教徒たちを戦場で蹴散らすことが全てであったように思われる。


 それから程なく邸宅に戻った二人を、食事の準備を済ませたヘレナがにこやかに待っていた。

「おかえりなさいませ、王女様、シャルル様。図書館で本を借りてこられたのですね」

「ええ。シャルル、本を応接室に置いてきて。先に食事にいたしましょう」

 いくつもの本を抱えて両手のふさがったシャルルに代わって、ヘレナが応接室の扉を開けてくれた。午後はきっとこれらの本を読むことになるのだろう。

 昨日邸宅を掃除したメイドたちが食堂に座ったソフィア王女とシャルルの給仕を務めていた。そんな彼女たちに一つひとつ的確な指示を下しているヘレナはさながら家令のようだ。侍女だけではなく、いずれは王族や貴族に仕える家令となっていくのかもしれない。

 王女と彼の前には様々な料理が配膳されていた。新鮮な羊肉を香草で煮込んだもの、天然の温泉で茹でて殻が黒くなった卵、野菜のピクルスやスープなどだ。王女様をお迎えするとあってやや豪華ではあるが、彼が許嫁と食べていた貴族の正餐に比べるとやや質素に感じる。

 王女が食事に手をつけるのをシャルルが待っていると、彼女はこう呼び掛けた。

「シャルル、これがこの国の貴族が取る食事です。もしかしたら、あなたの国よりも少なく感じるかもしれませんが、味は保証いたしますわ」

「いいえ、戦場で食べてきた食事よりはるかに豪華なものです。ありがたくいただきます」

 実際に口に運んでみると、質素な見た目以上にずっと美味しく感じた。蜂蜜に漬けた添え物があったり、限られた食材からできる限り美味を引き出しているように思われる。王女と彼のために、ヘレナたちがこの料理を仕込んだことを噛みしめつつ味わった。あまりにも美味しそうなその食べっぷりをじっと見つめていたヘレナが一言。

「シャルル様はよほどお腹が空いていたのですか?」

 他にも何かお作りいたしましょうか――と言いかけた彼女をシャルルは慌てて制する。

「いや、それには及びません。美味しい料理をありがとうございました」

 ソフィア王女の手前、丁寧な言葉でヘレナをはじめメイドたちに礼を言った。


 正餐のあと、王女が好んで嗜むリンゴ酒をわけてもらい、シャルルも一緒に飲んだ。お腹と心が満たされた王女様は、日光が射し込んで小春日和のような暖かさに包まれた応接間で椅子に腰掛けたままお昼寝をしていた。

「王女様も朝から図書館でお疲れになったのでしょうね」

 正餐の後片付けを終えて、王城へ帰るお手伝いのメイドたちを見送ったヘレナが膝掛けを持ってきた。王女の膝元へかけた後、シャルルにも差し出してくれる。

「シャルル様も少しお休みになりますか?」

「そうだね、書物を読み込んで頭が疲れたよ」

「それでは疲れを緩和するお香を焚いてみましょうか」

「ああ、頼む」

 ラベンダーの香りであろうか、ヘレナが焚くお香によって客人を迎えた応接間がたちまち休息の部屋へと一変した。ぽかぽかとした陽気の中で、しばらくシャルルはまどろんだ。


 ――シャルル。ねえ、シャルル。一緒に遊びましょう?


 懐かしい声を聴いた。もう聴くことはないだろうと思っていた、懐かしい声を。


 ――ねえ、みて、これ作ったの。すごいでしょう。


 昔、一緒に遊んだ幼なじみの女の子が花々を編んで作った王冠を手にしている。


 ――いつかシャルルと結婚して、シャルルは王様に、カトリーヌは王妃様になるの。


 カトリーヌと名乗った女の子は彼の出身地、プロヴァンス近郊に領地をもっていたある貴族の娘だった。

 美貌だったが政治的後ろ盾を持たない身分の女に産ませた庶子に外戚を持たせたいと考えた彼の父と、庶子とはいえ王子と婚姻を結んで外戚となることで家門を発展させようとした彼女の父の思惑によって引き合わされた同士――つまり、親同士が決めた許嫁だ。

 それはさておき、シャルルと彼女は惹かれあう間柄となっていった。十一歳で初陣を迎えた彼は戦場に身を置くことが多かったが、彼が戻ると聞くやカトリーヌは必ずと言ってよいほど彼を訪ねてきたくらい、仲が良かったのだ。


 ――シャルル、起きなさい。


 まただ。俺は疲れているんだ、と昼寝をしているところにだって、カトリーヌは遠慮なくやってくる。幼なじみだし許嫁という間柄だし、仕方のないことであるが。

「シャルル、起きなさい……シャルル」

 眠いんだから起こさないでくれよ、と毛布をかぶる。その上から肩をゆすられる。

「シャルル!」

「あっ……ソフィア様」

 そこにいたのは幼なじみではなく、一時間半ほどのお昼寝から先に目覚めたソフィア王女である。

「申し訳ございません。目が疲れたので休んでおりました」

「いえ、わたくしもお腹がいっぱいになったところに甘いリンゴ酒を呑んで、眠くなってしまいましたから」

 軽く昼寝を取ったことに加え、お香のおかげで緊張もほぐれている。うーんと伸びをした王女は応接間の真ん中にあるテーブルの上に積み重ねた本の中から一冊の本を取り出した。

「さて、次は歴史の本を読みましょうか。もしお疲れなら、わたくしが読んで差し上げますから」

 その内容はきっと王女様の頭の中に入っているのであろう。パラパラと本をめくっては素早くページを見つけてあらすじを語るソフィアに、シャルルはただ驚くばかりだった。


 ――神話の時代に建国された古代ルナティアは、代々月の女神の血を引く女王によって継承された。一方、太陽神の血を引く男性の帝王はルナティアよりはるかに広大な土地を征服し、そこを領土とする古代帝国を建国した。

 古代ルナティアは古代帝国から皇子を配偶者に迎えることで、何代にもわたって固い縁戚関係を結んでいった。

 古代帝国は高度な文明を持っていた。王都ルーナに残る遺構はその一端である。

 千年沈まない太陽の帝国――そのように詩人が謳ったほどの繁栄、それは数百年前に転機を迎えた。


 帝国の北には未開の土地が広がっていた。そこには邪な蛮族たちがはびこって、帝国をたびたび脅かす存在であった。

 ある時、いくつもの勢力にわかれていた蛮族たちは一人の帝王のもとに征服王朝を打ち立てた。

 巨大な体躯を持った蛮族たちは北方から国土を侵食し、蹂躙していった。山河は敗れ去った兵隊の血に染まり、なぶり殺された臣民たちの遺体で埋め尽くされた。恐怖に震え上がったものたちは蛮族の帝王を『魔王』と呼んで恐れおののいた。

 だが、侵略される帝国も黙って看過していたわけではない。体躯で劣る彼らは巨大な甲冑を作り、それを魔術で制御する仕組みを発明した。その甲冑を纏って戦う騎士たちは『資格者』ソードホルダーと呼ばれ、古代帝国の精鋭部隊とされている。


 古代帝国と縁戚関係を結んだ古代ルナティアにも『資格者』ソードホルダーが存在した。そのひとりが近代ルナティア王家の父と伝わる、資格者アルトリウスである。

 古代帝国の皇子であり、乙女ディアナの夫でもあった彼は『エールセルジー』と名付けられたケンタウロスの姿をした巨大な甲冑を自在に操って、王国へ押し寄せる蛮族を幾度も返り討ちにした救国の英雄であった。アルトリウスは古代帝国とともに騎士団を編制し、蛮族の侵攻を食い止めた。

 侵攻が遅々として進まないことに業を煮やした魔王の親征を彼は好機ととらえ、これを迎え撃った。この戦争で魔王は討ち果たされたのだが、兵役に従事した男性のほぼすべてが死に絶えていった。資格者アルトリウスもまた、魔王と刺し違えるという壮絶な最期を遂げたと伝わる。


 こうして、この大陸において人類種の男性は絶滅へと向かっていった。


 男系によって継承されてきた古代帝国は蛮族に勝利したものの、皇統の断絶という破局的な終末を迎えることになる。

 屋台骨を失った帝国は自然消滅的に解体され、その高度な文明はすたれ、今日の近代ルナティア王国に残るものを除いて過去の遺跡と化してゆくのである――。


「ソフィア様。なぜ、ルナティアは滅びることなく残ったのでしょうか?」

 王女様による歴史の講義が一区切りしたとき、シャルルはそんな質問を投げかけていた。彼女の答えは明快であった。

「それはこの王都の地理的な条件によると思います」

 王女は先ほどまでの本の代わりに、地図を手にしていた。

 それは王国の版図を示したものとわかった。大陸を北西から南東に向かって分断する山脈があり、その西側に流れ下るいくつもの川が合わさった先に山岳と王城、そのまた先には海が描かれている。

「王都ルーナはルキア火山のふもとにありますが、この火山から西側にはこの大陸で最も広い湿原が広がっています。湿原を貫くように東の山脈から西の大海に向かって大河が流れ、その南岸には東西に高地が延びて、ともに天然の要害として王都を守っています」

 たしかに、彼がソフィア王女たちとともに乗り越えてきた峠道を思い起こすと、峠はいわゆる隘路――狭くて険しい道となっており、大軍を動かすには困難な道のりであった。

 かりにその険しい道を越えてきたとしても、王都の手前には水量が豊富な川幅の広い大河が流れており、ここを越えるのは容易ではない。守りが堅牢な王都を攻め落とすには時間を要するし、穀倉地帯から離れているために兵站を維持し続けることも難しい。それらの地理的条件を考えると、攻め落とすには割に合わない都市であるといえる。

「その一方で、あの高地が立ちふさがっているために、王都と高地の向こう側の土地の行き来は困難です。高地の向こう側にあるテッサリアは穀倉地帯、さらに南のサロニカは他国との交易が盛んな商業都市としてともに重要な場所ですが、いずれも豪族の手にあります。今はやむを得ず、豪族たちから税を上乗せした高い小麦を買っている状況です」

「豪族を討伐しないのはなぜですか?」

「それができるものならやっています」

 王都だけではそれに必要な兵力を動員できないのです。兵糧も足りません――王女はそう言った。

「王国に軍隊は存在しないのですか?」

「いいえ、軍隊自体は存在します。少数精鋭ですが、とても優秀な部隊です。ただ、絶対的な数が足りないのが最大の問題です。もし軍事について関心があるようでしたら、アグネアに訊けばもっと具体的に教えてくれるかと思います。シャルルが剣術の指南役として役立っていると直接耳にしたくらいですから、きっと前向きに協力してくれることでしょう」

「そうですね、もしお話が伺えるのでしたら」

 軍事はシャルルの得意分野である。父から学んだことのほとんどが軍事に結びついているといってよい。十歳で近衛騎士団の一員となってから、そのほとんどの時間を軍隊とともに過ごした彼にとって、軍事とは人生そのものであった。

「明日は博物館へ出かけましょうか。古代帝国の兵器や『資格者』ソードホルダーにまつわる遺構なども残っていますから、きっとシャルルも退屈せずに済むのではないでしょうか。ふふふっ!」

 本をずっと読んで、目に疲れを覚え始めていたシャルルを見透かしたかのような王女の笑みに、彼はただ恐縮して苦笑するしかなかった。

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