第二幕:見知らぬ国「ルナティア」

第4話 女王への謁見

 翌朝、シャルルは宿場町の高台から景色を眺めていた。というのは表向きの理由であり、本当は地形と植生を観察していた。

 昨日越えてきた山の峠に切り通しを掘って関所を築き、南方への防備を固めているようだ。関所を北に抜けた先にこの宿場町があるところを見ると、関所の北と南では異なる勢力圏なのかもしれない。

 北へ開けた宿場町から今まで望めなかった景色が見渡せた。

 真北には円錐形の大きな独立峰が白い噴煙を上げている。その頂上付近は故郷から望んだアルプスの山々のように白く冠雪しており、山の麓には東西方向に大きな川が流れていた。

 辺りには荒涼とした土地が広がって、大きな川の周辺には湿原と草原があるようだ。その代わり大きな森林はほとんどない。背丈の低い木が所々に生えている程度である。

 熱心に観察を続けていたところ、銀髪の侍女が彼のもとにやってきた。


「騎士様、そろそろ出発でございます」

「風景に見とれて時を忘れちまった。さぁ戻ろう」


 関所の近くの宿場町を発った王女一行。

 宿場町から街道は再び北東と北西の二つの方向に分かれ、そのうち北西に向かって一行は進んでいく。

 なだらかな下り坂を進むと最初は遠くに見えた大河の流れが近づいてきた。標高が下がってきているのだ。


「この先でアルフェウス河を渡ると王都ルーナでございます」


 馬車の窓を開けて前方の景色を見た。大河の対岸に城壁に囲まれた都市があった。その手前、街道と大河の交差する箇所には渡し船が停泊した船着き場があるようだ。馬車もそのまま乗ることができるほど大きな渡し船である。

 船着き場の前でシャルルは王女と侍女と一緒に馬車を下りた。一行を乗せた渡し船は桟橋を離れて大河を渡り始めた。

 対岸に振り向くと目に飛び込んでくるのは火山の広い裾野。その一角の小高い丘陵の上にそびえ立つ白亜の城。それを取り囲むように広がる傾斜のある城下町――昨日まで人のいない景色に慣れていた目には印象的な風景であった。


(これが王都ルーナ……初めて聞く名前だが、立派な街並みじゃねぇか……)


 城下町から見て大河の手前には堤防を兼ねた土塁と長城が築かれている。外からは攻めにくく、内からは守りやすい地形を生かした城塞都市のように思われた。

 ゆっくりと対岸が近づく。やがて渡し船は都市の入口へ向かう桟橋に接岸された。城下町の桟橋は城壁の外側にあり木造になっている。都市に石造りの建造物が目立つのに対してここが木造になっている理由は、浮力の確保に加えて外敵から攻められた時に壊すのを容易にするためであろうか。

 このような堅固な守りを窺わせる作りを見たところ、やはりこの都市が重要な場所であることは間違いない――シャルルはそのように分析していた。


「ソフィア王女殿下、ご帰還にあらせられるぞッ。開門!」


 アグネアが声を張り上げると、桟橋に面した城門が真っ二つに割れて分厚い門扉もんぴが開いていった。堅固な城塞に開かれた入口から王都へ入った王女一行は緩やかに丘を登る石畳の坂を進んでいく。


(町も道路が石材で舗装されてる。こいつぁまるでローマの遺跡だぜ……道の上には排泄物ひとつねぇ。それどころか家畜一匹すらいねぇ……)


 馬車の窓から外を見ていたシャルルには驚くばかりの光景が広がっていた。

 およそ彼が想像したどんな都市よりもこの王都ははるかに道路が整備されており、彼の常識を圧倒した。

 やがて王女一行は丘の上の城へ到着した。いつの間にかアグネアが馬上から降りて手綱を引いて歩いていることに気づいた。


「騎士様、先に降りてくださいますか」


 馬車の扉を開けた侍女ヘレナに促されて、彼は馬車から降りた。同行した者たちが皆ひざまずいている。その先に二十代前半くらい、高貴な身なりの女性が背筋を伸ばして待ち構えていた。


「王太子ベアトリクス王女殿下の御前でございます」


 ヘレナがこう耳打ちしてくれたおかげで状況を理解した栗色の髪の騎士シャルルも他の者たちにならってひざまずいた。

 その横を続いて馬車から降りてきた金髪碧眼の王女が通り過ぎて、出迎えに立った王太子に跪礼カーテシーを行った。


「ただいま戻りました。王太子殿下おねえさま

「遠路お疲れ様でした、ソフィア。女王陛下おかあさまがお待ちかねですよ。ご挨拶なさい」


 王女ソフィアが王太子ベアトリクスとともに城内へ消えていく。その直前に赤髪の武官アグネアがソフィアと二言、三言ほど交わしたのがわかった。

 その後、王女を無事に送り届けた一人ひとりの労をアグネアがねぎらって、隊の解散が宣言された。少しでも早く隊を解散して皆を休ませたいとの王女の意向らしい。これまで王女に付き従ってきた者たちはアグネア、ヘレナ、そしてシャルルの三人を残して帰っていった。


「すぐに私たちにもお呼びがかかると存じます」


 ヘレナがそのようにシャルルに告げてから五分ほど、王女が城内に消えてから十五分くらい経った頃であろうか、ソフィアが一人で戻ってきた。


「待たせてごめんなさい。皆を謁見えっけんにお連れするようにと女王陛下が仰せです。さあ、行きましょう」


 こうしてソフィアに先導され女王が待つ謁見の間へと通された三人は女王の御前で一礼してひざまずいた。そして女王が声を掛けるのを静かに待つ。


「皆、よくぞ務めを果たしてくれました……大儀!」

「はっ!」


 椅子に座っている女王を中心に向かって左側に王太子ベアトリクス、右側に女官が立ち、両脇には幾人かの貴族たちと思われる身なりの女性が並んでいた。


「ラエティティア・クラウディア――使者を無事に守り通してくれて感謝します」

「はっ、ありがたき幸せに存じます」

「ヘレナ・トラキア――常日頃からのソフィアへの献身、いつもありがとう」

「畏れ入ります。女王陛下」


 栗色の髪の騎士の前に並んだ二人へのねぎらいの言葉がかけられた。少しの静寂の後、女王は王女ソフィアに向かって言葉をかけた。


「道中めずらしいものを拾ったと聞き及びました。紹介なさい、ソフィア」

「はい――シャルル。こちらへ」

「……はっ!」


 一番後ろに控えていた栗色の髪の騎士を王女ソフィアが前に呼んだ。王女から一歩下がったところへ進み出ると、彼は再びひざまずいてこうべれた。一斉に視線が集まる。緊張を覚えつつ顔を伏せたまま彼は言上ごんじょうした。

 

「この国の言語に親しくないため、無礼がある点をご承知しろください」


 瞬間、その場の空気が凍り付いたのがわかった。


「……フフフッ」


 口元を隠した女王がわずかに肩を震わせて笑っていた。

 

「申し訳ございません、女王陛下。この若者はわたくしが首飾りの魔術を施してからまだ日が浅く、敬語が得意でないようなのです。どうか平にご容赦を」


 言葉遣いを間違えたと知り、シャルルは恥じ入る気持ちでいっぱいだった。

 

「名をばシャルル・アントワーヌといいます。行き倒れになるところを王女殿下に命を救ってもらいました。お目通りの機会をもらい、恐悦至極です」


 微妙な言葉遣いだったが、なんとか名乗りを終えることができた。滝のように脂汗が垂れる。


「勇敢な騎士シャルル、王女から貴殿の働きを聞き及びました。面を上げなさい」


 女王の呼びかけに騎士は顔を上げた。ソフィアの母親らしく整ったブロンドの髪に厳かな雰囲気を美貌に湛えた女王の切れ長の目がわずかに動いたのを認めた。


「その武勇を余が娘ソフィアだけでなく使用人たちの身を守るため遺憾なく発揮してくれたと聞きました。とても感謝しています」

「はっ! 光栄です」

「聞くところによれば、街道を一人で彷徨さまよっていたそうですね。どこへ向かうつもりだったのですか」

「それが……さっぱりわからないんです」


 話を聞いていた他の貴族たちがどよめく。女王は片手を挙げてそれを鎮めた。


「邪魔が入りましたね。話を続けなさい、シャルル・アントワーヌ」

「どこから来てこの国に流れ着いたのか……全く心当たりがありません。どこにいるか知りたくて漁火いさりびを頼りに海沿いの漁村を目指しましたが、途中で凍えて動けなくなってしまい……死にかけたところを王女殿下に救ってもらいました」

「そうでしたか、それは苦労しましたね」


 ほんの少し、女王が考え込む。数秒の間を置き、女王はこう言った。


「ソフィアが貴殿を拾ったのは何か浅からぬ縁があったのでしょうか……娘の危機を救ってもらった恩もあります。余が娘の客人として貴殿の身分を保証し、この王都に滞在することを許しましょう。それが娘の願いでもあるようです」

「ありがとうございますッ、女王陛下」


 深く頭を下げたシャルルに、女王はこう呼びかけた。


「このルーナには古代から受け継いだ文物や書物が数多くあります。異国から学びに来る者も少なくありません。貴殿もその一員となるのです。図書館や博物館などへの出入りを認めます。そこでおのれがどこを目指すのか見出すがよいでしょう」


 こうして栗色の髪の騎士シャルル・アントワーヌはルナティア女王ディアナ十四世から王都への滞在を許された。


 ***


 騎士シャルルとの謁見を終えた女王ディアナ十四世は謁見を済ませた三人を控室に下がらせた。謁見の間には王太子ベアトリクス第一王女とソフィア第二王女、その他の貴族を残した。

 そして言葉を発しようとした女王の前に一歩進み出た者がいた。


「恐れながら、女王陛下」

「どうしたのですか、大蔵卿おおくらきょう


 大蔵卿――つまり国家財政を管掌する長官である。王国の財政を知り尽くしているだけでなく、王族に配偶者を送り出してきた名門の出身でもあり、王族に次ぐ権勢を誇る存在であった。ゆえに女王に対しても多少の物言いが許されている。

 その貴婦人はどこか恐れを知らぬような笑みを口元にたたえ、このように尋ねた。


「あのようにまともに喋れない田舎者をなぜ王都に留め置こうとなさるのですか」

けいはなぜそのようなつまらぬことを余に訊ねる。田舎者一人にかける公費を削る質素倹約がユリアヌス氏族の家訓とでも申すか、コンスタンティアよ」


 コンスタンティアと呼ばれた婦人は続く言葉を飲み込んだ。王都の貴族の中で最も広い屋敷を擁する氏族の当主である彼女に『質素倹約』という言葉はおよそ似つかわしくないものであった。


「わたくしからも一言よろしいでしょうか」

「発言を許します。第一軍務卿メガイラ」


 第一軍務卿と呼ばれた婦人は女王より数歳若い。女王の従妹にあたる傍系王族メガイラであった。二人の王女に次いで王位後継順位第三位に位置付けられている。


「これまで王都では国内外から前途有望な魔術師を数多く受け入れてまいりました。そのような者たちとあのみすぼらしい者を等しく扱うことには賛同いたしかねます」

「あの若者がとても前途有望には見えない。メガイラはそう言うのですか」

「われら正規軍の護衛に不手際があり、ソフィア王女の身を危うくした。その事実は遺憾でございます。さりとてあの者に王都に留め置くだけの価値があるかと言えば、そうは思えません」

「……お言葉ですが、メガイラ様」


 王女ソフィアが傍系王族の言葉を遮った。


「あの者にはどんな優れた魔術師も持ちえない特別な価値がございます。女王陛下と王太子殿下のお目にかけたいと思って連れ帰ったのです。それこそアルス・マグナの研究にも活かせるのではないかと」

「ふん……前途有望な『実験動物』ということでしょうか。それなら価値があるかもわかりませんね。どうも失礼いたしました」


 短く鼻で笑った軍務卿メガイラに、ぎゅっと結んだ口先に無理やり笑みを作った。そんな愛娘に女王はこんな言葉をかけた。

 

「生きた男性はこの国で大変に希少なもの……ソフィアはそう考えてあの者を連れてきたのですね。余も同感です。きっとアルス・マグナの研究にも役立つことでしょう」

「はい、それは間違いないと存じます。陛下」


 すかさず姉の王太子ベアトリクスも応じた。

 大いなる術アルス・マグナとはルナティア王国が誇る最高学府、王立の魔術研究機関に与えられた名前である。歴代の女王から庇護を受け、国内外の優れた魔術師を招聘し、高度な魔術研究を進めてきた歴史を持っている。その実質的な総裁こそ高名な魔術師としても知られていた王太子ベアトリクス第一王女であった。


「客人用の邸宅を用意させて、そこに住まわせましょう。あの者に関する研究は今後ベアトリクスに一任しますが、それ以外の身の回りの世話はソフィアに託します」

「……本当ですか、お母様」


 ソフィアが目を見開く。女王は頷いてこう続けた。


「使用人の人選などはソフィアに任せて、アルス・マグナに呼ぶ必要があればベアトリクスがソフィアに声を掛けるようにしなさい。何か異論はありますか、ソフィア」

「いいえ、ございません。ご配慮くださりありがとうございます」


 目を輝かせた王女ソフィアは恭しく頭を下げた。紆余曲折があったものの、王女は自身の手元に異邦から現れた騎士を置くことを許された。穏やかさを取り戻した笑みの裏側にその喜びを隠していたのである。


「今日はこれで解散しましょう。皆、下がりなさい――ベアトリクスとソフィアには別室で話したいことがあります」

「かしこまりました。陛下」


 貴族たちが謁見の間を立ち去ると、女王と二人の王女は隣の控室に移って十五分ほどの会談を行った。そこに立ち会ったのは女王に仕える侍従長トラキア伯だけでありどのような話し合いがもたれたのかは秘密とされている。

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