残された懸念
「もしかしたら、だけど……」
「お、おったおった! ス~ズリ~ン!」
一分ぶりに口を開くと、デタラメな関西弁が耳に入る。
歩きながら手を振っていたのは、案の定、
「ふ~、しんどかったわ~」
四風はネコのように目を閉じ、ぐーっと背筋を伸ばす。
その隙に
「何や、また隠れてしまうんか。ホンマ、スズリンは照れ屋さんやなあ」
四風は軽薄に笑い、涼璃の座っていた椅子に腰を下ろす。
男子の割に細い指は、当たり前のように座面を撫で回している。
「あ~、あったか。スズリンの温もりが残っとるわ~」
「お前、本当に気持ち悪いな」
真顔で言い、ディゲルはココアをあおる。
女子として抱かざるを得ない吐き気を、喉の奥に流し込んだのだろう。
「傷付くなあ。ウチは自分の気持ちに正直なだけや」
「……だから、キモいんだよ」
涼璃が吐き捨てると、一秒のラグもなくディゲルが頷く。
ここまでディゲルと意見が一致するのは、始めてかも知れない。
「のこのここんなところに来て、ハエ退治は終わったんだろうな?」
尋問するように問い掛け、ディゲルは四風に鋭い眼差しを向ける。
四風はディゲルや涼璃とは別行動を取り、ゾウに卵を産んだハエを追っていた。
まだターゲットが生きているなら、こちらに姿を見せることはないはずだ。
「それなりに手は焼かされたけどなあ」
四風は軽く手を振り、フーフーと息を吹き掛ける。
そうして手を冷ますと、瓦礫だらけの園内を見回した。
「こっちもこっちで、なかなか
「ああ、とっても素敵な目に
ディゲルは皮肉たっぷりに言い、〈
隊員たちは一瞬硬直し、次々とトイレに駆け込んだ。
強烈なプレッシャーによって、胃液が逆流してしまったのだろうか。
「……これでひとまずは安心かな」
「せや、ひとまずは、な」
四風は面倒そうに返し、サラサラの髪を掻き上げる。
「もしかしたら、他にも研究所に出入りした人間がおるかも知れん。動物園のお客さんかて、卵を産み付けられてないとは言い切れんやろ?」
「……確かに、こっそり卵を産むのは不可能じゃないよね」
人間から産まれたハエは、生首より一回りほど小さい。
ハエにしては規格外のサイズだが、「大きい生き物」とは言えないのも事実だ。
少なくとも、物陰に隠れ、人目に付かないようにするのは難しくないだろう。
その上、卵を産むための尾は、USBケーブルのように細い。
そっと触れられたら、気付くかどうかはかなり怪しい。
「動物園の客に関しては、現在一箇所に集めて、身元を確認中だ。今のところ、ハエは生まれてないが、しばらくは監視下に置くことになるだろうな」
「監視してても、ハエが生まれるのを防げるわけやあらへんしなあ。大体、〈
「……分かりきったことを抜かすな。相変わらずイヤミな男だな」
ディゲルは露骨に顔を歪め、額に手を当てる。
普段はチョコばかり口にしているディゲルだが、今晩ばかりは頭痛薬が欲しそうだ。
首のない死体が発見された際、〈
その後はすみやかに動物園を封鎖し、来園者を所定の場所に避難させていったと言う。
しかし〈
現場に辿り着いた時には、既に多くの客が退園していたことだろう。
あえて言うまでもないが、彼等の身元を知る手段はどこにもない。
「しばらくは厳戒態勢が続くだろうな。お前らにも、本部に常駐してもらうぞ」
「
四風は力強く拳を突き出し、グッ! と親指を立てる。
ワクワク感を全面に押し出した顔は、LOの発売日そのものだ。
「頼むから、都条例に
「お? ディゲルはんがスズリンの心配をするなんて、珍しいやん」
「だね。この間も権力者の機嫌を取るために、私を差し出そうとしたのに」
涼璃は目をこらし、ディゲルの顔を見つめてみる。
頬は赤くないし、鼻水も垂れていない。
検温してみないと断言は出来ないが、風邪を引いているわけではなさそうだ。
もしやハエの攻撃で、頭の機能に支障を
「お前らが反社会的な行動を起こすと、私が偉いオッサンに叱られるからな」
「……また保身か」
涼璃は肩を落とし、ディゲルに憐れみの目を向ける。
彼女も若い頃は、正義感に溢れていたはずだ。
一体何が、ディゲル・クーパーを汚い大人に変えてしまったのだろう。
「そう言えば、二人で何の話してたんや? 結構盛り上がってたみたいやけど」
四風はテーブルに身を乗り出し、ディゲルの顔を覗き込む。
両足をパタパタ振る姿は、わざとらしいほど無邪気だ。
「甘酸っぱいガールズトークだよ」
思わせぶりに笑い、ディゲルは涼璃の肩に手を回す。
乱暴に引っ張られたせいで、涼璃の髪はぐしゃぐしゃだ。
「何や、身体の悩みか? ロキソニンならあるで?」
心底気遣うように言い、四風はポケットを漁る。
「……お前にはデリカシーと言う概念がないのか」
涼璃は半自動的に顔を歪め、薄ら寒い肌を擦る。
今、涼璃の肌を見たら、誰もがこう言うだろう。
これは、
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