どーでもいい知識 蚊取り線香の材料はキクだった

「まさか、チョコが苦手だったのか? ほら、イヌやネコにチョコを喰わせると、中毒になるって言うじゃないか」


「う~ん、どっちかって言うと、こっちじゃないかな」


 涼璃すずりは少しだけ腰を浮かせ、左にある花壇を指す。


「花、だと?」


「バゴーギク。研究所から持って来た、あの花だよ」


 涼璃はポケットからスマホを出し、テーブルに置く。


 画面一杯に表示されているのは、キクに似た白い花。


 孤島の研究所に植えられていたのと、同じ植物だ。


「もう一度調べてみたんだけど、あの花、南米では虫よけに使われてるらしい」


「虫よけ?」


「うん、虫の嫌う成分があるんだって」


 涼璃は指を突き出し、くるくる回してみせる。


「ほら、昔の蚊取り線香って、キクから作られてたでしょ?」


「え、そうだったっけ?」


 ディゲルは答えに詰まり、大きく首をかしげる。

 実物を使ったことがあるはずなのに、すっかり忘れているらしい。


 鮮明に記憶しているのは、半世紀前の恨みだけなのだろうか。


「そうだよ。シロバナムシヨケギク。通称『ジョチュウギク』。地中海原産の植物だけど、日本でも栽培されてる。昔は蚊取り線香の材料として、今よりも大規模に栽培されてた」


「お前、花にも詳しいのか。偏差値が低い割に、随分物知りだな」


 呆れたように言い、ディゲルはココアを口に運ぶ。


「って言うか、虫に関わる話だし」


 涼璃は顔をしかめ、無意識に頬を膨らませる。


 他人の知能をディスるとは、ディゲル・クーパーも偉くなったものだ。

 アメリカ初代大統領を「エジソン」と答えたのは、別の誰かだったらしい。


「『シロバナ』ってことは、白い花を咲かせるのか?」


「うん、とってもきれいな花だよ。しかも、めしべの根元にある部分には、『ピレスロイド』って言う成分が含まれてる」


「『ピレスロイド』か。どこかで聞いた覚えがあるな」


 ディゲルは少し考え込み、ポンと手を打つ。


「ああ、そうだ。殺虫剤のCMだ」


「うん、ピレスロイドには虫を殺す働きがある。でも、人間には無害なんだ。だから、多くの殺虫剤に使われてる。今のピレスロイドは、化学的に合成されたものだけどね」


「もうシロバナムシヨケギクは使ってないのか?」


「観賞用としては、今も現役だけどね」


 余談だが、蚊取り線香で有名な「金鳥きんちょう」は、正式な社名を「大日本だいにほん除虫菊じょちゅうぎく」と言う。

 もちろん、社名の由来になったのは、蚊取り線香の材料だった「ジョチュウギク」だ。


「たぶん、バゴーギクもピレスロイドみたいな成分を持ってるんだと思う。特にギギガガバエは、その成分に弱いんじゃないかな」


「なるほど。それならハエが急に苦しみだしたことも、説明が付くな。しかしなぜ、あそこにそんな花が植えられてたんだ?」


「バゴーギクの植えられてた花壇、研究所を囲むように設置されてたでしょ? 花で見えない壁を作って、危険なハエが外に出ないようにしてたんじゃないかな」


 実際、涼璃が追跡された時も、ハエたちは研究所から出ようとしなかった。

 突然、玄関で動きを止めたのも、花壇があったからだと考えれば納得が行く。


「ハエの被害者が少なかったのは、そういう理由か」


「うん。卵を産み付けられたのは、研究所の中に入った人だけだったんだ」


「だが花の咲く時期は限られてるだろ? 一年中閉じ込めておくのは無理じゃないか?」


「バゴーギクは開花時期の長い植物で、ほぼ一年中花を咲かせてるらしい。しかも葉っぱや根にも、虫の嫌う成分を持ってるみたい」


「だが、あそこは無人島だぞ? 世話をする人間がいなければ、枯れてしまうだろう?」


「バゴーギクは強い多年草たねんそうで、ほとんど世話が要らないんだって」


「ホウレンソウ?」


 ディゲルは動きを止め、ぱちぱちとまぶたを開け閉めする。

 ぽっかりいた口からは、飲んだばかりのココアが垂れていた。


「それは〈3Zサンズ〉に欠けてるものでしょ」


 涼璃はポケットティッシュを出し、テーブルに出来た水溜まりを拭う。


多年草たねんそう。何年も生き続ける植物のことだよ。タンポポとか、キキョウとかが有名だね」


「言われてみれば、タンポポは毎年同じ場所に咲いてるな」


 ディゲルは背もたれにもたれ掛かり、ふてぶてしく足を投げ出す。


「研究所の周囲には、ほぼ確実にバゴーギクがある。つまり、何かに卵を産み付けない限り、ハエは外に出られないってわけか」


「しかも、周りは海でしょ? 島の外に出るには、海を渡れる生き物を宿主にする必要がある。けど、鳥や昆虫を選んじゃうと、肝心の卵が孵化しない」


「そう言えば、そんなこと抜かしてたな、科学班のなにがしが」


「色々なことを考えると、ハエを島の外に持ち出す可能性があるのは、人間だけなんだ」


「野犬やネズミじゃ船は操れない、か」


「うん。もしかしたら、小動物が船に紛れ込むこともあるかも知れない。でもその場合だって、人間が島に来る必要があるでしょ?」


「随分、皮肉な話だな。人間の持ち込んだ生物に息子を殺された奴が、持ち出されたら人の死ぬ生き物を作っちまうなんて」


 ディゲルは長く息を吐き、力なく首を振る。

 やりきれないような顔を見る限り、ディゲルはそれを運命の悪戯だと思っているらしい。


「……本当に偶然なのかな」


 涼璃は目を伏せ、きゅっと唇を結ぶ。

 疑り深すぎる仮説を口にするのを、無意識にためらったのかも知れない。


 テレビで観た高坂こうさかは、小学生に優しく昆虫の生態を教えていた。

 あんなにほがらかに子供と接する人が、悪意をのこすとは思えない。


 いや、優しいからこそ、高坂は人並み以上に自分の子供を愛していたはずだ。


 最愛の存在を亡くした時、怒りや恨みに囚われる可能性は充分ある。


 そして優秀な科学者だからと言って、世のため人のために行動するとは限らない。

 突出した才能を、混乱と破壊に捧げる科学者は確かに存在する。


 でなければ、蘭東らんどう涼璃すずりがこの世に誕生することもなかったはずだ。

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