人命は地球より重い(約一名を除く)

「なぁ、苗床にするならロリだろ? 私みたいな年増が異種出産しても、需要はないぞ!」


 ディゲルは〈サティ〉を指し、必死に訴え掛ける。

 そして泣き落としが効かないとみると、ポケットの中のものを手当たり次第に投げ始めた。


「来るな! あっち行け! ハエの仔なんぞ産みとうない!」


 食べかけのチョコが、丸まった銀紙が、花が飛び、飛び、飛び、ハエを乱打する。

 完全にパニくったドラ○もん状態で、完全に悪あがきだ。


 いくら生身の虫と言っても、相手は台所のコバエではない。

 ポケットのゴミを投げ付けたところで、無意味中の無意味だ。


 園内にいる全員が、そう思っていたはずだ。


 だがハエは苦しそうに身悶みもだえ、一歩ずつ後ろに下がっていく。

 しまいにはあお向けにひっくり返り、ひくひくと痙攣けいれんし始めた。


「な、何だ? チョコアレルギーか?」


 ディゲルはきょとんとした顔で、息も絶え絶えのハエを見つめる。

〈サティ〉にしても理解不能な状況だが、一つだけ確かなことがある。


 大チャンスだ。


 幸いディゲルが時間を稼いでくれたおかげで、ダメージも回復しつつある。

 さすがに動かすと痛むが、我慢出来ないほどではない。


 急いで呼吸を整え、〈発言力はつげんりょく〉を管理する走馬燈そうまとうに意識を集める。


 カラータイマー状態だった流動路が、少しずつ点滅の間隔を広げていく。

 ついに絶え間ない光が戻ると、地面に横たわっていたドローンがわずかに浮いた。


「今の内に決着を着けないと……!」


〈サティ〉は歯を食いしばり、あお向けの身体を起こす。

 次にドローンで自分を吊り上げ、ネクタイ状態の卒塔婆そとばに手を運んだ。


 タイピンっぽい横棒を掴み、「R」から「I」の目盛りに上げる。

 操作音のチーン! が鳴ると、即座に読経どきょうが後を追う。


遺無怖牢挫震インプローザブル


 にわかに延髄の走馬燈そうまとうが輝きを増し、回転速度を上げていく。

 サルたちは一斉に目を細め、次々と顔の前に手をかざした。


帝是テーゼ 闇血帝是アンチテーゼ 阿烏怖蔽弁アウフヘーベン


 一定の間隔で卒塔婆そとばが鳴り、その度に走馬燈そうまとうの輝きが強まっていく。

 やがて走馬燈そうまとうが光に呑まれると、モニターのクモさんがニヤリと笑った。


 どうやら、〈結論けつろん〉を放つ準備が整ったらしい。


 人間の変身するヒーローは、絶対に必殺技を持っている。


 あいにく、変身するのは化け物だが、〈PDF〉も例外ではない。

 膨大な量の〈発言力はつげんりょく〉と引き換えに、〈結論けつろん〉と言う必殺技を放つことが出来る。


 機械の性能が、カタログに書かれた通りとは限らない。


 最高時速が二〇〇㌔の車でも、条件によっては二〇五㌔、二一〇㌔出すことが出来る。

 追い風や下り坂を利用すれば、もっとスピードを上げることが可能かも知れない。


〈PDF〉も同じで、好条件が揃えば、カタログ以上の力を発揮することが出来る。


結論けつろん〉を使う際には、この事実をひたすらゴリ押ししていく。

 訴え掛ける相手はもちろん、あらゆる現象を司る〈黄金律おうごんりつ〉だ。


「五」の力が出るなら、「六」出てもいいよね?


「六」の力が出るなら、「八」出てもいいでしょ?


 執拗に迫ることで、〈黄金律おうごんりつ〉は徐々に〈PDF〉の出力を上げていく。

 そして最後には一〇の力を引き出し、最大級の一撃を放つことが可能になる。


「必殺技」である以上、〈結論けつろん〉の破壊力は尋常ではない。


 ただ〈黄金律おうごんりつ〉を言いくるめるためには、少し時間が必要になる。


 また〈発言力はつげんりょく〉の消費量も多いため、乱発することは出来ない。

 外してしまった場合は、無意味に消耗する羽目になる。


 ましてや今の〈サティ〉は、大きなダメージを受けている。

 最悪、〈PDF〉を実体化していることさえ出来なくなってしまうかも知れない。


「くーねえだけなら、どうなってもいいけど」


〈サティ〉は切なさに耐えられず、奥歯を噛み締める。


 愛する虫を殺すのは、非常に心が痛む。


 出来るなら生け捕りにしたいが、ハエは大量の糸を引きちぎる力を持っている。

 身動きを封じるのは、不可能に近い。


 何より、園内には大勢の人が残されている。

 これ以上、ハエを自由にさせておくのは、あまりにリスクが高い。


 確かに、虫の命は地球より重い。

 しかし人命(ディゲルを除く)の重さは、それ以上だ。


「おい!? 私だけならどうでもいいって、どういう意味だ!?」


「もう、うるさいなあ。いいからとっとと避難してよ」


〈サティ〉は大量に子グモを出し、ディゲルに差し向ける。

 大群は迅速にディゲルを包装し、数十㍍先まで運び去った。


「あれだけ離れれば、〈結論けつろん〉に巻き込まれることもないでしょ」


 卒塔婆そとばの横棒を掴み、「I」から「O」、「O」から「D」の目盛りに跳ね上げる。


怨幽阿魔阿苦終オンユアマークス


出痛怒秘遺屠デッドヒート


 チーン×2を合図に、二つの読経どきょうが鳴り響く。

 それに合わせて、走馬燈そうまとうから光が溢れ出し、全身を循環する流動路に流れ込んだ。


 限界までまばゆい光は、見る見る〈サティ〉の輪郭を掻き消していく。

 園内には色んな動物がいるが、〈サティ〉を直視している生き物は一匹もいない。


 それどころか、シマウマもサルもホッキョクグマもキリンも、固く目を閉ざしている。

 ミスター怠惰たいだのナマケモノさえ、早々に顔を背けてしまった。

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