三途の川行きのカタパルト

「ち、近寄るな! 私はイヌのフンじゃないぞ!」


 ディゲルは反転し、〈サティ〉の卒塔婆そとばを掴む。

 凄まじい剣幕で他人様ひとさまを揺さ振る様子は、ゾンビそのものだ。


 どうやら卒塔婆そとばを奪い取り、代わりに変身するつもりらしい。

 命の危機に直面したことで、防護服より頑丈な〈PDF〉が欲しくなったようだ。


「えぇい、そいつをよこせ!」


「こんな格好したくないんじゃなかったの!?」


〈サティ〉は胸元の手を引き剥がし、ディゲルを突き飛ばす。


「何だ!? 自分だけ助かろうって腹か!? 何て人でなしだ!」


 ディゲルは鼻の穴を膨らませ、〈サティ〉に詰め寄る。

 語彙ごいが小学生並と言われる彼女だが、他人を糾弾することだけは本当に達者たっしゃだ。


「そんなことより、前! 前!」


「前だあ?」


 疑わしそうに復唱し、ディゲルは顔を前に向ける。


〈PDF〉は多機能だが、他人が何を見ているかまでは分からない。

 ただ今だけは、ディゲルの視界がどうなっているか断言出来る。


 尾を振り下ろすハエで、埋め尽くされているはずだ。


「ぬわっ!」


 鋭いトゲがディゲルの顔をかすめ、防護服を切り裂く。

 ディゲルは派手によろめき、大きく後ろに傾く。


「ああもう! 世話が焼ける!」


〈サティ〉は急いで手を振り下ろし、ディゲルを指す。

 間髪入れず、頭上の子グモが糸を放ち、ディゲルの胴体を巻き取る。


 ピン! と糸が張り、後ろに傾いていたディゲルを止める。

 ディゲルは慌てて手すりを握り、何とか体勢を立て直した。


「お前がさっさと渡さないからだぞ!」


 ディゲルは巻き付いた糸を外し、足下に叩き付ける。

 割と命を救ったつもりだが、坂を転げ落ちたほうが幸せだったのだろうか。


「……くーねえが逆の立場だったら、死んでも渡さないくせに」


〈サティ〉は苛立ちを込め、両手を前に振り下ろす。

 呼応して、足下から子グモが跳び上がり、前方のハエに襲い掛かった。


 子グモは八本のあしを巧みに使い、自分より大きな獲物を組み伏せる。

 その後、鈍く光る毒牙を突き立て、ハエの胴体と首を切り離した。


「当たり前だろうが! 何でお前のために、私が死ななきゃいけないんだ!」


 ディゲルは乱暴に腕を振り、目の前のハエを叩き落とす。

 更には杭のように足を振り下ろし、地面のハエを踏み潰した。


 一見、地団駄じだんだを踏んでいるようだが、三歳児でもここまで支離滅裂なことは言わない。


「もういいから、早く登ってよ!」


「……まったく、最近の若い連中は、自分だけよければいいと思ってやがる」


 ぶつくさ愚痴ぐちりながら、ディゲルは黒いスロープを駆け上がる。

 少し間を空けて、後に続くと、背後から鋭い風音が聞こえた。


 一本、二本と直線が〈サティ〉を追い抜き、頬を脇腹を擦っていく。


 正体が尾とトゲであることは分かるが、予想以上に数が多い。

 どうやら考えていたよりも多くのハエが、トンネル内に侵入したようだ。


 もちろん、トンネルの外からも、ハエたちの集中砲火は続いている。


 ミシンのような音は無限に輪唱し、浅い縦揺れは永久に続く。

 ディゲルは結構激しく走っているが、足音が全く聞こえない。


「下手に転んだら、何百個も卵を産み付けられそうだな!」


「ヤマタノオロチでも首が足りないね!」


〈サティ〉は足下を見据え、一気に手首を跳ね上げる。

 その途端、スロープがベルトコンベアのように動き出し、ディゲルを上に押し流した。


 動きこそエスカレーターにそっくりだが、スピードは比べものにならない。

 短距離走の世界記録保持者でも、逆走することは不可能だ。


 服を震わすほどの向かい風は、ジェットコースターそのもの。

 今、急にスロープを止めたら、ディゲルは戦闘機のようにすっ飛んでいくだろう。


 いっそ彼女を発射し、三途さんずかわの向こうに送り出すのも悪くない。


「うお!?」


 突然の出来事に、ディゲルは奇声を上げる。


「こっちのほうが早いでしょ!」


 あいにく、わずかに浮いた〈サティ〉は、ベルトコンベアの恩恵を受けることが出来ない。

 代わりに足首から圧縮空気を噴射し、自分自身を撃ち出す。


 爆音と共に白煙が膨れ上がり、背後のハエを吹っ飛ばす。

 同時に荒々しい風音が身体を包囲し、視界を乱雑な横線が埋め尽くした。


 毎度のことだが、景色を目で追えなくなったのだ。


 急加速に伴い、増大した重力が、胸の装甲をきしませる。

 髑髏どくろの仮面はがたがた震え、食いしばった歯をわななかせていた。


3Zサンズ〉の保有する〈PDF〉には、必ず圧縮空気を噴射するためのノズルが装備されている。

 ノズルの形状は千差万別で、〈サティ〉の場合はタンドールだ。


 タンドールは、インドやパキスタンで使われる釜だ。

 見た目はイヤホンのイヤーピースによく似ている。


 現地の料理には欠かせない道具で、ナンやケバブを焼くのに使うと言う。

 ちなみにこの「タンドール」の中で焼いたのが、日本でも有名な「タンドリー」チキンだ。


「もう少し穏便なやり方はないのか!」


 ディゲルは悲鳴を上げ、背後の〈サティ〉を垣間見る。

 少し涙目なところを見ると、絶叫マシーンが苦手なタイプらしい。


「あんまり顔を動かさないほうがいいよ! どっかにぶつけたら、頭がもげちゃうかも!」


「それじゃハエに卵を産み付けられるのと同じじゃないか!」


 踊り場に沿ってスロープが曲がり、ディゲルを次の階段に送る。

 何回か彼女のターンを見物すると、スロープの奥に光の点が浮かび上がった。


 恐らく、玄関から差し込む日差しだ。


 ようやく一階に到達したらしい。


「一気に行くよ!」


〈サティ〉は頭上に両手をかかげ、一息に振り下ろす。

 瞬間、スロープの一画が柱のように突き出し、真上にいたディゲルを打ち上げた。


「うぉぉぉぉ!?」


 ディゲルは軽く天井をかすめ、斜め上にすっ飛ぶ。

 そしてバサバサと見苦しい放物線を描くと、一階に飛び出した。


 必死に手足をばたつかせる姿は、激流に揉まれているかのようだ。


 もしかして、空を泳ぐのが苦手だったのだろうか?


 他人のカナヅチぶりを笑った割には、随分情けない。

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