突然の集中砲火

 ギギガガバエの研究は、高坂こうさかがほぼ一人で進めていた。

 彼の死後、誰かが研究を引き継いだ形跡もないと言う。


 状況を見る限り、高坂以外がハエを改造したとは考えられない。


 しかし高坂の目的は、国内のゴルゴスアリを全滅させることだったはずだ。


 他の生物にも卵を産めるようにすることに、意味があるとは思えない。

 むしろギギガガバエの持つメリットを、みすみす潰すような行為だ。


「無改造」のギギガガバエは、ゴルゴスアリにしか卵を産まない。

 自然界に放っても、既存の生態系を乱すことはないだろう。


 しかし高坂の改造したハエは、哺乳類にさえ卵を産み付けてしまう。

 あまつさえ、人間まで標的にするとなったら、大混乱が起きるのは必至だ。


 ましてや宿主のサイズに比例して、ハエが大きくなることに、何の必要性があるのだろう?


 足りない知恵をいくら振り絞っても、背景に善意があったとは思えない。


「〈たましい〉を改造する時に、何か間違っちゃったのかな?」


「まあ、その可能性はあるが」


 しぶしぶと言った感じで賛同し、ディゲルは顎に手を当てる。


たましい〉の改造は、プログラミングのように難解だ。

 慣れた技術者でも、一発で簡単に仕上げるのは難しい。


「しかし、バグなら修正しようとするだろう?」


「修正しようとしてたけど、その前に亡くなっちゃったのかもよ」


「大体、肝心のハエはどこに行ったんだ?」


 気味悪そうに言い、ディゲルは部屋の中を見回す。


「何で一匹もいないのかな?」


 水槽が彼等のものだとするなら、結構な数のハエが飼われていたはずだ。

 しかし今のところ、ハエは一匹も見付からない。


 とっくの昔に、研究所や島から逃げ出してしまったのだろうか?


 だがそれなら、もっと多くの被害者が出ているはずだ。


「宿主になる生き物を使い果たして、死に絶えちゃったのかな?」


「なら、万々歳だがな」


 ディゲルはおどけたように言い、派手に両腕を振り上げる。


「どうする、くーねえ? 上の階を探してみる?」


「いや、そいつはここを調べ尽くしてからだ。あわよくば、研究資料のたぐいが残ってるかも知れん。あまり期待は出来んがな」


「たぶん、研究所を放棄する時に持ち出しちゃったよね」


〈サティ〉は憂鬱な気分を溜息に変え、天をあおぐ。

 目のライトが真上に伸びると、三つのものが視界に入った。


 一つ目は、今まで闇の滞留していた天井。


 二つ目は、蛍光灯のスイッチのように垂れた無数の紐。


 そして三つ目は、視界の奥から迫る横線だった。


 上下に切り分けられた景色に、〈サティ〉は見覚えがある。

 早朝に追いかけっこしていた時、走馬燈そうまとうを見せてくれた光景だ。


「くーねえ!」


 反射的に飛び出し、〈サティ〉はディゲルを押し倒す。

 瞬間、目の前を鞭が駆け抜け、一秒前までディゲルの頭があった場所を薙ぎ払う。


 鞭?


 いいや、鞭ではない。


 ハエの尾だ。


 形こそ前に見たものと同じだが、太さはイヤホンのケーブルほどしかない。

 持ち主はファミレスで産声うぶごえを上げた個体より、大分小さいようだ。


「何だ何だ!?」


「いいから動いて!」


〈サティ〉はディゲルを怒鳴り付け、たるのように床を転がる。

 ディゲルもまたあお向けから四つん這いになり、不格好なクラウチングスタートを切った。


 一〇本、一〇〇本、いや、それ以上。


 天井からトゲが降り、降り、降り注ぎ、〈サティ〉のディゲルの後を追う。


 間断なく床が貫かれる音は、ミシンそのものだ。

 規則的に並んだ穴は、縫い目に見えなくもない。


「こりゃ、防護服でどうにかなるレベルじゃないぞ!」


 床の破片を横目に見ながら、ディゲルは悲鳴を上げる。


 まち針のように細いトゲは、見るからに貧相だ。

 だが簡単に床を穿うがっている以上、破壊力は小型の拳銃に匹敵する。


 市販の防護服なんて、一瞬で貫かれてしまうだろう。


「だから、〈PDF〉を着てくればよかったんだよ!」


〈サティ〉は腕輪に意識を集め、無数の子グモを実体化させる。

 更に両手を重ね合わせ、指を指の間に挟み込む。


 間髪入れず、子グモの大群が蠢き、〈サティ〉を包み込んでいく。

 数秒で黒いかまくらが完成し、ハエの集中砲火を弾き返した。


 諦めの悪いハエたちは、尚も尾を乱射する。

 かまくらとトゲが衝突する度に火花がまたたき、〈サティ〉の視界を白く塗った。


 次々と半壊した子グモが飛び散り、かまくらの周囲に積み上がっていく。


 絶え間なく破片が降り注ぐ音は、まるで鉛の豪雨だ。

 鼓膜はもちろん、頭蓋骨まで震わせ、視界を激しく揺さ振る。


 いっそ仮面を操作し、聴覚のスイッチを切ってしまいたい。

 モニターの端っこに表示されたクモさんも、必死に顔の両脇を押さえている。


「くーねえ、こっち!」


〈サティ〉は一瞬かまくらから顔を出し、ディゲルを呼び寄せる。

 ディゲルは即スライディングし、かまくらの中に滑り込む。


「クソッ、酷い目に遭った」


 ディゲルは地面に手を着き、忙しく肩を上下させる。


 数分走っただけにしては、やけに息が荒い。

 突然、襲撃を受けたことで、心臓がバクバクしているのだろうか。


「一体、どうなってるんだ!? ハエなんかいなかったじゃないか!」


「こういうことだよ……!」


 無意識に奥歯を噛み、〈サティ〉は視線を上に向ける。

 すると目からかまくらの入口、入口から天井に光が伸び、大量のハエを照らし出した。


「天井にたむろってたのか!」


 ディゲルはあれほど腐心していた呼吸を忘れ、大きく喉を波打たせる。


 息を呑むのも、無理はない。


 ともかく、尋常ではない数だ。


 ライトが照らした一画だけでも、一〇〇匹以上のハエがひしめき合っている。

 天井の混雑率と言ったら、満員電車と言うしかない。


 体長は野球ボールほどで、やはり普通のハエよりかなり大きい。


 たぶん、ネズミより大きな動物から生まれた個体だろう。

 あれほどのサイズなら、人間に卵を産み付けてもおかしくない。


 前の個体と同じく、頭はT字型で、左右の目が極端に離れている。

 尾や脚は紐のように長いが、身体はかなり細い。


 また頭の大きさに対して、はねはいちじるしく短い。

 ファミレスのハエも飛び跳ねてばかりだったが、こちらも飛べるかどうかは怪しいところだ。


 科学班の北島きたじまが言っていた通り、一定のサイズを超えると、身体とはねの成長に差が生じるらしい。

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