どーでもいい知識 ニホンのザリガニは赤くない

 更にウシガエルは、別の厄介者も日本に招き寄せた。


 誰もが知るアメリカザリガニは、元々ウシガエルのエサとして輸入された外来種がいらいしゅだ。


 彼等は本来、アメリカ南部に棲息する生き物で、日本には一九二七年にやって来た。


 今からは考えられないが、最初に持ち込まれたのは二〇匹程度だったと言う。

 こちらもまんまと養殖場から逃げ出し、今では全国に棲息域を広げている。


 元々、日本には、ニホンザリガニと言う固有種こゆうしゅが棲んでいた。

 しかし、今や「ザリガニ」と言ったら、アメリカザリガニを想像する人のほうが多い。


 現に「ザリガニ」と言う生き物には、真っ赤なイメージがある。


 しかし古くから日本に棲むニホンザリガニは、「茶褐色ちゃかっしょく」の生き物だ。

 体長も五、六㌢程度で、アメリカザリガニより大分小さい。


 対するアメリカザリガニは、一〇㌢以上に成長する。

 また都会でも見掛けるように、比較的汚い川や池でも生きることが可能だ。


 しかしニホンザリガニはデリケートで、きれいな水にしか棲めない。

 その上、アメリカザリガニより成長が遅く、一回に産む卵の数もかなり少ない。


 アメリカザリガニは一年で繁殖出来るようになり、一度に数百個の卵を産む。


 一方、ニホンザリガニは、繁殖が可能になるまでに五年も掛かる。

 一度に産む卵の数も、数十個程度だ。


 きれいな川や沼が減ったこともあり、ニホンザリガニは減少の一途を辿っている。


 昔は東北地方に広く棲息していたが、現在は秋田、岩手、青森の一部でしか見られない。


 北海道でも確認されているが、こちらにはウチダザリガニと言う外来種がいらいしゅも棲んでいる。

 彼等との生存競争によって、ニホンザリガニは住処すみかを奪われつつあると言う。


 アメリカザリガニは日本の子供にとって、身近な遊び相手だ。


 学校や家庭で彼等を飼うのは、特別なことではない。

 涼璃すずりもスルメイカをエサにして、アメリカザリガニを釣ったことがある。


 反面、外来種がいらいしゅである彼等が、既存の生態系に悪影響を及ぼしているのも事実だ。

 現に自然保護を訴える日本にほん生態せいたい学会がっかいは、彼等を侵略的しんりゃくてき外来種がいらいしゅのワースト一〇〇に選んでいる。


 アメリカザリガニは雑食で、在来種ざいらいしゅの小魚や昆虫、小動物などを食べてしまう。

 植物もエサの一つで、水田の作物に被害を与えることもある。


「野生化した生き物が、人間を襲ってるってわけか。だがそれなら、無差別と何も変わらんはずだ。現状、被害者が一人しかいないことを説明出来ん」


 ディゲルは一度頷き、涼璃に反論する。


「もしかしたら、ハエの個体数が少ないのかも知れません」


「棲息域がすっごく特殊とか、すっごく狭い範囲にしかいないって可能性もあるよ」


「その全部なら、実にありがたいがな。出来れば、あの一匹で打ち止めと願いたいもんだ」


 ディゲルはテーブルにあった板チョコをむさぼり、残った銀紙を丸める。

 その後、無造作に唇を拭き、チョコの汚れを落とした。


「しかし、あの被害者、見るからに今風の女だったがな。好き好んで山奥や孤島に行くタイプとは思えんが」


「そうとも言えへんで」


 唐突にドアが開き、猫背の少年が部屋に入る。


 その瞬間、涼璃の背筋に悪寒が走り、鳥肌が全身を埋め尽くす。

 正直、奴と一緒の空気を吸っていることが、気持ち悪くて仕方ない。


「何だ、神尾かみおか。調査は終わったのか?」


「まあなあ」


 のらりくらりと答え、神尾かみお四風よんぷうは軽く手を上げる。


 うっすら笑みを浮かべた顔は、無邪気で人懐っこい。

 線も細く、中性的だが、何となくうさん臭い空気を漂わせている。


 肉体の年齢は、一六歳だっただろうか。


 テーラードジャケットにアンクルパンツと言う服装は、身軽な印象を与える。

 肌は色素が薄く、洞窟の生き物のように青白い。


3Zサンズ〉の女性隊員に羨ましがられることも多いが、涼璃には不健康にしか見えない。

 身長の割に細い身体も、長年入院している病人のようだ。


 髪も黒と言うより灰色で、光の加減によっては青く見える。


 左側だけ伸ばした前髪は、鬼太郎きたろうそのものだ。

 左目には眼帯を着けているが、お墓にぶつけてしまったのだろうか。


「元気やったか、スズリン」


 馴れ馴れしく呼び掛け、四風は涼璃の肩に手を置く。

 刹那、涼璃はソファからジャンプし、全力でディゲルの机まで走った。


 椅子の後ろに滑り込み、高い背もたれに隠れる。

 手は脇目も振らずにポケットへ飛び込み、防犯ブザーを握り締めた。


「相変わらずかわいらしいなあ」


 四風はソファの前にしゃがみ、涼璃の座っていた場所に頬擦ほおずりする。

 あまつさえ、深く息を吸い、執拗にソファを撫で回した。


 恐らく、涼璃の残した香りや、温もりを堪能しているのだろう。


 涼璃には全く理解出来ない。


 彼はなぜ躊躇なく、ああも正常ではない行為に及ぶことが出来るのだろう?


 しかも表情は普段通りで、特に恍惚としている様子はない。

「え? 何かおかしいことある?」的な顔は、R18な笑みなんかよりよっぽどクレイジーだ。


「あ、あの……」


 北島きたじまはあからさまに顔を引きつらせ、ディゲルと四風を交互に眺める。


 四風の性癖は有名だと思っていたが、意外と知られていないのだろうか?


 いや、北島はまだ〈3Zサンズ〉に加わってから、日が浅いに違いない。


「聞くな。聞いても気持ち悪くなるだけだ」


 ディゲルは四風から顔を背け、マグカップのチョコをあおる。


 組織のトップとして、ディゲルの態度は徹底している。

 そう、都合の悪いものは、絶対に見ない。


「そないなとこ隠れたって、ウチにはお見通しやで。何せ、ウチの目は特別やからな」


 四風は前髪を上げ、眼帯を涼璃に見せ付ける。


「……それでも近くにいたくないんだよ」


 涼璃はディゲルの机からファイルを取り、顔の前にかかげる。

 歩く都条例違反とじょうれいはんが見えなくなると、生理的な吐き気が少しやわらぐ。


「つれへんなあ。同じ化け物同士、仲良くしようや」


 すねたように言い、四風は大げさに唇を尖らせる。


 四風は涼璃と同じ〈死外アウトデッド〉で、主に情報収集を担当している。


死外アウトデッド〉の中では忙しいほうで、現在も複数の事件を追っているらしい。

 化け物が共同生活を送っている寮にも、ここ数日は帰って来なかった。幸いなことに。


 本人の言う通り、目のよさは〈3Zサンズ〉随一だ。


 一㍍先の小石から、下校中の女子児童まで、見通せないものはない。


 容姿が爽やかでなければ、今までに数百件の事案を発生させているはずだ。

 本人は見守り活動と主張しているが、警察のご厄介になる日も遠くはない。

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