どーでもいい知識 群れで暮らしているハチは少ない

 卵を産み付けられた生物は、ハチの幼虫のエサになる。


 寄生きせいバチの場合は、獲物の身体がそのまま「揺りかご」になる。

 対して有剣類ゆうけんるいのハチは、地中やに幼虫が暮らすための部屋を作る。

 木や岩の割れ目に小石、もしくは土を詰め、部屋を作るハチも多い。


 ハチに運搬された獲物は、卵ごと部屋に閉じ込められる。


 ぐったりした獲物を見て、死んでいると勘違いする人は少なくない。

 しかし彼等はハチに麻酔を打たれ、麻痺しているに過ぎない。


 注射器は当然、毒針だが、麻酔を掛けるのは有剣類ゆうけんるいだけだ。


 有錐類ゆうすいるいの尻にも、針状の器官は備わっている。

 だが、これは獲物に卵を産み付けるためのくだで、「毒針」ではない。


「麻酔で大人しくさせるくらいなら、殺してしまえばいいのに」と言う意見もあるだろう。

 しかし獲物を殺してしまうと、幼虫が生まれる前に腐ってしまうおそれがある。


 一方、麻酔を掛けられた獲物は、生きたまま卵が孵化するのを待ち続ける。

 結果、幼虫は安全な部屋にいながら、新鮮なエサを食べることが可能になる。


 ハチは巨大な巣を作り、集団で暮らすイメージを持たれている。

 花の蜜や花粉を食べるのが普通で、りバチや寄生きせいバチが特殊だと思う人もいるはずだ。


 しかし実際のところ、大きな巣を作り、集団で暮らすハチは少数派に過ぎない。


 そもそも花の蜜や花粉をエサにするハチは、同じ有剣類ゆうけんるいりバチから進化したものだ。

 スズメバチやアリも同じで、祖先は他の生き物に卵を産んでいたと考えられている。


 もっと言えば、ハチの毒針は産卵するためのくだが変化したものだ。

 その証拠に、卵を産まないオスは毒針を持たない。


 また日本には約一〇〇〇種のりバチが棲んでいるが、大半が単独で暮らしている。

 スズメバチやアシナガバチのように群れで暮らすハチは、三〇種程度に過ぎない。


「問題なのは、生まれる方法だよ」


 涼璃すずりはくるくる指を回し、ディゲルの周囲にいくつも円を描く。


「ヒアリを見付けたノミバエは、しつこく獲物の周りを飛び回る。そして相手が隙を見せた瞬間、尾にある針を突き立てて、ヒアリに卵を産み付けるんだ」


 涼璃は鉤状かぎじょうに指を曲げ、ディゲルの腕を軽く刺す。


「おい、やめろ!」


 ディゲルは涼璃をにらみつけ、触れられた部分を払う。

「ハエの卵」と聞いて、いい気分がしなかったのだろう。


「ノミバエの仕事はすっごく早くて、ヒアリが反応した時にはもう終わってる。しかも、一匹のノミバエは、二〇〇個くらい卵を持ってるからね。一分もあれば、複数のヒアリに卵を産み付けることが出来る」


 涼璃はディゲルの腕から、彼女の頭に指を向けていく。


「ヒアリの体内で孵化した幼虫は、宿主の体液を吸って成長する。同時に大体二週間くらい掛けて、ヒアリの頭に移動していくんだ」


「体液をすすりながら、頭に……」


 わずかに声を震わせ、ディゲルは口に手を当てる。

 随分顔色が悪いが、エイリアンにでも寄生されたのだろうか。


「寄生されたヒアリは、抵抗したりしないのか?」


「うん。って言うか、寄生されても、ヒアリの行動は全然変化しない。外側から見ても、寄生されてるってことは分からないよ」


 涼璃は大げさに手を広げ、何回か開け閉めする。

 この動作に擬音を付けるなら、「バクバク」以外はあり得ない。


「ヒアリの頭に到達した幼虫は、宿主の脳を食べ尽くしちゃう」


「脳を!?」


 まずディゲルが叫び、〈3Zサンズ〉の隊員たちがどよめく。


 音程の狂った声を聞くと、涼璃の口からは微笑が漏れていく。

 こうも見事に驚いてくれるなら、話している甲斐もあると言うものだ。


「しかもノミバエは酵素こうそを分泌して、ヒアリの頭を切断しちゃうんだよ」


「あ、頭が落ちるだと……?」


 慌ただしく確認し、ディゲルは首の付け根を押さえる。


「うん。それまで普通にしてたアリから、ポトンってね。ギロチンに掛けられたみたいに」


 涼璃は生首を一瞥いちべつし、ポケットの「それ」を握り締める。


 まさかとは思うが、警戒しておいたほうがいいかも知れない。


「まさか」ほど現実になるのが、〈詐術さじゅつ〉の世界だ。


「幼虫は生首の中でサナギになって、成虫になった後に這い出てくる」


「とんだ脱出劇だな。引田ひきた天功てんこうも真っ青だよ」


「さっき、ヒアリがアメリカに来たのは、二〇世紀の初め頃って言ったよね? ってことは、アマゾンに棲息するノミバエとは、もう一〇〇年近くも会ってないことになる」


「今、アメリカに棲んでる奴らは、一度も遭遇したことがないだろうな」


「なのに、アメリカに棲むヒアリは、未だにノミバエを怖がってるんだ。その証拠に、ノミバエを見ると、仲間に警戒をうながす臭いを出すんだよ」


「そりゃ、刺されたら首が落ちる相手だからな。遺伝子レベルで恐怖が植え付けられてても、無理はないだろう」


「アメリカの人たちは、ノミバエを使ってヒアリを駆除する研究を進めてる」


「他のアリは平気なのか? ヒアリが消えても、ノミバエが生態系を乱したんじゃ本末転倒だろう?」


「一応、ノミバエが卵を産むのは、ヒアリだけだって言われてる。ヒアリが全滅すれば、産卵する場所を失ったノミバエも、姿を消すらしい」


「『一応』とか『らしい』とか、何だか歯切れの悪い話だな」


「う~ん、生き物は基本的に、『生きようとする』ものだからなあ~」


 生き物の生に対する執着は、人間の想像を凌駕する。


 理論上、大丈夫だからと言って、生態系を乱さないとは言い切れない。

 産卵する場所を失ったノミバエが、別のアリを標的にすることもあり得る。


「しかし、『酵素こうそで宿主の頭を落とす』か。今回の事件そのものじゃないか」


 ディゲルは表情を引き締め、しげしげと生首を眺める。


「私もまさかとは思うんだけど……」


 もちろん、今回の事件をノミバエの仕業と考えるのは、無理がある。


 そもそもヒアリに卵を産むのはアマゾンのハエで、日本には棲んでいない。


 誰かが持ち込んだと言う線もなくはないが、彼等の宿主はヒアリだ。

 同じアリならともかく、いきなり人間を宿主に選ぶはずがない。


 大体、ヒアリの生首から生まれるハエが、宿主の頭と同じくらいのサイズなのだ。

 成虫のサイズ=宿主の頭と言う法則があるとすれば、生首には超巨大なハエが潜んでいることになる。

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