どーでもいい知識 ハチは他の生きものに卵を産む

「アメリカ南部では、ヒアリが侵入してから農作物の生産量が少なくなった。品質にも問題が出て、農家の人たちを悩ませてる。何でもアメリカ経済に与える打撃は、年間数億円にもなるとか」


「たった数㍉のアリを侵入させたせいで、毎年毎年億規模の損害か……」


 ディゲルは赤茶の髪をかき上げ、天をあおぐ。


「しかしまあ、ほとほと厄介な生き物だな、連中は。南米にいた頃から、さぞかしうとまれてたんだろう?」


 決め付けるように言い、ディゲルはポケットをまさぐる。

 そうしてチョコボールを出すと、ザーッと口の中に注ぎ込んだ。


「ううん、南米で暮らしてた頃は、特別問題視されてなかった」


「おいおい、冗談だろ?」


 ディゲルは口を半開きにし、食べたばかりのチョコボールを落とす。


 彼女が耳を疑うのも、無理はない。


 今までの話を聞く限り、ヒアリは完全な破壊者だ。

 地元では大人しかったと言われても、簡単には信じられないだろう。


「ありきたりな言い方だけど、自然は調和が取れてるからね。生まれ故郷の南米では、ヒアリだけが増えすぎないように生態系が出来てたんだよ」


 自然と声に力が入り、顔が熱を帯びていく。

 まばゆい照明は、霧のように飛び散るつばを照らしていた。


「よく誤解されるけど、悪いのはヒアリじゃない。ヒアリを本来いるべき場所じゃない土地に運んじゃった、人間のほうだよ」


 諸悪の根源のように語られるヒアリだが、彼女たちに悪意はない。

 人間に連れて来られた土地で、精一杯生きようとしているだけだ。


「大した昆虫愛だよ。よくもまあ、そう熱心にアリごときの弁護が出来るもんだ」


 ディゲルはやる気なく拍手し、すぐに顔をあおぐ。

 目の前から立ち上る熱気が、よっぽど暑苦しかったらしい。

 それなりに深い谷間には、うっすらと汗が滲んでいる。


「で、南米じゃ、どうやって奴らの天下を防いでるんだ?」


「南米にはヒアリの他にも、強いアリがたくさんいるんだよ。有名なグンタイアリとか、アルゼンチンアリとかね」


「エサや領土を奪うのも、簡単じゃないってわけか」


「同じくらい大きいのが、天敵の存在だね」


「天敵」に話題を向けると、涼璃すずりの口調は自然とおどろおどろしくなる。


 何しろ、並の怪談よりホラーな話だ。

 喋り方が稲川いながわ淳二じゅんじっぽくなるのも、仕方がない。


「『天敵』……? もしかして、さっき言ってた『ノミバエ』って奴か?」


「うん、アマゾンに棲息するハエだね」


「さぞかし恐ろしい奴なんだろうな……!」


 ディゲルは声を上擦うわずらせ、興奮したように肩を揺り動かす。

 固く握り締めた両手には、大粒の汗が浮いていた。


 期待しまくるのも、理解出来なくはない。


 何しろ、泣く子も黙るヒアリが、天敵と恐れるハエだ。

 話を聞いた人の九九㌫が、悪魔あくま絵師えし的な代物を想像するだろう。


「期待を裏切るようで悪いけど、ノミバエはすっごく小さいハエだよ。大きさはヒアリの頭くらいしかない」


「す、姿形は!? 頭がトラ柄で、髑髏どくろの杖を持ってたりするんだろ!?」


「残念だけど、フツーのハエだね」


「何だ何だ、つまらん話だな」


 ふてくされたように吐き捨て、ディゲルはテーブルに足を置く。


 不特定多数の人が食事するファミレスで、この態度。

 ツイッターに投稿したら、炎上待ったなしだ。


「つまらない!? 何言ってるの、くーねえ!」


 涼璃はディゲルに詰め寄り、大きく腕を振り回す。


「ノミバエはすっごく怖いハエだよ。『ゾンビバエ』なんて異名まであるんだから」


「『ゾンビバエ』、ねえ。あれか、t―ウィルスでも媒介するのか?」


 小馬鹿にするように言い、ディゲルはやる気なく笑う。

 一度期待を裏切られたせいで、涼璃の言葉が信じられなくなっているのだろう。


「ノミバエはね、ヒアリに卵を産み付けるハエなんだよ」


「他の昆虫に卵を産む程度なら、珍しくもないだろう?」


 昆虫に関しては素人のディゲルだが、今回の発言に間違いはない。


 有剣類ゆうけんるい有錐類ゆうすいるいと言うグループのハチは、他の生き物に卵を産み付ける。


 有剣類ゆうけんるいは「狩りバチ」と呼ばれるグループで、獲物の体表に卵を産む。

 イモムシをくわえ、引っ張る姿は、図鑑に載っていることも多い。


 他の生き物に卵を産むわけではないが、スズメバチやミツバチも有剣類ゆうけんるいの一員だ。

 それどころか、ハチの仲間であるアリも、有剣類ゆうけんるいに含まれている。


 ただし、ミツバチのように花の蜜や花粉を食べるハチは、「狩り」バチとは呼ばれない。

 アリは他の虫を襲うが、こちらも除外されることになっている。


 一方、有錐類ゆうすいるいは「寄生きせいバチ」と呼ばれるグループで、獲物の体内に卵を産む。

 ヒメバチやコバチが代表例だが、一般的には知名度が低いかも知れない。


 実を言うと、体内に寄生するのは、有錐類ゆうすいるいの専売特許ではない。

 有剣類ゆうけんるいのカマバチも、同じ習性を持っている。


 カマバチの仲間はアリにそっくりで、体長も一㍉ほどしかない。

 はねがない種類も多いため、一目で正体を見抜くのは難しいだろう。


 有剣類ゆうけんるいにしろ有錐類ゆうすいるいにしろ、狙う相手はそれぞれ違う。


 ジガバチの仲間は、チョウやガの幼虫に卵を産む。

 一方、ベッコウバチの仲間は、命知らずなことにクモを狙う。

 他にもバッタやカメムシが代表的な獲物で、台所の黒いヤツを狙うハチもいる。


 こと昆虫やクモの中で、ハチに寄生されないしゅはいないと言っても過言ではない。

 中には、別の寄生きせいバチに寄生する強者つわものまで存在する。

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