どーでもいい知識 ヒアリは『攻略不能』。

「毎度のことながら、色々分からんことだらけだな。おい、そこのお前、ちょっと来い!」


 ディゲルは辺りを見回し、近くの男性を呼び止める。

 白衣を見る限り、〈3Zサンズ〉の科学班に所属する隊員だろう。


 顔立ちは幼いが、身長はバレー選手のように高い。

 胸のネームプレートには、「北島きたじま」と書かれている。


「被害者の体内から、麻酔のたぐいは検出されなかったか?」


「は、はい! 少々お待ち下さい!」


 北島は顔をこわばらせ、あたふたと手元のタブレットに目を向ける。

3Zサンズ〉が誇る鬼軍曹は、相変わらず恐れられているらしい。


 と言うか、ことあるごとに生爪をいでいたら、シザーマン扱いされるのも当然だ。

 パワハラで訴えられるどころか、懲役刑ちょうえきけいを喰らってもおかしくない。


「い、今のところ、長官のおっしゃったような物質は検出されていません。ただ、切断面からは複数の酵素こうそが発見されています」


「『酵素こうそ』だと?」


 ディゲルは北島を見つめ、怪訝そうに眉を上げる。


「はい。タンパク質や脂肪を分解するものです」


「は? 『分解』ってのは何だ?」


「人間の身体を溶かす働きがある、と言うことです」


 困惑するディゲルを見て、北島は簡単な表現で言い直す。


「つまり、この女は首を『切り落とされた』わけではなく、『溶かされた』ってことか?」


「断言は出来ませんが、その可能性は高いと思われます」


 北島は生首の前にしゃがみ込み、いびつな切断面を指す。


「皮膚や筋肉が、ただれたようになっているのは分かりますか?」


「……確かに、亡くなったばかりにしては痛んでますね」


 北島の言う通り、生首の皮膚は炎症を起こしたようにただれている。

 筋肉は腐ったようにぶよぶよで、かすかに刺激臭を漂わせていた。

 点々とピンク色の液体が染み出ているが、たぶん、溶けた皮膚か筋肉だろう。


「出血が少ないのは、どういう理屈だ?」


「溶けた筋肉や皮膚が、血管にフタをしてしまったのではないでしょうか。あるいは溶けた部分同士がくっついて、血管を塞いでしまったのかも知れません」


「首を溶かされた時、この女は生きてたのか?」


「……ええ、そういう反応が出ています」


 北島は表情を曇らせ、急いで口を押さえる。

 元々色白なほうだが、今は唇まで真っ青だ。


「これでまた謎が増えたな」


 不機嫌そうに言い、ディゲルは近くの席に腰を下ろす。

 割と小さい尻がソファに載ると、テーブルのあしがわずかに揺れた。


「首が溶かされてる間、何でこいつは大人しくしてたんだ? 麻酔を掛けられてたわけじゃないんだろう?」


 ディゲルはゴム手袋を外し、テーブルに放り投げる。

 更に懐から麦チョコを出し、口に流し込んだ。


 頭を働かせるために、糖分を補給したのだろうか?


 その割に固く結んだ唇は、待てど暮らせど開かない。


「……普段通り行動してるのに、突然、首が落ちる」


 摩訶不思議な事件には、シャーロック・ホームズも白旗を上げるかも知れない。

 論理的に説明することを諦め、「超常現象」と言う答えに逃げる人もいるだろう。


 だが涼璃すずりには、思い当たるフシがある。


 凶器が酵素こうそと言う点も、今回の事件そのままだ。

 

 ただし、被害者は人間ではなく、一時いっとき世間を騒がせたあの昆虫だが。


「ノミバエに寄生されたヒアリみたいだね」


「ヒアリだと? また随分と懐かしい名前だな」


「うん。ヒアリ。学名は『ソレノプシス・インヴィクタ』。ラテン語で『攻略不能』って意味だよ。体長は二㍉から六㍉程度。身体は赤っぽくて、お尻には鋭い毒針を持ってる」


 昆虫の話になると、涼璃はつい早口になる。

 気持ち悪いと分かってはいるが、なかなか直すことが出来ない。


「刺されると、命を落とすことがあるんだろ?」


「う~ん、どうかなあ~」


 涼璃は返事を保留し、意識を頭の中の知識に向ける。


 確かに、ヒアリは人間に苦痛を与える生き物だ。


 彼女たちに刺されると、膿の溜まった水膨れが出来る。

 刺された時の痛み自体も凄まじく、大人でも悲鳴を上げてしまうと言う。

 そもそも「アリ」と言う名前は、「刺されると焼けるような痛みを味わう」ことに由来する。


 ただ「命に危険を及ぼす」と言う話に関しては、大げさと言わざるを得ない。


「必要以上に怖がられることが多いけど、毒の強さはスズメバチと同じくらいだよ。健康な人が刺されても、死ぬことはないと思う。特にハチとかアリに刺されたことがないなら」


「何だ、話題のヒアリさまも大したことがないじゃないか。所詮は矮小わいしょうなアリだな」


 ディゲルはチョコで汚れた歯をさらけ出し、お気楽に笑う。


「……これだから素人は」


 我慢出来ずにボヤき、涼璃はディゲルに軽蔑の目を向ける。

 頭がいいと思っていたわけではないが、あまりに思慮の足りない発言だ。


 生き物のもたらす被害には、様々な形がある。

 毒が強くないからと言って、恐ろしくないとは言い切れない。


 それ以前に、アリは弱い生き物ではない。


 身体が小さいせいで誤解されがちだが、むしろ強い部類に入る昆虫だ。


 その証拠に、アリの姿を真似ることで、身を守っている生き物は少なくない。


 あるしゅのカマキリやカメムシは、幼虫時代、アリに擬態している。

 強いイメージのあるクモにも、アリのるアリグモと言う生物がいる。


 また甘い蜜を提供する代わりに、アリを雇う昆虫も多い。


 アブラムシがアリをボディーガードにしているのは、有名な話だ。

 シジミチョウのクロシジミやゴマシジミも、幼虫時代はアリの巣で過ごすことが知られている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る