カミサマは計算機

「被害者の名前は吉野よしの美和みわ。年齢は二〇歳で、都内の短大に通ってた」


「若い女の人が、こんな夜中に出歩いてたの?」


「最近の女子大生なら、珍しくもないだろう?」


 ディゲルは両腕を垂らし、脱力気味に笑う。


「おかしいって言うなら、JCが深夜の雑木林ぞうきばやしを徘徊しているほうが、よっぽど不自然だ」


「そうかなあ……?」


 言われてみれば、深夜の街より山のほうが危険な気もする。

 実際、野犬やクマと遭遇したことは、一度や二度ではない。

 アマゾンのジャングルに遠征した時は、アナコンダの襲撃を受けた。


「被害者は自分の足でファミレスに入り、コーヒーを注文した――こいつは間違いない。店員が証言しているし、監視カメラも確認済みだ」


 ディゲルは天井を見回し、監視カメラを指し示していく。

 四隅に設置されている以上、死角はないと言っていいだろう。


「歩き方とか目付きとかは? 何か変じゃなかった?」


「どっちもしっかりしてたよ。コーヒーを注文する時も、ろれつが回らないようなことはなかったらしい」


「この人が亡くなった時、他のお客さんはいなかったの?」


「ああ。こんな時間だろう? この店はあまり立地もよくないしな」


 ディゲルは目をこすり、無数の空席を見回す。

 改めて時間を意識したことで、眠気を感じたのだろう。


 客のいない店内は、やけにだだっ広く感じる。

 隊員たちが動き回る音は、体育館のように響いていた。


「と言うかな、誰にも襲われてないんだよ、この女は」


「え!?」


 反射的に口がき、音程の外れた声が漏れていく。

 ディゲルはオーストリア出身だが、日本語が苦手と言うことはない。

 むしろ母国の公用語であるドイツ語より、日本語のほうが得意なくらいだ。


 ではなぜ、ディゲルの発言が全く理解出来ないのだろう?

 一〇年以上付き合ってきたはずの日本語が、突然、理解不能になってしまった。


「お前はこう言いたいんだろ? 『なら、誰がどうやって首を落としたんだ?』ってな」


 ディゲルは涼璃すずりの感想を代弁し、赤茶の髪を掻きむしる。

 いらだっているのはもちろんだが、それ以上に困惑しているらしい。


「監視カメラを見た限り、被害者の後に入って来た客はいない。昼間や夕方来店した客が、何かを仕掛けていった形跡もなかったよ」


「……店員さんの犯行ってことは?」


「断言は出来んが、その可能性は低いだろうな。注文を取った時にも、コーヒーを届けた時にも、不自然な動きはなかった」


 ディゲルは喉に手を当て、首を切るようにスライドさせる。


「要約するなら、それまで普通だった女の首が、何の前触れもなく落ちたってわけだ」


「……それじゃ、私たちが呼ばれるのも当然の話だね」


 人間が人間の首を切り落としたなら、普通に警察が呼ばれる。

 わざわざ防衛チームチックな集団に、声を掛けるはずがない。


「監視カメラに映らないように、透明になったとか?」


「あるいは店の外から、目に見えない攻撃を仕掛けたのかも知れん」


 ディゲルは眉を寄せ、重苦しく腕を組む。


「どちらにしろ、〈詐術師さじゅつし〉が絡んでる可能性は高いってことだ」


「〈詐術さじゅつ〉……」


 この世界には、森羅万象をつかさどるカミサマがいる――。


 そんな風に主張したら、世間の人々は涼璃の正気を疑うかも知れない。

 宗教の勧誘? と身構える人もいるだろう。


 だが間違っているのは、世界中が信じる常識のほうだ。


 教科書が否定しようが、科学者が否定しようが、現実は変えられない。


 この世界には、間違いなく「カミサマ」がいる。


 とは言っても、人間のイメージする「神様」と実物には、大きな違いがある。


 例えば神話に登場する「神様」は、自分をうやまわない人間にバチを当てることがある。

 しかし現実の「カミサマ」は、バチも恩恵も与えることの出来ない存在だ。

 それ以前に「感情そのものがない」と言ったら、驚きの声が上がるかも知れない。


黄金律おうごんりつ〉と呼ばれるそれは、よく「計算機」にたとえられる。


黄金律おうごんりつ〉は物理法則に従い、あらゆる現象の結果を算出している。

 マッチに火がくのも、〈黄金律おうごんりつ〉が「燃える」と言う答えを導き出しているおかげだ。

 それどころか、〈黄金律おうごんりつ〉に「生きている」と認めてもらわないと、生き物は生きていることが出来ない。


 そういう意味では、「あらゆる現象を支配している」と言う看板に偽りはない。

 下手をすれば、架空の神様以上に、生物の生殺与奪せいさつよだつを握っていると言える。


 ただし、〈黄金律おうごんりつ〉に奇跡を起こす力はない。


 と言うか、自分だけでは小石一つ動かせない。


 計算機が答えを導き出すためには、誰かにボタンを押してもらう必要がある。

黄金律おうごんりつ〉も同じで、第三者に行動してもらわないと、答えを出すことが出来ない。


 誰かがったマッチに、「火がく」と言う結論を下すことは可能だ。

 しかし自らマッチをり、「火をける」ことは出来ない。


 ただ同時に、〈黄金律おうごんりつ〉が「く」と判断しない限り、マッチに火がくことはない。

 そして全てのものは、〈黄金律おうごんりつ〉が計算した通りに動くようになっている。

 仮に〈黄金律おうごんりつ〉の采配さいはいが間違っていたとしても、逆らうことは出来ない。


「飛べ」と命じられた人間は、空を飛ぶ。


「落ちろ」と命じられた星は、落ちるしかない。


 もし〈黄金律おうごんりつ〉を操ることが出来たなら、それは魔法が使えるのと同じだ。

 本来ならあり得ない命令を出させ、不可能な現象を起こすことが可能になる。


 これまた正気を疑われるような話だが、この世界には実際に「魔法使い」がいる。


「魔法使い」と言っても、薄暗い森で特別な修行を積んだわけではない。

 彼等〈詐術師さじゅつし〉は、根本的に人間とは異なる種族だ。

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