9通目。記憶のカケラ

「エレン。身体はいいのか」

「もう少し休んどけばよかったんじゃない?」

「ご心配とご迷惑をおかけしました。もう平気です。お見舞いもありがとうございます」


その日は復帰後初めて帝国のエリートさまたちと詠唱訓練だった。

今回は〈青い龍〉のマルクス・ハン・ランシェントさんと〈白い虎〉のアイシャ・フルメールさんが参加する。

あなたと顔を合わせる機会はまだ回ってこなかった。魔物退治で遠征に行っているそうだから心配だ。怪我はしていないだろうか?

公爵さまについては、何と言って話をすればよいか悩んでいて、まだあなたのことを聞けていない。

突然知らない娘が「彼は私の家族なんです」なんて言ったら、いい思いはさせないだろうね。

私たちは血が繋がっているわけでもないから、家族だという証明ができないことが辛い。

本当の兄妹の関係だったら、すぐにでも検査をしてもらって、あなたとまた家族になれたかもしれないというのに。

あなたの今の幸せを崩してしまう可能性だって無いとは言えないことくらいは、傲慢な私にでもちゃんとわかる。

だから、簡単には言い出せない。

あなたのことを知るのは、そう簡単にはいかないなあ。



私が気を遣ってくれる団長さんふたりにお辞儀をすると、さっそく詠唱の指導が始まった。

長時間連続で魔法を使うのは、流石に魔力の消費も激しいので大変そう。

私は詠唱を教えるだけなので、少し申し訳ない。

心配をかけたお詫びと日頃の感謝を込めて、今度何かお返しをしないといけないかな。


あなたは何を渡せば喜んでくれるんだろう?

昔はババ様が作ってくれる特製アップルパイを、君は満面の笑みで頬張っていたよね。

そうだ。アップルパイを作ろう。

ババ様の手伝いをしていたから、ちゃんと作り方は覚えている。

もしかしたら、あなたも懐かしい味にババ様を思い出してくれるかもしれない。

これだったら、意気地なしの私にもできる。

我ながらいい考えを思いついたかもしれない。



私は休日になると、城下に出てアップルパイを作る材料を買うことにした。

次の日にあなたが詠唱訓練に参加することをリサーチしておいたから、渡す機会はちゃんとある。

遠征帰りだから、休憩には甘いものがぴったりなんじゃないかな。

そうそう。遠征といえば、あなたは全くの無傷で帰ってくるものだから流石だよ。

あなたは今も昔も、とっても強いんだ。



「うわっ。クロリアだ! あっちいけよ!!」


町の子どもたちが避難の声をあげながら、目の前を走り去って行く。

私はポツンとひとり取り残された女の子を見つけて彼女がクロリアという名前だと知った。

その子は今にも泣きそうな顔をしているのだけれど、口をぎゅっと結んで何かを耐えている様子で、それが妙に私の目を引いたんだ。


「ねえ、きみ」


気まぐれってやつかな。

私は彼女が気になって、声をかけたんだ。

女の子はとても驚いた表情で私を見上げた。

その子の赤い瞳は、光に照らされてとても神秘的だった。

そこで私は、なぜ彼女が虐められているのかを理解したんだ。

赤い目は、魔物の特徴のひとつ。

彼女はその目のために疎まれているのだと。

周りの大人たちの視線も冷たいし、彼女を空気のように扱っていることが私にはすぐにわかってしまう。


「私ね、あまり城下を回ったことがないんだ。案内を頼めないかな? あ。もちろん、何か奢るから、ね?」

「え、あの……。でも、あたし」


口籠る彼女に私は笑った。


「とっておきのおまじないをかけてあげるから、大丈夫だよ」


クロリアちゃんの両手を取って詠唱する。

彼女の足元に魔法陣が現れると、光に包まれてクロリアちゃんの姿が変わった。

茶色の髪は暗い青色へ、赤い目は緑に。

髪の色の変化に気がついたクロリアちゃんは、目をまんまるくさせた。

私は彼女の手を取って、路地から大通りに出る。


「見てごらん」


ショーウィンドウに映る姿を見て、クロリアちゃんは大きな目をぱちぱちさせた。


「赤く、ない」

「魔法でみんなから見える色を変えたの。だから、案内を頼んでもいいかな?」

「うん!! ありがとう、お姉さん!」


彼女は私の腰を抱きしめる。

どうしよう、ものすごく可愛い……。

それからクロリアちゃんとふたりで町をぶらぶらして、必要なものをそろえた。

彼女はこの国のことをよく知っていて、すごく助かったよ。


「エレンお姉ちゃんは魔導師なの?」

「うーん。まあ、そうとも言えるのかな〜」

「なら、あたしも魔導師になりたい!」

「なんで?」


クロリアちゃんに案内された街を望めるとっておきの場所で、昼食を食べながら私は訊いた。


「あたしもこの魔法を使えるようになりたいし。それに、エレンお姉ちゃんみたいに、困ってる子を助けてあげたい!」


クロリアちゃんの純粋無垢な笑顔に、目を細めた。


「そっか。きっとなれるよ。赤い目の民は、生まれつき魔法を操るのが得意なんだから」

「え?」


どうかクロリアちゃんが自分の目を嫌いにならないで欲しくて、私は彼女に言った。


「あたしの目は、魔物の目だよ?」

「違うよ。本当の魔物の目はもっと赤黒い色をしているの。クロリアちゃんの目みたいに、宝石みたいに透き通った綺麗な色はしていないよ」

「ほ、本当? エレンお姉ちゃんはあたしの目、気持ち悪くないの?」


心配そうに揺れる緑色の目を見て、私は首を横に振る。

気持ち悪いはずはない。

あんなに綺麗な目なんだから、隠しておくのはもったいないくらいだ。

クロリアちゃんはそれを聞いて、うるうると目に涙を溜める。


「あ、あたし。この目が嫌いだったの」

「うん」

「だって、みんな、魔物の子だって、あたしのことをいじめるから」


赤い目の民は、かつて魔物たちから人々を守るために「砦人」と呼ばれる役割を、反対側の大陸で果たしていた。

しかし、むこうの大陸が長きにわたる戦乱の時代を迎えると、彼らは優秀な戦力としてその身を捧ぐことになり、次第に数を減らしていったのだ。

クロリアちゃんは、その赤い目の民の血を継いでいる。

きっと彼女の祖先が争いから逃れるためにこちらの大陸に渡ってきたのだろう。

だが、この大陸に、赤い目の民の記憶はない。

何も知らないこちらの大陸の人間に疎まれるのも避けられないことだったのだ。


「あたしの目、きれい?」

「うん。とっても」

「そっかぁ〜」


へにゃり、と顔を緩めて笑うクロリアちゃん。

私は昔のことを思い出さずにはいられなかった。













「セオ。エレン。町まで買い物してきてくれ」

「わかった」

「はーい」


ババ様にお使いを頼まれるようになったのは、私が6歳だから、あなたが7歳くらいの時からだった。

今思うと、「知恵の魔女」と呼ばれるババ様の手にかかれば町に下りなくても必要なものは揃えられたはずだから、私たちに外の世界を学ぶ機会をくれていたんだろうね。

その日はまだ雪の残る寒い冬だったから、たくさん服を着込んで支度を整えた。


「はい、これがリストとお金。残ったお金は好きに使ってきな」

「やったぁ!」

「ありがとう、ババ様」


君のほうが年上だから、もらったリストと財布を大事そうにしまって準備は完了。


「気をつけて行くんだよ」

「はーい。行ってきまーす!」


玄関で見送ってくれているババ様に元気よく手を振ると、いつの間にか除雪された道を通って町に降りた。

深い森を慣れた足取りで抜けて、カミュラ国の首都——ティルミに出るとお昼の時間帯なので、商店街は賑わっていた。


「いい匂いがするね」

「うん。買い物が終わったら、何か屋台で食べようか」


君が優しく笑うから、私も嬉しくて何を食べようかと屋台を物色したなあ。


「うわぁ。あれ、絶対おいしい!」


ジュウジュウ音を立てて肉が焼けるのを見つけた釘付けになっていると、


「エレン。はぐれちゃうよ」


先に歩いていた君は慌てて私の隣に戻ってきてくれる。

君は私が熱い視線を送っていたものに視線を移すと、プッと吹き出して店員に声をかけた。


「おじさん、それひとつ」

「はーいよ。お使いかい? 偉いな! オマケしてやる。ほいよ」

「ありがとうございます」


肉の串焼きを2つ受け取ると、君はそれをひとつ渡してくれる。


「ありがとう、セオ!」


大きく口を開けてそれをパクリ。

柔らかい肉は噛めば噛むほど甘みがあって、とても美味しい。

頬張る私を見たあと、君も串焼きにかぶりついた。

そうして軽食をつまみながら、ババ様のメモを見ながら食材を買い終えると、私たちは帰路についたんだ。


歩いていると、前方に人の流れを無視して立ち尽くす男性がひとり。

私はその姿を見て、知らない人のはずなのに体が震えた。


「やはり生きていたんだな」


小さな呟きのはずだったのだけれど、すごくよく聞こえた。

男はすごい剣幕で、こちらに走り寄ってくる。

私は不味いと思ったけれど、足が動かなかった。


「カトレアを返せ! この、くそガキ!!」


言葉が聞こえるのと同時に、私の体が浮いた。

その男は、私の父親だった。

嫌でもわかる。

髪の色も、目の色も、全く同じで、私に本当の母親の名前を叫ぶ男は父親以外いないだろう。

今まであわなかったことが幸運だったといえば聞こえはいいが、よりによって君と一緒にいる時にあってしまった。


「悪魔の子がっ!」


父親は鬼のような形相に変わると、掴みかかった手を突き離すものだから、私は尻餅を着く。


「何すんだよ! おじさん!」


君がそう叫んで、父親を睨んだ。

こんな光景を見せてしまったことが、私には心苦しかった。


「おまえなんて産まれなければ! そうすれば私は幸せに暮らせていたのに!!」


父親は憎悪の瞳を注ぎ、その場を去っていく。


「……」


君が隣にいることはわかっているが、一瞬そちらを見るのをためらった。

しかし気にしても仕方ない。

寧ろ彼に不快な思いをさせてしまったことを謝らねばと、そちらを見たんだ。


「びっくりしたよね。ごめん」


父親の姿を追っていた君は、ハッと私に顔を向けた。


「帰ろっか」


その時の私は、それしか言葉が出てこなかった。


「……何もできなくて、ごめん」

「あやまることじゃないよ。びっくりしたねぇ!」


君が謝る必要なんてどこにもないのに、本当に優しい人なんだ。

私はそんな君の複雑な顔を笑わせたかったんだけれど、


「次からはちゃんと、おれがエレンを守るから」


誠実な君は、真っ直ぐな眼差しで私にそう言ったんだ。

それからというもの父親のことが気になって、自分を鏡で見る度に彼を思い出してしまうものだから、私は自分の容姿が次第に嫌いになっていった。

優しい君は、それに気がついたんだろうね。

ある日、器用に私の髪を結んでくれながら言ったんだ。


「エレンの亜麻色の髪とすみれ色の目、おれは好きだよ」

「え?」


きょとんとしていると、「エレンの目は、綺麗だ!」と言って君は屈託なく笑うから、私はそれ以上容姿を気にすることは無くなった。

君の言葉には、どんな魔法も敵わないんだ。








「今日はありがとうね。クロリアちゃん」


そろそろ戻ってアップルパイを焼かなくてはならない。

私はクロリアちゃんにお礼を言った。

彼女が寂しそうに顔をしゅんとさせるのが、私も後ろ髪引かれた。


「あ、あの。エレンお姉ちゃん」

「うん?」

「ま、また。一緒に……」

「うん。また遊ぼう! 約束する!」


クロリアちゃんはそれを聞いて、ぱあっと顔を輝かせた。


「うん! 約束!」


帝国でできた可愛い小さな友人。

あと何回会えるか分からないけれど、大事にしたいと思ったんだ。

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