10通目。家族の願い

「エレンさん。今日はなんだかご機嫌がいいみたいですね?」

「わかりますか?」


クロリアちゃんと揃えた材料で、ババ様直伝のアップルパイを完成させて私はサラさんが言う通り機嫌が良かった。


「たくさんうまく焼けたので、サラさんもどうぞ」

「ありがとうございます」


幸せのお裾分けだ。

サラさんのために包んでおいたアップルパイを渡す。彼女は「ははーん」と目を光らせると、私に耳打ちする。


「もしかしてエレンさん、ジークフリート様のことがお好きなんですか」

「えっ!?」


思わず声が大きくなった。

勿論好きだけれども、そんなにわかりやすかっただろうか?


「そ、そう見えますか……」

「ええ。見えます」


バレてしまっては仕方ない。

私はアップルパイをあなたのために焼いたことを白状した。


「わたしはいいと思いますよ。あ、でも」


サラさんは何かを思い出した様子。

言葉の続きが気になったが、彼女は私に気を遣う目つきになり、言うのを戸惑っていた。


「教えてください。彼のこと。何かあるんですか?」


ここぞとばかりに、私はサラさんに頼み込む。

彼女はちょっと困ったように息を吐いたけれど教えてくれたんだ。


「彼のペンダントの話、聞いたことありませんか?」

「いえ」


ペンダントと聞いて、私の脳裏にはひとつ思い浮かぶものがあったが、サラさんの話に集中する。


「ジークフリート様は帝国の西の森で倒れていたところをロマロニルス公爵に助けられたそうです。

当時、彼は何も覚えていない様子でしたが、唯一持っていたペンダントだけはひと時も手離したがらなかった。

後に、その銀のペンダントには魔力を通すと文字が浮かび上がることがわかったそうです。

詳しい内容まではわかりませんが、どうやらそこには『カトレア』という女性の名前が刻まれていたようで、彼はずっとその人を探しているみたいで。

実際に、2年前にカトレアという名前のメイドと付き合っていました。

でも……」


「——“でも”?」


「その女は、どうやらクーデターを起こそうとしていた革命集団のスパイで。彼を取り込もうとして騙していたんです。

まあ、だからどうだって話でもないんですけれどね。ただ、彼はまだそのカトレアさんを探しているのかな、と気になっただけなんです」


エレンさんには関係ない話でしたよね、と笑うサラさん。

私は言葉が出てこなかった。

そのカトレアと刻まれたペンダントは、元々私が〈迷いの森〉に捨てられたときに持たされていた母の形見だ。

君を庇って死を覚悟して、セオに託したのである。

私の母は私を産んですぐに死んでしまい、狂った父親に殺されそうになったところを侍女さんが形見と共に私を森に捨てた。とババ様が魔法で調べて教えてくれた。

だから、そのペンダントのカトレアはもうこの世に存在しない。

探しても見つかるはずがないんだ。


『まだ探しているのかい?』


公爵さまのあの言葉が、今になって思い起こされる。

そのスパイの女性に過去をも誑かされたなら、あなたが「過去にすがる女性が一番嫌い」と言ったことが理解できる。

どうしてあなたがカトレアを探しているのかは分からない。

でも、私は事実を知っている。


どうすればいい?

あなたは、こんな私の言葉を信じてくれる?

裏の大陸で10年一緒に暮らした家族なんだと言って、あなたは私を受け入れてくれる?


「エレンさん?」

「……」


顔を覆った手についた甘い香りが、その時はただやるせなかった。




悶々とする頭の中、私はアップルパイとお茶を持って騎士団の訓練場へ向かう。

お礼に変わりはないので、アップルパイは渡すけれど……。

私は一体、どんな顔をしてあなたに会えば良いかわからなかった。

それくらい、サラさんから聞いた思いがけないあなたの話に困惑していたんだ。

もしかして、私のせいであなたは余計な探し物をして、嫌な思いをしたのではないか。

そう考えずにはいられない。


「嬢ちゃん、おはよう!」

「おはようございます……」

「なんだ? 元気ねぇな?」


先に着いていたダグラスさんが、私の顔を見て怪訝な表情に変わる。


「ちょっと考え事を。体調が悪いわけではないので、気にしないでください」

「そーか? なら、気にしないが」


アップルパイの入った袋を端に置いて、私は記録の準備に移った。


「お! ジーク。来たな」

「おはようございます」


背後にあなたの声が聞こえて、私の肩がびくりと上がった。

どうしよう。どうするべきなんだろう。

私の頭でぐるぐる思考が渦を巻く。


「で。今回はどうだったんだ?」

「違いました」

「そうかー。お前もそろそろ身を固めねぇと、公爵の旦那も心配してんぞ?」


どうしてこういう時に限って、話の内容がわかってしまうのだろう。


「見つけてもどうなるかはわかりません。彼女が、俺にとって何なのかすらわかっていないんですから」

「そうなのか? なら、なんで探してんの? カトレアさんだっけか」

「……。俺は自分のことが知りたいだけなんです」

「ふーん」


その会話に、私は思わず後ろを振り向いた。

あなたと視線がぶつかる。


「何?」

「いえ……」


そして私はまた何も言い出せずに、唇を噛んで俯くしかないんだ。


「……体調は、もういいのか」


それなのにあなたがそんな風に訊いてくれるものだから、さらに胸が詰まる。


「はい。大丈夫です。本をありがとうございました。ジークフリート様も遠征、お疲れ様です」

「……」


あなたは無言で私を見つめるから、「どうかされましたか?」と小首を傾げた。


「なんか、甘い匂いがする」


それを聞いて、私は目を丸くした。

よかった。

あなたは甘いものが嫌いではなさそう。

これで嫌がられたら、私の心は崩れて灰になっていたよ。


「ご心配をおかけしたお詫びとお礼にアップルパイを焼いたんです。休憩のときによかったら」

「おっ。やったな! 今日も頑張ってやらぁー」


ダグラスさんの意気込みに、思わず笑みが漏れた。エリートの彼らからしたら、こんな地道な作業はやってやるものなのだろう。

いつも通り詠唱を何個も試行して記録をとり、ひと休憩。

食べやすいようにカットして包んでおいたアップルパイとお茶をダグラスさんとあなたに勧めた。

パイもお茶も、昔とそのまんまの組み合わせだ。


「ウォーカーさん!」


是非感想を聞きたかったところだったけれど、オーマン様に呼ばれたので私は彼の元へ。


「どうされたんですか?」

「ロマロニルス公爵があなたに話があると」

「え?」

「客室でお待ちです」


急ぎの用らしく、私のはそのまま客室に行くことになった。

公爵さまとは会ったことがない。

それなのに話があるなんて言われて、私は嫌な予感がしていた。



客室に通されると、そこには陛下の誕生祭パーティで見たハンサムな男性が座っていた。

気品あふれる彼のオーラに、私は居心地の悪さを感じる。

でも、私も彼とは話がしたいとは思っていたんだ。

ここで怖気付いては駄目だと自分に言い聞かせて、公爵さまの前へ。



「……やはり、君だったか——」



開口一番、彼の言葉は私を混乱させるのには十分なものだった。

公爵さまの表情は険しい。


「座っておくれ。ジークフリートのことで君と話がしたいんだ」


どうにも雲行きが怪しいことに、私もそろそろ覚悟が必要だということを受け入れるしかなかった。

人ばらいがされた客室に、公爵さまと私。

積もる話になるからと置かれたお茶を飲むような気にはなれなかった。

そんな、重たくて真剣な雰囲気がこの部屋には詰まっていたから。


「突然呼び出してすまないね」

「いえ」

「ぼくはディルク・ルド・ロマロニルス。公爵ではあるが、そう固くならないで欲しい。

君は反対側の大陸から来た、エレン・ウォーカーさんで間違いないね?」

「はい」


彼は私が頷く間も目を逸らさず、じっと目を見ている。この人の前では嘘など話せない、そんなプレッシャーすら感じた。

公爵さまは、その漆黒の瞳を私に向けて告げる。


「そして君は、ジーク、いや。セオと家族同然に育った女の子だ」


私は息を飲み、それは大きく目を見開いた。


「ど、どうしてそれを……」


何故彼がそれを知っているのか、私には不思議でならなかった。

彼はそれから、再会するまでの13年間のあなたのことを教えてくれた。


大きな魔力の反応があったら、公爵さまが駆けつけたところ、あなたがぼろぼろで意識のない状態で森に倒れていたこと。

目を覚ますと、私の名前を呼んで暴れまわって、目を離すと自傷行為に走ってしまうほど心が悲鳴を上げていたこと。

魔力が多い君だから被害もそれなりで、止めるのにも限界があったから、代々裏で暗躍する公爵さまが知る記憶を操作する魔法で彼の辛い記憶を消すことになったこと。

忘れさせた記憶は、君が叫んだ「エレン」という情報だけだったそうなのだけれど、君はどういう事か過去の記憶を全て失ってしまったそうだ。自分が何者がであるかを含めて。

公爵さま曰く、どうやら君にとって私もかけがえの無い存在で、それ無しでは、他の記憶も丸ごと封じ込められてしまったみたいらしい。

それから十数年の間。

数回、何かがトリガーになって、あなたが記憶を取り戻しそうになったことがあったそうだ。

しかしその度にあなたは頭痛に呻き、苦しんだ。ひどい時には、ベッドから起き上がれなくなるくらい衰弱してしまったらしい。

記憶を思い出してはならないと、身体が自身を守るために拒否反応を起こしていたのだ。

だから、公爵さまはあなたが思い出しそうになる度、記憶を忘れさせていた。

あなたを守るために。


「ぼくは記憶を覗くこともできるから、“エレン” がどんな容姿の子かだけは知っていた。だから、パーティの日、ダグラス団長に連れられた君を見た時、すぐにわかった」


苦渋の表情が公爵さまに滲む。


「ジークに君の記憶が無いのはぼくのせいだ。すまない。…………だが」


——どうかお願いだから、それ以上先を言わないで欲しい。

茫然と座って話を咀嚼していた理性の代わりに、私の本能が心の中ではそう叫んでいた。




「頼む。あいつのために、これ以上近づかないでやってくれないか。また記憶が開きかけているんだ————」




深く、深く頭を下げられた。

裏では「王の懐中」とも呼ばれる公爵さまとあらせられる人が、血の繋がらない息子のために、平民の私に頭を下げている。

貴族としてはあるまじき行為だ。

しかし、それだけ、あなたはこの人に愛されていた。

私がいない13年という時間、彼はずーっとあなたを守り続けていた。

本物の家族なんだ。


もう会えないと心のどこかで諦めて、こちらの大陸に渡ることにした私なんてニセモノでしかなかった。


「……わかり、ました」


絞り出した声に、公爵さまが顔を上げる。

彼はこちらを見ると、眉を寄せてまるで泣き出しそうなお顔をされて「すまない」と目を伏せられた。きっと私の表情が見ていられないほど酷いものだったんだと思う。


「謝らないで下さい。公爵さまは何も悪いことなどなさっていません」

「しかし……」

「いいんです。私もやっと心を決めることができそうですから。

あの人は公爵さまのご子息、ジークフリート様です。他の誰でもありません」


あなたに一番最初に言われたことだと、公爵さまに伝えると、彼はため息と共に顔を手に置いた。肩が震えているのが伝わってくる。

正直、私も泣きたかったはずなんだけれど、ロマロニルス公爵を見ていたら、涙はどこかに行ってしまった。


「その、公爵さま。ひとつだけお願いしたいことが」

「……なんだい? 多少のことなら何でも用意しよう」


落ち着いた後、私は彼に言った。


「ジークフリート様のペンダントのことなんですが」

「ああ。それはぼくも気になっていたんだ。ジークの記憶を探したんだけれど、全く情報が得られなくてな。あんな女をあいつに近づけてしまった……」

「あのペンダントが指すカトレアという女性は、彼とは何も関係がない人です。あれは、私の母の形見なんです」


公爵さまは瞠目した。


「では……カトレアさんは」

「私の母です。もう死んでいます」

「……そうだったのか。だから、ジークはあれほど会いたがっているのに、何も記憶がなかった……。あのペンダントだけは、残してやりたいと思っていたんだがな」


彼は目を瞑った。


「わかった。教えてくれてありがとう。考えておくよ」

「はい。お願いします」


私にできることは、もうこれで終わりだ。

君を探す長い旅路も途切れた。

あなたは、これから素敵な家族と仲間の中で幸せになっていく。


「もし困ったことがあったら遠慮なくぼくに言ってくれ。あいつの妹なら、君も家族同然だ」


公爵さまはそう言ってくれたけれど、私はあなたの家族ではない。

血の繋がりも、一緒に暮らした絆もないのだから。

ここでお暇させてもらうのが、あなたのためにも私のためにも最善だった。

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