8通目。あなたの父

無事に秘宝を回収することに成功した私たち。

晴れて陛下の誕生祭を迎え、六日目に皇子から秘宝が彼へ贈られた。

私はこのおめでたい大事な行事に欠席することが許されず、慣れない雰囲気に肩が凝りそうだった。

作法がわからない、ドレスがない、華がない、と色々理由をつけて断ろうとしたのだが、それは無理だったんだ。

それでも、ずっと玉座に座って献上を受けるなんてことを耐えなくてはならない皇帝陛下のことを考えると、マシだと思えたよ。

人の出入りが多くなって、いつも以上に警戒しなくてはいけないあなたたち騎士と比べてもね。


六日目には全ての式が終わり、七日目は打ち上げモード。

サラさんが言っていたパーティはこの日の晩に行われて、私も出席することになった。

多少のことは多めに見てもらえる会だから、みんなお酒がよく進む。

健全な国だなと改めて思いながら、私も料理に舌鼓を打っていると、ドレスコードのあなたを見つけた。

やっぱり、どんな格好も似合ってしまう美形である。

周りには話しかけようとしている女性陣がいくつかあって微笑ましい。

なんでも、あなたは「氷の貴公子」なんて呼ばれているそう。クールな雰囲気がその由来らしいけれど、昔の君には合わない呼び名だね。

でもあなたのことだから、きっと素敵な女性と付き合っていたこともあるだろうと勝手に想像した。

もし君を誑かそうとする女が近づいて来たら、これからは私がしっかり裏から手を回して置くので安心して欲しい。

気が早いかもしれないけれど、君の血を継ぐ赤ちゃんも是非とも拝みたい。

ちょっと迷惑かな……?

私はあなたのことが知りたくて、そっと近くに寄ってみた。さりげなく、ね。


「ジーク」


近づいたのは私だけではなくて、ハンサムな男性が気さくにあなたを呼んだ。

あなたは振り向くと、ちょっと目を泳がせる。


「父さん……」


あなたから聞こえたその言葉に、私の中の時間が止まった。

父さん。父。父親。養父。

その男性こそ、ロマロニルス公爵だった。

今のあなたの家族である。

知ってはいたけれど、実際こうしてふたりを目にするのはこれが初めてだった。


「楽しんでいるかい?」

「……はい」

「はは。お前らしいな」


あなたの意を汲んだ公爵さまは、目尻に皺を寄せて笑う。


「いい機会なんだ。ジークもお嬢さんたちと話を弾ませてみてはどうだね? 楽しいかもしれないぞ?」


すぐ答えられないあなたに、彼はちょっと肩を竦める。


「まだ探しているのかい?」


その言葉に弾かれたように目を見開くあなた。

どうやら図星みたいだ。

公爵さまは静かに「そうか」と呟いた。


「お前の好きにするといい。でも、そればかりに気を取られて、近くにある幸運を逃してはいけないぞ」

「……はい。ありがとうございます、父さん」


公爵さまはポンポンとまだまだ若い己の息子の肩を叩くと、その場を去っていく。

彼は紛れもなく、あなたの父親だった。

どうしてだろう。

鼻の奥がツーンとして、目が重くなってきた。

あなたは全てを語らずとも分かち合える家族ができたんだ。

良いことじゃないか。

ああ、よかった。あなたには支えてくれる家族がいる。



————駄目だ。



私はそれ以上その場にいることができなかった。

おめでたい席なのに、こんな場違いな感情を持て余しているのは私の他に誰もいないと思う。

華やかなパーティ会場。踊り出したくなるような楽しい音色。色とりどりに誘惑する料理たち。パーティを楽しむ人々の笑い声。

そして慣れないヒールに、慣れないドレス。

全てが私を惨めにさせた。

人の間を縫って、人と顔を合わせないようにして会場を抜けると外廊下に出ていた。

あの秘宝のように白銀に輝く月が空に浮かんでいるのが、ぼやける。


「あー」


どうして、涙が出てくるんだろう。

私は本当に、この大陸であなたが寂しい思いをしていなくて良かったと思っている。それに間違いはないんだ。

よかった。安心した。あなたは大丈夫だ。

だから、こんな涙は必要ない。

そう言い聞かせているのに、涙は止まるどころか溢れてくる。

これはもう認めるしかなかった。


「ショックだったのか。私……」


何て私は弱いんだろう。

あなたが寂しい思いをしていなくて良かった?

私が寂しかっただけでしょう。

あなたは大丈夫だ。

大丈夫じゃないのは、私だった。

いつまで経っても、過去にすがってる弱い人間なんだ。

何を勝手に弱い私をあなたに重ねて、勝手にこうして打ちひしがれているのだろう。

ずるずるとしゃがみ込み、私は途方に暮れるしかなかった。


「ババ様に会いたいなあ」


いっそこのまま消えてしまおうか。

そんな度胸もない癖にと自分を嗤おうとしたら、身体がぶるりと大きく震えた。

何かこみ上げるものがあって、私は片手を地面につき、もう片方の手で口を押さえる。

ゴホゴホと引っかかるような嫌な咳が出た。

口の端から何かが垂れるのがわかる。


「あ」


地面には黒い液体。

口から手を離して見返すと、月明かりに照らされて赤い液体がべっとりついている。


私はこの大陸から見て裏の大陸。または、戦乱の大陸と呼ばれる場所にいた人間だ。

無傷で生き延びれるほど強く無いし、魔力が少ししか無いから怪我をしても治療のレベルが低い。

君を庇ってできた傷はかなり深かったから、内臓もやられてる。

良心的な軍医さんに助けてもらったと言っても、あの人もいいところに実験台が転がってたから助けてくれただけなんだ。おかげでその代償にといわんばかりに、臓器を盗られてる。

今、生きているのが御の字くらいの身体だ。


馬鹿なことは考えるものじゃないね。

私はあなたの子どもを見るまでは、死にたくないんだ。でないと、ババ様に自慢できないからね。

とりあえず、ドレスは汚さなかったのでセーフとしようか。

ちょっと落ち着いたら、居館に戻ってちょっと休もう。

きっと秘宝を取りに行った時に、慣れない環境で必死に頭を使って疲れが出たんだ。

元気になれば、陰気な私の考えもすこしはマシになるはず。


「嬢ちゃん——?」


そこで、後ろから声が聞こえる。

私のことをそんな風に呼ぶのは、あの勇ましい〈朱い雀〉の団長さんくらいだ。


「おい、どうした」


彼は私の異変に気がついたのか、酔いも覚めた様子で側に来てくれる。

暗くて見え辛かっただろうが、血の匂いがしたのだろう。

ダグラスさんは血相を変えて私の顔を覗き込んだ。


「だい、じょうぶ、です」

「そんな訳ないだろ!」


静かに自室に戻る予定だったのだが、どうやら見つかってしまったらしい。

もうちょっと離れた場所に行くべきだった。


「こんな、めでたい時に、みずはさせま、せん」

「バカ言ってんじゃねぇ!」


彼は私を抱き上げた。

それから確か、ダグラスさんはパーティ会場に「セリーナはいるか!!」と大きな声で乗り込んだんだ。

助けてもらっておいてなんだけれど、あれは流石にどうかと思う。欲を言うなら、城のお抱え治癒師であるセリーナ・ハーバーさんだけ呼んでくれたらよかったのに。

みんな楽しんでいたところに、団長さまがそんな怖い顔をしていたら、楽しめるものも楽しめなくなる。

だから、放っておいてくれても本当に大丈夫だったんだ。


「その子どうしたの、ダグラス?!」

「わかんねぇ。外で吐血していたんだ」

「大したこと、ない、です。少し休めば」


セリーナ先生がダグラスさんの腕の中で白い顔をして喋る私を見て、目を吊り上げた。


「黙ってなさい」


あれはちょっと怖かったな……。

彼女は私の身体に手をかざし魔法を発動すると、それは複雑な顔になった。


「あなた……。ダグラス、すぐにこの子を医務室に運んで」

「ああ」


それからのことはよく覚えていない。

おぼろげな記憶で、セリーナ先生が「毒」とか言っていたのは、きっと私が毒を盛られた可能性があると思われてしまったのだろう。

余計な不安を持ち込んでしまって、さらに申し訳なかった。

それから私は多分、というか絶対、医務室に運ばれて彼女の治療を受け、病室送りにされた。

見つけて運んでもらっただけでも十分なのに、その間、ダグラスさんはずっと側にいてくれたみたいなんだ。強いお酒の匂いと、彼の声がしたからね。



夢現を漂う中、私はこう思ったことだけは、ちゃんと覚えている。



——ああ。私にもお父さんがいたら、こんな人がよかったな。と。









目を開けると、見慣れない天井が目に入った。

顔を横にずらすと、腕に管が繋がれていて点滴がされている。

どうやらここは病室で間違いなさそうだった。

私は起き上がって自分の体を見る。服は着替えさせられていた。

上着をめくってみたが、女とは思えない傷の多さは変わらない。

誇れるのは、君を庇った一番大きな傷だけだ。

普通にお腹が空いたので、私はベッドから下りて病室を出る。

診察室と書かれた札を頼りに、そこへ顔を出してみた。


「あ。いた」

「ちょ、あなた!」

「昨日はお助けくださり、ありがとうございました」

「どういたしまして、って!? 何勝手に出歩いてるのよ?!」


セリーナ先生には、また叱られてしまった。

私が正直に「お腹が空きました」と言うと、彼女はふかーい溜息を吐く。


「わかったから。ベッドに戻りなさい」

「はい!」


私は言う通りにベッドに戻った。

その途中に時計を見てみると、時刻は午後5時。だいぶん寝坊してしまったみたいだ。


「食事は持ってくるわ」

「ありがとうございます」


昨日は夕ご飯を少ししか食べず、朝ごはんと昼ごはんも抜けてしまったから、お腹がぺこぺこ。

私は満面の笑みだったと思う。

でも、ベッドの横にたたずむセリーナ先生は、私を見てすごく悲しい顔をしていたんだ。

表情に出ていた訳じゃない。でも、彼女の目はそう言っていたからわかった。

私のボロボロの身体を知ってしまったのだと。


「あなた——」


セリーナ先生とは初対面だが、彼女が優しい人だと言うことはすぐにわかる。

だから、彼女がそんな顔をする必要はない。


「ボロボロですよね。わかっています」


時々身体が悲鳴を上げるのは、今に始まったことではなかった。

私は極めてついている。

こんな身体でも、戦争を生き延びたこと。君に再会できたこと。こんな優しい人たちに出会えたこと。


「私、結構しぶといので大丈夫ですよ。でも、その。どうしても言わないといけない方以外には、黙っていてくださいませんか?」

「……わかったわ。陛下とレイスさんには報告するけれど、他の人にはもし聞かれても過労と言っておく」

「ありがとうございます。すみません、こんなお願いをしてしまって」

「患者さんのプライベートを守るのもわたしの仕事よ」


なんてかっこいい先生なんだろう。

助けてくれたのがセリーナ先生で本当に良かった。


「でも、聞いてもいい? その怪我について」


彼女はとても聞き辛そうだった。

陛下に報告しなくてはいけないのだから、セリーナ先生にも悪いことをしたものだ。


「そんなに遠慮なさらないでください。セリーナ先生のご想像通りですから。この傷とも長い付き合いですし、今更気にしていません」

「そう……。じゃあ、やはりその傷は戦争で……」

「はい。私が育った国は滅ぼされましたからね」


カミュラは滅びた。今や誰も住まない荒れた地だ。

でも、あの大陸ではそれも珍しいことではない。あそこはそれくらい戦乱に満ちたところだった。


「ご家族は?」


その質問に、私はちょっと答えに詰まった。

なんと答えれば正しいのか、少し考える。


「……血の繋がらない、音信不通の兄がひとり。彼以外には、もういません」


そうして選んだ言葉はそれだった。


「そう。その人はあなたの身体のことを知っているの?」

「いえ」


私は首を横に振った。


「もう連絡が取れないまま13年が経っていますから。家族のことは気にしないで下さい」


本当はすぐそこにいるのに、君は私を覚えていない。

改めてその事実を突きつけられた気がした。


「……。もう、何も言わなくていいわ」


私が情けない顔をしていたからかな。

セリーナ先生はそれを聞くと手元の資料をベッドの上に置いて、私を抱きしめた。

身体をぎゅっとされるのと一緒に、心もぎゅっと音を立てる。

こうして誰かに抱きしめてもらうのは滅多にないから、びっくりしたのかもしれない。

私は言葉が出なかった。


「たったひとりでこの大陸に来て、ちゃんと仕事をして。あなたはすごいわ。だから今は少し休憩してもいいの」

「はい……」

「出会ったばかりで頼りないかもしれないけれど、一緒にいることくらいはできるわ。いつでもここに来て」

「はい」


セリーナ先生が身体を離すと、温もりが消える。

彼女は温かい人だった。


「ありがとうございます。セリーナ先生」

「礼なんていらないわ」


セリーナ先生はそれから私の診察をして部屋を出て行った。

少しして食事が運ばれてきたのだけれど、持ってきて来てくれたメイドがサラさんなものだから嬉しかった。

彼女も私がダグラスさんに抱えられていたのを見たらしく、心配させてしまったみたい。


「目を覚まされたと聞いて、給仕を代わってもらったんです。体調は……?」

「平気ですよ。心配をおかけして申し訳ないです」

「いえ。お元気そうで良かった……。無理は禁物ですよ?」

「はい」


料理は消化によいものばかりで、完全に病人対応。本当はもっとたくさん食べたかったのだけれど、またセリーナ先生に怒られそうなのでやめておいた。


私は過労ということで、しばらくの間病室で大人しくすることになった。

セリーナ先生にお願いして、研究室から仕事の道具を持ってきてもらおうとしたのだけれど、却下されてしまい暇を持て余していた。

でもね、見舞いに来てくれる人がこの城にいてくれたんだ。

ダグラスさんに、オーマン様。詠唱訓練でお世話になっている青、白、黒の団長さんたち。

驚いたのは、エドウィン皇子とオーロラ姫まで見舞いにきてくれたこと。

美味しいフルーツを差し入れしてもらえて、病人も悪くないななんて思ってしまった。

こうして来てくれたのは、少しは私も帝国で役に立てているということなのかもしれない。


でもやっぱり一番嬉しかったのは、あなたが見舞いの品をくれたこと。

あなたが直接渡してくれたわけじゃない。

社交辞令だってことくらいわかってる。

それでも、ダグラスさんから渡された一冊の本が、私にとっては宝物みたいだった。

内容は帝国の建国史とお堅いものだったけれど、何周もしてしまったよ。


丁度あなたからもらった本を3周したとき、私は病室と別れを告げることになった。


「定期検診にちゃんと来る。食べ物はなるべく消化に良いものにする。ちゃんと睡眠をとる。わかった? エレン」

「はい! また来ますね、セリーナ先生」

「ええ」


この件で5日ほど休暇をもらったので、私はすっかり元気を取り戻した。

そろそろあなたの様子を見たくなってきたところだったので、病人ぶるのもここまで。本のお礼を言わなくてはならない。

お世話になったセリーナ先生にお礼を言って、とりあえず仕事場に直行する。

先生とはこの数日ですごく仲良くなれたと思う。努力家で、いつも医務室にある研究室で夜まで勉強している姿はカッコ良かった。

私も頑張ろうと思えたんだ。


久しぶりの研究室には、本の匂いが充満していた。嫌いじゃない、どこか落ち着く匂いだ。

また詠唱の指導をすることになれば、あなたと自然に会うことができるから、解読を頑張らないと。

そう考えると、私はセリーナ先生みたいに「人を救う」なんてすごい大志も持たないただの研究者だ。セリーナ先生はやっぱり、尊敬すべき人である。


「そういえば」


私はそこで公爵さまの話をふと思い出す。

どうやら、あなたは誰かを探しているみたいだね。

それがババ様か私だったらいいのにな、なんて思ってみたりするけれど、そんなに都合の良いこともないだろう。

あなたにはこれ以上嫌われたくなくて、書庫以来過去のことを口にはしていないのだけれど、ロマロニルス公爵なら何か知っていないだろうか。

あなたがどうして記憶を失ったのか。

どのようにして、この大陸に来たのか。

何か情報が得られるかもしれない。

そう考えたら、公爵さまと話がしてみたいと思った。

パーティの日にあなたの父親の存在にショックを受けたくせに調子が良すぎるかな?

でも、十分休ませてもらったから元気が有り余ってる。

今のうちに、あなたのことをなんとか知りたいと思った。


どうやら、セリーナ先生の見立てによると私の身体もそろそろ限界が近いみたいだから。

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