5通目。あなたの仲間
あなたは、私より頭ひとつ分くらい高くて、無駄のない筋肉が逞しく、それでいてそのかんばせは凛として美しい。
「どうかしたか」
その姿を目に焼き付けるようにして観察していた私をあなたは無表情のまま呼んだ。
詠唱訓練の指導をすることになった私は、騎士団の訓練場にて詠唱を教えることになっていた。
あなたの魔力保有量は帝国随一。
言い換えると、あなたに使えない魔法は他の人にも使えない。ということで、私はあなたと他数名の魔法に長けた団長さんたちを相手に詠唱を教えている。
帝国きっての強者を最初に指導するのは、当然の成り行き。仕事であなたと一緒にいられるとは、私はとてもついている。
ある程度強力な治癒魔法を覚えてもらい、今は攻撃の魔法を教え始めたばかりのところだ。
最初っから「あんた」やら「お前」やら、たまに「ウォーカー」と呼び捨てされる私は、きっとあなたに舐められている。
あなたは団長では無いのだけれど、それに次ぐ強さで、ひとりで任務に当たっていることを知ったのはつい先日。〈黒い亀蛇〉の団長キース・アルバート様から聞いた話だ。彼曰く「あんだけ自由に動ける騎士はあいつ以外いないね」だそう。少し羨ましそうな目だったのは印象的だった。
私は会う回数を重ねて「ロマロニルス様」から「ジークフリート様」とあなたを呼ぶようになった。ロマロニルス公爵と混合するので、そう呼ぶように彼から言われたのだ。
いつしか、また「エレン」「セオ」と呼び合う仲になりたいけれど、今は我慢。
捕虜になった一年を思い返すとこの状況が恵まれ過ぎていて、怖くなるくらいなのだから、一気に望みすぎてはバチが当たりそうだ。
じっとあなたの冷たい瞳に見られて、私は慌てて答える。
「さっきの詠唱の中盤、〈端〉の音を間違えています。〈箸〉ではなく〈端〉です」
あなたを観察していましたなんて言えるわけがないので、私は気になっていた所を指摘する。
あなたに言われた通り、ちゃんと仕事をしてますよ。
「〈箸〉?」
「いえ。〈端〉です」
「それだけで魔法が変わるのか?」
「……多分」
言葉を濁した私に、あなたは小首を傾げた。
「すみません、私はこんな長くて強い詠唱に注ぐ魔力を持っていないので、試すことができないんです」と説明すると、あなたは「そうだったな」と最初に間違った詠唱で魔法を発動した。
炎の檻が形成される魔法は、それでも十分な威力がある。私は思わず後ずさった。
あなたは平然とそれを見届けてから、再び詠唱を口ずさんだ。次は正しい詠み方で。
すると、どうだろう。
先ほど発動した魔法は、縦にしか赤い炎が燃え上がらなかったのが、ちゃんと上部も閉じた完全な檻になり、炎も青く燃え上がった。
「オイオイ。今の、いつもと同じ詠唱じゃなかったのかよ? 凄いことになってるぞ?」
離れて詠唱を練習していた〈朱い雀〉の団長ダグラス・セーム・ビネーガー様が、非常に驚いた顔で私たちに駆け寄ってきた。
その様子からして、そんなに大きな声ではなかったのに、あなたの詠唱が聴こえていたらしい。
「中盤の読み方をひとつ変えただけです」
「え? どこだよ?」
「〈箸〉だと思っていたのは、〈端〉と詠むそうです」
「あっ?! それだけかよ?!」
「それだけです」
ダグラス様とあなたの視線が私に向いた。
それぞれこの世には有り得ない不思議なものを見つけた時のような、そんな顔だ。
その目はまじまじと私を観察し、次にどちらからとなく互いを見た。何かを確信した眼差しである。
これは決定的に、私の能力が “使える” と帝国騎士団の重鎮がたに判断された出来事。
もしも私が大量の魔力を所持していたら、あなたたちは警戒したのかもしれない。でも実際に魔力が乏しいものだから「魔導書が詠めるただの娘」と、警戒を解いてくれる。
魔力が少ない者は弱い。
これは、裏だろうが表だろうが、どこに行っても共通の固定観念だ。
「……なるほどな。あんたが詠唱の訓練に駆り出された理由が今、よくわかった」
あなたは碧色の瞳で私を見つめた。
一体、その瞳はどんな風に私のことを捉えているのだろう。
利用できる女? 価値のある女?
どちらにしろ、この帝国から出ることは難しくなりそうだ。
ダグラス様の分かりやすい目がそう言っている。
なに。どうせ帰る場所などもう無いのだから、帝国に留まるのも悪くないはずだ。
そう難しく考えないほうがいい。
「他にもこんな風にして簡単に修正できる魔法があるかもしれませんね。団長様たちのお空きの時間がございましたら、私はいつでも研究室にいるので気軽にお声をかけてください」
私は笑った。
これは君の為でもある、なんて言うのはあまりにも酷い言い訳だよね。本当に。絶対に口には出せない。これは自分で決めたことなんだ。この国の一部になってしまった以上、力になれるよう頑張るしかない。
「なあ、せんせー」
「はい?」
ダグラス様が私に問う。彼からは「先生」と呼ばれているのだ。
「むこうの大陸から来たと聞いているが、どこの国の出身なんだ」
それは珍しくも、私自身についての質問だった。あなたも黙って聞いているから、気になってはいる様子。
「……どこの国。そうですね」
私は空を見上げる。
見晴らしの良い訓練場は、青い空が遠くまで見える。天上にいるババ様も私たちが見やすいことだろう。
「今はもう名前も無くなった、焼けた地ですよ」
もう何もない。
でも、今ここには最後の家族がいる。
それが全てだ。
「……すまねぇ。酷なことを訊いた」
ダグラス様がバツの悪い顔で謝るのを聞いて慌てた。そんな顔をされるのは、こちらも居心地悪い。
「いえ。もう昔の話です。出身ではありませんが、私は帝国に来る前まではバイスにいました。あそこはあの大陸では信じられないくらい争いのないところでしたよ」
「バイスに?」
「はい。解読士になったのは、バイスに移住した時なんです」
「へぇ。そうかい。頑張ってんだな」
「あ、ありがとうございます」
彼は私の頭をがしがし撫でる。
同情されていることに違いなかったが、もう乗り越えた話なので素直に受け取れた。
「ダグラスさん。力が強すぎます」
ぐわんぐわん私の頭が揺れていたのを見て、あなたがダグラス様の腕を掴む。
これには驚いたな。まさかあなたが気を遣ってダグラス様を止めてくれるとは思わなかった。
「お、そうか? わりぃ、わりぃ」
「いえ。このくらい平気ですよ」
ぐしゃぐしゃになった髪を撫でながら、私は呆然とそんなあなたを見つめたが、表情は読めない。
昔の優しい君を思い出して懐かしさに目を細めるのを、ダグラス様が不思議そうな顔で見ていたことに、髪を結び直していた私は気がつかなかった。
「それはそうと。せんせー。その能力についてはあまり人には言うなよ?」
「はい。わかっているつもりです。バイスで解読士になるまではずっと隠していたので」
「そうか。それもそうだよな」
彼らもあちらの大陸の戦争については、その哀れで醜い惨事を耳にしていることだろう。
だが、どんな理由であれ戦いを望むものがいたから起こったこと。人間とはそういうものだ。
裏の大陸の出身であるということは、その混沌の渦中にいたということ。
彼が私を見て納得するのはそういうことだ。
「帝国は良いところです。魔法がちゃんと人のためにある」
そうでなければ、私はとっくに逃げ出していた。帝国が魔物と戦うという共通の敵を持つ国でまとまっていてよかった。
「心配すんなよ。何かあればオレたちが守ってやっから! な? ジーク」
「……必要とあれば」
ダグラス様の人懐っこい笑みは、まるで太陽みたいに眩しい。
あなたの性格は、まあその、昔と比べるとアレだけれど、そう言ってくれるのは嬉しいかな。
「それは心強いです」
帝国の団長様に気をかけて貰えるとは幸いだ。
それからまた時間まで詠唱のチェックをして、私はあなたたちと別れた。
あなたの仲間は、とても素敵な人だった。
何だか安心したよ。
あなたは、この大陸で仲間と共に国を守っているんだ。すごく立派な人だ。
私があなたを誇らしいと思うのは、烏滸がましいかな?
……そうだな。
あなたを尊敬しているっていうのが、本心だし、一番正しい表現なのかもしれない。
あ。性格は除いて。ね?
セオを知っている私からすると、どうにもあなたがしっくりこないや。
「何はともあれ。私も負けてられないな。また “期待はするなよ” とか言われるのは嫌だし」
ひとつぐぐぐっと伸びをすると、本だらけの研究室で、私はモノクルを覗き込んで今日も魔導書と向き合うのだ。
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