6通目。真面目な眼差し

「エレン先生」


鈴の弾むような声に呼ばれて、私は顔を上げる。

今日も今日とて研究室で魔導書と睨めっこしていると、メイドのサラさんが扉の向こうで顔を覗かせていた。


「サラさん」

「昼食、いかがです?」


何故だかは分からないが、この城のメイドさんとはすぐ仲良くなり、一緒に食事をさせてもらっている。職業柄、一匹狼で仕事をしている身からすると誘っていただけるのは助かる。

「是非」と肯くとモノクルを置き、彼女の元へ。


「いつも思っているんですが、エレンさんのすみれ色の目、すごく綺麗ですよね。こっちでは見かけない色です」


モノクルを外した目を見て、サラさんがそう言う。

『エレンの目はすごく綺麗だ!』

昔、君も同じことを言ってくれたなと思い出に浸りながら、私はサラさんに笑う。


「ありがとうございます。目を褒められるのが一番嬉しいんです」


サラさんもにっこり微笑み返してくれて、それから他愛もない話をしながら食堂に。

今日は鶏肉のソテーとバターライスに料理を決めて、サラさんと席に着いた。


「エレンさん。今日はこの後も研究室に?」

「いえ。次は詠唱の指導です」

「そうでしたか。ちょっと前までみんな誰だか分からない感じだったのに、今では注目されてますよね。エレン先生」


サラさんが周りの視線を集める私に言った。

彼女が言う通り、全く認知されていなかったのが詠唱訓練を始めてから、いらぬ視線も受けている。

こうなることはある程度予想していたが、気分が良いものではなかった。


「目立つのは得意じゃないんですけどね……」


私は苦笑する。

目立ち過ぎるのは良くないことだ。

しかし、私が身を隠すことができる場所はこの城にはなかった。







「あんた、解読士だろ」


そう声をかけられる日は、遠くないことはある程度予想していた。

制服として白衣を着ている人はこの城に数えるくらいしかいない。

私が魔導書解読士だということは、簡単に目星がついたことだろう。


「……そうですが」


本当は無視して研究室に戻りたかったが、臆病な私はそうすることができなかった。

制服についたバッチを見たところ、目の前の彼は〈白の虎〉に所属する後衛担当の魔導師だとわかる。


「なあ、攻撃の魔法を教えてくれ! 頼む! オレには力が必要なんだよ!」

「っ!」


すごんだ瞳の青年に肩をがっちり両手で掴まれて、私は後ずさった。


——ああ、だから力は嫌いだ。


こんな風に力を欲しがる人には、反対側の大陸でもたくさん会ってきた。

そして私は、どの人にも欲しがる力を与えてこなかった。

だから、私は私が嫌になる。

彼の目に映った自分は、とても酷い顔をしていた。

知恵の魔女であったババ様が、迷いの森になんてこもっていた理由が身に染みてわかる。


「私の口からは教えることができません。新書で、あなたの望む力をあなたが得てください」


自分でも驚くくらい低い声が出た。

彼も一瞬戸惑って目を泳がせたが、それでも手を離すことはなかった。


「あんたは本物だ! まだ新書に載らない魔法だって知っているんだろう? あんたに直接詠唱を教わったほうがいいに決まってる。ひとつ手間が省けるだろう?」

「それを皇帝陛下にも言うことができますか」

「お前!」


肩にあった手が移り、私の胸ぐらが掴まれる。

初対面の男の人にこんなことをされても、何故だか何とも思わないのは、感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。


「そこで何してる」


時間帯的に人通りが少ない廊下に現れたあなた。

私を掴んでいた青年はその声の主が誰だか分かると、手を離して愕然とする。


「こ、これは」


彼の困惑した目と視線がかち合うと、その青年は顔を真っ青にしてあなたとは反対方向へ廊下を駆けた。

あなたはどうやら気分転換に城をお散歩するオーロラ姫様の護衛中だったらしい。

私は浮いたシャツを下に引っ張って身嗜みを整える。


「あなた、大丈夫ですの?」


心優しき姫様にお声をかけられ、私は頭を垂れた。


「はい。お見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ございません」


オーロラ姫は今年で16歳になられる。

ローズピンクの御髪が美しく、可愛らしいと表現するのが相応しいお方だ。


「ジーク。あの者を」

「こちらで処理しておきます」


去っていった魔術師の青年のことだ。

彼に何をされても心が揺らがなかったというのに、罰せられることが分かると自分のことのように胸が詰まる。


「どうしたの? どこか痛むの?」


表情を崩したつもりは無かったのに、誰にでも分け隔てなくお優しい敏感な姫様に気付かれてしまう。


「いえ。問題ありません。お気遣いありがとうございます。姫様」

「そうなの? 無理はしたら駄目よ?」

「はい」


このまま彼女と話をしていたら、何かが溢れてきそうだった。

そんなところをあなたに見られたくも無いから、私はその場から逃げ出したんだ。


逃げた先は、たったひとりの研究室。

あの男性に掴まれた感触が蝕むように私の体に残る。

なんて私は愚かな人間なんだろう。

こういう時、そう思わずにはいられない。

だが、どうせ明日になれば、今日のことも記憶が薄れて私は魔導書の解読を進めるだろう。

薄情な人間だ。つくづく嫌になる。


「はあぁ〜」


私は大きく息を吐く。

考えたって、もうどうしようもなかった。

いつもよりのらない筆を、のろのろ動かしながら解読をする。

コンコンと扉をノックする音がして、私はのっそり顔を上げた。

オーマン様であれば返事をする前に入ってくる。他の人だ。

今日は厄日なのでは無いかと不安になりながらも、私は重い腰を浮かして扉を開けた。


「はい——」


顔を上げて目に飛び込んできた人物に、思わず瞬きを数回。

そこには詠唱訓練以外では滅多に顔を合わせないあなたが立っていた。


「これを。姫様からだ」

「え、あ、はい……」


紙袋を押し付けられ、私は我に返ってそれを受け取る。


「あの。これは?」

「焼き菓子」

「えっ。ど、どうしよう。姫様からお菓子……? 気を遣わせてしまって申し訳ありません」

「俺に言うな」

「そ、そうですよね」


まさかここまでして頂けるとは。

どう礼をすれば良いのか私は困った。

気まずい空気がしばし流れた。


「姫様に贈り物をするのは、許されることなのでしょうか?」

「辞めておけ」

「……そうですよね。もし今度お会いできる機会がありましたら、直接言葉だけでもお礼をします」


わざわざお届け下さりありがとうございます、と言い扉を閉めようとすると、あなたはそれを阻むように手を着く。


「さっきみたいなのは、あれが初めてか」

「え?」


あなたの真摯な瞳が私を捉えてた。

心配しているようには見えないが、ただ正義感あふれる碧い目が私を見ている。

そういう真面目なところは、昔と全然変わってない。

それが私は嬉しかった。

つい、表情が綻ぶ。


「大丈夫です。反対側の大陸でもよくありましたから」


緩みきった笑みに、あなたは怪訝な顔をした。


「そういう事を訊いてるわけじゃない。風紀に関わる」

「今日が初めてです。私も言うつもりはありませんから、平気ですよ」


あなたはそれを聞いてもまだどこか納得いかない様子だったけれど、この日以来私を見る視線が好奇なものからどこか諦めたものになったのは、そういうことだろう。








「エレンさん?」


サラさんに呼ばれて私はハッとした。

周りの視線を伺っていて、話を聞いていなかった。


「すみません。何の話でしたっけ?」


サラさんのプレートからスパイシーな匂いがして、一気に食欲が刺激される。


「来月に陛下の誕生祭があって、使用人たちも含めて城の関係者らドレスアップしてパーティに参加するって話です」

「ああ」


そんな話をしていたな、と思い出したけれど、生憎引きこもりの私はドレスなんて持っていない。

ソーセージを一口かじって味わう。

うん。こちらの大陸の料理はどれもすごく美味しい。


「こっちの作法が分からないので、無礼を起こさないためにも私は遠慮させてもらいますよ。その時間、解読をしていたほうがよっぽど陛下のお力になれると思います」

「それは同感です」


男性の声が後ろからかかり、私は驚いて振り返る。


「オーマン様」

「ちゃんと食べてますね」

「はい」


彼も忙しいだろうに、面倒見がいいことだ。

私はフォークを置いてかしこまった。


「あの、また新しい文献でも見つかりましたか?」

「いや。違うよ。丁度、誕生祭について話そうと思っていたんだ」

「え?」


今後を左右する一大事が、すぐそこに迫っていることに、私は全く気がついていなかったのだ。

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