4通目。知らないあなた

あなたに少しでも昔の幸せだった記憶を思い出して欲しい。そして出来ることならば、今年はあなたにもババ様へ、彼女が大好きだった青と紫色をしたファフナの花を供えてあげて貰いたい……。

そう思ってはいたのだけれど、やっぱりなかなかあなたに声をかけることは難しかった。

私は一度あなたに突き放された身の上。

そのことが分からないほど、鈍感では無いものだから、どの面下げてあなたに会えばよいものか。まず悩みはそこからだった。


そんな矢先だ。

私に新しい仕事が舞い込んで来たのは。


「詠唱訓練?」


定期的に研究室にやってくるオーマン様が告げた言葉を私は繰り返す。

オーマン様曰く、正しい詠唱の仕方を指導して欲しいとのことだ。

普段耳にしない内容だったが、言われてみると魔法を習得するためには非常に重要で根本的な問題である。正しく詠唱できなければ、魔法の威力は半減してしまうのだ。


どうして今更そんな話が出たのかと言うと、何でも私が解読した低級の呪文が、そうとは思えないほど威力が出るため調査したところ、もしかすると、新書に既に載せられている読み方が間違っているのでは無いかという疑惑が浮上したらしい。

なのでその検証も含め、同時進行で正しい詠唱を騎士団に教えて欲しいとのこと。

「実際にあなたの詠唱を耳で聞いたほうが、遙かに分かりやすい」とオーマン様に教えられて、私は魔力が足りないから発動はできないのだけれど、それまで無意識に詠唱だけはできていたものだから、他の人にはそれが難しいのだということに気付かされた。

発音の仕方を表す記号はあるのだけれど、文字で音を説明されるだけでは学ぶのが難しいようで。「百聞は一見にしかず」と言うが、魔導書を詠唱する場合はその逆らしい。


私はこの件に戸惑った。

勿論、詠唱を教えることはできる。

一から解読するより、読み方だけを教えるのであれば、短期間で軍力の向上が望めることだろう。

しかし、それをするということは、今まで人を害すリスクが少ない治癒や防御の魔法を選んで解読していたことを覆すことになる。国のために戦っている騎士たちに、攻撃の魔法だけを教えないわけにはいかないからだ。隠していても、すぐに疑惑の目で見られることだろう。

私は一応色々あってバイスから引き抜かれて来た身だ。そもそも仕事を拒否することが許されるのか分からない。


黙り込んだ私に、オーマン様は全てを見透かしたような瞳を向ける。彼は「少し付き合ってくださいますか」と言うと私を研究室から連れ出した。

この国の魔法研究の第一責任者である人の後ろを付いて城の広い廊下を行き、向かった先は騎士団の拠点である〈四色の塔〉。

メイドさんに大人気の眼福スポットである。

魔法や剣を極めた帝国トップクラスの強者たちが集まる場所に連れてこられ、私はだいたいこの後何を言われるのか察しをつけた。

きっと彼らが国のために働いているところを見学し、そんな貴き存在をサポートしてくれないかといったような話で括るのだ。

むこうの大陸で嫌と言うほど軍力とは何か、身をもって教えられた私からすると、どれだけ正義を語られても諦めた視線を送ることしかできないというのに。

ましてや、私はこの国の生まれでも何でもないのだ。愛する祖国はとうに滅びた。帝国がどうなろうと私は私のままでしかなく、このお国を支えろと言われても、どうにも心は動かない。

攻撃の魔法など争い事を孕む危険な武器でしかなく、それを解放する覚悟というものを私は持ち合わせていなかった。

「知恵の魔女」と謳われたババ様にも、魔法を見つけてあげる時には、その責任を忘れてはいけないと教えられて来た。彼女もまた魔導書の解読に優れており、間接的ではあるがこの世に恐ろしい魔法を復活させてしまったことを悔いていたことを私は知っていたのだ。


制服に身を包んだ騎士たちの、オーマン様の後ろを歩く冴えない姿の私を見る目が「誰だ?」と語っている。

この城に来て半年が経とうとしているのだが、私の仕事と性格上、ほとんど知られていない。

バイスと帝国の間でやり取りがあったことなど、無論知られることもなかった。

自分の場違いさに落ち着きを無くしていると、オーマン様が口を開く。


「あなたはこちらの大陸で魔物を見たことがありますか?」

「……いいえ。むこうでは何度も見たことがありましたが、こちらに来てからは一度も」

「そうですか。それなら、あまり気分の良い現場ではありませんが見ておくべきですね」


その一言に私は嫌な予感がした。

向かった先の部屋にあったのは、転移装置。

大きな魔法陣に、魔力を持った特別な石が組み込まれている、美しい設計。

それに感服している間も無く、私は行く先も告げられずにオーマン様とともに魔法陣の中に入れられた。

経験は大事だけれど、もしかして今から現場に連れて行かれるのか?

そう思った直後に魔法は発動し、次に立っていたのは何処か知らない場所。


「ちょうど青の騎士団が任務中です。失礼」

「え、ちょ——」


彼は私を俵担ぎにして、身体能力向上の魔法を自身にかけると、凄い速さでかけていく。

この人、優しそうな見かけに拠らず、かなり逞しい性格をしていらっしゃる。

私はされるがままで、魔物が発生したらしい森の中へと連れ込まれた。

そろそろ頭に血が昇りそうだなーと限界を感じていたところ、腹を圧迫される苦痛から解放されて、やっと地面に足をつけられる。


「見てください。あれが帝国の精鋭部隊のひとつ。〈青い龍〉です」


私は後ろを振り返った。

森を抜け崖の先、目下に広がるは草原。

まず最初に飛び込んできたのは、目を赤く光らせ、鋭い牙を剥く巨大な狼のような魔物。


そして、太陽で艶めく髪を靡かせ、剣を振り下ろすあなたの姿。


自分よりも何倍もある魔物をその一振りで斬り裂いた、物言わせぬ圧倒的な強さ。

あなたは精鋭部隊を率いる、エリート中のエリート。この国の守護神とでも崇められるような、畏怖される強さを持つ男だった。

もう彼を縛り付けることができる存在は、この世界にいないのではないか。そうとまで思った。

その成長が嬉しくもあり、寂しくもある。

一体、この13年であなたはどれだけの努力をしてきたのだろう。



呆気にとられている私を見て、オーマン様は告げる。


「強いでしょう。彼らは。それこそ新しい魔法なんて必要ないくらい」


その言葉は、予想の斜め上に行くものだった。

彼は真剣な眼差しを騎士たちに注ぎながら続ける。


「こちらの大陸は裏と違って危険度が高い魔物が頻繁に発生します。そちらでは戦争なんてものが起こったが、我々は国を超えて人類の未来のために協力が不可欠。

『帝国』とは人が魔物に屈しないという、象徴そのもの。

そして今戦っている彼らこそ、この大陸の希望なのです」


オーマン様は再び私を見た。


「あなたは、何と戦っているのですか?」


彼の瞳に射抜かれた私は、まるで氷の刃が刺さったみたいにぞくりと体が震えた。

オーマン様がこの国で一番の魔導師だということを、本能が恐れている。

目の前にいる男は、大きくて、大きくて、私をいとも簡単に飲み込んでしまいそうで、怖い。

このままではいけないと、私は何とか口を開く。


「……魔法は人を守ることができますが、時に人を傷つけます」

「そうですね。だから?」


それがどうした。という口ぶりに、私は顔をしかめる。


「私はその責任を負えません」


これが精一杯の回答だ。

それなのに、彼は何を思ったのか笑い出すではないか。

こちらは真剣に答えているのに、一体どこに笑われる要素があったのか全くわからない。

私は怪訝な表情で、オーマン様を見返した。

それに気がついた彼は「わ、悪いね」と言いながら、まだ笑いを殺し切れていない。

緩んだ口角を引き締め直し「ふぅ。笑った。あなたはそんなことを考えていたのか。なるほど、だから治癒や防御の魔法ばかりを解読していたのですか」呼吸を落ち着かせながら、そう言う。


「ここは帝国ですよ。ウォーカーさん。

たとえあなたがどんな危険な魔法を解読しようが、見つかった魔法は全て陛下のものだ。

あなたのものなどではない。そこを履き間違えてはいけませんよ」

「しかし」


そんなことを言っても、見つけなければ惨事は起きない。

それならば、解読をやめようと考えるのは当然ではないのだろうか。

反論しようとした私に、彼は話を変えた。


「あなたは、魔法とは何のためにあるのか考えたことはありますか?」

「……いいえ」

「わたしは常々、魔法とはわたしたちが魔物という天敵から身を守るために生まれたものだと思っています。

それを人を倒すことを目的に使うこと自体が間違っている。

違いますかね?」


それには何とも言えない。

正しいと言いたいが、実際に魔法のせいであちらの大陸は焼土と化したのだ。


「あなたが裏の出身だということは分かっています。しかし、ここは我が帝国の大陸。人と魔物が生存を争う土地だ。絶対的な力こそ、帝国が帝国として支国と協力体制を組める条件。

我々は強い。強くなくてはならない」


バイスでは世界大戦の危機。

帝国では国の存亡を説かれるとは。

私の人生は穏やかにとはいかないらしい。

最初から私ができる返答など決まっていたのだ。

帝国は強い。

現在、この世界で一番と断言できるほど。

そんなお国に逆らうことなど、私ができるわけがない。

話ができる国だと思ってはいたが、まさかこうして言いくるめられるとは。


「……わかりました。魔物を倒すためならば、私も力を尽くしましょう。しかし、条件があります」

「条件?」

「攻撃の魔法を学ぶのは、治癒の魔法が使えるようになった人たちからです」

「いいでしょう。その通りにしましょう」


『壊すことを学ぶのならば、直すことも学ぶべきだ』

忘れもしないババ様の受け売りだ。

この言葉を頼りに、私は13年を生きてきた。ひとりになってから、本当に色んなことがあった。希望を失って、辛いことばかりで。それでも生かされた命を生きねばと…………。

いや。私が過ごした13年間の話はよそう。あまり褒められたものではないのだ。


こうして、私は新しい仕事を引き受けることにした。





「どうやら、あちらも終わったようですね」


オーマン様が見据える先には、魔物たちの屍。

最後の一匹にトドメを刺したあなたは剣を収めて、部下たちに指示を出すと踵を返しこちらを振り向いた。

私の知らない君が、そこにいた。

鍛え上げられた肉体と精神を持ち、魔物たちを屈服させる、あれは誰なんだろう。

答えはもう分かっているはずだった。


あなたは、ギルロード帝国〈青い龍の騎士団〉団長ジークフリート・ルド・ロマロニルス。


カミュラ国の迷いの森で育ったセオではない。

冷たい水を顔面に浴びた後くらい目が冴えて、視界が変わった。


——あなたのことを、私は知らない。


私はその時、やっとこの事実を理解したんだ。






「魔導師長? どうしてここに?」


あなたはオーマン様を見つけて、魔法で跳躍し、何か問題でもあったのかとこちらへ確認に来た。

こんなに間近に会うのは、書庫以来である。


「討伐の見学をと思ってね。彼女はエレン・ウォーカー。裏の大陸から来た魔導書解読士だ」


紹介されて、彼の視線が私に移った。

碧い瞳は変わらず宝石のように美しいが、どこか冷たさを感じる。

ついさっきまで、また君と向かい合った時、どんな顔をすれば良いか分からなかったのに、私は意外と落ち着いていた。


「先日は失礼いたしました。私も混乱していたようで。気分を害してしまい申し訳ないです」


すらりと言葉が出て、頭を下げる。

オーマン様はそれを見て目を丸くした。


「なんだ。会ったことがあったのかい?」

「書庫で一度」


あなたはオーマン様に応える。


「間違いなら仕方ない。が、あれは本心だ。期待はするなよ」


昔の君にはあり得ない鋭く尖った言葉が私に刺さった。

「君はまた……」と事情を察したらしいオーマン様が額に手を当てる。どうやら、あなたのこういった振る舞いはこれが初めてではないらしい。


「……はい」


まるで、記憶を思い出すことについて期待をするなよ。と言われているようだ。

正直、君の姿でそれを告げられるのは堪える。

どんな君でも、家族に嫌われるのは辛いことに変わりはないみたい。


だから、これからあなたと仲良くなりたい。

そしてどんな13年を過ごして来たのか知りたい。


私は過去を見てばかりだった。

今、こうして触れられる距離にあなたがいるというのに。

ちゃんとあなたに向き合っていなかったんだ。

そんなことでは私が何をしたって、きっとあなたは記憶を思い出すことはないはずだよね。

辛気臭い顔をしていても仕方ない。

私はフウと大きくひとつ息を吐いた。


「改めまして、はじめまして。解読士のエレン・ウォーカーと申します」


あなたは目を細めて私を見定めるようにして見つめると口を開く。


「〈青い龍〉の騎士団。ジークフリート・ルド・ロマロニルスだ。詠唱の件は聞いている。足を引っ張るようなことはするなよ」


……うん。

やっぱり、あなたは知らない人みたいだ。

少なくとも目の前にいるこの人物は、「エレーン!」と満開の笑みで微笑むような人ではない。


「わかっていますよ」


たった一度話したくらいで、そんなに信用が無いか、と私はムッとした。

何があったら、あんなに温厚だった君が、こんな性格になってしまうのだろう。

率直に、下心などさらさら無い身からすると、冷たいあなたの振る舞いは的外れもいいところで、ちょっと面白い。

是非とも、記憶が戻った時のあなたの反応を見てみたいものだ。


「なんだ」

「いえ。俄然やる気が湧いてきた、とでも言いましょうか」

「……勝手にしろ。仕事の邪魔だけはするな」

「はい」


私は微笑して答える。

これで君が記憶を取り戻した時の楽しみがまたひとつ増えたと考えよう。

どれだけ時間がかかるかはわからないけれど、いつか「エレン」と昔みたいに呼んでもらうんだ。

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