3通目。夢は過去をささやく

帝国に来て、君を見つけて。

私は夢を見るようになった。

それは、とても幸せな夢。

ババ様と君と一緒に暮らした楽しかった14年前までの生活が、浮かんでは消えて、また浮かぶ。

ああ、これは夢なんだと。ならばどうか目を覚まさないでくれと、何度願ったことか。

幸せな時はいつの間にか通り過ぎ去り、気がつけばもう二度と手に入らないものになる。

今、こうして不自由なく暮らせているのだから、そう思うのは傲慢なのかもしれない。

でも、一度経験した美しい日々を忘れるなんてことは、私にはできなかったんだ。


そして、私の夢は都合よく幸せなことだけを見せてはくれなかった。

暗転した夢は、次々と私に牙を剥く。

ババ様が血だらけになりながら、私たちに「生きるんだよ、あんたたち」と告げた最期。

隣国の捕虜となった私たちの、薄暗い生活。

君は私と違ってたくさん魔力を持っていたから戦力として使われた。それを拒むと私が鞭打たれるから、優しい君は「おれが何とかするから大丈夫だよ」と、辛い思いをしている癖にそう言って笑うんだ。

無力な私はそんな君を見ていられなくて、また他国が攻め入って来たあの時、死を覚悟した。

私がいなければ、強い君が苦しむことはもう無いのだと分かっていたから。

施設に侵入してきた敵は、個室に隔離されていた私たちを見るなり、制御装置のせいで魔法が使えない状態の危険因子である君を狙った。

決して屈強とは言えないが、ただ目の前の敵を我が祖国のために滅さんとする男たちの姿は、理性を持たない魔物よりも遥かに獰猛で狡猾だ。敵と見做せば、子どもにすら容赦はない。

既に抜刀された剣には、ぬるりと赤い液体が滑った。

襲いかかる剣撃。

追い込まれたのは、絶望の淵。

もう逃げられない。そう悟った時、私は君と男の間に飛び出したんだ。

あれは、痛かったなぁ。

はっきり言って、死ぬんだと思った。

もう君に会えないことは辛いけれど、これで君の足を引っ張ることは無くなるから。あの時はこれが最善だったんだ。


『——エレン?』


私の身体はみっともなく地面に崩れた。

後ろにいた君が私の名前を呼んでくれたのが分かったけれど、身体が痛くてそっちを向けなかったや。

君はそんな私を受け止めると、ものすごく困惑した表情を覗かせた。

君は私より年上だったから、ババ様に「セオはエレンを守らなきゃいけないよ」なんて言い聞かされて育ち、いつも私の前を行く頼れる兄のような存在だった。身の周りのことに敏感で、臨機応変に対応できる冷静さもあり、それでいて家族を気遣う優しさを持った温かい人。

陽だまりのような君が、今の状況を飲み込めずに『なんで』と小さく呟くのがよく聞こえた。

私の腹から溢れ出る血に視線を落とし、『止めないと』と震える手でそれを抑えた。

でも、かなり深い傷だったから、なかなか血は止まってくれない。


『————止まれ。止まれよ!!

何でおれなんかを庇ったんだよエレン! 頼む、死なないで。お願いだよ!』


血溜まりは広がっていく。

その事実に君は叫んだ。


今までひとりで戦わせて、ごめん。

ひとりにして、ごめん。

私にはこれくらいしか出来ないんだ。

死にそうな奴の傷なんてどうでもいいから、君には早くこの場から逃げて欲しくて、私は腕を伸ばして君の肩を押した。


『ありがと、う。セオ』


ちゃんと笑えていたかな。

君には悲しい顔をして欲しくなくて、私は精一杯笑った。

身体が鉛みたいに重くて、すうっと意識が遠のくものだから、君がどんな顔をしていたのか確認することは出来なかった——。




「————っ」


さっきまで良い夢だったはずなのに、忌々しい過去も見せられて、私は目を覚ます。

嫌な汗がじっとり寝間着に蒸れて、心拍数も上昇していた。身体に残る、あの時の傷も疼く。徐に顔に触れると、目から水が流れていた。

どうやら私はあなたと違って、一向に過去を忘れられないようだ。


戦時中には絶滅危惧種な良心的軍医さんに助けられて運良く一命を取り留めた私は、真っ先に君を探したのだけれど、施設は跡形もなく崩壊していて、その周辺も台風が去ったように荒れていた。生きた人の気配など何処にも無い。

こうして私は君を失ったんだ。

それからずっと、5年前の大陸統一大戦終結後も。君ならどこかで生きているのではないかと、必死に大陸中を探し回った。

でも、君はどこにもいなくて。

あっという間に13年が経って、私はいつしか君とは二度と会えないのだと思うようになっていた。



それがまさか、この大陸にいるなんて。



全くの盲点だった。

君が生きていると分かっているだけで、名状し難い感情が沸き起こる。

今年のババ様の命日には、手向ける花はひとつで良いのだ。失った悲しみは半分になった。

そうと分かれば、悪夢にうなされている暇など無い。

また君を失わないためならば、私はいくらでも魔導書を解読しよう。

ベッドから起き上がり、顔を洗って、手櫛で髪を束ねて服を着替えれば支度は終わり。

朝食を食べたら、仕事の時間だ。

私は今日も研究室で魔導書と向き合う。


解読は、まず魔導書のトレースから始まる。

これが結構繊細な作業で、一番時間と神経を使う。呪文だけならすぐに終わるのだが、魔法陣となるとかなり時間がかかるのだ。

バイスにいた時にもらったモノクルを覗きながら、先の細いペンで文字を浮かび上がらせる。

魔法とは詠唱することで使うことができるものだが、呪文と魔法陣の違いは、その威力にある。ただ単に左から右に読む呪文と異なり、魔法陣は読み方も見つけなければならない。より複雑な構成がされる後者のほうが、圧倒的に強い魔法を発動させることができるのだ。


太古から歴史を持つ魔導書という存在。

今、魔法を使用することができるのは、昔は人間誰しもその書を読むことができ、常用的な魔法は今日に至るまで受け継がれてきたという説が濃厚である。

でも、こんな記憶を持つ私が生まれたのだから、もしかすると過去にも同じような存在がこの世界に誕生し魔導書の解読をしていたのかもしれないのでは。と私は考えていたりする。

でなければ、この世界でこの言語たちが存在していることが説明できないからだ。

まあどう頑張っても、何故私が言語の記憶に特出していて、何故魔導書がそれらの文字で出来上がっているのかを解明することはできないだろうし、知る必要も無いだろう。

そんなことを調べるよりも、よっぽど知りたいことはたくさんある。


悪夢を見なくなる魔法は無いのか。

幸せな夢だけを見続ける魔法は無いのか。

忘れた記憶を取り戻す魔法は無いのか。

失われた命を蘇らせる魔法は無いのか。

記憶を保持したまま過去に戻る魔法は無いのか。


ババ様がいたら、魔法について色々と私の知らないことも教えてくれただろうに。

もっと長い時間、彼女と共に過ごしたかった。

もっと色んなことを学びたかった。話したかった。

もう同じ後悔はしたくない。

そう考えた時、私は決意した。

例え私の知らないあなたでも、あなたは私の大事な家族だから、出来るだけ長く、近く、側にいようと。

いつ君とまた離れる時が来るかなんて考えたくは無いけれど、すぐそこに君がいるからと、いつまでもこうして部屋に閉じ籠もっているだけでは駄目なんだ。

魔導書と向き合っていても、会話をすることはできないのだから。


せっかく君に会えたんだ。

あなたが忘れた分は、私がちゃんと覚えてる。

これからは、勇気を出してもう少し頑張るからさ。

だからあなたも、どうか。

私たちの大好きだった 母さんのことだけでも思い出して欲しいな。



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