4話 13歳・1
いつもの道を歩きながら自販機に目を止めて立ち止まる。
死神屋敷への直線の道。
照り返す日の光が眩しくて目を眇める。
ポケットから財布を取り出し自販機へ小銭を入れる。たまには自分で飲み物くらい準備すべきかなと思ったからだ。あの屋敷には常に麦茶しかなくて、飽きてるというのもあるのだけれど。
そう言えば、何故麦茶しかないのかと聞いたことがある。
その時は「必要性がないから」と即答された。
必要ないならしょうがないと納得したものの、たまには違うものだって欲しくなる。
格安自販機はいつものラインナップでそこにあり、少し悩んでスポーツドリンクと炭酸飲料を1つずつ買った。持ってた鞄に突っ込んでいると呼びかけられたような気がして来た道を振り返る。
眩しいくらいの陽光と抜けるような青空の下に────死神が立っていた。
最初に本を借りた日から小学校を卒業するまで、結局それほど死神屋敷を訪ねることはなかった。
本を借りて、返して、その行動はもちろん幾度か繰り返されたし彼と話もしたけれど、やはりあの頃は本よりも秘密基地で遊び倒すことを優先していた。
本読むからって家に閉じこもってるわけでもないし、普通に外で遊ぶ普通に元気な小学生だった。
それに、秘密基地を使える最後の学年を、有意義に過ごしたかった。
卒業すればここは使えないという不文律がある。真実はどうでも、認識はそうだ。故に、しばらくは彼に会うことはあまりなかった。
あの頃はまだ、どこかで、彼を死神だと信じていた部分もあったし。
誤解はとけても、思い込みはそうそう抜けない。多分、そういうことだ。
でも、中学に進学すれば、状況は変わる。
環境が変わったと言うのが正しいのか。
要は皆が皆のことで忙しくなってしまったのだ。
友人の何人かは私立中学へ進学し交流自体が絶えた。地元の同じ中学へ行った奴らもそれぞれ違う部活に入って放課後は疎遠になった。
部活は必修で、なんとなくぼくは美術部に入った。
絵に然程興味はなかったので、毎日部活に行く必要はないとか、むしろ何もしなくていいらしいという噂が決め手だったはずだ。週に1時間だけ授業に組み込まれた強制参加の日があったものの、その他の日に顔を出す必要は本当になかった。なんなら文化祭の作品作りのようなイベントごとも無理に参加しなくてもいいと言われた。
顧問が適当な奴だったのだ。
部が潰れなければそれでいいと言っていた。
とは言っても、ぼくは結局文化祭で自分なりの大作を作ることになるのだけれど。
ともかくそんな風に皆はバスケだのサッカーだのの部に入り、ぼくはほぼ帰宅部で、塾に行く予定も当面はなく、放課後はまるまる暇になってしまった。
当然、秘密基地には行けない。
ぼくはあそこを卒業した身だ。
そうなると行き先は────彼のところしかない。
林の中に埋もれた、死神屋敷だ。
正確には本を借りて返す作業が増しただけだ。暇な分、本を読む時間が増え、比例して死神屋敷へ通う時間ができたから、無理に多めに借りることもなくなった。
月2回がいいとこだったものが、梅雨の頃には週に1~2回へ増えた。
いつ行っても屋敷の鍵は開いていて、2回に1回はいつもの縁側の部屋は無人だった。台所の向こう、洋館側にはまだ行ったことはなく、その頃は屋敷の中ではお茶を飲むか本を読むかしかしていなかった。
勝手に入って、勝手に本を物色し、座り込んで読んでいたらのんびりと彼が現れ「おかえり」と声をかけてくる。ぼくはその薄い笑顔に挨拶を返し、適当な時間まで本を読んで時間を潰した。そうなると、むしろ借りずにその場で読み切ることも増えてきた。
だから、訪問回数も増える。
彼は彼で、開け放した縁側を向いてぼんやりとしていることが多かった。そういうとき、背を向けて座るその姿には話しかけづらい空気があった。なので、お互い我関せずで過ごすことも多かった。
もちろん世間話をすることもあったから、訪問を重ねていけば、最初に抱いていた恐怖心はなくなり、屋敷を訪れることに対する遠慮は薄くなり、放課後に居間を占領する行為は日常になっていく。
彼はぼくの存在に何もコメントはしない。
いいとも悪いとも言わない。
その距離感は心地よかった。
────だから、訪問回数は増えた。
楽しかったのだ。無言の時間が。
洋館はまだ怖かったが、屋敷自体は好きだった。
そうやって適度な距離感を獲得した頃、ぼくは中学生最初の夏休みを迎えていた。
自販機の横でたたずむぼくの横に、死神は立ち止まった。
いつものよれよれの格好だ。本当に、ぎりぎり、ただのだらしない人の範囲に踏みとどまっている。
「おはよう」
「おはようって・・・昼過ぎてますけど」
「さっき起きたからさー」
彼は相変わらずの青白い顔で、それでも元気そうに笑う。
真夏のこの日の光の下でこの青白さは、それは化け物と疑われても仕方ない。
「買い物っすか」
歩けない距離ではないところにコンビニがある。提げている袋がそこのだったからそう聞くと、「家に何もなくなってて」と返ってきた。
確かに屋敷には食材は少ない。冷蔵庫は大体空だ。
何食って生きてるんだろうとたまに心配になる。
でも、そんな心配は口には出さない。真正面から心配するのは少し気恥ずかしかった。
「外歩いても大丈夫なんすね」
「失礼な」
笑って、どちらからともなく屋敷へ歩き始めた。
目的地は同じだと、聞かなくてもわかっている。
道行きはお互い無言だった。強い日の光とうるさい蝉の声に気を取られ、たまに通り過ぎる車に視線を奪われる。
けれどもぼくの意識の2割くらいはずっと、彼の動向を気にしていた。
大丈夫なことは知ってても、彼が不意に倒れないか怖かったからだ。
死神と言われる人と話してみて、その青白さも弱そうなところも、病弱ではなく普通に体力がないのだと知った。青白いのは外に出ないからで、体力がないのは不摂生が原因だ。規則正しい生活がいかに大事か、彼を見てるとよくわかる。
ともかく病気でないという事実はぼくを安心させた。けれど体力がそんなにもないという話は少し怖い。
コンビニにの行き帰りで遭難しかけるとか、理解できないから本当に怖い。
そんなイメージであり現状であるから、ごくたまに今日のように外で彼を見かけると驚くというより心配になった。
この人はここにいて大丈夫なのか?みたいな。
特に夏は、昨年のこともあるしより一層心配になる。
なので冗談交じりにそう聞くが、さっきみたいに彼はその都度失礼だと返答する。まあ、実際失礼なんだろう。
おそらく彼は自炊をしていないので弁当なんかの買い物にはよく出ているようだし、散歩なのか屋敷への小道で鉢合わせることもあった。そもそもあの夏の日だって外にいたわけで、彼が町をうろうろしているのは普通のことなのだ。
あの日座りこんでいたのはたまたまで、いつもは大丈夫なのだと言われたし事実そうなのだろうと思う。
しかし思い込みは抜けない。
まだどことなく死神を信じているように。
週何度も通って、普通に会話して、夏休みにほぼ毎日遊びに行くようになってもやっぱり、結局彼には謎が多かった。ぼくから聞かなかったからだけれど、冷静に考えれば、いい大人が常に家にいるという状態が普通でないのはわかる。
最初は、いつもいるから本を借りやすい、程度にしか考えていなかった。
最近は、この人何の仕事をしてるんだ?と気になっている。
いつか聞いてみたいと思っていた。台所の先の洋館には何があるのかも含めて。
無言のまま道を行き、屋敷への小道に到着する。
かすかな子供たちの声が聞こえるのは、秘密基地に誰かいるからだろう。
雑草に挟まれた道へ入る。彼は道へはみ出る草を器用によけながらすたすたと屋敷へ歩いていく。ぼくはその後ろを少し周りを気にしながらついていった。
死神屋敷へ通っているのは誰にも秘密だったから。
秘密にしなければ、怪談が意味をなさなくなる。
一人ならともかく、死神と一緒なんて言い訳もできない。
左右を気にしながら歩いていたら、不意に前を行く背が止まった。屋敷はすぐそこで、大きな門も視界に入っている。なんだろう?と前をうかがうより先に、彼の向こう側から声がした。
「あ、川端さんですか?」
男の声だ。
道が狭いせいと彼の背に阻まれて姿は見えない。
「────そうです」
彼は少し硬い声で誰何に応えた。彼の名は猪ノ立のはずだが、表札は川端なのだから返答としては間違ってないだろう。それよりも、身動ぎした彼の後ろから相手の姿が半分見えて、それがただの運送会社の配達員だったことに少し驚いた。
その40代くらいの配達員は左脇に小さめの段ボールを抱えている。
単純に荷物を届けに来た人だ。
見ればわかるのに、何故、彼はあんな身構えるような硬い声を出したのだろう。
不自然さに二人を見比べるが、そんなぼくの視線なんか気にすることなく、配達員は普通に自分の業務を続けた。名前を確認し、宛名を見せ、サインを求める。
それを受けながら、彼はぼくの方を向いて先へ促した。屋敷へ入ってて、とその目は言っている。
確かに別にぼくだけが先へ進んでも問題はない。門は開くし、多分ドアのカギはかけてない。いつものことだ。だから迷いながらも、彼の背後から狭い小道を苦労して抜け、振り返らずに配達員の脇を通って中に入った。
配達員が不審げにぼくを見ていた。そんな気がした。この町の人なら死神屋敷のことを知らないわけがない。でも、配達に来るのだから、ここが本当は死神屋敷ではないことを知っている。だからぼくがここに入ることを見られても、問題はない。
多分。
そう、だよな?
────そんな風に。
その時のぼくには怪談のカラクリがばれないことだけが重要だった。ここにぼくが出入りすることで怪談がなかったことになるのが嫌だった。子供たちの間にある怪談を壊したくなかった。
彼がそう望んだのだから、ぼくはそうするべきだと、考えていたのかもしれない。
その一事がぼくと死神屋敷を繋ぐものだったから。
その後、この時のこれが原因ではないにしろ、ぼくがここにくることはそれなりに小さな問題を起こすことになるけれど、13歳のぼくにそれは関係のないことだったからその時はただ屋敷の中へ走り込むことに神経を集中すればよかった。
引き戸を閉める間際、彼と配達員のやり取りが見えた。
彼が段ボールを受け取り会釈をし、配達員は元気に礼を言って立ち去っていく。普通のどこにでもある光景だ。普通でないのは、彼がその背を見送ってから、疲れたように深い溜息をついてしばらくそこに立ち尽くしていたことだった。
なんだか、おかしい。
そう感じるとなんとなく座敷へ向かうのがはばかられ、玄関を上がったところでぼんやりと立ち尽くしていた。そのうちに段ボールを抱えて彼が入ってき、ぼくの存在に驚いたように一歩引いた。
「・・・びっくりした・・中に入ってて良かったのに」
「あー、はい」
それはいつもの彼で、意味もなく抱いていた不安が急激に払拭される。
座敷へ向かおうと彼に背を向ける。確かに、玄関で彼を待つ必要なんて、なかった。そもそもここに来たところで実際彼に用事があるわけじゃない。ここに来るのは本を読むか、今なら宿題をするか────そんなところで、彼とは会話もそうそうしないし。
座敷へ入り、鞄を置く。エアコンをいれるためリモコンに手を伸ばす。
彼は廊下に立ってそんなぼくを見ながら声をかけてきた。
「今日は5時くらいに帰る?」
不意の質問に驚き、間が空いてしまう。
「・・・・多分、そのくらい」
その間に対してか、彼はちょっと笑った。
「じゃあいいや。ゆっくりしてって」
「どうも」
彼は荷物を持ったまま廊下を歩いて行った。洋館の方へ行ったのだろう。
前に彼が言ってた通り、午後は洋館側にいるというのは本当のようだった。昼過ぎにくればここには誰もいなくて、夕方に彼がやってきてすれ違うようにぼくが帰宅するなんてことも多かった。
ただ、これまで、帰宅時間を聞かれたことはなくて。
今更の質問に、ぼくが頻繁に死神屋敷へ出入りするのが迷惑になったのかと不安になった。
だからといって帰るという選択肢はない。夏休みの宿題をぼちぼち進めて、読みかけの本を読んで、たまに持ち込んだゲームなんかをして、そうして一人ですごす時間と空間を手放すことはできなかった。
そのうちに日が傾いてきて、5時前になる頃、ぼくは静かに死神屋敷を後にした。
彼が廊下の向こうへ行ってから、今日は一度も彼に会わなかった。
そんな日は無言で屋敷を出る。彼は洋館側へぼくが行かないことを知っているから、こちらへ顔を出さないということは今日は適当に過ごして勝手に帰れということなのだと、ぼくはそれこそ勝手に考えていた。
帰りながら、彼の発言を思い返した。
何故、今日に限って時間を気にしたのかと。
逆に考えれば、5時くらいまでなら好きにしてもいいという意思表示だったのか?
そんな都合のいい解釈をしつつ小道から出る。
次に会うとき聞いてみようか。
そういう空気になれば、聞いてみてもいい。
きっとそんなに深い意味はないはずだ。迷惑なら、とうにそんな話になっているはずで。
まだ訪問を拒否されたわけではない。
きっと。
────多分。
ぼくはその日そんな風に、不安に目を背けて家路についた。
そのくらい、既にぼくは、死神屋敷から離れられなくなっていた。
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