1話 12歳・1

 小学校の裏手には、小さな林がある

 裏山と言うには高さがないので子供たちには林と認識されていて、だから単純にそこは「林」と呼ばれていた。

 そこは小学生の遊び場だ。

 公園も施設も多くない田舎町で遊び場は限られていたから、近場で遊べるところを探すと「林」になった、なんて話はよくあることだ。

 そこは小学生にとって、探検するにはちょうどいい大きさだ。

 木々に囲まれて薄暗いのは肝試しにもなるし、最奥部にはぽっかりと空き地ができていて高学年の子が秘密基地を作るのにちょうど良かった。夏には虫が取れる。秋はどんぐりが取れた。春はそれなりに花が咲いていて、冬には特に何もなかったけどただうろつくのもそれなりに楽しかった。

 親は危ないからあまり行くなとは言うが強く止めることはしない。

 本当にそう広くない林だし、その面積の3分の1は死神屋敷が占領していたから、迷子になることもないとわかっていたのだ。子供の足でもしばらく歩けば反対側に抜けられる。木々の間から校舎も見えた。そもそも、親もきっとその林で遊んでいたのだろうから、どういところかは熟知していただろう。

 安全な天然の遊び場。

 地元ではそう認識されている。

 けれど一方で────まことしやかに囁かれる噂があった。

 もちろん、死神屋敷のことだ。

 木々に囲まれたその家を遠目に見ると、たまに、2階の窓に誰かが立ってこちらを見ている、という話。

 林の一部を占拠する屋敷は大きく、高い塀に囲まれていた。それでも2階部分は見えていたし、少し遠くから中を覗こうと思えば1階も庭の一部も見えないことはない。極端な話、木に登れば死神屋敷は覗き放題だ。

 中の屋敷は古くて不気味で、小学生には廃墟に見えた。

 肝試しにぴったりなその景観のせいで怖がりながらも近づく子供たちは後を絶たず、けれど2階の窓の誰かに遭遇することは稀だった。

 その誰かとは死神で、目があったら3日以内に夢に現れ、夢に現れると2日以内に呪いで死んでしまうという。

 死神なんだから人間界に来るのは稀のはずだ。

 そんな死神を見たら、猶予は最大5日。

 それを過ぎれば見逃されたことになる。

 とりあえずの期限は3日以内に夢に出るかで、死神を見た大体の子供は夢に出てこなかったから助かった、で話は終わる。

 だからその姿を見た誰もが3日は怖い思いをしていた。

 あの窓辺に立つ影を見て、顔を見て、それが夢に出てくると怯え続けるなんてすごく怖い。

 ぼくも本当に怖かった。

 真実を知らなければ、あんな姿があんなところに見えたら絶対に怖い。

 ────その日。

 小学6年生のぼくは、その夏の日、忘れ物を取りに夕暮れに林の中に入った。

 夏休みの終盤、放っておいた宿題に半分以上の同級生が焦り始める時期だった。ぼくも例外ではなく、高学年になると暗黙の了解で使用を優先できる秘密基地で友達と一緒に宿題をしていた。

 秘密基地と言ってもゴミになるはずだった椅子や机が置いてある程度のものだ。

 そこにノートを一冊置き忘れた。

 夜から雨の予報ってのもあったけれど、宿題を片付けるのにそれは必要なノートだった。だから夕暮れに林に入った。昼間に入るならなんてことない場所でも、夕暮れはやはり少し不気味だ。近くに死神屋敷があると思えば尚更だ。

 このくらい怖くないと虚勢を張って秘密基地へ向かった。

 ノートはちゃんとそこにあった。

 そのことに安堵したのがまずかったのか。それとも夕暮れで目印の木を見誤ったのか。

 帰り道、いつの間にかぼくは本来のルートから外れた。林の中、道はないようできちんとあって、秘密基地へのルートは限られている。いつの間にかそこから死神屋敷の方へ一つ道がそれてしまった。

 狭い林だ。少しずれれば屋敷の側に出てしまう。

 夕暮れの中、死神屋敷の威容を見たぼくの気持ちがわかるだろうか。

 夕陽を受けてシルエットは濃い。見てはならないと知っていても目線は自然と2階を見る。和洋折衷の洋の方の窓だ。蔦が這う壁に穴が開いてるように見えるその窓。

 見てはいけないと顔をそらそうとして何かがひっかかり、立ち止まって見入ってしまった。

 影になっていて、故に暗くて、本当なら何も見えないはずなのに。

 誰かがそこに立っていて、何故かじっとこちらを見ている。

 そんなもの誰かって、死神に決まっている。顔色の悪そうな、痩せて骨ばった顔の、目つきの悪い死神だ。本当に何故だかその顔はよく見えた。表情まできちんと見えた。だからぼくを睨んでいるのもわかった。

 呪われた、と思った。

 ぼくは声も出せずに走りだし、林を出て、とにかく振り返らずに家に走った。

 家の明かりが見えてきて、死神屋敷のことは夢だったのかもと考えもし、いやでも脳裏に残る死神の顔は消えてくれないと悲観して、かといってこんなこと誰に相談することもできず、ただただ内心怯えながらいつものようにふるまうしかなかった。

 年の近い姉にもこんなこと言えなかった。

 言えば呪いが伝染るかもしれないじゃないか。

 望みは死神が夢に出てこないまま3日経つことだけだ。怯えながら家の中にいた。多分、宿題をしてるのだろうと、誰も不審に思わなかったはずだ。

 1日目が何事もなく過ぎ。

 2日目もどうにかやり過ごし。

 許されるはずの3日目の夜、とうとうヤツは夢に出た。

 後で考えれば、ひどく印象的で、こんなにもそのことばかり考えていたのだから、夢に出ない方がどうかしていた。けれど当時はただただ恐怖で震えた。死神は許してくれなかった。ぼくは2日以内に呪いで死んでしまう────。

 目覚めてぼくは絶望した。

 それでも朝食は食べて、部屋に戻って、一心不乱に考えた。

 どうにかできないのか。呪いを説く方法はないのか。どれだけ記憶をたどっても、聞いた怪談に死神から逃れる方法なんてなかった。口裂け女だって弱点はあるのに、あの死神にはそれがない。

 友達に相談しようかと思った。

 家族に相談しないのと同じ理由で、それはやめた。

 午前中、ぼくは林と屋敷と死神を順番に思い出しながら悩み続け、ふと、怪談の内容の穴に気付いた。

 何故、2日の猶予がある?

 許さないのなら、とっとと呪い殺すはずじゃないのか。

 この中途半端な時間はなんだ?

 ただ、怯えさせるためだけの、意地の悪い間なのだろうか。

 ────いや、もしかしたら。

 そうだ。もしかしたら。

 これは、本当に、猶予なんだ。

 2日の間に何かをすれば許されるのかもしれない。何をかは知らないが、何か死神に許されることをすれば見逃してもらえるのかもしれない。例えば・・・例えば、そう、例えば、お詫びに何かあげる、とか?

 テレビの中ではスーツの人たちがお詫びにとお菓子を渡している。

 親も手土産にってお菓子を買う。

 ぼくもお菓子を渡してみるのはどうだろう。

 閃いた途端にいてもたってもいられなくなった。少ない貯金を握りしめて家を出て、午後の強い日差しを背に受けながら近くの小さなスーパーに走った。気の利いた店もなければ駄菓子屋もない、コンビニも遠いしスーパーに行くしかなかったのだ。

 買える範囲でぼくの中では最高級なお菓子を持って、また暑い日差しの中を林へ取って返した。

 小学校からは歓声が聞こえる。昼間はプールが解放されているからそのせいだ。

 林の前で深呼吸する。右手の買い物袋を確かめる。

 林の中にはどこからだって入れるけれど、死神屋敷の正面に繋がる小道は一つだけだ。それこそそこに人が住んでいて、だからちゃんとした道があるってことだったんだろうけれど、その頃から小道は荒れて雑草が多く、まさかそこが普通に使われてる道なのだと子供は誰も思っていなかった。

 そんな手入れされてない道へ分け入る。

 雨が降ったのは一昨日のはずなのに、土は湿って歩きづらい。

 おそるおそる歩いていくと、大きな門構えの屋敷の前に出た。

 そこからは死神屋敷が見渡せた。いつも林の中から、塀を隔てた庭側しか見たことがなかったから、まっすぐに正面からそれを見るのは初めてだった。

 和洋折衷で、正面に引き戸の玄関が見える。

 見回すと門の横に郵便受けがあった。ポスティングの人が来るのか、何かのチラシが半分飛び出していた。

 ・・・・いや。

 「広告?」

 古くない、昨日入れられたのかってくらいそれは綺麗な紙だった。

 死神と網戸修理とか書いてある広告が結びつかない。そもそもここは人の気配がなくて、廃墟で、だから死神が現れたりして、運が悪くそれを見ると呪われたりするんじゃなかったのか?

 普通にチラシとか配られる家なのか?ここは。

 郵便受けの上には表札があった。「川端」とある。

 おそるおそる門に触ると、錆びた金属音とともに少しだけ中に開く。

 呼び鈴を探した。覚えた違和感が目の曇りを取り払ったかのようだった。

 この屋敷は不気味だ。林に囲まれ薄暗く、古く、寂びれているし人の気配がしない。ここへの小道は荒れていて、庭もまた随分荒れてるように見える。

 それでも、玄関先は整えられている。

 郵便受けも綺麗だし、表札もしっかりかかってる。

 塀も家も朽ちてない。廃墟じゃない。だって、縁側は開け放たれていて棚と机が見える。

 大人に「この家は何か」と聞いたことはなかった。聞くのは学校で囁かれる怪談だけだ。恐ろしい雰囲気の洋館側を、塀を隔てて見るだけだ。廃墟で怖い場所。死神がいる。塀の影から覗かないとその場で祟りにあう。低学年の子には危険だから近寄るなと言われる。高学年の子には肝試しとして利用される。林の中から見える、庭側を。

 誰も、正面から、ここに来たことはなかったんだ。

 少なくともぼくの周りでそんなことするヤツはいなかった。怖いから。

 「・・・・・・・普通の家だ、ここ・・」

 見渡したけれど呼び鈴はなく、仕方なく、大きな門をもう一度押す。

 通れるくらいに開いたところで中に滑り込んで音をたてないように閉めておく。

 小道と違って一応は掃除されてるような前庭を歩き、引き戸の前まで行った。戸の横には呼び鈴がついていて、安堵して押そうとしたところではたと気付く。

 ここは普通の家だった。

 じゃあ、ここにいるのは死神じゃない。

 だったら呪いの話は嘘なのだから、わざわざここの人に会う必要はないんじゃないか?

 いやでも住人とは関係なくやはり奥の洋館に死神は住んでいるのかもしれない。呪いが嘘か本当か確定する証拠はここにない。ここの人とは関係なく存在するなら、ぼくへの呪いは有効だろう。しかしそうだとしたら、ここの人は死神と一緒に暮らしているのか?あんなものと?

 もしそうなら、とりなしてもらうしかない。

 呪いを解いてくれと。


 ぼくは、呼び鈴を押した。


 生涯で一番緊張した瞬間だったように思う。


 返答はなかったし、物音もしなかった。

 でも帰ろうとは思わなかった。

 縁側の開放具合から留守ではないはずだし、今帰っても呪い死ぬのを待つばかりなのだから、駄目元でも待つしかないじゃないか。

 待つ時間はすごく長い。実際にはそんなに長くはなかったのだろうが。

 かすかな物音がした気がした。ドアを開ける音とか廊下を歩く音とか、そんな物音だ。音がするなら誰かいる。呼び鈴に応えてくれる人間が中にいる。

 擦りガラスの引き戸の向こうに黒い影が見えた。

 一歩下がって息をのむ。

 ガチャガチャと鍵をいじるような音の後、引き戸はゆっくりと開かれた。あまりにもゆっくりなそれは、わかっていても地獄の門が開かれていくようだった。

 「・・・・・・はい・・?」

 細い隙間から顔を出したその人は、ぼくを認めて不審げに眉を寄せた。

 「・・・・・・・・・・・」

 覚悟していたはずのぼくは、あの夕方に見た死神そっくりの男が姿を見せて血の気が引いた。

 顔色が悪く、痩せぎすの、よれよれな服を着た、目つきの悪い男。

 やっぱりいたのか。

 こいつは、あれだ。死神だ。

 いやでも普通の家なんだから、死神じゃなくてやっぱり普通の人なのでは?推測通りただのここの住人。ぼくらはこの人を死神だと思い込んでいただけでは?いやでもこんな人相の悪い人間っているのか?人間の振りをして暮らしてる死神なのかもしれないじゃないか!

 「きみは」

 男が口を開く。

 何か言われるのが怖くて、遮るようにお菓子の袋を突き出した。

 わからないけど、頼むしかない。

 「ぼっ」

 「?」

 「ぼくの呪いを解いてください!!」

 目を見て頼んだ。

 話をするときは人の目を見なさいと言われていたし、目をそらしたら殺されるかもと思ったから。

 死神は困惑したように視線をさまよわせ、一つ息を吐き、半開きだった引き戸を全開にした。

 「あー、うん、まあ中に入って。お茶でもどう」

 「え」

 「どうぞ」

 「でも、呪いが」

 「うちのお茶には解呪の魔法がかかってるから」

 容姿に反して優しい声だ。

 おいで、と言って死神は中へ入っていった。

 外の明るさに目が慣れて、暗くて様子がよくわからない屋敷の中へ。

 「・・・・・・おじゃま、します」

 そろりと足を踏み入れる。


 それが、ぼくが死神屋敷に足を踏み入れた、最初の日になった。

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