死神とぼく

桜小路トム

序 

 電車が揺れている。

 ガタンガタンとレールの継ぎ目で規則的に音が響く。

 夏の日差しがきついけれど、景色が見たくてブラインドは下ろさなかった。土手沿いを走る車がゆっくりと後ろへ流れていく。

 世間は夏休みだけれど、平日の午前中はやはり人は少なくて、電車内は人もまばらだ。

 ボックス席の向かいに荷物を置き窓辺にもたれて、都会と比べればのどかで懐かしい風景をぼんやりと眺めた。

 ぼくの故郷は多分、田舎の部類に入る町だ。

 都会ではないが、山と畑ばかりの田舎ってわけでもない、バスも電車も通っているが本数は決して多くない、国道はあるが田んぼもある、とにかく絶妙な加減の田舎町だ。

 山を切り開いた住宅地と言えばいいのか。

 家ばかり多くて遊ぶところはなく、公園も少なく、施設も児童館くらいしかない。切り開かれた頃は人も多くて栄えてたのだろうけど、それから何十年も経っているし世代の交代もないものだからここに残るのは老人ばかりだ。

 いや。

 まあ、それは言い過ぎか。

 今だってちゃんと小学校も中学校もある。ぼくが通ってた頃より人数は少なくなったろうけど、限界集落ってわけじゃない。だから結局、ここはすごく田舎でもないが、それでも徐々に衰退していくしかないような、そんな中途半端な田舎町なんだろう。

 だって、前に見たときよりどことなく寂れている気がする。

 どことなく車が減っている気がする。

 窓から見る風景は変わっているようでどこか違う。

 土手の雑草の背は高く、陸橋の錆は広がってる気がする。

 ほぼ10年ぶりの帰郷は、そんな細かな変化に気づかされ、抱いていた郷愁をより大きなものにしていた。

 ぼくは多分、そういうものを、時の流れを感じたくなくて、ここから離れていたはずなのに。


 ────今年こそ帰省しなさいよ。

 そう連絡してきたのは姉だった。

 別に今年に限ってのことではない。毎年、県外に出てしまったぼくのところに、家族の誰かしらから帰省しろという連絡はあった。母だったり父だったり、それはその時々だ。

 大学進学と同時に家を出て、そのまま就職を決め、家には戻らなかった。

 かといって別に家族仲が悪いってわけでもない。両親がぼくのところに訪ねることはあったし、それについて特にどうこう思ったことはなかった。むしろ年に一度くらいの家族の訪問があったから、帰省について深く考えなかったのかもしれない。

 会えているのだから、帰る必要もないだろうと。

 あまり、故郷について、思い出したくなかったのもある。

 今考えるならそういうことだったんだ。

 一つだけ、すごく大事で、故に忘れたい記憶があって、故郷を思うなら当然そのことを思い出す。思い出さざるを得ない。

 無意識に忌避したいその記憶のために、帰省について考えるのが億劫になっていたのだ。

 姉からの連絡は、その思いを自覚させた。

 連絡の目的は帰省の件で、聞き流してもいいものだ。

 が、世間話だってそれなりにする。

 一通りの近況報告を済ませた後、不意に姉は「そう言えば」と切り出した。

 「そう言えばさ、死神屋敷だけど」

 「あー・・・うん」

 知っていることが当然のようにその単語を出される。いや、もちろん、知っていて当然の単語なのだが。

 言われてすぐに思い浮かぶ。

 地元の子供なら知ってて当然の心霊スポット。

 忘れたくても記憶にこびりつき、決して忘れてしまうことのできないその風景。 

 林の中、木々に囲まれた、和洋折衷の古い不思議な家。

 その窓辺に見える。

 顔色の悪い死神。

 「それが?」

 「秋くらいに取り壊されるんだって」

 沈黙。

 「・・・、ぇ、────あ?え?こ、壊す?」

 姉は小さく吐息した。

 多分、ぼくの反応を予想して、その通りの状況に諦観して。

 「取り壊し。もう古いし誰も住んでないしで、壊しちゃうんだって」

 姉の声は妙に軽い。

 そうするしかないのだろうとは知ってても、その軽さが不快だった。

 「本当か?それ、どこ情報だよ」

 「友達の彼氏が建築系の業者で、そこに依頼があったんだって。地元じゃ有名でしょ?怪談話で」

 「まあ」

 「死神屋敷壊しに行くって自慢しまくってんだってさ」

 いい大人が死神を信じてるわけではないだろう。

 というか、実際にあそこはそういう屋敷じゃない。ただの古民家だ。

 それでも地元民としては、有名な屋敷に関わるとなれば、自慢くらいするかもしれない。

 公認で肝試しするようなものだし、遠巻きにしていた昔の子供たちが食いつくにはいいネタだ。

 「・・・・・・・・そうか・・」

 「うん、そう」

 それ以上何も言えなくて長く沈黙した。

 姉もしばらく何も言わなかった。

 あの屋敷に思い入れがあることは姉も知っている。特別何か言われたことはないが知らないわけがない。だからわざわざ教えてくれるのだろうし、この話があったからこそ帰省の電話をかってでたのかもしれない。

 「────まあ、そんなわけだから。今年は帰ってくれば?」

 「考えとくよ」

 「わかった」

 そう言って電話はきられ、ぼくは本当にしばらく考えた。

 その日の夜は眠れなかったし、何日か屋敷のことばかり思い出して仕事が手につかなかった。

 思い出すたびにもやもやとした、後ろめたいような微かな不快さを覚える。こうなるとわかっているから帰りたくなかったのだと悟って、不快さはより増した。

 それでも、なくなるとわかれば、喪失感はある。

 そこにあるから気にならないのであって、壊されると聞けば平静ではいられない。

 迷って迷って迷った末に、死神屋敷を見ておくために、帰省を決意した。

 そして、今、ぼくは電車に揺られている。

 実家の最寄り駅が近くなり、景色はより一層見慣れたものになっていく。

 古い家々の向こうにこんもりとした小さな山が見えた。いや、そこはどっちかって林に近いものだけれど、小さな高低さがあるから一応は山と認識されている、そんな程度のものだ。

 その山の向こうに、通っていた小学校の校舎がのぞいていた。

 山の中、木々の隙間からは、それこそ古い日本家屋の屋根が見える。

 ────死神屋敷。

 まだ、それはちゃんとそこにある。

 気持ち的には嫌々ながらに近い帰省、その元凶が視界に入ったが、不思議なことに嫌悪感もなく視線を逸らすこともなかった。むしろ、その建物の全貌が見たくて、通り過ぎる景色をじっと見つめた。

 もう来てしまったから。

 見てしまったから。

 忌避していたはずの記憶に、強烈に惹かれたのだろう。

 見えなくなるまでそれを見て、都会に比べてやたらと遅い電車に苛ついて、待ちきれずに荷物を抱えて立ち上がり────駅に着いてすぐぼくは車両を飛び出した。

 無人駅の改札を駆け抜ける。

 駅前のロータリーは閑散として、コンビニすら存在しない。

 故郷の風景は記憶のまま何も変わらないようで、やはりどこかが少しずつ違う。

 本当なら数台とまってるタクシーを捕まえて実家に直行するはずだったけれど、なによりもまず目的を果たしたくて、日差しの照りつける無人の歩道をひたすらに走った。

 ロータリーを抜けて。

 横断歩道を渡って左へ。

 民家と小さないちじく畑を横目に見ながらなだらかな登り坂を行く。

 道はわかる。

 違和感はあっても大きくは変わらない。

 小学校方面へ向かえばいい。

 小さな山は視界にあるし、通いなれたその場所へ行くのに迷うことなんてない。大きく変わらないなら、道のりはきっと記憶のままだ。

 何もしなくても汗の吹き出す陽気の中で走り続けた。

 たまに車が通りすぎるだけで人とすれ違わない。暑いから外に出ていないのか、そのくらいに人が減ってしまっているのか。いや、そもそも人通りの少ない道だから、こういうところも10年前とは変わっていないのだろう。

 小さな山・・・いや、目の前に立てば林だ。その林の前に辿り着く。

 小学校からは、プールを使ってるのか、子供たちの歓声が聞こえた。

 10年前より雑草の多くなった道を見つけ少し歩く。死神屋敷へ続く道だ。建物の一部は林に入る前から既に見えていたが、その細い小道を行けばすぐにその屋敷が見えるようになる。正確にはそれを囲む塀と、建物の2階部分を見渡せる。

 正面には古い門があって閉じられていた。多分押せば開くのだが、その大きさと古めかしさから普通は誰も試そうとしない。

 木々に囲まれ日陰になっていて少し涼しい。

 わずかに吹く風に一息つきつつ、門の前に立ち尽くした。

 確かに、10年も経てば、屋敷は古くなっている。そもそもが古い建物だ。あれから人が住んでいないなら、朽ちるのも早かっただろう。

 玄関側は引き戸の日本家屋で、奥側は洋風建築っぽく建て増ししてある。どちらにしろ古くて、奥の方は蔦なんかがはっていて、こんな林の中の薄暗いところにあって、家が広すぎるせいなのか誰かがいても人の気配を感じられないし、庭も広めだからなのか探検に来た小学生がゴミを放っていくし、雰囲気だけは最高に不気味で、窓辺に人が立つくらいで都市伝説ができてもおかしくはない。

 その人物が、顔色の悪い、痩せぎすの、目つきの悪い人物であれば、尚更だ。

 門に手をかける。

 やはりそれは難なく開きそうだった。

 でも入るわけにはいかない。

 秋には取り壊される他人の家だ。壊すくらいだから立入禁止にされるくらいに既に脆くなっているのかもしれない。

 10年間遠ざけていた風景に魅了され、ただただぼんやりと屋敷を見上げる。

 意識は屋敷と掘り起こされそうな記憶に集中していた。

 だから。

 それに気付けなかった。

 「・・・・・・・・・・・誰・・?」

 後ろで小さく声がした。

 基本的にやる気のないだるそうな声に不審の混ざった声音。

 誰何され、とびのくように振り向いた。

 気付かなかった。気配も何も、足元の落ち葉を踏む音だってしたはずなのに。

 振り向けば片手に小さな買い物袋をさげた男が立っている。日陰で顔色はわからないが、痩せぎすの目つきの悪い男だ。ひとめでそれと知れた。10年も経つのにこの人は何も変わっていない。

 「あ、いや・・・・えーと」

 視線をさまよわせる。何と言えばいいのか。ぼくは気付いても、相手にはわからないだろう。荷物を抱え、所在なく立ち尽くす20代後半のぼくに、この人が気付くわけがない。

 まさか会うとは思わなかった。ここにまだ住んでいるのか?誰もいないからこその取り壊しじゃなかったのか。会う予定じゃなかったし、会いたいと思ってなかった。というか・・・・この人、無事、だったのか。

 じっとぼくを見ているのがわかる。目が悪いから凝視しているんだ。

 怖い。

 逃げたい。

 「すみません」

 ────道に迷って。

 そんなベタな言い訳を口に乗せる前に、相手は細めた目を少し開いて一歩前へ出た。

 必然ぼくとの距離は縮まる。

 思わず一歩後ろに引いて、ガチャンと門扉が揺れた。

 そして。

 「タカくん、か?」

 以前と同じように名を呼ばれて。

 「────テツ師匠・・・」

 昔の呼び名を口走ってしまった。

 それが封を切らせたかのように、死神屋敷でのあれこれが蘇る。いいことも嫌なこともあれもそれもこれもどれも全て、全部、細かなどうでもいいことまで思い出す。

 最後のあの日のことも。

 この人に合わせる顔がないことも。

 だから忘れたかったし、会う気もなかった。それなのに────名前を呼ばれて、嬉しくて仕方ない。

 背反する感情に、ぼくは何も言えずただ固まって相手を見た。

 見られた方は不器用そうに、知らなければそれと知れないような笑みを浮かべた。

 そうして。


 「久しぶり」


 子供たちに死神と呼ばれる男はそう言った。


 10年の空白なんて、最初からなかったみたいに。

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