孫と爺



 ===勇次優作むすこ===


「ほら走れ!! バカ馬!!」

「おぎゃああああ!!」

 アルコールを片手に、ハイハイする赤ん坊の尻をひっぱたく父親… 泣き崩れる自分の子供を笑う。テレビからポルノが平然と流れる平日の14時。母親はパートへ出かけている。


 父・優作ゆうさくと母・良子りょうこのもとに生まれた息子、寺田勇次てらだゆうじ。父親は無職。母のパートでの収入と、勇次にとっての祖父・寺田岩次郎がんじろうからの仕送りで生計を維持させていた。


 祖父は不動産経営で財を築いた業界の大物。詐欺まがいに恐喝と、モノをさばくため、又は仕入れる為に法のギリギリのラインを攻めた男として界隈で有名だった。そんな男も孫の前ではりをひそめる…『ああなんてかわいい孫や』と仕事そっちのけで可愛がった。孫の影響もあってか、仕事も私生活も丸くなったらしい。


 虐待に次ぐ虐待でも勇次が生きてこられたのは、この祖父の存在が大きい。彼は週に二度は時間を作って息子の家に来ていたのだ。


 ――ガチャ!! 今日もこのように合鍵を使って…


「優作!! 貴様きさまッ!! 息子の前で何を見ている!!」

「うっせぇな!! チッ… パチンコ行ってくるから面倒見とけ!!」


 ――バタン!! 家を飛び出るバカ息子を追わない。祖父・岩次郎は会社に連絡して、無理やり時間を作る。


「…バカ息子め!! ったく、しょうがないでちゅね~!!」

 …このように、息子に子供の面倒を任せられる日々。でも彼はそれでよかった。かわいい孫と居られるならそれで…


「おぎゃあ!! おぎゃあ!!」

「あら、起きでちゅか? ほらほら、良い子でちゅね~ …ママは帰ってこないでちゅね」

 ベッドの上で泣きじゃくる勇次を優しく抱きしめる岩次郎。寝顔を見るだけであっという間に彼の時間が過ぎていった。


 …午後六時、帰ってくるのは母親。


「あ、すいません!! お父さん、また…!!」

 旦那が自身の父親に子育てを任せて遊んでることを、自分のことのように謝る彼女。そんな彼女をよそ目に、本音を叩きつける岩次郎義父


「…良子さん。君さえよければ、勇次を任せてもらえないかね?」

「そ、それは困ります…!!」

 傍から見れば、母を思う息子の構図だとおもうだろう。でもそれは違うと見破っている岩次郎…


「あんな危ない男に預けるくらいなら、ワシのほうが安全じゃないかね?」

「そ、それは…」

 岩次郎は知っている。彼女もまた、自分の遺産目当てでバカ息子に言いくるめられた被害者だと。そして彼女の勤め先の正体が昼キャバであることを…


 ―――『俺のガキ出来たらラッキーだな!!』


「嫌です!! あの子は絶対に渡しません!! 私がお腹を痛めた子なんだから!!」

 セックスするときはいつでも生で迫ってきたバカ旦那の言葉を思い出し、怒りの感情を義父にぶつける。優作の常套句じょうとうくだ… 父親の権威を振りかざすクズだってのは、その当人の耳にすら入っている。


 そして良子も馬鹿じゃなかった。既成事実きせいじじつを得る為に、ボイレコに隠しカメラと道具を揃えた。認知させるための道具を… めんどくさくなったら金を払って逃げ切る腹だった優作は、泣く泣く婚姻届けに判を押した。絶対に逃がさない鉄の覚悟だったろう。そういう境遇の子供だ、物心つく頃には狂いだすのも無理はない。


 彼女のがんとした姿勢に諦める義父。孫を何とか変えてあげたいと思ったのはこの頃からだった…


 ◇◇◇


 月日は流れ、勇次は小学生四年生。相も変わらず祖父が優作一家の生活実態をチェックする日常。さすがに時の流れには逆らえなかったのか、キャバレーから知り合いが経営するクラブのママを務めていた。今までかろうじてお水の仕事でありながら、平日の昼間に時間を余す金持ちたちを相手に仕事をしていたのだが、夜に家を出て朝焼けで帰る暮らしを余儀なくすることとなった。


 父親の優作はと言うと、未だに定職に就くことはせず。家に帰ってこないこともザラだと孫から聞く祖父。彼は仕送りの打ち切りを決断できなかった自分のせいだと悔みながら、毎月十分すぎる額を自分の手で振り込んでいた。孫が元気でいてくれるならと…


 そんな暮らしにごうやしたのか… 祖父は決断する。玄関先で待つ義父と鉢合わせる寒空に朝帰りした息子の嫁。


「…お、お父さん。おはようございます」

「いい加減にしなさい!! 授業参観にもいかない、子供の行事にも付き添わない。五百円玉を置いて子供を置いてけぼりにする… いったいどこの常識なんだ!!」

 朝方… 新聞配達員くらいしか来ない通り沿いで大きな声だけが響く。


「か、関係ないじゃないですか!! お義父さんのお金に手を付けることなく、私は必死に働いて育ててます!!」

 負けじと彼女も声を張り上げる。自分のやり方があると… 


「え…? わ、ワシの金は…?」

「一切頂けてません!! だからこうして働いてるんじゃないですか!!」

「…!! そ、そうか…」

 岩次郎は、分かっていた。が、聞きたくなかった… ガックシと胸を痛める彼。ひたすらに苦しむ… 悪事を働く息子ではなくその嫁にしか怒鳴れない自分や、孫にいい暮らしを提供するために与えたお金が無駄だったことに。


 それなら離婚すればいい… それがきっと世間の声だが、そんなことを岩次郎は言えない。言ってしまえば孫・勇次ゆうじとは今後関わりを持てない人生を送ることになる。そっちの方が楽なのに…


「分かっていただけますか? お義父さん」

 良子が自分の口から『離婚しろ』とバカ旦那に言わないのは、義父の心境を把握しているから。彼女もまた、悪魔であった…


「分かった…」

 白い息… 悔しさを飲み込んで、彼は引き下がるのだった。…そして、その頃から彼の息子・優作の家庭内暴力が始まる。


 ◇◇◇


 事態は急変する。…それは勇次が小学六年生の頃。


「どうしたんだ!! その腫れは」

 仕事の関係と息子の嫁とのもどかしさから、月一訪問に落ち着いていた時のこと。岩次郎が目を紫色に腫らせたかわいい孫を見た… 


「な、何でもないよ? ちょっと転んじゃったんだ…」

「何でもないって事はないだろう…!! 転んでそんなピンポイントに腫らすものか!! 誰にやられたんだい?」

「違うって、お家で転んだんだよ。…棒にぶつかって」

 子供の真理を読むのは容易い… 祖父はあの男を庇っていると考えた。そして…


 ——ガチャ!!


「チッ… 来んなよ、親父!! 勇次も俺も会いたくねぇっての…!!」

 たまたま帰ってきた息子・優作。岩次郎は鬼の形相で問い詰める。


貴様キサマァ…!! この子に何をしたんだ!!」

「あ…? …おい勇次!! てめぇ喋ったのか!?」

「ぼ、僕は何も…!!」

 怒りの矛先は、岩次郎の後ろに隠れてる勇次に向ける。自分の子供に対して…


「お前に言っているんだ!! 何をしたんだ!!」

「ちっ!! ウルセェんだよ!!」

「おわっ…!!」

 優作に突きとばされ、机の角に頭を打ち付ける岩次郎。打ちどころが悪かったのか、床に頭を打ち付けて倒れ込んでしまう。


「お、お爺ちゃん!! おじいちゃん!!」

 クラクラと目を回す… 見えるのに何も動かない岩次郎。薄れゆく意識の中、孫が殴られるのを見た。


「お前が!! お前が!! 生まれたからだ!! オラッ!! お前さえ居なければ…!!」

「ぐ!! ぐぅ…!! ぐ… 痛いよぉ…!!」

 殴られて倒れ込む勇次を容赦なく蹴り倒す優作。勇次の悲鳴を聞きながら何もできない悔しさを滲ませて、意識を失う岩次郎。


 ◇◇◇


「あ、お父さんが起きられましたよ~」

「え? 本当ですか? 良かった~…」


 ———ピー、ピー、ピー 岩次郎が目を覚ますと、彼の口元に呼吸器が取り付けられていた。


「しばらくは絶対安静だと先生から伺ってます。無理はさせないでくださいね?」

「了解いたしました!! 絶対させません!! でも~ そんな事より、看護婦かなこさん… 今晩どう?」

「いや~ね!! 優作さんったら…!! じゃあね♡」


「…」

 白いベッドに白いカーテン… 病院の個室部屋にいた。ナースと優作が楽しそうに話をしている。岩次郎は目を細めて見えたのは…


「無事かい? お父さん・・・・…?」

「ぐぐ…!!」

 …最悪なことに、バカ息子の手配で病院に来てしまったんだと彼は察した。恐らく『こけて頭をぶつけた』と加害者本人が先手を打ったのだろう。これで誰も彼を咎めることはしない。口が上手く開かないので岩次郎さえも…


「ゆっくりしろよ…? アンタは俺の資金源なんだ。黙って金を振り込んでりゃそれでいい。パチンコに女に酒… 気が反れて、勇次を虐める時間が無いくらい俺を遊ばせとけばいい。間違っても振り込みを止めるようなことしてみろ? 死んじゃうかもな? 勇次…」

「…っ!!」

 怒りが溢れ出ても、岩次郎の身体は彼の意志通り動こうとしない。身体が言うことを聞かないのだ…


「それと… 贈与税がどうたらとかって税務署がうるさいから、いっそのこと俺を会社の役員にしてくれよ。もちろん勤めやしないが、役員報酬として金だけもらうって仕組みでさ?」

 黙ってることをいいことに、バカ息子は言いたい放題要求する。岩次郎は悔しさを飲み込むだけ…


「…おっと、そろそろ女と会う時間だ。まぁ色々考えてくれよな? お父さん・・・・

 優作は自分勝手の限りを尽くして病室を出た。…みっともないと自分を情けなく思いながら、岩次郎は秘書にメールする。奴の思うままに事を進めるために… 秘書に奴への入金も任せればいい。それなのに頑なに自分の手で奴への仕送りをしていた理由… それは自身の愚かさと向き合う為。『優作』なんて優しい名前を付けたのに、自分が金を持っていたが為に狂ったバカ息子を、自身の罪だと割り切って…


 全治三か月… 意思から下された診断は慢性硬膜下血腫。手足はしばらく動かないので安静にしろと言われた。楽しみにしていた孫の卒業式に行けることもなく、時だけがただ流れる。息子の安否をただただ祈りながら…


 ◇◇◇


 そしてやってくる… 勇次の母・良子の自死。祖父・岩次郎は病院内で知った…


――「あなたの息子のせいで、あの子は死んだんですよ…!!」

――「なんであなたのご子息はここにいないんですか!!」

 退院してまもない岩次郎に浴びせる良子の親族による非難の声… 


「申し訳ない…」

「申しわけないで済むんですか!! あの子はね、子供を必死に育てていたんですよ!! きっと不埒ふらちなアナタの息子に嫌気を差したんだわ!! ぐぐ…!!」

「…」


 あんなに固い意志を持っていた良子の死。岩次郎は別に不思議とは思わない。不意に爆発してしまった人間を多く見てきたから… 債権差し押さえとして格安で手に入れた土地の数々は、そのような者たちの『犠牲』を引き換えに手に入れた『幸福』だと知っている。不出来な息子と同じように、仕事だと割り切って生きてきたのだ。


「…あなたに、そしてあなたの親族に与えた苦しみの分、『慰謝料』と言う名目でお渡しします…」

 金をチラつかせれば落ち着く者たちも数多く見てきた。謝罪とは、金が無いとできないことを思い知っている。すべては建前たてまえだと…


「そ、そういう事を言ってるんじゃないわ!!」

「…申し訳ない。私にはコレしかないんです…」

「…そう。なら追々、そういう事も決着を付けましょう。親権・・に関しても、ね…」

「…!!」

 やはりコイツか…と岩次郎は悟った。この手のことがお金では埋められない深い溝だというのは彼も重々承知している。だが奴らにとっての最優先事項は金であると彼は確信した。この状況で不適切な言葉ではあるが、『子が子なら親も親』だと良子のことを思い返した。


 金を示した途端、隠しても見えるよこしまな感情… そして宝物を盾に、更に金をせびろうという魂胆。自分の考えは別に偏見じゃないんだと彼は思った。事実、良子の母親はそう企んでいたのだ。それを見抜く目… 岩次郎は汚い世界で幾人もの人間を見てきた。汚いものを見過ぎたのだった。


 でもそれだけに分からない… なぜ良子は死んだのか。口悪い言い方だが、汚くても飾らなくてもハイエナの用に生き抜いてきた彼女が、遺書を残すことなくなぜ今になって死んだのか… きっかけは何だったのだろうか?


 …そして分かった。葬式の帰り道、宝物が教えてくれたから…


「おじいちゃん…」

 神妙な面持おももちで語る勇次…


「…どうした?」

「俺を引き取ってくれるよね…? もうアイツのもとにはいられない…」

「あ、ああ…!! もちろんだ…」

 もちろん… とは言ったものの、法でのしがらみがある。まずこれを制さなければ…


「約束してくれるなら全部話すよ… 何があったのか」

「え? ああ…!! 約束だよ」

 この時、岩次郎は安易にうなずいてしまった… このことが後に、孫への一生の傷になるとは知れず 。そして後悔する。子供にこんなことを言わせるバカ息子に…


「母さんは殺されたんだ… アイツに」

「…どういうことだ!! 聞かせなさい!!」


 ☆☆☆


 岩次郎が勇次から聞き出せたのは主に三つの事柄。


 ・取り立て屋がやって来た。聞けば優作が金を借り、連帯保証人を良子の名義で勝手に使用し、借金を踏んだくっているのだとか。

 

 ・あくる日に突然、大家から『出て行ってくれないか?』とマンションを追い出されそうになる。加えてこの頃から、近隣住民からの『出て行け淫乱女』等の罵声や張り紙が出され始める。

 

 ・勇次や良子がいない間に、自宅に愛人を連れ込んでいた。そこに良子や勇次が出くわしたが、『見られている方が興奮する』とプレイに拍車がかかった。行為を止めることなく、逆に良子たちが一晩家を空けるハメに…


 つまむとこんな感じ… 岩次郎は腐りそうな耳を必死に保って話を聞いた。中学校に上がりたての少年にこんなことを言わすなんて… そして聞くにバカ息子の優作は、悪い連中とつるんで妻である良子を追い込んだらしい。しかし証拠はない。精神的に追い込まれ、彼女は今度ばかりは既成事実を作れなかったようだ… 証拠がないんじゃ、あのバカ息子はまた逃げのびる。…それを思うと胸が痛む岩次郎。


 思えば息子の優作を、そして家庭を顧みなかった岩次郎。先にも述べた通り、彼は仕事の鬼だったのだ。そうやって築いた財… その権威を振りかざすことしかできない父親だった。女ったらしに転んだのも、親の愛情が足りていなかったからだと岩次郎は自分を責めている。妻が育て方に困っていても、『放っておけ』と一言で言い放ってしまった自分のせいだと…


「おじいちゃん… 大丈夫だよね?」

「ああ。もう不安になんてさせない…」

 だからこそ岩次郎は命を賭してでも、この子だけは守ろうと決めた。…しかし、彼らに待ち受けていたのは地獄であった。


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