田無タワーは碧く光っている
プロトケラトプス
第1話 田無タワーのふもと
寒い。季節は12月。東京郊外の街武蔵境も冬が深まり、夕方のこの時間帯はダウンを着ていても寒さが感じられるようになった。吹き付ける冷たく乾燥した風におれは顔をしかめるが、冬の冷たい風は頭を冷静にしてくれる良さもある。両側をフェンスに挟まれた、幹線道路と交通量の少ない脇道の道路を繋ぐ狭い小路を歩きながら、おれは目前に迫る今日の散歩の目的地である田無タワーを見上げる。
「やっぱ近くで見るとでけえな・・・」
田無タワーは観光名所のような名前だが実態はただの電波塔で、一般人は敷地内に入ることができない。だがタワーと名前が付くだけのことはあって、塔の太さは人間十数人分はあり、高さもちょっと見上げたくらいでは塔の先端までは見えないほどだ。この塔はさらに明日の天気を大雑把に予報してくれる機能が付いていて、暗くなってから田無タワーが赤く光れば次の日は晴れ、緑に色づけば明日は雨ということになる。
歩いているうちに小路を抜け片側2車線の大きな幹線道路に出る。新青梅街道だ。田無タワーはこの道路を挟んで向こう側に立っている。幹線道路を少し東側に行き歩道橋を渡って、また少し西側に歩いて戻ると、もうタワーは目の前だ。
おれは新青梅街道に垂直に交わる小さな道に入り、交通量が少ない場所でタワーを見ようとする。無骨な鉄骨が露わにさらされている塔だ。高層部が背景の冬の夕方の青空に浮かんでいるのは何か寂寥感をかき立てられる様子だ。この町で過ごしてそろそろ5年になるが、この建造物は俺の心に、この冬の風のような冷やかながらも心地良い癒しを与えてくれる。おれはしばらく塔を見上げ、時々視線を下して横の新青梅街道やその向こうに広がる景色を眺めたりしながら、時間が流れるのも気にせずそこにじっとしていた。
そろそろ十分見たかなと思って一息つくと、近くに人がいることに気づいた。おれと同年代くらいの少女だ。女子にしては高めの身長に肩甲骨が完全に隠れるくらいの長い黒髪。膝丈くらいの暗色のスカートに黒いストッキングを履いていて、暖かそうなコートを着ている。落ち着かない様子であたりを見回していたが、おれが見ていることに気づくとこちらに近付いてきた。慌てて視線をそらすが変わらず向かってくる。
「あの・・・」
彼女が話しかけてきた。
「はい?」
「すみません、お聞きしたいんですが、ここから武蔵境駅に行くにはどうすればいいんでしょうか・・・」
なんと。道に迷っていたのか。だが実はおれもこの辺にそんなに詳しいわけではない。
「ああ・・・僕もあまり詳しいわけではないんですが、ここから少し歩いたところにバス停があって、そこに武蔵境駅行きのバスが来ますよ。」
「そうなんですか!そこってどこにあるんですか?」
「ええっと・・・」
まいったな。そんなに近いわけじゃないから説明するにもしづらいぞ・・・
「あの、スマホとかお持ちじゃないですか。地図アプリとか見れば・・・」
「スマホの充電切れちゃって・・・」
てへへと困ったように笑う。なんだろう、意外とマイペースな人なのだろうか。
「あ、そうなんですね。えっと・・・どうしよう。あの、今から僕もそこに行こうと思ってたので、良ければ一緒に行きますか・・・?」
つい勢いで言ってしまったが大丈夫だろうか。ナンパとかと誤解されないといいが・・・
「・・・!行きます!お願いします!!」
うおおお。食い気味に顔を近づけてきた。よく見ると整った顔立ちをしている。綺麗と可愛いの中間のやや可愛い寄りってところだ。というかやっぱこの人若干変だな。マイペースというか距離の詰め方が急というか・・・
「わ、わかりました。じゃあついてきてください。」
「はい!」
おれが歩き出すと彼女は隣に並んできた。女子と並んで歩くなんて前にいつあったか思い出せないくらいだから少し緊張するな。
「えっと・・・この辺に来るのは初めてなんですか?」
「あはは、そうなんです。前から遠くに見えるこのタワーが気になってたんですけど、なんか今日急に来たくなって、田無タワー目指してひたすら歩いてきたっていう感じで。」
再び彼女は困ったような笑みを浮かべる。
「あ、そうなんですね。僕もこの辺には5年くらい前に引っ越してきたんですけど、夜に田無に来た時に見えた青く光ってるこの塔を見て、来てみたいなと思って、それでよく散歩のコースにしてるんです。」
いかん。久しぶりの女子との会話でしかも長文をしゃべってしまったからどもりそうになる。
「あ〜夜の田無タワーいいですよね〜。私もよくそれ見て明日の天気知ってます!」
笑みを浮かべる彼女。よかった。どうやら彼女はやはりマイペースな感じのある人のようで、こちらが少し緊張気味でもあまり問題は無さそうだ。
それからおれたちは歩道橋を登って新青梅街道を渡り、そこからさらに脇道に逸れて俺が元来た方の東久留米市の方向へと歩いていく。一つ信号を渡って最近新しくできたようなきれいな道に入ると、そこからまっすぐの、両側が畑で開けた道に入っていく。地平線まで見えるかと思うようなこの突然現れる開けた景色は、いつもおれの心を弾ませてくれる。その間彼女は何かを考えている風で表情を色々と変えていたが、その見晴らしのいい直線道に入ったあたりで話しかけてきた。
「あの、失礼かもしれないんですけど、何歳ですか?」
唐突に聞いてきた。
「17歳です。高校2年です。」
「高2ですか!私もそうなんです!なんかそんな気がして!」
まあ年齢相応の見た目ってことだろうな。起こりうることだ。
「じゃあ同い年なんでタメ口でもいいですか?私、玉川涙菜って言うんだけど、君の名前は?」
勢い込んで重ねて尋ねてくる。この直線的なコミュニケーション、気を緩めていれば呑まれてしまいそうだ。しかしここはおれのホーム、しっかりしなければ…
「若葉台排多です。」
「はいた君ね!どういう字書くの?」
「排他的経済水域の排と多いの多です。」
「へ〜初めて聞いた名前だな〜。」
開けた大地(ガイア)は相変わらず続いている。夕暮れ時の空は、冬の乾燥と相まって澄んでいる。夕日が点在する小さな雲に当たって、オレンジの部分と白の部分を作り出している様子や、空の上から下にかけて滑らかに移り変わる青のグラデーションが綺麗だ。
「この道すごいね…!こんなところがこの辺にあるなんて知らなかった!」
「え、どういうこと?」
「えっと、なんかさっきまで車がたくさん通る大きい道路にいたのに、ちょっと脇道に逸れたと思ったら急にこんな広々としたところに出るなんて…!なんか目の前が急に開けるってこんな感じなのかなって思ったよ!」
そう言って興奮気味に笑う彼女。
「ああ…そう、ここって家が集まってるか車が多く走ってるかっていう道路が多いこの辺の中ではちょっと違って、こんな風な地平線も見えそうな開放的な場所だからね。この辺りを歩き回ってここに来ると驚くよね。」
「そう!私武蔵境に昔からずっと住んでるけど、この辺は全然来たことなかったから。今まで住んでたところの近くにこんなところがあったなんて知らなかったなぁ〜」
彼女は目を光らせ、この景色を見渡している。やたらと感動しているようだ。
それからその開けた道をしばらく歩くと、さっきから遠目に見えていた大型モールのアイオーンに近づいてくる。
「結構歩いたね。バス停ってどの辺にあるの?」
「そろそろだよ。このアイオーンの東側の道路にある。」
「そうなんだ。じゃあもうすぐだね。」
おれたちはまた少し歩いた。
「排太君ってバス停着いたらどうするの?」
「僕も今日は帰るから、そこで武蔵境行きのバスに乗ろうと思ってたけど…」
「あ、そうなんだ!じゃあ駅まで一緒だね。」
そうこうしているうちにアイオーンの駐車場横を通り過ぎ、交差点を右に曲がってバス停に着いた。
「ふぅ、着いた。」
おれはバス停に貼ってある時刻表を見る。ここは武蔵境駅行きのバスはそう多くは来ない。スマホを取り出し時間を確認する。次は10分後か…まあまあだな。
「あと10分くらいだ。」
彼女と並んで立つ。しばらく無言の時間が続く。女子と隣り合ってバスを待つなんて経験無いから緊張してきたな…歩いている時は気が紛れるが、こうして止まってると…話題が無い。
「暗くなってきたね。」
彼女が話しかけてくる。
「そうだなぁ。」
田無タワーにいたときは日が沈むにはまだ時間があると思えるくらいの明るい夕方だったが、冬の日が沈むのは急で、ここまで20分くらい歩いて来たが、もうすっかり暗くなってしまっていた。
ルルル…
そうやってぼーっとしてるうちに、武蔵境駅行きのバスがやってきた。
「来たね!じゃあ乗ろっか。」
そう言って玉川さんが先に乗り込む。おれもそのすぐ後に続きICカードをタッチする。玉川さんは後ろから2番目の2人席に座った。そして、微笑みを浮かべながら、おれをその隣に座らせる。しかしこの席は密着度が高い。隣の玉川さんからいい匂いがするな…。
「今日は本当にありがとね。排多くん。
君のおかげで、寒さの中さまようことにならずに済んだよ!」
「いや、僕もちょうど帰るところだったから大丈夫だよ。」
「こんなところにアイオーンあったんだね。東久留米店かぁ、東久留米ってもっと埼玉の方だと思ってたよ。」
もう話題が変わっている。
「まあそうなんだけどね。既にこの辺ってだいぶ埼玉に近づいてるんだよ。埼玉の新座ってところが近くにあって。」
「え、そうだったんだ。こんな歩いて来れる所がもうなんだね。じゃあほんとにあとちょっと歩いたら埼玉入ってたのかな。」
「そうだね。僕も自転車で行ったことがある。」
「そうなんだ。自転車か〜私も行ってみたいなぁ…。…そうだ!今度一緒に行かない?」
「い、行くって自転車で?」
「うん!でもここから少しなんだったら歩いてもいいな。その方が景色とかゆっくり見れるし。」
「そ、そっか。まあ僕はいいけど…」
「ほんと!?やったぁ!あ、そうだ。じゃあ連絡先交換しよう!……と言いたいところだけど私のスマホ充電切れてるんだった…」
「あ、そうだったね…」
「うーんあ、でも私のID教えて検索して貰えばいっか。」
「あ、確かに。」
「うん!えーと私のIDは、tearvegetableだよ。」
「な、なるほど。」
おれは玉川さんが教えてくれたIDをSNSの検索画面に打ち込んでいく。tear vegetable…なるほど名前の漢字は涙菜って書くのか。しかし長い。スペルミスしてると面倒だな…
「あ、出てきた。」
無事1回で検索結果に現れた、本人が旅行か何かで撮ってもらったのであろうアイコンのアカウントを玉川さんに見せて、確認してもらう。
「あ、それそれ。友達登録しておいてね!」
「はい。」
こうしておれの数少ない友達欄に玉川さんのアカウントが追加された。
バスはいくつかの停留所に止まりながら進み続け、田無駅までやってきていた。もう辺りは完全に夜だ。田無駅前は西武新宿線の駅の中では比較的栄えた所だが、それでもやはりJR線の駅などと比べると少し寂しい感じだ。その中で青と白を中心としたイルミネーションが、冬の寒い夜にささやかな彩りを添えている。バスはたくさんの客を降ろした後、武蔵境駅方面のバス停脇に入って一息着く。運転士がエンジンを止め、バスの中は静かになる。
「………」
おれは息を潜め、じっとしていた。視界にはバスの外の田無の街の光がぼんやりと映っている。少しすると、バスはエンジンをかけ直し、武蔵境駅に向かって出発する。
「排多くんって、どこの高校通ってるの?」
隣から声が聞こえた。
「小金井南高校だよ。」
「へ〜小金井南なんだー!排多くんって頭良かったんだね!」
小金井南はこの辺では少し高めの偏差値だ。
「玉川さんは?」
「私は武蔵境北高!」
武蔵境北高校は武蔵境駅の北北東の方にあるどちらかと言うと三鷹や吉祥寺に近い所だ。散歩コースの1つの道沿いにあるから知っている。そこも小金井南と同じくらいの偏差値の高さがある高校だ。
「武蔵境北高校って、玉川さんも頭いいんじゃん。」
「えへへ、これでも受験の時は結構勉強がんばったんだ。でもやっぱり違う高校だったか〜。まあ学校で排多くん見たことないもんな〜。」
まあおれは学校での存在感は相当薄いので、同じ学校だったとしても玉川さんはおれに気付いてなかったと思うけどね。
「あっ、そろそろ武蔵境駅だね。」
バスは武蔵境浄水場の横を通り過ぎ、武蔵境前の商店街であるすきっぷ通りに向かう道を右折する。ここまで来たら武蔵境駅前のバス停まではもうすぐだ。
「あ〜やっと着いた!このイルミネーション見ると帰ってきたって感じするよね。」
「そうだね。」
武蔵境駅前のイルミネーションは、さすがにJRの駅なだけあって田無駅のそれよりも華やかだ。ロータリーの中央にある大きな木に巻きついているイルミネーションは、青と白の他にピンク色もあって、武蔵境駅自体が放っている暖色の照明と相まって穏やかな感じを作り出している。その木の周りには、馬やヤギなどの形をしたイルミネーションたちも囲んでいる。
バスは止まり、おれたちは他の乗客たちが降りるのを待って、ほとんど最後にバスを出た。
「排多君って、家どっち側?」
玉川さんが尋ねる。
「こっち。」
おれは駅の南側、バスを降りた場所とは反対側を指差しながら言う。
「そっかー。じゃあ私はこっちだから、ここでお別れだね。」
「そっか。」
「家帰ったら、さっきのところに連絡ちょうだいね!忘れないでね!」
「わかった。」
「うん。じゃあね、また!」
彼女はそう言って、手を振りながら北へ去っていく。揺れる暗色のスカートが、ここの明るい夜の雰囲気によく合っている。おれも少しそれを見た後、自らの帰路につくのだった。
・・・・・・
家に帰っておれは、玉川さんのSNSにメッセージを送る。
『こんにちは』
『排多くんこんばんは!連絡ありがとう!』
すぐに既読が付き返事が返ってきた。
『今度出かける時の計画立てよう!!』
そうしておれたちは、次に散歩探索に行く予定について話し合った。
『じゃあ来週の土曜に武蔵境駅集合ね!』
『わかった』
こうして予定も決まった。
田無タワーは碧く光っている プロトケラトプス @eez
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