第5話 僕、穏やかならぬ敵を知る
「……か、勝った?」
「そのようだな」
紫の血溜まりに倒れ込み、動かないバフォメット。
どうやらついに体力が尽きたらしい。
とは言っても、あまりに強敵すぎて勝利の実感がわいてこなかった。
「さあ、進もうか。もう苦戦することもないだろう」
「そ、そうですね」
そうだ。まだダンジョンから出ていないじゃないか。
アスラさんの一声で思い出し、装備を整え始めたその時。
「待て」
バフォメットから、再びの声。
聞いた感じ、敵意は薄そうだが。
「そっちの男に、用がある……」
振り向いた僕たちの目の前で、バフォメットが体を起こしていく。
当然僕たちは武器を構える。
これ以上戦うのは正直キツい。だけど降参はできない。
「神の愛し子よ、来るが良い」
そんな状況が見えているのかいないのか、バフォメットは平然と喋り出す。
『愛し子』という言葉は、アスラさんからも聞いた気がする。
確認の為、僕は自分を指差した。
「そうだ。『ロールバック』とやらの使い手、お前だ」
バフォメットの肯定に、僕の喉が鳴る。
アスラさんを見る。ただ一度、うなずいた。
バフォメットはあぐらをかいている。なのに僕の身長と同じ高さだった。
そこかしこに傷を負っているが、命に別状はなさそうだった。
間違いなく倒したはずなのに。
「ああ、そうだったな。先ほどまで敵だったのに、安心して近づけるわけがないか。安心しろ、お前たちは間違いなく我に勝利した。その証も後ほど授ける。今はとにかく話がしたい」
バフォメットの目や言動を見る限り、敵意は感じない。
どうやら信じてしまっても良さそうだ。
「許せ。我々が汝らと対等に語らうには、どうしても汝らに箔をつけてもらう必要がある。そのためには」
「勝者という箔が、一番便利だったと。そのわりには貴様、本気だったろう」
話を引き取ったアスラさんが問いかけると、バフォメットも言葉を返した。
「あえて逆に問おう。仮に我が手を抜き、汝らが勝利したとて。汝らは嬉しいか?」
「それはそれで嫌だな。あからさまにやられたら怒る」
「そういうことだ」
バフォメットが笑みを浮かべる。
これには僕も感心した。
たしかにそれで勝っても、あとあと文句を言いたくなるだろう。
「さて、実を申せば。神の愛し子が被害者の側であることは我も知っていた」
「はい?」
なのにバフォメットが言葉を続けると、そんな思いも一瞬で吹っ飛ぶ。
なんで事情を知ってるのに敵意全開だったんだ。
「そう怒るでない。理由は二つある。一つはさっきも申した通りだ。だが、今一つが厄介だ。覚えておるか。我は姑息なパーティーのうち、一人を取り逃がした」
「あ!」
思い出す。
そういえば、僕たちを襲う理由がそれだったっけ。
「事実、侵入者を薙ぎ払うのが目的だった。だがもう一つ理由があった。姑息な者どもから一人……おそらく頭目を取り逃がした際。どうにも不可解な『間』があったのだ」
「間、か……」
復唱したのはアスラさんだった。
気がつけば三人の会話になっているが、どうやら問題ではないようだ。
そしてパーティーの頭目とはまさか。ダンのことか?
「我の気のせいかとも思った。だが奴は突然に消えた。一瞬の『間』があったのだ。干渉があった可能性がある」
「……つまりアレか? 貴様はこのダンジョンで上位者……率直に言うと神の介入が発生したと?」
「そういうことだ。総ざらいして、調べる必要があった」
目的が僕にも分かるようになり僕は黙り込んだ。
話が大きすぎる。逃げ出したい。
「神の愛し子よ」
「は、はい」
しかし会話の矛先が僕に変わる。
愛し子と呼ばれるのはこそばゆいけど。
「お前に語りかけた神は何と名乗った」
「クロノス、と……」
「やはりか」
バフォメットがうなずき、アスラさんが会話に割り込む。
「……つまりクロノスの愛し子が現れたのに応じて、いずれかの神……いや、時間と進歩の神クロノスが現れた以上」
「うむ。停滞と堕落を司る、神と認めることすら腹立たしき者。奴こそが第一候補であるな」
「腹立たしき者……停滞と堕落……」
僕はバフォメットの言葉を繰り返す。そしてアスラさんを見る。
その表情は、あまりにも険しいものだった。
オーガという表現すら、生ぬるかった。
「人も我らも等しく惑わし、世界を停滞に追い込もうとする、邪悪な者。愛し子よ、覚悟するといい。クロノスと邪悪な者は、望まずとも引き合ってしまう」
「……」
僕は言葉を続けられなかった。
話がどんどん大きくなっている。僕の立ち位置がおかしくなっている。
あの罠を踏んでしまうまでは、ただのヒーラーだったのに。
「済まない。どうもこれ以上は難しそうだ」
「むう。仕方あるまい。ならば、証の話だが」
僕の困惑ぶりを気にかけて、アスラさんが会話の打ち切りを提案してくれた。
意外にもバフォメットはあっさりと同意した。そして。
「こればかりは、言葉よりも実践よな。……ぬんっ!」
いきなり手刀を己の腹へと叩き込んだ。紫の血が、滴り落ちる。
苦しみ、悶え、うめき声を上げる。
おぞましい声に目を背けたくなるが、アスラさんの目が許さなかった。
「上級モンスターの肝には、魔力溜まりがある。知っておるか?」
少しして、バフォメットは黒光りする内臓をこちらへ向けた。
僕は首を横に振り、アスラさんはうなずいた。
「くく……少々『強い』が、食えばわかる。くれてやろう」
アスラさんが無造作に肝を受け取る。直後。
「さらばだ!」
バフォメットは自ら腹を両断した。傷口から、彼の身体が消え去っていく。
「っ!」
「上級モンスターの連中は死の概念が薄い。いったん己の世界へと帰る程度だ。気にするな。またこのダンジョンに現れる」
思わず近寄ろうとして、アスラさんに止められる。
首を横に振られる。どうしようもなかった。
「それよりも……ここが魔力溜まりだ」
アスラさんが肝を僕に見せる。半ば強引だった。
生臭い匂いが鼻につく。あまりにもグロテスクだった。
僕は目をそらした。アスラさんが、カラカラと笑う。
「うむ。まあそうなるな。これについては、のちのち処理するとしよう」
どこからか紙を取り出し、肝をていねいに包む。
バフォメットと戦い、生き残った証拠としては貴重品だった。
「さあ、ダンジョンを出てギルドへ行こう。この近くだと、サフォークか?」
「はい。一日掛けてやってきました」
「うむ。私は流れだが、しばし世話になるとしよう」
僕はお願いしますと言いかけ、口をつぐむ。
すると再び、アスラさんが笑った。
外へと向けて、僕たちは歩き出した。
――――――
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