第296話「混沌の花嫁」

 俺がぐったりと寝そべるのはキングサイズのベッドである。

 なぜ後宮の中庭の温泉にベッドがあるのか聞かないでくれ、俺にもよくわからないのだ。


「フッー」


 俺の横で混沌母神の触手お姉さんが、永寿茸の銀色の煙をタバコのようにダンディーな顔でくねらせている。

 なんだこれ、昭和の漫画か。


 このコッテコテのリアクションを見てわかるように、俺は触手お姉さんにやることやられてしまったのであった。

 抵抗は無意味だった。


 触手お姉さんの身体は、下の部分が人間とはいろいろと違っていたわけだが。

 よくわからないなりに、あっけなく男女の一線を越えてしまったというのだけは本能でわかった。


 種族どころか神と人間の枠を飛び越えた、未知との遭遇。

 ともかく俺は、こうして女の子(のような混沌)にいつも通り、精気を完全に抜かれてベッドでぐったりとしているわけだ。


「なんだ……ケホッ、ケホッ!」


 いきなり、お前も吸えとばかりに、俺の口にも永寿茸が突っ込まれる。

 思わず吸い込んでしまうと、銀色の煙が肺を満たす。


 なんか、口からキラキラした煙が漏れている!

 寿命が伸びるとか言ってたから身体には悪くないんだろうけど、目の前がチカチカする。


 銀色の煙を吸うと普通に息苦しく咳き込むし、独特な苦味もある。

 こんなキラキラしたものを吸って、体内がキラキラになってしまって本当に大丈夫なのだろうか。


「やっほほーい」


 突然、俺の身体をニュルッと持ち抱えて、謎の奇声を上げて温泉の外へと出ていく触手お姉さん。

 相変わらず行動が読めない。


 力尽きている俺は、されるがままだ。

 温泉から中庭に出ると、オラクル達魔族が膝を付いて跪いていた。


 もしかして、こいつらずっといたのだろうか。

 混沌母神は、魔族の彼女らにとって創造主である。


 それぐらい畏まっていても、無理はない程度には敬意を持っている。


「タケルは前々からやる奴じゃとは思っておったが、ついにここまでやらかすとはのう!」

「国父様は、ついに混沌母神のあるじとなられたのですね」


「いや、これはそういうんじゃ……」


 オラクル、とりあえず精力を回復させてくれないか。

 触手お姉さんの気が済んだのか、ようやく触手から解放されてよろよろと前に出ると、とんでもないことを言われる。


「タケル……混沌母神様は、明らかにタケルとの結婚に乗り気じゃろ、今さら否定するのも失礼というものじゃぞ」

「結婚に乗り気って、えええ~」


 さっきまでビキニ姿だった混沌母神が、振り返ればウエディングベールをかぶっている。

 これは確かに、まごうことなく結婚に乗り気のアピール。


「やぶさかでもないよー」


 触手お姉さん本人がやぶさかでもないと言っているので、結婚には乗り気なのだろう。

 これやっぱ触手お姉さんとも結婚式やらなきゃならない流れか。


 やってしまったものはしょうがないので、責任は取らなきゃならないが。

 それはそれとして、こんな混沌生物を結婚式に参加させて大丈夫なのだろうか。


 しかし、ウエディングベールなんてどっから持ってきたんだろう。

 相手が混沌母神なので、虚空から出した可能性もあるのが怖いところだ。


 しかも気がついたら直径一メートルはありそうな、巨大な薔薇ばらつぼみみたいなのが地中から生えてきているし。

 明らかにこれも混沌母神が生やしたものである。


 うちの庭に、あまり変な植物を生やさないで欲しいんだけど。


「混沌母神様のご様子を見れば一目瞭然じゃ、タケル。正直に言うのじゃ、やったんじゃろ?」

「まあ、やったといえばやったかな……」


「これはめでたいのじゃ!」


 めでたいのかなあ……。


「それにしても、この花は生やしておいて大丈夫なのか?」


 話をごまかしたい俺は、足元の超巨大な花の話題に移る。

 ピンク色の薔薇っぽい感じで美しいと言えなくもないのだが、花しかない時点で怪しさ満点である。


 オラクルは、そっと蕾を調べて言う。


「これは、おそらく世界華せかいかと呼ばれるものじゃな。ワシも見るのは初めてじゃが」

「悪いものではないのか?」


「この世界華の蕾から、新しい世界の可能性が生まれると言われておる」

「そうなんだ」


 説明を聞いてもよくわからない植物である。

 とりあえず、悪いものではなさそうなので放置しておこう。


 カアラからも報告があるようだ。


「国父様! 先程、北の方角よりまばゆい光が起こりまして、地中の魔素の流れが大きく変わりました」

「おお、それってもしかして、俺達が願ったように北の魔王国を救ってもらったということだろうか?」


「それは、わかりません。ご命令とあらば、調査してきますが」


 そりゃわからないか。

 何か北の魔王国で変化が起こったのだとしても、あまりにも遠いのでシレジエからは窺い知れない。


 まあ、とりあえず『何か』は起こったようなのだ。

 これでアルケー王太子の望みは叶えたことになるんじゃないかな。


 俺は身を削って、(色んな意味で)やることはやった。

 そう思って、長い銀髪のアルケー王太子に目を向ける。


 アルケー王太子は俺と目が合うと、ハッとした感じで深々と頭を地にこすりつけて礼を述べ始めた。


「タケル殿……いや、混沌のあるじよ! この度は我が国のために、骨を折っていただいてありがとうございました! 今から国に帰って、仔細確認しに行きたいと存じ奉ります」

「どういう結果になるかは、保証しかねますけどね」


 何しろ混沌のやることだ。


「混沌母神様に口利きしていただいただけでも、望外の幸運でした! 混沌の主よ! 次に来るときは、私だけでなくクロウカシス魔王国の重鎮とともに参りましょう」

「おお、それはありがたい」


「人族式の外交というのは慣れませんが、そこはこの愚かな若輩者にご教示いただきたく……」

「よろしくお願いします」


 外交ルートを開いてくれるというのは俺の要望通りなのだが、なんかアルケー王太子のテンションがおかしいので戸惑う。

 まあ、国が救われるかもとなれば、興奮するのも当たり前かな。


「……で、では混沌の主よ。御前を失礼させていただいてもよろしいか」

「えっと、そうですね。外交の件、くれぐれもよろしくお願いします」


「混沌の主の御意ぎょいのままに!」


 なんで、こんなにアルビー王太子の口調がバカ丁寧になってるんだ。

 もしかして、属国になってもいいとか言ってたことかな。


 俺としては、あくまで対等な同盟を望んでいるつもりなのだが。

 深々と跪いたまま硬直しているアルビー王太子を見ていると、なんか勘違いされてるような気がする。


「ところで、ジョセフィーヌはこれからどうするんだ?」


 テラスで優雅にお茶を飲んでいたジョセフィーヌは、俺に向かって艶然と微笑みかける。


「貴方を篭絡してシレジエの後宮を壟断してやるのも面白そうだと思ったんだけど……まあ、やめておきましょうかね。こわ~い人達が私を狙ってるみたいだから、私がちょっとでも近づいたら殺すつもりでしょう?」

「おや、わかりますか」


 俺の傍らにいるカアラが、不思議そうに言う。


「……四方から来てるわね」

「確かに、狙撃手の配置は四方です。五百メートル先の影から狙っているのに、この距離でよく気が付きましたね。銃の知識はないと聞いていたのですが?」


「銃のことはわからなくても、こんな見え見えの殺気に気が付かないようなら私はとっくに墓の中よ」

「残念ですね。アタシとしては、貴女にはここで死んでくれたほうが都合がよかったのですが。国父様がお許しになったので殺さないだけだとは、理解しておいてくださいね」


 殺すと言われているのに、軽く頷いて微笑んで見せるジョセフィーヌ。

 二人の話を聞いていて、辺りにピリピリとした殺気が張り詰めていることにようやく気がつく。


「おいおい、物騒だな」

「お騒がせしてしまい申し訳ありません。しかし、この毒婦から国父様の身をお守りするのもアタシ達の仕事ですから」


 後宮の警備がしっかりしているのはありがたいことだが、もう危険はないように思えるから大丈夫じゃないかな。

 ジョセフィーヌの毒ぐらいでは俺は死なないし。


 俺達の様子をしばらく面白そうに眺めていたジョセフィーヌは、紅茶を飲み終わると席から立ち上がった。


「じゃあ、私もそろそろおいとまするわ」

「これからどこに行くつもりなんだ?」


 別にジョセフィーヌに答える義理はないかもしれないが、気になったので聞いてみる。


「北の魔王国にもう一度戻ろうかしらね。酷く退屈な土地だけど、初なアルビー王子と遊ぶのはそんなに悪くないし。フフッ、あれであの国は結構財宝を溜め込んでるから、少しはいただかないと今回の仕事の割にあわないし」

「程々にしてやれよ」


 北の魔国にジョセフィーヌを厄介払いしてしまったような形になるのは、少し気がとがめる。


「私が少しくらいおねだりしても、あの国は潰れないでしょうから心配しなくていいわよ、勇者様」


 アルビー王太子についていくのは止めないらしい。

 しかしジョセフィーヌも、強大な力を持つ魔族の集団を相手に、何の力も持たない人間の立場でよくやるものだ。


 追放されて無一文になったはずのジョセフィーヌだが、再び男どもから吸い上げて金と権力を手に入れる日も近いかもしれない。

 今度は魔族社会に根を下ろして、また何かろくでもないことをやらかさないか心配でもあるが、カアラ達に危険視されているようだから監視体制は続くだろう。


 アルビー王太子の肩に手を回したりして、からかいながら去っていく稀代の毒婦ジョセフィーヌの背中に。

 少し、面白みのようなものを感じてしまっている自分もいる。


 うーむ、篭絡されたわけではないが、どうやら俺も少し毒されてしまったようだ。

 もうしばらくあの厄介な女を生かして、何をやらかすのか見るのも面白いかと思うぐらいには影響されてしまったな。


「王将……これで、あたしもお役御免かな?」


 ジョセフィーヌの監視についていたメアリード提督が顔を出した。


「ああ、今回はご苦労だった。本当はジョセフィーヌがシレジエで悪さしないように見ておいて欲しいところなのだが、それも止めておくか」


 ジョセフィーヌは、俺との約束を果たした。

 王族である俺が無罪放免の約束を違えては、示しが付かないことになる。


「どうせ帰りの船では一緒なんだ。監視というほどじゃなくても、ジョセフィーヌが悪さをしないか、それとなく見ておくことにはするよ」


 何も言わなくても、俺の意を汲んでくれるメアリード提督。

 思えば彼女は、本当に変わった。


 出会った頃は、恭順はしてみせたものの王族、貴族が大嫌いで俺にも皮肉そうな笑みしか見せてなかったのに。

 ここしばらくは穏やかに笑うようにもなった。


「メアリード提督、ときに話があるんだが」

「なんだい王将。やっぱりジョセフィーヌをもう一度拘束しておけって命令なら、喜んで聞くけどね」


「いや、そうじゃない。その顔の古傷、消してみないか?」

「……この傷はもう、あたしの一部だからねえ」


 そう言って、頬の古傷を撫でるメアリード。

 彼女は、少しウエーブのかかった黒髪で蒼い瞳のとても美しい顔立ちであったが、左右の頬にまるで鉤爪で引っ掻いたような三本の大きな傷があった。


 青く走る痛々しい傷跡は、刺青タトゥーのようにも見えるほどだ。

 明らかにわざと付けられた大きな傷である。


「メアリードが貴族を嫌っていた理由も、自らの美しい頬に傷を付けた理由もなんとなく察しはするよ」

「王将が望むなら、詳しく話してやってもいいけどね。つまらない昔話でよければだけどさ」


 そう言ってメアリードは、自嘲気味に笑う。

 そうしていると、昔よくしていた皮肉な表情を思い出す。


「それはぜひ聞かせてほしいが、先に頬傷の治療だな。メアリードは誰にも縛られないぐらい十分に強くなっただろう。いまや天下のシレジエ艦隊の第三提督だ。海賊砦の仲間達だってもう安泰なんだ。だからもう、その傷はいらないはずだ」

「そうは言ってもねえ、もうあたしのこの傷は定着してしまってるから、ポーションで消すのも無理だろう」


「そうでもないんだよ。実は、古傷を消せる特殊な美容ポーションを手に入れて来てるんだよ」


 回復ポーションには、古傷を癒せないという大きな弱点がある。

 なぜ古傷は消せないのかという理屈もわかっていて、例えば大昔に怪我などで失った部位を回復した状態に戻せてしまうと、これは一種の若返りになってしまう。


 金で寿命がどうにかできてしまうという可能性が出てくると、社会不安を招きかねないってこともあるだろう。

 しかし、よくよく考えてみるとアーサマ教会の高位シスターって、『みんな年齢不詳で若々しいよな』って事実に俺は気がついてしまった。


 そうしてついに、協会関係者の伝手を使って(あんまり使いたくなかったが)古傷が消せる肌を若がえらせる美容ポーションを極秘裏に入手してしまったのだ。

 本当は、ドレイク提督の腕や足をもとに戻せる方法を探していたのだが、さすがに四肢を生やすまでは無理ということで残念ではあった。


 しかし、メアリードの古傷ならばこの美容ポーションで消せるとわかった。

 だったら使わない手はない。


「あたしのために、こんな貴重な品をくれるのかい?」

「ああ、メアリードに使ってほしいんだ」


「それ、私にも欲しいですね!」

「うわ、どっからでてきたジョセフィーヌ」


 すでに立ち去ったと思っていたジョセフィーヌがいきなり姿を現すと、俺に物凄い勢いで飛びついてきた。


「どっからでもいいですよ。その若返りの美容ポーションが! 私にくださいよ!」


 必死になって抱きついて、ポーションを奪おうとしてくる。

 一瞬、俺に近づいたらジョセフィーヌが撃ち殺されるんじゃなかったかと思ったが。


 どうやら後宮の護衛にとっても不意打ちだったらしく、ジョセフィーヌを狙っていたはずの狙撃手も動いていない。

 俺も迂闊だった。


 こいつが帰ったと思ったから、この話振ったのに!


「ジョセフィーヌ、さっきまでの優雅な物腰と余裕はどうしたんだよ」

「若返りの美容ポーションください! お願い、なんでもしますからぁぁ!」


 げに恐ろしきは、美容に対するジョセフィーヌの執念。

 勇者でもたじろぐ、ジョセフィーヌの本気の勢いである。


「うわああー!」


 ジョセフィーヌが落胆の声を上げる。

 奪われる前に、俺の手からメアリードがさっと美容ポーションを受け取ると、顔の古傷に塗ってしまった。


「このポーションは、王将があたしのためにくれたんだよ」

「あんたは男に媚びないのがポリシーの強面女海賊でしょう! そのポーションは、私にこそ必要だったのにぃ!」


 聞き捨てならない話だったので俺も反論する。


「それは違うだろジョセフィーヌ。女の顔は、何も男に媚びるためにあるわけじゃない。ほら、こんなにも美しいじゃないか」


 頬傷が消えたメアリードの顔は、美しく輝いていた。

 男に媚びるのが本業のジョセフィーヌにも負けていないぐらいだ。


「あんたも、勇者に美しいって言われて、なに嬉しそうにしてるのよ! 強面の女海賊が、なんかトラウマめいたエピソードを偉そうに語っておいて、そんなにチョロいんだから笑わせますよ! こんなことで、自立した女のポリシー捨ててコロッと行っちゃうわけ? そういうギャップが可愛いとでも思ってるの?」


 すさまじい言いがかりである。

 目の前で渇望していた美容ポーションを奪われたジョセフィーヌは、完全に壊れてしまっている。


「あたしは別に、嬉しそうな顔なんか……」

「してるじゃない! あーあくだらない。その取り戻した美貌で、強面の女海賊なんか辞めて、さっさと勇者の後宮にでも再就職するといいわよ」


 メアリードを口撃しまくるジョセフィーヌの糞度胸もすごいな。

 顔の傷が消えたところで、男勝りのメアリードの戦闘力が消えたわけではない。


 メアリードが本気になれば、ひ弱なジョセフィーヌなど、この場で殴り殺すことだってできるのだが。

 何の力もない女なのに、ジョセフィーヌが口先だけでこの場を圧倒している。


 仕方ない。

 これはもう、ジョセフィーヌにも美容ポーションをやらないと話がまとまらないか。


「ジョセフィーヌ。さっきの美容ポーションだが、まだ手に入る当てはあるぞ」

「犬とお呼びください、わん!」


 ジョセフィーヌは、四つん這いにひざまずいた。

 お前のほうが、ポリシー捨ててコロッと行っちゃってるじゃねえか。


 しかし、若返りの美容ポーションの威力物凄いな。

 女を狂わせる魔力がある。


 これはアーサマ教会が最重要禁忌に指定して、秘密にするわけだわ。


「まあ、また美容ポーションが手に入ったら交換条件を考えておこう」

「何をしたらいいの? そうだ、シレジエに少数残ってる門閥貴族どもの情報ならいくらでも提供するわよ! 勇者様にとってはあいつら旧主派は邪魔でしょ。なんなら私が連中をまとめて始末して来ましょうか!」


 こいつ、ものの五秒で昔の仲間を売りやがった。

 そりゃ、シレジエに少数残った旧主派を根こそぎ潰しておけば、シルエットの統治もよりやりやすくはなるだろう。


 しかし、こんなに簡単にジョセフィーヌを道具として使える方法があったとは。

 もっと早くやっておくべきだったのかな。

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