第277話「秩序と混沌と」

 肉の玉座に座る触手お姉さんに向かって恭しくお辞儀してから、大魔王イフリールはこちらに向き直る。


「勇者に恨みがある人間を復活させて使ってみたが……フフッ、失敗だったか」

「大魔王イフリール、人間はな。お前が思うほど堕ちちゃいないんだ!」


「使えぬ。やはり人とは思い通りにならぬものよ」

「もう諦めろ!」


「ハハッ、何を諦めろというのかな。アーサマを連れてきてくれたのはこちらにも都合がいい。シレジエの勇者、やはりお前は時代の歯車を進める存在のようだな」

「今にわかる。きっと、お前の思うようにはならない」


「それはこちらのセリフだ。お前にもすぐわかる……さあ、混沌母神様。我らが闇の世を穢せし根本、人族の邪神アーサマがついに誘い出されましたぞ。どうか、この汚れた世界ごと邪神を討ち滅ぼしたまわらんことを!」

「あれ、この触手お姉さんが混沌母神なの?」


 俺がそう聞くと、両手を広げて叫んでいたイフリールは意外そうな顔をした。


「今さら何を言っているのだ。この神々しい御姿を見ても、混沌母神様がわからぬとは。お前も混沌の加護を受けたものではなかったのか?」

「いや、色違いなだけで、普通の触手お姉さんにしか見えないんだけど……」


 よく目を凝らしてみると、バージョンが違うって感じはある。

 通常の土色の彫刻のような触手お姉さんより、人間に近づいた感じはする。


 雪のような白い肌は瑞々しく、桃色の唇は艶やかで、髪や瞳はあり得ないほど鮮やかなピンクでキラキラ発光している。

 母神というより、うーん。


 触手お姉さんは上半身裸なので言いにくいんだが、胸がとても大きくなっている。

 美乳からワンサイズアップした豊満な身体つきだ。


 ちなみに、下半身の触手も鮮やかなピンク色でキラキラしておられる。

 おっぱいがより大きくなったのが、母神イメージなのかな。


 いや、そんなバカな話もないか。

 それ以外は、通常の触手お姉さんと見た目に違いはないんだけど。


「混沌母神様が顕現された御姿と、通常の『古き者』の区別もつかぬとは愚かな!」

「いや、しょうがないだろ。こんなの見分けつくほうがおかしいって」


 俺達がそんな言い争いをしていると、アーサマが俺の手を握ってきた。

 手が震えている。


「アーサマ、どうされました」

「怖い……」


「そりゃ、怖いでしょう。大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だ。すまぬ、タケルよ。私が、いや……コホン、女神である我が気弱になっていてはいかんな」


 中身は八千歳のアーサマだと知ってるんだが、八歳の幼女が無理して気を張ってるようにみえるので可哀想になってくる。

 あんな下半身がウネウネの触手状生物とコンタクトしろとかないよなあ。


 俺だって嫌だわ。


「なんだこないのか、ではこちらから出迎えるか?」

「止めろイフリール。アーサマに、心の準備ぐらいさせろ!」


「フフッ、構わんさ。余は長らくこの時を待った……あと三分だけ待ってやる」


 イフリール、そのセリフは死亡フラグっぽいぞ。

 いや、いまはそんなことを突っ込んでる場合じゃないか。


「アーサマ、大丈夫ですか?」

「……大丈夫だから」


「俺が付いてますから、頑張ってきてください」

「やっぱりソナタも一緒に付いてきてくれぬか……おい、なんで顔を背ける?」


「俺は、あの大魔王イフリールを止めなければなりませんので!」


 アーサマもかもしれないが、俺も触手お姉さんにはあんまりいい思い出がないのだ。

 イフリールを喰い止めるために戦うほうがなんぼかマシだ。


 もう見た目はただの八歳の金髪美幼女と化しているアーサマが、嫌いな食べ物を食べなきゃいけないみたいな泣きそうな顔でゆっくりと混沌母神に近づく。

 シュルシュルと、探るようにアーサマの小さな足に探るように触手が触れる。


「わ、わ……我は創聖女神アーサマだ!」

「……」


 混沌母神は無言。

 ただ、細長い触手だけがシュルシュルと、アーサマにまとわりつく。


「おい、タケル。もういいかなこれ、我すっごく怖いんだけどー?」

「ダメです、最後まで頑張って」


「きゃぁ!」


 八歳の幼女らしい叫びとともに、シュルっと触手に足を掴まれて飲み込まれてしまった。

 イフリールは、勝ち誇ったように言う。


「フハハハハッ、見よ! ついに人族の邪神アーサマが討滅され、魔族の世が来たのだ!」

「うーん……」


 触手からアーサマの……というか幼女教皇アナスタシア2世の着ていた綺羅びやかなローブとかパンツが次々に吐き出されてくる。

 あっ、これ脱がされてるわ。


「なんと偉大なる混沌母神様のお力、邪神すらいとも容易く溶かされ吸収されたわ!」

「いや、これただ剥かれてるだけだから、ほら見てみろよ」


 幼女教皇聖下なのに、普通のくまさんパンツだぞとか言ってる場合ではない。

 触手からニュルンと顔を出したアーサマはやっぱり全裸に剥かれていた。


 そのままアーサマにムチューと口づけする混沌母神。


「んんんっ……んあぁ! たすけっ、んんんっ!」


 何度も熱烈にキスされているアーサマは、息も絶えだえである。

 そして、ずっと黙っていた混沌母神は、叫んだ。


「チュウ……中立なり!」


 こんなことだろうと思ったよ。


「邪神が滅ぼされていない。これは、一体どういうことだ……」


 イフリールは、それを見て愕然と立ち尽くしている。


「見ればわかるだろ、混沌母神は創聖女神と共存の道を選んだんだ」


 人族の創聖女神アーサマが、魔族の混沌母神に触手まみれでドロドロのヌチャヌチャにされたあげく。

 キスされてベロンベロンに舐め回されてるのを共存とは自分で言っていても笑ってしまうが、これをそのまま混沌の意思と認めるしかない。


 混沌の本質は混ざり合うこと。

 混沌母神は、アーサマの創った秩序を滅ぼさずに混じり合うことを選んだのだ。


「こんなものは、断じて認めぬ! 混沌母神様、邪神アーサマやその眷属はこの世を乱すもの。どうぞ自らの本質にお目覚めください」

「混沌母神の意思は決まったんだよ。お前も魔王ならいい加減に聞き分けろ!」


「そこをどけ。混沌母神様は惑わされているのだ、余が止める!」

「おっと、アーサマと混沌母神のコミュニケーションの邪魔させるわけにはいかないぞ!」


 後ろから「止めてー!」とか「もう許してー!」とか、アーサマが叫んでるように聞こえるが、人族と魔族の共存のために聞こえなかったことにした。

 俺は「中立!」と叫ぶ混沌母神の声を背に、闇の剣で斬りかかってくる大魔王イフリールを中立の剣で押し返す。


「なぜお前ごときが、余を止められる。なんだこの力は!」

「俺の中立の剣の力が、お前の闇の力を圧倒していることが何よりの答えだとわかれ!」


 アーサマの声がさっきからドンドン弱っていて、俺に光の剣の力が一切来てないことが若干気にかかるが、俺の中立の剣の威力は絶好調だった。

 今なら百メートルの巨体も斬り裂けるほどの力が出せる。


「バカな、これでは余が三年もかけてやってきたことはなんだったのだ。七百万だぞ! 七百万の怨嗟が余に力を与えているのだ。混沌母神よ、どうしてこの叫びを聞き届けぬ!」


 大魔王イフリールの闇の剣も、俺に負けぬほどに強くほとばしった。

 これは、悲しみと怒りの力だ。


 壁からは、儀式の犠牲となったおどろおどろしい悲嘆に歪んた顔がたくさん現れる。

 しかし――


「イヤッッホォォォオオォオウ!」


 突如土の壁に現れたのは、キラキラと輝く大司教ニコラウスの巨大な顔であった。

 他の悲嘆に歪んだ顔を飲み込んで、おてもやんみたいなニコラウスの顔が、どんどん膨れ上がっていく……そうか、これは浄化だ。


「なんだこれは、一体何が起こっている!」

「ニコラウス、お前……」


 死して混沌に飲み込まれてなお、聖職者としての己を忘れずに他の死者達を浄化していくとはなんという聖者の鑑!

 ぶっちゃけ見た目が闇よりも禍々しい以外は、完璧な大聖人がそこにいた。


「止めろ化物! このままでは余の計画が、ぎゃあああ!」


 闇の剣を振りかざした大魔王イフリールは、巨大化したニコラウスの口に飲み込まれていく。


「大魔王イフリール、取り込むべきものでない力まで取り込んでしまったお前の負けだ!」


 そう言ってやったんだけど……もうそれどころじゃないね。


「止めろぉおお! 余を誰だと、ぎゃだぁああ!」


 そのまま大魔王イフリールは、なぜか恍惚とした表情を浮かべているニコラウスの口に、キュポンと飲み込まれてしまった。

 悪は滅びた……なんて言っていいんだろうか。


 混沌の意思を取り違ってしまった男の哀れな末路であった。

 本当にもう、混沌カオスとしか言いようが無い。なんだこの最後。


「収集つかないなこれ……」


 呆然と見ていると、いつの間にか俺の足元にも混沌母神の触手が巻き付いていた。


「しまっ!」


 そのままニュルンとショッキングピンクの渦巻きに飲み込まれてしまう。


「ぷはっ!」


 なんともサイケデリックで頭がクラクラする。これが、アーサマの見た世界か。

 気がつけば、目の前に触手お姉さんの顔がある。


「あの、混沌母神様……もうそろそろ暴れるのはやめに、んんんっ!」


 やっぱりキスされたよ。

 俺の隣で、やっぱり触手に巻き込まれているアーサマもぐったりとしている。


「チュウ……中立!」


 これ、最初に教えたの俺なんだよな……。

 人族と魔族の共存、秩序と混沌が再び混じり合った世界はこれからどうなっていくのか。


「えっ、今度は何?」

「……タケル、んん!?」


 混沌母神の触手に頭を掴まれて、アーサマともキスさせられてしまった。

 意味がわからないよ。


「一体、どういうことだよ!」

「チュウ!」


 いつの間にか、自分も大魔王イフリールと同じようなセリフを言っていると気がついて、俺は笑ってしまった。

 もうわかったよ。


 混沌母神の意思は、不可解で見境なく時に善にも見えるし悪にもみえるけど、そのどちらでもない。

 その本質はやっぱり混沌で、誰にもわからないのだ。


 この先がどうなるかなんてわからなくても、秩序も混沌もすべて飲み込んで。

 俺はこれからも、この酷幻想リアルファンタジーで頑張って生き抜いていくだけだ。


「混沌母神様、ラストっぽい雰囲気出したんでもう勘弁んんん!」

「中立! 中立!」


 あっ、これ終わらない奴だ。


「タケル、我はもうダメだ。後は頼んだぞ……」

「アーサマ、アーサマ気を確かに持って、俺一人残して先にいくなんて酷いですよ。うあ!」


 裸に剥かれてヌチャヌチャにされ続けた俺とアーサマが混沌母神から解放されたのは、この三時間後であった。

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