第272話「肉の壁」

 大魔神の触手の襲来。

 それは、もはや人間の力ではいかんともし難い自然災害であった。


「みんな逃げーッ」

「クレマンティーヌ。きゃぁぁあ!」


 先行していた、ベレニスとクレマンティーヌが切り落とした魔獣ごとピンク色の肉の海に飲み込まれる。

 駈け出して行ったのはルイーズだ。


「みんな逃げろ!」


 飛び上がったルイーズが、宙を舞い両方の大剣を振り回しながら襲いかかる大触手の群れを斬り刻んでいく。

 だが、迫りくる触手の質量は圧倒的であった。


 無数の触手に足と腕を絡めとられ、それでも奮闘するルイーズだが、その動きは鈍っていく。


「――ッ!」

「バカ、マリナ下がれ!」


 マリナが馬を駆ってルイーズを助けに行く。

 舌打ちしたジルは、絶叫した。


「みんな何をやってる引けぇぇええ!」


 あまりの光景に呆けている騎士達は、それでようやく踵を返して逃げ始めた。

 ジルだってマリナのようにルイーズの下に駆けつけたい。


 だが、近衛師団長の責務として、ここは一兵でも多く引かせなければならない。

 そうでなければルイーズが前に出た意味がなくなる。


「いやぁぁ!」「化け物ぉぉ!」


 うねうねと蠢く肉の壁に女騎士達が次々と飲み込まれていく。

 魔獣どころの話ではない。


 先ほどまで騎士と死闘を繰り広げていたドラゴン達も、迫りくる触手の渦から必死に逃げまわっている。

 もともと、こいつらは触手に追われていただけだったのではないだろうか。


 そう思えるほど、触手は見境なしに近くにある生き物を飲み込んでいく。

 後方からはサラちゃんが指揮する義勇兵団の援護射撃もあるが、魔獣にさえ通用したライフルの一斉射撃も触手をひるませるには至らない。


 サラちゃんが双眼鏡で見つめる先には、巻き込まれた女騎士が口元に小さい触手を押し込められて「ごぼぉ!」と呻いているのが見えた。

 それを見て、気が強いサラちゃんも震えあがる。


「て、転進! 後方の防塞まで引いて立て直すわよ!」


 背筋が凍る本能的な恐怖があった。

 サラちゃんは、クルッと踵を返すとダッシュで逃げ去った。


 逃げると決めればその勢いは脱兎。

 さっさと手に持っていたライフル銃を捨て、途中で流れてきた馬の手綱を掴んで、飛び乗って走らせる。


 ここまでくれば逃げ切ったか。

 だが、ふっと背筋に先ほどの悪寒が走った。


 恐る恐る、後ろを振り向くと……。

 先程女騎士をいたぶっていたキノコのような形をした触手がもう迫ってきていた。


「いやぁぁ! 何で私のところにくるのよぉ!」


 見てしまったのがいけないのか。

 あれは、見てしまった者のところに襲いかかってくるのか。


「えい!」


 腰から抜いた手投げ弾を投げたが、炸裂した爆炎を突き破って触手が一直線に飛び出してくる。

 こいつ、堅い!


「お願いがんばって……」


 たまたま乗った馬も、息を切らせて必死に逃げてくれている。

 自分が襲われるのも恐怖だが、現場の最高指揮官であるサラちゃんが飲まれたら、義勇兵団一万の統率は完全に崩壊する。


 触手には、サラちゃんが頑張って作った近代兵器も通用しない。

 このままでは――


 そう思った瞬間、後ろからズバッと斬撃の音がした。


「タケル!」


 サラちゃんの後ろを守るように、青と銀の光の剣を握り締める佐渡タケルが飛んでいた。


     ※※※


「酷い状態だな……」


 街を突き破った巨大触手によって前衛の騎士隊が崩壊、中衛の義勇兵団も崩れ始めている。

 撤退状態はどうなってるのか確認しに飛んだら、なぜか一本だけ突出していた触手に襲われそうになっているサラちゃんを発見して助けだした。


 大魔神の触手は、指揮官を狙って動くのか。

 いや、触手お姉さんの意図など、考えても無駄だったな。


「タケル!」

「サラちゃんは、全軍を防塁まで撤退させろ。俺は騎士隊を助けに行く!」


「わかったわ!」


 サラちゃんが逃げるのを見届けてから、俺は再びオラクルに抱えて飛んでもらう。

 上から見ていると陣の動きがよくわかる。


 後衛の要塞はマインツ将軍が守りを固めているのだろう。

 左右に広く大砲を展開させて、射線が味方に当たらぬように魔獣や触手の侵攻を上手く抑え込んでいる。


 炸裂弾を使った大砲の爆発力は、魔獣や小さい触手ならば落とせるからな。


「タケル、どうするのじゃ」

「触手の根本を叩く。オラクル前に頼む」


「わかったのじゃ!」


 俺は、両の手に『光の剣』と『中立の剣』を最大出力で展開させた。

 まるで光り輝く羽根に見える。


 前に飛んだ俺は、大魔神本体から伸びてくる大触手の根本に向かって思いっきり剣を振るった。

 これで根本を断ち切ったから触手の動きは止まるはずだ。


 手近なところから助け出そうとすると、ズボッとルイーズが触手の死体の中から這い出してきた。


「ルイーズ! お前なんで裸なんだ……」

「鎧を剥ぎ取られた」


 ヌルヌルの体液まみれになっているルイーズは、手を伸ばしてオリハルコンの大剣を引っ張りだすと、それを振るってマリナを引っ張りだして助けだした。

 マリナも素っ裸である。


 武器や防具を剥ぎ取るのはわからなくもないが、お約束の展開すぎるだろ。

 俺は、マントをマリナにかぶせてやる。


「ルイーズも服を着ろ」

「そんなこと言ってる場合じゃない。早く助け出さないと!」


「それもそうだな」


 俺も、触手肉をかき分けて救出作業をする。


「王様、助けて……」


 ニュルンとクレマンティーヌが引っぱり出された。

 それにひっついて、盛んに咳き込んでるベレニスも一緒に出てきた。


「ゲホゲホ……口の中に気持ち悪いのが入ってきた」


 二人とも酷い顔色をしている。

 あと、やっぱり全裸である。


「オラクルも貸してくれ」

「これは正装用なんじゃぞ、ネトネトになるのはちょっとのう」


 そんなこと言ってる場合じゃないだろ。

 オラクルにもマントを借りたが、圧倒的に衣服がたりない。


「どうしよう。これ、このままにしておけないぞ……」


 困っていると、ボコっとエレオノラが自力で這い出てきた。


「私は負けない!」


 エレオノラは、脱がされていない。

 どうやら炎の鎧が触手にも強かったようだ。


 ほんと有能だな、エレオノラじゃなくてそのマジックアイテム。


「エレオノラも、救出を手伝ってくれ。いや、その前にベレニスにマントを貸してやってくれ」

「なんでみんな裸なの?」


「触手お姉さんのやることを、俺に聞くな!」


 みんなで引っ張りだして救出した女騎士は、全員全裸に剥かれていた。

 触手に巻かれても窒息しないで生きてるのはいいけど、なんでいくら探しても服や鎧が見つからないんだ。


「すまん勇者殿」

「ジルさんも裸かよ、助かってよかったけど」


 よかったけど、この後始末どうすりゃいいんだろ。

 俺が触手肉から引っ張りだした全裸の女騎士達を前に途方にくれている間にも、最終防衛ラインである防塁には魔獣の群れが迫っていた。


 そうして、大魔神はついに片足を……いや、片触手をリスポンの港の縁に引っ掛けて上陸しつつあった。

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