第253話「地獄淵」
魔都ローレンタイトの占領も程々にして俺達は、
濃厚な硫黄臭と、仄かな死臭が立ち込めている。
丘を引き裂くような大きな谷間からは、もくもくと硫黄の煙が噴き上がっている。
まさに地獄の淵と呼ぶにふさわしい場所だ。
その谷の裂け目の前に、大魔王イフリールはいっそ無造作と言いたくなるほど静かに一人で待っていた。
すぐに『中立の剣』の力を込めた
まずは、ララちゃんの居所を聞き出さなくては。
俺達が近づいていくと、大魔王イフリールはスッと片手を上げた。
いつこちらが、攻撃が仕掛けてもおかしくないというのに、まるで遠方から来た客を出迎えるような何気ない仕草。
それが、恐ろしい。
「意外に早かったな勇者よ。出迎えが間に合わないかと思ったぞ」
やはり、俺達が来るのを待ち受けていたのか。
こいつの意図は、どこまでも読めない。
「わざわざ俺が来るのを待ってくれるとは、ありがたいな。ララちゃんはどこだ?」
まさか、もう殺してしまったなんてことはないか。
そんな悪い予感を押し殺しながら、尋ねる。
「あそこだ」
淵に突き刺された棒からロープが伸びて、簀巻きにされたララちゃんが吊るされていた。
ぷらぷらとロープが揺れる。
「いま助けに」
「おっと、動くな。余がロープを切るほうがきっと早いぞ」
「くそ……」
「なあに、そんな顔をするな。最期の時だぞ、人質を取るような無粋な真似はせん」
「だったら、ララちゃんは解放しろ!」
「何を言ってるのだ。この娘も、貴様も殺すのだぞ?」
「なっ……」
くっそ、もう……。
大魔王イフリールは、本当に何を言ってるのかわからない。
まともに会話ができているようにみえて、まったく話が通じないんだよな。
「わからんか? 貴様からも混沌母神の力を感じる。その貴様を血祭りにあげて、その亡骸も儀式に利用しようと思ったまでのこと」
どっちにしろ殺すって、そういうことか。
ララちゃんを先に殺さなかったのは、人質ではなく俺を引き寄せる餌のつもりなのか。
俺が逃げないように、俺を殺すまでの間は餌としてぶら下げておくってことか。
「お前は本当に、この世界のすべての人間を殺そうとしてるんだな?」
「そうだ」
「混沌母神が復活したら、全ての魔族と人族が死滅するんだろ。そんなことしたら、お前も死ぬんだぞ!」
なんでそんなバカな真似をするのか。
果てしなく疑問だった。全世界を巻き込んだ、壮大な自殺のつもりなのか?
「死ぬのではなく、再びすべてが混沌の源へと還るのだ。貴様にも、すぐにその意味がわかる」
「すごくわかりたくないんだが……そんなことさせるか!」
俺は、手に持っていた
狙っててもまったく無防備だったから、不意打ち上等だ。
ただの一撃ではない。混沌母神の与えし『中立の剣』の力で弾をコーティングした特別な一撃。
三発喰らわせたところで、俺は手を止めた。
……利いてない。
「ふむ、それも混沌母神の力だな。変わった力の色だが、混沌母神の力ならば、同じく混沌母神より与えられた余の力で守ることができるのもまた道理……」
どうやら、手のひらに『闇の剣』の力を発生させて喰い止めたらしい。
相殺されるにしたって、
パラパラと手に握りしめた銃弾を落として、大魔王イフリールはつぶやく。
「……こんなちっぽけな鉄の弾が、ユーラ大陸を変えて、またこのアビス大陸までも変えようとしているのか?」
「そうだ。それは人の叡智だ」
「だが、それがこの世の滅びをもたらすのだと知るのだな」
「それは、俺がさせないと言っている!」
俺は、何度も銃弾を撃ち続ける。
アーサマの白銀の羽根を持ってくるリアがまだだから、もはや今頼れるのは混沌母神の力のみ。
混沌母神だって、アーサマが生み出したもの全てを滅ぼそうなんて意思はないはずだ。
それならば、俺にこいつを止める力を貸してくれ。
それに合わせて、ライル先生やシェリー達もマスケット銃を撃ち始めた。
続いて、オラクルやカアラが魔法の衝撃波を飛ばす。
三方からの攻撃にさすがの大魔王イフリールも余裕の姿勢を崩して、『闇の剣』で攻撃を弾き始めた。
両手に、一本ずつ二刀流の『闇の剣』いや、ただの魔王が使う闇の力ではない。
闇よりもなお黒いその剣は、
かつてオラクルが、光と闇の双剣を使うフリードから俺を守るために使った古の双黒剣。
あれはレプリカだったが、大魔王イフリールが使っているのは本物。
つまり、こいつは古の不死王オラクルと同等、
大魔王などと名乗るのも、伊達ではない。
だがあれから、様々な戦いを乗り越えて俺達もずっと強くなった。
こうやってみんなで攻撃を続けて行けば、少しずつでもその力を削りとることができるだろう。
「うっとおしくて相手をしてられん。では、貴様らには別の相手を用意してやろう!」
大魔王イフリールがそう叫ぶと、地獄淵から魔獣の群れが湧きだしてきた。
現れたのは黒杉軍船を中破させたほどの強敵、
ライル先生達に、瞬く間に襲いかかった。
「まだ魔獣を召喚できるのか!」
「当たり前だ。血塗られし殺戮が、余の力を溢れさせるのだ。魔獣の力を持って、すれば貴様らなど……ムッ?」
「貴方の名前はシルバーよ。私の味方となりなさい!」
ハイドラが、魔獣使いの杖を振るって、魔獣にテイムを仕掛けている。
どうやら、
こっちに襲いかかってきた竜の群れが同士討ちを始めた。
「魔獣使いハイドラ、貴様も余を裏切るか?」
大魔王の赤い眼に睨みつけられると、途端に足を震わせるハイドラ。
またチビってるかもしれない。
だが、ハイドラは意を決したように叫び返した。
「そりゃ大魔王様の下で出世したいとは思いましたけど、こっちだって命あっての物種だわ!」
「よかろう。だが、ハイドラ。貴様が一匹テイムするごとに、こちらは十匹送り込んでやる。無力な虫けらが、どこまでやれるか見せてもらおう」
そう大魔王イフリールが悠長に話している間に、俺は腰の魔法剣を引き抜く。
遠距離攻撃がダメなら、直接剣に『中立の剣』の力を通した一撃。
銀灰色に光り輝く俺の剣は、大魔王イフリールを斬り裂いた。
だが浅い。
「なんて硬さだ!」
今、直撃したよな。
なんで全てを斬り裂くはずの『中立の剣』が、ここまで斬れない。
いや、一撃でダメなら何度でもだ!
「ふむ、我が鱗が傷つくか。さすがは、混沌母神の力だな。それだけは厄介だ」
「イフリール、貴様がッ!」
俺は叫びながら、大魔王イフリールに斬りかかっていく!
なんてな……。
斬りかかると見せかけて、俺は身構える大魔王イフリールの横を素通りして。
ララちゃんがぶら下げられているロープのところまで走った。
「なんと!」
急いで引き上げる。
谷間から立ち上る硫黄の煙のせいだろう。ララちゃんはぐったりとしていたが、まだ生きている。
「バカ正直に戦うわけないだろ!」
ララちゃんを救うのが第一目的。
なら、戦いよりもそっちを優先するのは当たり前だ。
「邪神の勇者は、面白い男だ。だが、それでどうする。余に追い詰められている状況は変わらんぞ」
「それもな……」
確かに、ララちゃんが手元に戻ってきたとはいえ、谷間に追い詰められている。
だが俺は、仲間を信じている。
きっとリアが、俺の仲間が助けに来る!
そう言おうとした時だった。
空から、ゴォォォォとジェット機のような爆音が響き渡る。
なんだと思わず、俺も大魔王イフリール空を見上げる。
南の空から、
全員が、キラキラと白銀色のエフェクトをたなびかせた籠をロープで引っ張っている。
大魔王イフリールを封印する力を持ったリアが、ついに間に合ってくれた。
「きゃぁぁああああああああああ」
懐かしい、リアの悲鳴。
「えっ、悲鳴?」
「あれは、なん……ぐぉおおおお!?」
音速の壁をぶち破る勢いで飛んできた白銀色に光る籠は、そのまま大魔王イフリールに直撃してその身体を吹き飛ばした。
リアの乗った籠をぶつけて、得意げに勝ち誇るアレとダレダ女王達。
「間に合ったのダ!」
「悪は滅びたのネェ!」
いや、助かったんだけども……。
籠の中に入ってたらしいリアも、一緒に滅びちゃってないか。
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