第251話「軍使一人」

 アビス大陸の空を、一匹の飛竜ワイバーンと一人の飛竜騎士が飛んでいる。


「この辺りのはずなんだけどな……」


 タケルより、『魔都ローレンタイトに来てくれ』との命を聖母ステリアーナに伝える重要な任務を受けて。

 たった一人で軍使として、敵地を渡っている男である。


 恐れていた魔軍の攻撃というものはなかった。

 魔軍の存在すらどこにもなかった。


 アビス大陸は基本的に乾いた荒野、行けども行けども無人の荒野である。

 ところどころに点在する街や村は、みんな神聖ステリアーナ女王国になっている。


 どうやら、この辺りの魔軍は一人残らず消滅したらしい。

 住人が聖母の遣わされた竜人が現れたとか言ってたが、おそらく竜乙女ドラゴンメイドのことであろう。


 聖母軍の勝利は喜ばしいことなのだが、その女王である聖母様がどこに行ったのかというのは漠然としていた。

 ただ一路、北に向かって進んでいるとしか聞かない。


 そして、ところどころで目に付くのは『何か大変なことが起こった』後である。

 そう言うのはちょっとこの飛竜騎士の言葉では、一言で説明できないからだ。


 魔軍の露営地の残骸のようなものの上から、大量の岩が降り注いで全てを潰して血と肉の塊に変えたという。

 一言で言ってしまえば、ホラー染みた地獄の光景である。


「なんだこれ、マジでこええぇよ」


 何かが起こったとしか言えない。

 飛竜騎士は、白百合のシレジエ王国の紋章が入った軍使の旗をお守りのように握り締める。


 これさえ持っていれば、味方には襲われないと王将閣下は言っていた。

 その言葉を信じるしかない。


 そして、ついに飛竜騎士は、聖母軍を発見する。

 それは一言で言えば……


「なんじゃこりゃ!」


 であった。


     ※※※


 聖母軍といえば聞こえはいいが、その実態は貧しい農民や乞食や浮浪児の群れ。

 ただ聖母ステリアーナ様に付いて進軍すれば、天国に行けるという思いだけで付いてきている連中である。


 先頭を行く誰かが、「ステリアーナ様ァァ」と声をあげる。

 すると脇にいるものが、「バンザァァイイ」と手を振り上げて狂喜乱舞した。


 みんな魔軍に奴隷にされたり、ともかく貧しくて食い詰めていたりして、苦しんで苦しみ抜いてきた余計者達。

 それが聖母様の軍に加われば、その日の食事にありつける。


 魔軍から各地を解放する聖母様の下には、貢物の食べ物や酒がどんどん集まるのだ。

 食い物だけではない。


 ともすれば、一杯の晩酌にもありつける。

 こんなに嬉しいことはない。彼らにとって聖母ステリアーナは、まさに女神にも等しい存在であった。


「バンザイ、バンザイ!」「聖母様の世直しじゃ!」「世直しバンザァァイイ!」


 腹を満たす飯と、ほんの僅かな酒と、楽しい踊り。

 それだけで、天国にいるような気分になっている陽気な連中であった。


 ドンドンと太鼓を叩き、カンカンと鐘を鳴らしながら、「ソイヤ! ソイヤ!」と手拍子に合わせながら。

 老いも、若きも、男も、女も、踊りながら進んでいるので、規律も何もあったものではない。


 アビス大陸各地の浮浪の民を集めながら、狂乱の行進がどんどん連なって増え続けている。

 これが聖母軍であった。


 実際のところ、ろくな武器も食べ物も持たない浮浪の軍に、戦闘力もなにもあったものではないのだが。

 それはこれまで一度も魔軍とぶつかったことがないので全く問題はない。


 こんな乞食軍を魔国は、聖母の軍として恐れている。

 そして、魔軍が聖母軍の侵攻に対抗しようと集結したりしているところを竜乙女ドラゴンメイド達が叩いていくので、囮としてはこれでも十分な効果はあったといえよう。


 ただ、それを空から眺めている飛竜騎士からすると、微妙な気分になってしまう。


「えっと……」


 どこに聖母様がいるのかなと困惑して見ていると、ピューと竜乙女ドラゴンメイド達が現れた。


「なんだこいつ、魔獣っぽくないカナ?」

「倒しちゃっていいのカナ?」


「うおーい、待て待て、私は味方だ!」


 タケルに伝令や輸送係として仕えている飛竜騎士だ。

 竜乙女ドラゴンメイドの強さは十分に知っている。


 下手するとワンパンチで殺される。

 必死になってシレジエ王国の軍旗を振る。


「味方だってさ。ドンナは、この旗見たことあるカナ?」

「うーん、見たこと無いな。とりあえず捕まえて、アレ様かダレダ女王呼ぼっカナ」


 飛竜騎士を見つけた竜乙女ドラゴンメイドは、ダレダ女王から聖母軍の護衛を任じられたアンナとドンナの姉妹であった。

 飛竜騎士は、なんとかアレに取り次いでもらって、ついに聖女ステリアーナの下にたどり着いた。


 それがまた微妙であった。

 飛竜騎士の謁見した聖女ステリアーナは、民衆に担がれた台の上に座っている。


 まるで女王や聖母というより、祭りの神輿である。


「なるほど、貴方がタケルからの伝令ですね。ご苦労でした」

「はい。これが書状となります」


 書状を読み進めると、リアの顔が曇った。


「これは、タケルがわたくしの救いを是非もなく求めているということですね」


 どちらかと言うと、リアが心配でつい持たせてしまった『白銀の羽根』が必要なのだが。

 大魔王イフリールが混沌母神の復活を企んでいる以上、『封印の聖女』とまで言われたリアの力が必要というのは間違っていない。


「その通りです。聖母様」

「是非もありません。アレさん、ダレダ女王。わたくし達の陽動作戦はここで終了です。これより、一路魔都ローレンタイトに向かいます」


 ダレダ女王と、アレは頷く。


「わかったのネェ」

「ところで、ローレンタイトってどこにあるのダ?」


「魔都というぐらい大きな街なんだから、テキトーに北に飛べばわかるのネェ」

「そうか、母上は頭がいいのダ」


 竜乙女ドラゴンメイド達は、いつもこんな感じである。

 飛竜騎士は、なぜかさっき捕まったアンナとドンナの姉妹に絡まれている。


「この人、なかなかイイ男なのな」

「あっ、アンナお姉ずるいのな。私のなのな」


「ちょ、止めて!」


 脱がすとかそういうレベルではない。竜乙女ドラゴンメイドの怪力で、二人して鎧を剥がそうとしてくる。

 竜乙女ドラゴンメイドが男狂いというのは、有名な話である。


 飛竜騎士は、近くに座っていた飛竜ワイバーンに助けを求めるが、ぷいっと知らない顔をされる。

 同じ竜種なので、竜乙女ドラゴンメイドの強さがわかって怖いのだ。


「お兄さん仕事終わったんなら、付き合ってくれてもいいんじゃないカナ」

飛竜ワイバーンもいいけど、私達にも乗るカナ」


 ズボンのベルトを外されたところで、ようやくアレが止めてくれた。


「こら! アンナ、ドンナ。二人とも止めるのダ。タケルの部下を絞り潰したら私が怒られるのだゾ」


 恐ろしいことに、竜乙女ドラゴンメイドの中ではアレが良識派なのだ。

 飛竜騎士は、こいつら俺を絞り潰すつもりだったのかよと、青い顔をしている。


「えーだって」

「私達だって婿が欲しいのな!」


「話を聞いてなかったのか。タケルがピンチなんだゾ。すぐ出発するから付いて来いなのダ!」

「はーい」「はいなのな」


 竜乙女ドラゴンメイド達は、相変わらずのんきなものだ。

 一方で、リアの顔は曇っている。


「ちょっと、あのカゴに乗るのはもうすごく勘弁だったんですけど。タケルがピンチとあらば、是非もないですね」


 竜乙女ドラゴンメイド達が運ぶ超高速のカゴでの輸送は、ちょっとした拷問であった。

 リアは、キリッとした顔で神輿の上から、民衆達に叫ぶ。


「敬虔な聖母の民たちよ! 今よりわたくし達は勇者様を助けんがため、先に魔都ローレンタイトに向かいます。みなさんもゆっくりといらっしゃい」

「聖母ステリアーナ様、バンザァァイイ!」


 もう何言っても、バンザイである。

 自然現象的に動いてる軍なので、これでいいであろう。


 ともかく、竜乙女ドラゴンメイドとリアは寄り集まると、超高速で北へと向かった。


「きゃああああ!」


 ジェットコースター並みのスピードで飛ぶカゴに乗るリアの甲高い悲鳴が、ドップラー効果で低くなっていく。

 目指すは、魔都ローレンタイトであった。


「えっと……聖母様は、私の飛竜ワイバーンに乗ってもらっても良かったんだけどなあ」


 一人残された飛竜騎士はそうつぶやいたが、後の祭りだ。

 まあ、竜乙女ドラゴンメイドのカゴのほうが速いからいいのであろう。


 伝令の役割を終えた飛竜騎士は、聖母軍から食料を分けてもらい、飛竜ワイバーンに肉を食わせて水を飲ませてやる。

 みんな気の良い連中であり、飛竜ワイバーンを見てもまったく驚かない。


 きっと、もっと恐ろしいものを見慣れてしまっているからだろう。


「よーしリュー。私達もいくか」

「クルルルル」


 飛竜騎士に撫でられた飛竜ワイバーンは嬉しそうにいななくと、主人を乗せてどこまでも駆ける。

 行き先は、どうせ同じ北である。


 伝令の仕事を果たした飛竜騎士は、シレジエ王国軍本体と合流するため。

 竜乙女ドラゴンメイド達の後を、追いかけて飛ぶことにした。

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