第250話「聖母の軍」

 魔軍に支配されていた辺境の地バアル州。

 その州都ティオティワカンに、突如として出現した神聖ステリアーナ女王国。


 その勃興は、大陸を征服しかけていた魔軍にとって、降って湧いた悪夢だった。

 バアル州の支配体制は瞬く間に崩壊。


 援軍に送った一万の軍勢は、聖母軍にぶつかった瞬間に蒸発したように音もなく消滅した。

 壊滅ではない、消滅である。


 神聖ステリアーナ女王国の版図は、強大な魔獣の力によって大陸制覇した魔国の三倍のスピードで広がりつつあった。

 軍の進軍速度よりも早い制覇は、女神の奇跡か、悪魔の所業か。


 聖母ステリアーナの奇跡の噂が届いただけで、瞬く間に反乱が起きて陥落した街はバアル州のみならずダゴン州、リンモン州にまでおよび。

 ついに、その軍勢は大魔王イフリールのお膝元であるニスロク州へと迫っていた。


     ※※※


「聖母軍とは、悪い疫病か何かなのか」


 一万五千の軍勢と、百二十匹の魔獣と、魔軍が誇る八将軍の内の四将までを率いて聖母軍討伐に乗り出した魔軍。

 その総大将アズラーン・サルズバーンが思わず口にした言葉である。


 魔軍の征服地に広がる聖母軍反乱の狼煙は、まるで大陸全土に広がった疫病にしか思えない。

 征服地の各地に反乱が起きているのに、聖母軍はまっすぐと魔国のニスロク本国に向けて進軍しているという話だった。


 敵軍の動きだけは把握できるが、偵察は送るたびに死滅するのでその実態は謎である。

 一体それはどのような軍勢なのか。


 姿の見えない敵は、アズラーンの神経を逆撫でる。


「見るからに恐ろしい……」


 心の底から奇怪で恐ろしい敵であった。

 まさか魔軍の総大将ともあろうものが、そんな言葉を口にするとは情けないが、現実を認めないのは愚か者のするものだ。


 聖母軍の存在は、明確な脅威である。

 どうやったか知らないが、一万の先発隊を一瞬で消滅させた相手だ。


 ここは、各地の反乱を鎮めるために兵力を分散している場合はないだろう。

 戦術のセオリー通り戦力を一点集中させて、反乱の中心となっている聖母軍の聖母ステリアーナを叩く。


 反乱軍の信仰の対象となっている聖母さえ討てれば、この混乱は静まる。


「それしかあるまいな」


 決断を下した大将軍アズラーンの幕下には、頼もしい四将軍達が並ぶ。

 彼らは、口々に勝利を約束した。


「我が四将とアズラーン様のお力があれば、必ずや聖母なる脅威を打ち払えましょう」

「先に攻めていった取るに足らぬ弱卒に弱将。大魔王様の親兵である我らとは違います!」


「ポッとでの聖母などに負けるとは、魔国八将の面汚しよ」

「ホッホッホッ、何があったかは知らぬが、味方のかたきは討ってやらねばなりますまいのう」


 意気軒高なのはいいが、「あまり逸るな」とアズラーンはたしなめる。

 一万五千の軍勢に、百二十匹の強大なる魔獣を引き連れた征伐軍は、大魔王の親衛隊からも戦力をかき集めて編成された最強の精兵であった。


 必ずや本国へと攻め上る敵を討ち果たせると確信しているが、油断は禁物。

 もし万が一、アズラーン達が先の第一陣のように消滅することになれば、魔都まで敵軍を押し留めるものがなくなる。


 だからこそ、この一手は慎重に行かなければならない。

 アズラーンがそう思った矢先、ズシーンと巨大なゴーレムが足を踏み鳴らしたような音がした。


 天幕が激しく揺れる。


「何事だ……」


 さすがは天下に名高き四将軍、この異常な地響きにもまったく動揺していない。


「敵はもしや、ゴーレムなどを使っているのでは?」

「なるほど、それなら一万もの先発隊が敗北した理由もわかりますな」


「アズラーン様、私が物見に行きましょう」

「いや待て、皆で行こう。音が段々と近づいている」


 ズシーン、ズシーンと足音のようなものが響く。

 さすがに魔都の精兵をかき集めたアズラーン討伐軍とはいえ、巨大ゴーレムのような魔獣はいない。


 だが、いざとなればそれに匹敵する強大な火竜もいる。

 なにせ、百二十匹にも及ぶ魔獣の数である。


 アビス大陸のどんな街とて、一時も立たずに落としてしまうだけの戦力がここにあった。

 自分達は、どんな強大な敵でも負けない。そんな自信で天幕を出たアズラーンは絶句した。


「な、なんだこれは……」


 露営していた征伐軍の天幕に、大量の岩の柱が突き刺さっている。

 どんな敵でもと思ったが、敵はただの巨大な岩?


 四将の一人、魔王軍一の直感に優れたハボリエル、が「上だ!」と叫んだ。


「アズラーン様、お下がりを!」


 四将の一人、魔王軍一の怪力を誇るカザンジュが天から飛来する巨大な岩の塊に身体ごとぶつかって岩の軌道を逸らした。


「うおおおぉぉ」


 そのかわり、カザンジュは吹き飛ばされてしまう。

 あの飛来する巨石は、剛のカザンジュが飛ばされるほどの威力がある。


「そうか、魔法か。ムルムーン。ディスペルマジックを唱えよ」


 メテオ・ストライクという隕石を落とす魔法があったときく。

 魔法ならば対処のしようがある。


 四将の一人、魔王軍一の知恵者と呼ばれ、上級魔術師でもある老将ムルムーンは焦りをにじませた声を上げた。


「アズラーン様、もうディスペルマジックはやっております」

「なんと?」


「これは、魔法ではありません!」

「なんだと、バカな。魔法以外でこのような状況をどう作るのだ」


 空を見上げるが、敵の姿は見えない。

 この岩は、どこからくるのか。


 この辺りは、巨石の多い岩がちな地形だ。

 それを巨大な投石機で放射して、岩を落としているのかと考えてみたが頭を振った。


 将であるアズラーンには攻城兵器の知識もある。

 まったく見えない高高度から、このような巨大な岩を投げつけることができる機械など作りようがない。


 では強大な力を持った魔獣がやっているのかとも考えるが。

 魔獣や、どんな化け物であってもそんなマネはできない。


 できるとすれば……。


「……敵は、魔神か鬼神の類か」


 もしや聖母ステリアーナは、大魔王イフリール様と同等レベルの力を持っているのではないか。

 あの神にも等しい力をお持ちになる大魔王様であれば、このような神秘の技も可能であるかもしれない。


 そして、敵の聖母もまた……。

 もしそうであるならば、神ならぬ身のアズラーン達にはどうすることもできない。


「ああ……」


 幕下では、次々と落ちてくる岩に、貴重な兵達が轢き潰されている。

 アズラーンは、あまりのことに手に持った指揮棒を握り潰してしまった、


 飛んでくる岩を、老将ムルムーンが衝撃波を放ってなんとか弾いているが、このままではこの本営も危ない。


「アズラーン様、ここは我ら魔獣部隊の力をお使いください」

「おお、キュバーンか。頼むぞ!」


 四将の一人、魔王軍一の魔獣の使い手キュバーン将軍。

 自らも天馬にまたがったキュバーンは、百二十匹にも及ぶ魔獣達をまとめてやってきた。


 ドラゴンなどの魔獣は、空を飛べる。

 魔獣の軍勢を以て、頭上にいる敵を討とうと言うのである。


 キュバーン将軍に率いられた巨大なドラゴン達を引き連れた魔獣の群れは、恐ろしげな叫び声を上げながら天高く飛び上がっていった。

 そして、岩の飛来が止まった。


「や、やったのか。さすが、キュバーン!」


 この空の向こうで、キュバーン達魔獣部隊が、見えぬ敵をその大いなる力で討ち果たしている。

 そんな期待を持って、アズラーンが自分も総大将としてできることをしようと、混乱する味方をまとめようとしたその時であった。


 空から、またズシーン、ズシーンと落ちてくる。

 岩かと思ったら、岩ではなかった。


 落ちてきたのは、何者かに粉々に砕かれた魔獣ドラゴン達の死骸であった。

 次から次へと、魔獣の死骸が降り注ぎ、辺り一面に血溜まりが広がる。


「ぎゃあああっ」「この世の終わりだぁぁ!」


 地獄のような光景には、魔軍の魔族でさえも震え上がる。

 大将軍アズラーンの目の前で、魔国最強を謳われた大魔王親衛隊が、悲鳴をあげて逃げていくのが見えた。


「ありえない……」


 こんなことあってはならない。

 魔法力を使い果たしたのか、老将ムルムーンが意気消沈した顔で、アズラーンに言う。


「アズラーン様も、ここはお引きください」

「何を言うかムルムーン!」


 大陸最強を謳われた魔軍が、敵に一矢報いるまでもなく撤退するなど考えられなかった。


「キュバーンも、空の何者かに討たれたやもしれませんが、この場は我ら三将軍が敵を食い止めまする。アズラーン様はお引きを」

「しかし!」


「ここで魔国の親衛隊に大将軍アズラーン様まで討たれては、もはや魔都の防衛もままなりません。引くがよろしいかと!」


 ムルムーンと声をあわせて、ハボリエルとカザンジュも叫んだ。


殿しんがりは私におまかせを」「地獄で会いましょうぞ!」


 逃げずにいたアズラーンの近衛が、馬を引いてくる。

 アズラーンも頭が冷えた。


 ここはまさに、魔国が保つか保たぬかの瀬戸際。

 ここまでされては、アズラーンとて一旦撤退するしかあるまい。


「わかった……この場は任せるが、魔都の防衛にはそなたら三将の力は必要だ。必ず生きて会おう!」


 魔軍の知恵と力と直感を司る三将。

 この三人が力を合わせれば、どんな難局とて切り抜けられるだろう。そう信じるしかない。


 この事態は、もはや大将軍イフリール様ご自身にしか解決できぬ。


 部下が敵を食い止めている間に、大将軍アズラーンは魔都に立ち返って、この事態を大魔王イフリール様に報告する。

 そして、必ずや対処いただいて捲土重来を期す。


 それまでなんとか生き延びてくれ。

 そんな思いを胸に秘めつつ、つい後ろを聞こえる巨大な爆発音に振り返ってしまったアズラーンは声を失った。


 アズラーンが見たのは、地獄そのもの。

 三将が守っていたはずの本営あたりが、岩山と化している。


 一万五千の兵と、百二十匹の魔獣と、四将軍が……。

 大量に降り注いだ巨大な岩の下に、全てが消えた。


「あっ、ああ……」


 あの場に残っていれば、アズラーンとて命はなかったであろう。

 助かったという安堵と、あんな敵をどうすればいいんだという絶望。


 とにかく、いまは魔都を目指して前に進むしかない。

 そう決意し、もう一度目の前を振り返って、またアズラーンは異様なものを目にする。


 アズラーンの目の前に、ぷかりぷかりと岩が浮いている。

 その岩に張り付いているのが、小さな竜の少女であった。


「なんだあれは?」


 その姿は、鱗の色は違えど、大魔王様と同じ竜族。

 岩を投げ下ろしていた敵は、聖母ではなく竜族だったのか?


「あっ、いけない。見つかっちゃっいました」

「もう、アサッテのおっちょこちょい。何やってんダ!」


「ごめんなさーい」

「まーいいのダ。どうせ、こいつらも全員潰すから問題ないのダ」


「あら、結構渋いおじさまですね。潰すのがもったいないかも」

「浮気するようなら、ドレイク提督に言いつけるゾ」


「あら、冗談ですよアレ様。私はドレイクおじさま一筋ですもの」

「ふん、じゃあ未練なく潰すのダ」


 地獄の戦場で、竜人の小娘どもが口にするあまりにも浮世離れした会話に一瞬呆けたアズラーンであったが。

 腰から大将軍の証たる、闇の魔剣を引きぬく。


「小娘どもが、大将軍を潰すといったかぁぁ!」


 大将軍アズラーンは激高して、突っ込んだが、それで終わりだった。

 次の瞬間には、視界の全面に巨大な岩の塊が迫り――


 ――彼の意識は、そのままプツッと途絶えて全てが終わった。


 こうして、大将軍アズラーン率いる一万五千の討伐軍は消滅。

 もはや、魔国の領地はモロク州と本国であるニスロク州を残すのみとなり、守る兵を失ったその国土は丸裸となった。

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