第239話「薔薇の湯殿」

 白い大理石の廊下を進むと、その先にアビスパニア女王国のプレシディオ王宮の名物、薔薇の湯殿はある。


「ほぉ、これが」


 思わず感嘆のため息が出るほど見事な湯殿だった。

 王宮の庭に向かって半開放型になっている大きな湯殿。泳ぎ回れるぐらいの巨大風呂に、湯を湛えるだけでもどれほどの費用がかかってることか。


 それに加えてこの薔薇の数。

 赤、白、黄、様々な色彩の薔薇が壁や天井を覆っている。


 湯殿に湛えられた湯はピンク色で、湯気にも濃厚な薔薇の芳香を漂う。

 一歩足を踏み入れただけで、薔薇に包まれているような華やかな気持ちにさせられる。


 一緒に付いてきたシュザンヌや、クローディアが歓声を上げる。


「すごいですねご主人様!」「豪華です!」

「うん金かかってんなこれ。湯船にバラの花を浮かべようなんて上品な発想はうちにはないから参考になる」


「うむ、景色もさることながら香りが素晴らしい」


 そういって、ルイーズも頷く。

 お気に召したようでよかった。


 ルイーズと結婚してよかったのは、一緒に風呂に付き合うようになってくれたことだな。

 石鹸を使うのは、いまでもぎこちない感じではあるが、俺に付き合うようになって徐々に慣れているようだ。


 ちなみに、アビスパニアの王宮では、薔薇の香りが付いた薔薇石鹸ローズソープが使われている。

 地の果てる国だと思ったアビスパニアに、こんな高級品があるとは驚きだ。


 プレシティオは海に面した都だ。

 貝殻と海藻を使って苛性ソーダを作り、上質の固形石鹸を作り出す技術を独自に編み出すとは見上げたものだ。


 彩りも見事で薔薇の香り付けにも成功している薔薇石鹸ローズソープは、シレジエとの貿易が始まれば有力な交易品ともなるだろう。

 薔薇風呂に使われている大きな柱やガラス戸の建築技術の高さ、大理石に刻まれた彫刻の類はバロック様式を思わせる壮麗さがある。


 アビスパニア女王国は、今のシレジエ王国に比べると軍事力で劣る面があるものの技術力はそう低くない。

 古来の文化が衰退してしまったシレジエ王国よりも、文化的に優れた面があると感心する。


 むろん豪華な湯殿に浸かり、薔薇石鹸ローズソープで身体を清めるのは、王族や一部の貴族だけに許された贅沢ではあるのだろうが。

 そう考えながら、シュザンヌ達を連れて豪奢な薔薇風呂を見学していると、ルイーズの声が聞こえた。


「ほら、お前達も早くこないか!」


 ルイーズは、当然のようにベレニスやクレマンティーヌを風呂に入れてるんだけど大丈夫なんだろうか。

 シュザンヌ達はともかく、二人は妙齢の女性だからなあ。


「なあ、ルイーズ。二人まで風呂に入れるのはどうなんだろう」

「何を言う。二人はタケルの護衛なのだから、一緒に行動しなくてどうする。仕えられる者は、もっと鷹揚にすべきだぞタケル」


 そんなものかなあ。

 一緒に風呂に入るといっても、裸んぼになってるルイーズやシュザンヌ達と違って、ベレニスとクレマンティーヌの二人はちゃんと身体にタオルを巻いている。


 当然といえば当然だ。

 俺がタオルを取れと命じれば、これ裸になってしまうんだろうなとかチラッと思ったけど、紳士な俺はもちろんそんなことはしない。


 俺だって、恥ずかしがってる女の子を無理やり脱がせたいわけじゃないからね(本当だよ!)。

 平然としているベレニスに比べると、貴族出身のクレマンティーヌは身体にタオルを巻いても可哀想なぐらいうつむき加減でムチムチの身体を縮こまらせている。


 クレマンティーヌの頬が真っ赤になっているのは、決してのぼせているわけではない。

 ここまで恥ずかしがってるものを、無理に風呂に入れるのも可哀想だよなあ。


「なあ、ベレニス。クレマンティーヌ。なんで湯着を付けなかったんだ」


 アビスパニア女王国は、風呂に入るのに湯着を付ける風習がある。

 着替えとともに、脱衣所には白布の湯着もきちんと用意されていたのだ。


 布類が不足しているアビスパニアでは、最上級のもてなしといえよう。

 なんで湯着を使わないのか。


「湯着など付けては、王様に対して失礼にあたりますので」

「失礼?」


 ベレニスが言ってる意味がよく分からない。

 あーこれもしかして、クレマンティーヌにそう言ってバスタオルだけでくるようにそそのかしたのか。


 イタズラ好きのベレニスは、やたら恥ずかしがるクレマンティーヌを毎回からかって遊ぶ悪い癖があるのだ。

 それでやり過ぎると、俺に被害が及ぶこともあるので、クレマンティーヌ達はどっか俺の見えないところでのんびりしていろと命じよう。


 そう思ったら、ルイーズにこんなことを言われた。


「さあ、タケル。クレマンティーヌに存分にお仕置きをするといいぞ」

「えっ、いやそう言われましても」


「なんだタケルは、恥ずかしがっている女騎士を脱がすのが好きじゃないのか?」

「いや、いつ俺がそんなことしたよ」


 脱がすのが当然みたいな言われ方は心外である。

 俺は、脱ぎたくない人に無理強いしたりはしないよ。


「むっ、私は以前、恥ずかしいのにシュザンヌ達の祝いにかこつけて、風呂に付き合わされた覚えがあるんだが?」

「そんなこともあったなあ」


 あれ、ルイーズはやっぱり恥ずかしがってたのか。

 言ってくれれば、そんな無理強いはしなかったんだけど。


「いや、私は嫌ではなかったぞ。あの頃から、タケルのことは好意を持ってたしな。ただ、それだけに気恥ずかしさはあったが」

「俺も、あの頃からルイーズのことは好きだったよ」


 正確には出会った時からである。まさかその後、ルイーズと結婚することになるとは思わなかったもんな。

 なんだこれ、ちょっとこっ恥ずかしい。ルイーズも同じ気持ちのようで、コホンと咳払いした。


「まあそういうわけだから、罰として脱がすぐらいはいいだろう」

「いや良くないでしょ!」


「ふむ、タケルなら即行で脱がすと思ってたのだが。じゃあ、クレマンティーヌにどういう仕置をするのだ?」

「俺が仕置することは、もう決定事項なのね……うーんと、そうだなあ」


 これ変なこと言うと、またクレマンティーヌが恥辱にまみれる流れだよな。

 もう三回目なので、いい加減パターンは分かっている。


 クレマンティーヌが失態したのは確かだが、もう十分に反省してるように見えるんだよ。

 いまさら、酷いお仕置きをするのも可哀想に思う。


「じゃあ後で、グラウンド十週にスクワット百回でもやってくれたらいいよ。あーでも、それなら汗をかくから、風呂の前にやらせるべきだったか」


 適度な罰というと、こんなくだらないのしか思い浮かばない俺である。

 俺にどんな罰を与えられるかと、ビクビクしていたクレマンティーヌが不思議そうに尋ねてくる。


「グラウンドというのは、王様が造られた軍学校で見たことがありますが、スクワットとはなんですか?」


 そうか。スクワットという運動法は、シレジエにはない。

 こいつらは知らないよな。


「お姉様がた、スクワットも知らないのですか!」「私達が手本を見せてあげますよ」


 シュザンヌ達は俺が教えたので、腕立て伏せやスクワットを知っている。

 二人は、早速頭の後ろに手を組んで得意げにスクワット運動をやってみせるのだが……ちょっと待て。いま全裸だ。


 小ぶりのおっぱいが揺れる。

 こうプリンとしたお尻を突き出して、足も開き気味になっちゃうし、なんかこうはしたない感じになっちゃうだろ!


「ちょっと待て、二人とも!」


 俺が慌てて二人を止めると、きょとんとした顔をされた。

 一方で、クレマンティーヌは真っ青になっている。


「お、王様は、私に一糸纏わぬ姿で、こんな破廉恥な踊りを百回もやれと……」

「いや待て、違うから」


 誰も裸でやれとは言ってない。

 そこで、ベレニスはバスタオルをマントのように颯爽と投げ捨て、見よう見まねで全裸でストレッチ運動を始めた。


「ほら、私も一緒に罰を受けてあげます。クレマンティーヌ、王様の命令は絶対ですよ!」

「おおーい、俺は後でと言っただろうが!」


 これで脱いでないのは、クレマンティーヌだけとなった。

 ベレニスがお尻と胸を揺らすようにスクワットやり始めたので、シュザンヌとクローディアも全裸スクワットを再開する。


 なんだこの異様な光景。


 ベレニスだって全裸でスクワットを披露するのは恥ずかしいに決まっているのだが、もう開き直ったのか黒い瞳をキラキラと輝かせて満面の笑みでやっている。

 この艶々した褐色の肌の黒ギャル黒妖精ドワーフ娘は、明らかにクレマンティーヌにプレッシャーを掛けて喜んでいる。


「そっ、そんなこと言われたって。こんな恥ずかしいの無理ですよ。酒場の踊り子じゃないんだから、絶対無理ッ! ルイーズ様ァァ」


 クレマンティーヌにすがられたルイーズは、苦笑いする。


「あれだ。クレマンティーヌは堅すぎるから、もうちょっと柔軟になったらいいんじゃないか?」

「そ、そんなぁぁ」


 今日のルイーズはやけにクレマンティーヌに厳しい。

 そりゃスクワット運動すれば身体は柔軟になるかもしれないが、そういう意味ではない気がする。


 ベレニス達は全裸スクワットを繰り返して、盛んにクレマンティーヌを煽る。


「ほら、クレマンティーヌ! 貴方の罰なんですよ、こんなことも出来ない無能でどうするの!」

「はい、お姉様も!」「よいしょ、よいしょっと、やりましょう!」


 全員が全裸でスクワットして胸とお尻を揺らすという異様な光景を前にして、クレマンティーヌは、ぷるぷると肩を震わせている。

 意を決したように、俺をキッと睨みつけた。


 バサッと、ムチムチの身体をかろうじて隠していたバスタオルを投げ捨てる。

 あっ、これまた暴走して俺にとばっちり来るパターンだ。


 付き合いきれないと、俺は警戒して後ずさる。


「待て、クレマンティーヌ。やらなくていいから! あのな俺が言ったのは、後で服を着てやれということで」

「やります……。これが失態の罰とあらば、恥を忍んで……」


「いやだから、しなくていいって!」

「アハッ、アハハ……。よく考えたら私はこれまでず~っと、恥曝しでしたもんね。何が誇り高きマンチーヌ家の娘なのでしょう。戦場でも調子に乗って敵に捕らえられて、生き恥を晒してルイーズ様にも大迷惑をかけて……私なんかどうせ、こーやって! 大股開きで無駄に大きいお尻とおっぱいを揺らして、酒場女のように王様の慰みモノになるぐらいしか役に立ちませんよね」


 クレマンティーヌが、なんか壊れてしまった。

 これはいけない。深い海のような色合いの碧眼が完全に光を失い、うつろになっている。


「いや、だからそんなこと一言も言ってないだろ……」


 少しは、俺の話を聞けよ。

 こいつらよく考えると、誰一人として俺の話を聞いてくれないよなあ。


「アハハッ、マンチーヌ家の娘の成れの果てでございます。どうぞご覧下さい」


 クレマンティーヌは、完全にやけくその勢いでスクワット運動を始めたが。

 そう哀れに声を震わせながら誘われても、見られたものではない。


「ほら、王様、なんで見てくれないんですか。もはや哀れな私は、見る価値すらありませんか」


 そう言って、見せつけてくる。

 さすがに前は、マズいと思ったから後ろをチラッと見てしまう。うん真っ白いお尻に、大きなホクロがあるよね。


「見たよ。見たからもういいだろ?」

「うわーん、見ないでくださいよ。いやぁぁ!」


 顔を真っ赤にしたクレマンティーヌは、そう叫びながら、俺に勢い良く突進してきた。

 見ろって言ったじゃん、なんで怒るんだよ。意味がわかんないよ!


「ちょっと、クレマンティーヌ危ない!」

「きゃー!」「ダメですよ!」


 そんな声を遠くに聞きながら、俺はクレマンティーヌの突撃に巻き込まれて、薔薇の湯船にドボンと突き落とされる。

 どんな罠だよと思いながら、湯の中で身体が絡みあうのを感じる。


 敵の騎士団長を叩き潰してしまうような屈強な女騎士なのに、クレマンティーヌの成熟した肉体は筋肉がどこにあるのかわからないような柔らかさだった。

 ほんとムッチムチ。


 しかし、見ろって言ったから見たのに、それで怒って飛びついてくるとか理不尽過ぎなくないかと思いながら、俺はブクブクと湯船に沈むのだった。

 あーでも、薔薇の湯は本当にいいね。


     ※※※


「すみません王様。なんかもう恥ずかしくなりすぎて、訳がわからなくなりまして」

「うんいいよ。謝らなくても、わかったから。許す、許す!」


 しばらくして正気を取り戻したクレマンティーヌはそのように謝ってきて、ベレニスと一緒に俺の背中を洗ってくれている。精一杯のご奉仕のつもりらしい。

 追い詰めると暴走するから、ほんとこの子危ないよあ。


「良かったねー、王様許してくれるって」


 クレマンティーヌをからかって満足したせいか、ベレニスも満足気である。

 こいつもクレマンティーヌのように、そのうちお仕置きが必要なんじゃないだろうかと思わなくもない。


 自分からお仕置きなんて言うと、また変なことになりそうだから言わないけども。


「やれやれ、とんでもない従者が戻ってきたもんだなぁ」


 素直に身体を洗ってくれるぐらいならいいんだが、風呂に入るたびにこの調子だと困る。

 ようやくお仕置きとやらが済んで、ゆるりと風呂にはいると。


 俺にスッと近づいてきたルイーズが、感心したようにつぶやいた。


「やっぱりタケルは凄いな」

「何がだよ」


 俺はからかわれてただけだよ。


「クレマンティーヌは、誇り高い貴族の娘だ。今回のことは、下手をすれば総大将である私を危険に晒しかねなかった大失態。いくら当人の私が気にするなと言ってやっても、ずっと引きずったことであろう。それがもうケロッとしている」

「うんまあ、もうそっちはあんまり気にしてなかったみたいだな」


 俺に対して恥ずかしい醜態を晒したので、もうそれどころではなくなったようである。


「論功行賞の場ではああ言ったが、クレマンティーヌもあれで見所のある騎士だ。ただ、貴族的な傲慢さが成長を阻害している。あの子もタケルの下にいれば、きっと堅い殻を破れるだろう」

「いや、俺はそんなたいしたもんでもないよ」


「お前はたいした男だぞ。少なくとも、私にとってはな」

「ルイーズがそう言ってくれるのは、嬉しいけどね」


 夫婦の間柄だ。

 ルイーズは抱きしめてくる。


 そうやってしなだれかかられると、俺の鼻孔を良い香りがくすぐった。

 薔薇の湯の匂いだけではない。


 ルイーズの肌から、どこか生々しく芳しい女の匂いも立ち上ってたまらない気分にさせられた。


「私とて準男爵家とはいえ貴族でもある。貴族の務めも大事か。どれ、私も務めをするかな」

「務めって?」


「父上からも、早くカールソン家の跡取りをこさえてくれと言われている。家を継がせるなら、男の子がいいそうなんだが」

「ああ、そっちか……」


 俺も望むところだ。

 心地良い薔薇の湯殿で、俺達はしばし貴族の務めとやらに励むことにしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る