第218話「アバーナの港の兵站」

 アバーナの港の兵站は、戦争以上に大ピンチであった。

 海将ダモンズの率いてきた魔国侵攻軍は、食料は現地で略奪すればいいと甘く考えており当てにならない。


 バーランド騎士長のアビスパニア軍も、アンティル島では成長の早いジャガイモを食べて食いつないでいた状態なのだ。

 ダモンズ達が勝利していたとしても、もしかすると大軍が災いして島で飢餓に陥っていた可能性もある。


「そうすると、バーランド騎士長の籠城策もあながち間違いではなかったのか」

「それ笑えないですけどね……」


 二万もの兵士の当面の兵站を担当することになってしまったカアラが、こめかみを指で押さえて考え込んでいる。

 やはりアバーナの兵を数えると二万人近い兵が、船が沈没しても港まで泳いで登って生き残っていたのだ。


 ううーんと悩ましげにこめかみを指で揉みほぐしながら「もっと死んでてくれれば良かったのに……」と、カアラはつぶやいた。

 その言葉は、冗談に聞こえない。


 船倉に積んである備蓄食料は、すぐに尽きるだろう。

 転移魔法は、人を運ぶためのものなので重量制限があり、ユーラ大陸から大量の食料を運ぶことは難しい。


「苦労をかけるなカアラ」

「アタシが食料生産に使える魔法でも使えれば良かったのですけど、攻撃系の魔法ばかり修練したのが仇になりましたね……」


 魔族軍師を自認し、それなりに頭もキレるカアラだが、あくまで謀臣であって内政官としての経験はない。

 やはり、ライル先生かシェリーを連れてこないと、この窮地は切り抜けられないだろうか。 


 アンティル島のアビスパニア王宮(と言ってもいいのか分からないぐらい人が少ないが)は、廷臣の多くを失っているので兵站計画は大雑把である。

 軍務をバーランド騎士長が引き受ける一方で、内務を奥さんでありアモレット女王の乳母のプティングが数人の女官と回しているのが現状で、半年かかっても島の調査すらまともに終わっていない。


 アンティルの街から食料を運ぶといっても、先々を考えると心もとないのだ。

 大戦闘でボロボロになったアバーナの港で、唯一まともに使える作戦基地兼ホテルと化している旗艦『麗しのシルエット号』の執務室で、書類を片手にウンウンと唸っているカアラ。


 書類の数字をいくら弄っても、現状把握ができるだけで食料が湧いてくるわけではない。

 二人で頭を悩ませているところに、頭に猛牛の角の生えた海将ダモンズも、心配げに顔をのぞかせた。


「王将閣下、魔獣グリフォンめは、肉食のうえ大飯喰らいなのだ。我が軍はすでに閣下に下ったのでどうか頼む。飯がなくなると、兵士が喰われる恐れもあるのでなんでもいいから早く動物の肉を回してやらないと被害が出かねない……」

「ああ、それは分かってるんだが」


 無い袖は振れないのだ。

 そうは言っても魔獣の餌に緊急性があるなら、狩りか漁でもしてグリフォンの餌を先に確保すべきか。


 そこに、ルイーズが入ってきた。


「ああっ……ルイーズも、もしかしてお腹減ったのか?」

「いやいや我が主。魔獣と一緒にしないでくれ……困らずとも、食べ物ならたくさんあると言いにきたのだ」


「えっ、どっかに当てがあるのか?」


 俺がそう聞くと、我が妻である女騎士はニヤッと笑ってみせた。


「うむ。早速ドレイク提督に取ってきて貰ったところだが、喰うところはたくさん残っているそうだぞ」

「喰うところはたくさん残っているって……」


 ルイーズに促されて甲板に上がってみると、ドレイクがもう一隻の黒船軍船で網を引いて、港にバラバラになった巨大な肉の塊を引っ張ってきたところだった。

 赤みの多そうな肉、クジラではない……。


「あっ、そうか。大海竜の肉があったか」


 マジックカノン砲の弾で吹き飛ばされても、その巨体がなくなるわけではない。

 幸いなことに、バラバラになった大量の死骸は海に沈まず、浮かんでいたそうだ。


「そうだよ、これはウマそうだな」


 ルイーズはそう言うが、一度コイツに飲まれてしまった俺には、美味しそうにはとても見えないのだが。


「……喰うか」


 贅沢は言ってられない。もうみんなで、これを喰うしかない。

 そう言えば、神獣ベヒモスの肉も美味かったもんな。こうなったら、大海竜の肉をクジラ肉とでも思って喰うしかない。


 思えば、これも混沌母神の恵みだ。

 倒した大海竜も無駄にせず、俺達が美味しく調理してやる!


     ※※※


 港街で、大鍋を並べて仲良く調理となった。

 兵士の数に比べて鉄鍋も足りなくて、鉄兜まで洗って逆さにして鍋に使うぐらいの状況だが、もう喰えればいいのだ。


 八羽のグリフォン達も、同じ魔獣である大海竜の肉を喜んで食べている。

 猛禽類だから、生き餌しか食べないとかだと困るなと思ったが、好みにうるさくなくて助かった。


 千年の長きに渡って、魔族だ人族だといがみ合ってきた両軍兵士だが、カアラのショック療法が効いたのか。

 意外にも、敵味方の別もなく仲良くしゃがみこんで、石の竈で大海竜の肉を煮ている。


 さっきまで戦争をやってたので、もう殺し合うのにも疲れたのかもしれない。

 今は争っている場合ではないのだ。協力して食い物と寝床を確保しなければ、みんな島で干からびて死んでしまう。


 大鍋でグツグツと音を立てている大海竜の肉。

 そろそろ煮上がったようなので、早速味見してみる。


「ちょっと歯ごたえがある」


 死体が海水を吸ってブヨブヨになってるかとも心配したが、そこは魚介類(といってもいいのかどうか、竜なので海洋性爬虫類になるのか?)なので全く問題ない。


 竜というより、シコシコとしていて、タコかイカにも近い食感である。

 そして噛みしめると味が濃い。これほどの巨体なのに、大味にならないんだな。


 歯ごたえがあり、滋味深く、噛みしめる程に味がでる。普通に美味い。

 小さな肉の一切一切の旨みがしっかりとしている。煮ると、たっぷりと出汁だしが出る。


「タケル、こっちも食べてみてくれ」


 ルイーズが差し出した鍋には、なんかプルプルのゼラチン質の塊が溜まっている。

 木のさじですくって、一口食べてみるとすっごくコラーゲンだった。美容によさそうな味だ。


「美味い、なにこれフカヒレ?」

「これな、大海竜の目玉を煮たものなんだ」


 目玉と聞いてぎょっとしたが、今更だろう。目玉が、こんなにもプルプルになるのかと驚く。

 食感も素晴らしいし、味がしっかりしているのに後味が良い。


 今更目玉ぐらいでは引いてる場合ではない。

 俺は、バクバク食べる。

 

 うん、これは珍味である。

 ご飯が欲しくなる味だ。竜って、食材として最高級品だよな。


「なんで、肉がこんなに濃味になるんだろう?」

「大海竜は、海でいろんなものを食ってるからではないか。強い動物の肉ってのは、栄養があってウマいものさ」


 ルイーズがそういいながら、串焼きにした大きな肉の塊に豪快にかぶりついた。

 俺が網に引っかかっていた海藻で作ったサラダも、バクバク食べている。


 やっぱりアビス大陸の人達も、海藻は食べなかった。

 海藻を喰うのは、俺とルイーズだけである。美味しいのにね。


 この肉質なら干し肉にもできるとルイーズが請け負ってくれたので、少なくとも十日分は大海竜の肉だけでも食いつないでいけそうだ。


 人手だけはたくさんあるのだ。

 その後は辺りの動物を狩ったり、魚を獲ったり、手付かずになっている椰子の実を採取したりして中期的な食料を得る。


 その間に、辺りを開墾してジャガイモを栽培していけば、長期的な食糧計画も何とかなりそうである。

 良し、展望が見えてきた。


「そうすると、次は寝床の確保か。バーランド、アバーナの港街の建物は使えるのか」


 俺は、街の建物の調査をしていたバーランド達に、住宅事情を尋ねる。


「幸いなことに建物の中は無事でしたな。ただ、元が寂れた港街であったので魔軍の雑兵や水夫かこまで含めて、二万人もの収容は不可能です」


 小さな港街に居住するには、人が多すぎてどうしようもないので。

 バーランドは夜になる前に自分達、アビスパニア軍の兵士をいくつかの隊に分けて、近くにある幾つかの開拓村に向かわせるつもりだそうだ。


 そうしても、二千人分が減るだけだ。

 黒杉軍船の居住スペースも解放するが、二万人近い魔軍の兵士を居住させることを考えれば、焼け石に水。


 食事を終えたダモンズ達が何をやっているのかと見れば、町の外や広場に次々と大きな天幕を張っている。

 動物の皮製で丈夫なものだ。


「ほう、こんなのもあるんだな」


 なんとこれ、バッファローの皮を使っているという。

 アビス大陸には鹿やバッファローが多数生息して、その肉や皮を利用した道具がポピュラーだそうだ。


 鹿やバッファローは家畜化できないので、自然に生息しているものを狩るのである。

 バーランド騎士長達が騎乗しているから馬はいるわけだが、牛や羊など家畜化しやすい動物がいないってことなのかな。


「さすがに何も持たずには来てない。この小さな街に攻め入れば、街を奪うだけでは無理だと考えてベースキャンプを作るのに天幕は用意していたのだ。しかし、これでも足りないので、雑兵は野宿になる」


 荷物を積んでいた船団が、海の底に沈んでいるのだ。

 無事だった船を使って、港に浮かんでいる荷物は回収して乾かしたものの、二万人を収容するには天幕の数がとても足りない。


 聞けば、そもそも雑兵や奴隷人足などは、野宿させるつもりだったらしい。

 まったくどこの軍も兵站がなっていない。


「ダモンズ。俺は、我が兵を野ざらしにしておく気はないぞ!」

「王将閣下、そうは言ってもどうなさるおつもりか?」


 そこは悩みどころなのだが、俺には知恵袋がいる。

 何とかしてくれとカアラを見ると、高台の下に立って精神を集中させてたカアラが、壁に向かって衝撃波を放ち始めた。


 ザクッ、ザクッと土が削られて大きな洞穴ができる。

 なるほど、横穴式住居か。俺は、カアラが掘った洞窟の中を検分する。


「国父様! これで屋根ができました」

「うーん。野宿よりはマシだけど。掘った土が湿ってるし、あんまり居心地良さそうじゃないな」


「では、こうしましょう。カアラが天地に命じる。獄火炎インフェルノ!」


 片手を振るうだけで、簡単に火系上級魔術を放つカアラ。魔素が強いアビス大陸にきてから、絶好調のようだ。

 地獄の釜の底をぶちまけたような業火が、大きく穿った洞穴の粘土質を燃やし尽くして、乾燥した床へと変えた。


「まっ、当面これでいいか」


 あとは、床に藁や葉っぱを敷けば、当面の寝床にはなる。

 かなり大きな洞穴となったのはいいが、兵を住まわせるとなれば崩落が怖くなる。


「カアラ、ここらへんに柱がいくつか欲しい」

「了解です。岩石落としグラックプレス!」


 ドスンと音を立てて、大きな岩の柱が出現した。

 最上級魔術師のカアラは、いちいちやることが豪快である。岩石落としグラックプレスのこんな使い方は初めて見る。


 魔法力の有り余っているカアラは、大魔法を駆使して辺りの山に乾いた洞穴を作りまくり、とりあえずたくさんの人が寝起きできる場所を作った。

 これ中で煮炊きをすると、洞穴の中で煙が蔓延してしまうので、あくまで仮設の宿舎にしかならないな。


 アンティル島は極めて温暖とはいえ、夜間に洞窟の中で寝るのは少し肌寒いかもしれない。

 一方で、調子に乗ったカアラは、削り取った土砂を使ってアバーナの街の防壁まで作っている。


 それは凄いの一事に尽きるのだが、大雑把な仕事振りでもある。


 これが、ダンジョン作りの専門家オーソリティーであるオラクルちゃんや、魔術制御に長けたライル先生なら。

 間に合わせの横穴式住居でも空気穴か煙突を通して、焚き火をしても煙が篭らない空気の循環まで計算にいれた建築物を作っただろう。


 俺達は、魔軍を味方にしなきゃいけないのだから、もっと福利厚生を考えた宿舎が必要なのだ。

 当面の間に合わせとしてはこれで良いが、やはり攻撃魔法に特化したカアラは、民生面の仕事には向いてないなと思う。


「とりあえず、全員収納できるスペースは確保できたので、あとは小川の水を引いて国父様がお入りになられる、お風呂場を造りますね」

「風呂場も、やっぱり造るのか。あっ、そうだ兵士もいちいち飲水を作るのも面倒だろうから、魔法で川の水を煮沸消毒して汲んでやってくれ。魔法だけでは、需要量を賄い切れないから作業できる炊事場も作ってくれると助かる」


 周りには薪になる木材はいくらでも生えているし、島の川の水が幸いなことに清流で生だとちょっとマズいが、煮れば飲める。

 ただ、今はその煮炊きに使う鍋釜も足りない状況だ。


 魔法で浄化した水を大樽に汲みおいてやれば、みんな助かる。

 カアラが掘り返した粘土で、作業に使える土鍋や土壺を作るのもいい。


 熱帯に近いとはいえ、夜間は気温が下がるから簡易暖炉を作るのもありだな。

 考えれば、できることはたくさんある。


「分かりました、それもついでにやっておきましょう」

「ついでにね……頼むよ」


 兵士達の生活する住居より、俺のためのお風呂造りに一番力が入っちゃう辺りが、カアラなのである。

 俺のことを大事に思ってくれるのはいいんだけど、他のことがなおざりになっては困る。


 俺が見まわって指摘しているなかで、カアラは川の側に兵士達が作業できる炊事場やお風呂場などを作ってくれた。

 しかし、やっぱりお風呂場に力が入るらしく、風呂だけやけに立派になってしまった。

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