第197話「カスティリア始末記」
シレジエ王国の摂政であるライル先生が、政務を取り仕切る執務室。
その部屋の奥の棚に、先生は大きな琥珀の板を立てかけた。
琥珀の中に、奇怪な羽と足の形をした古代の蟲が閉じ込められた博物学的価値もある面白い飾りである。
どうやら、ラストア王国土産は気に入ってもらえたようだ。
俺が見てきたトワングステの港の話を、先生はとても楽しそうに聞く。
琥珀そのものより、それがシレジエにもたらす大きな利益のほうを気に入ってくれたのかもしれない。
「タケル殿、面白いお土産をありがとうございました。返礼というわけではありませんが、こちらも良いニュースをお知らせすることができます」
「ほう、それは……」
絹張りのソファーでくつろぐ俺の前に、先生はドカドカっと資料の束を出してくる。
「カスティリア王国に、まず賠償金の半額の白金貨五万枚を納めさせました。今回の戦争で被害を受けたブリタニアン同君連合に二万枚、トランシュバニア公国に二万枚をお渡しして、残りの一万枚分は財宝による物納が主だったので、適時処分した上でナント港の整備などにも充当させていただきます」
なるほど、これは物納された目録と処理方法なのかな。
資料を見ても複雑な処理をしていて俺にはいまいち分からないのだが、大雑把に各種項目の最後の数字だけを確認する。
大体のところは、ライル先生とシェリーに任せておいて間違いはない。
「しかし、よくカスティリア王国が払いましたね」
「ええ、南の国々に外交使節団をお送りした帰りに、カスティリアのバロスの港にシレジエ艦隊を集結させてみたら払いましたね」
エグい……。
カスティリアの海軍力は破壊されている。外港をシレジエ艦隊で埋め尽くされては、まともに商売もできない状態になる。
払わざる得ないということか。
しかしそれでも、渋りに渋って五万枚ようやく払ったのだ。
「あと五万枚払えるのかな……」
「いえ、あと白金貨を七万枚ですね」
「あっ、そうでした」
魔王竜の被害の損害賠償があるから、それでプラス二万。
先生はさらっと二万追加っていうけど、大層な額だ。
「さっさと耳を揃えて払ってくれれば、うちも艦隊を引き上げさせることができるんですけど。まあ、もう少し揺さぶってみますか」
白金貨は一枚で、奴隷より高価な軍馬が買えてしまう値段。
単純計算で言うならば、騎士を七万騎揃える軍費に匹敵する。
ユーラ大陸最強の陸軍国であった旧ゲルマニア帝国の近衛騎士団ですら五千騎。
今のシレジエ王国全土から騎兵をかき集めても、五千騎には届かないだろう、
そもそも七万もの騎馬はユーラ大陸に存在しないし、それに相当する白金貨七万枚も存在しないのである。
おそらく、白金貨五万枚相当の金銀財宝をかき集めた段階でカスティリア王国の国庫は空になっているはずだ。
贅を尽くしたと謳われたカスティリア王宮の宝物庫も、さぞ寒々しいことになっているだろう。
今頃カスティリア王宮の書斎王は、隙間風に震えているかもしれない。
「そういえば、うちの城の調度品が増えてますね」
「陸揚げしてこちらにも一部を運ばせています。このシレジエも世界の都となるわけですから、内装もそれに見合った格式にはすべきでしょう」
俺が座っている座り心地の良い絹張りのソファーも、カスティリアから奪ったものだという。
これからは、外交使節が訪ねてくることも増えるので、それなりに内装のグレードをアップしておくというのも分かる。
可哀想にその分だけ、カスティリア王国のグレードが下がっていく。
「さっさと、諦めて船と港湾施設を全部くれればいいんですけどね」
「動産はともかく、将来的な利益を産んでくれる不動産の切り売りというのは、なかなか決断できないものですよ」
いかに世界の富を集めたカスティリア王国の国家財政でも、十七万白金貨もの大金は所持していない。
それほどの金額を払うとなれば、残りは物納と権益を売り渡すしかない。
金がなくなれば、あとはカスティリアがまだ多数所持している商船、海外植民地の生産施設、鉱山の採掘権などを差し出すしかない。
シレジエ王国が本当に欲しいのは、金ではなく金を生み出す元。それを取られては、カスティリアも二度と立ち上がれなくなるので抵抗は必死だ。
「まさか、カスティリア王国はゲルマニア帝国の二の足は踏みませんよね?」
俺がすぐに想起したのは、ゲルマニア帝国崩壊の再現。
大帝国であったゲルマニアがたった白金貨五万枚の賠償金で崩れてしまったのは、内外で長らく戦乱が続きそれが国費を圧迫していたからだ。
博打的なシレジエ王国への戦闘が大失敗に終わり、さらに重ねられた多額の賠償金。それが国家財政の崩壊とランクト公国を始めとする領邦国家の離反を招いた。
それでも、あと白金貨七万枚の供出は到底無理。
国庫から金が無い、物納もしたくないとなれば、あとは領民から搾り取るしか無い。
しかし、カスティリアとて大戦争に敗北したのだ。戦費の供出は、限界までさせていただろう。
乾いた雑巾を、さらに絞り取るような真似をすれば民衆反乱が起きかねない。
「フフフッ、そうですねえ。書斎王陛下は、そこまでバカではないはないとは思いますが。……とはいえ、船や港湾施設を売り払っても、民から金を吸い上げても、どっちにしても国が傾いてしまうのですから、その苦しみたるや同情を禁じえませんね」
「兌換紙幣の発行という線はどうですかね」
「兌換紙幣を行う可能性は低いと思います。租税として貨幣を吸い上げたことによって起こる決済通貨不足の対案として、カスティリアも当然ながら一考はするでしょう。しかし、踏み切れないんじゃないですか。それこそ、旧ゲルマニア帝国の二の舞を演じることにもなりかねない」
「反乱を招きかねないからですか?」
旧ゲルマニア帝国の場合、デフレーションの対策として兌換紙幣を属領である領邦国家に押し付けて、それが反乱の契機となってしまった。
兌換紙幣を流通させようにも、すでにゲルマニアにその信用がなかったからだ。
その対処は結果的には失敗であったが、目の付け所は悪くなかったとは思っている。
なぜなら、もともとユーラ大陸は決済通貨不足気味の傾向がある。
ユーラ大陸の各国は、白金、金、銀、銅の四種類の貨幣を発行しているが、どこの国でも一枚四グラムで純度を九十八%までに保っている。
国家財政が悪化すれば、為政者としては通貨に混じり物を加えて純度を下げ、急場を凌ぐということをまず考えるだろうが、ユーラ大陸ではそれができない。
絶対的な権威を誇る世界単一宗教、アーサマ教会が硬貨の価値を決めて『硬貨の重さを一律四グラムとして、純度を下げてはならない』と定めたからだ。
密かに通貨の純度を下げて決済通貨の信用を破壊するような真似をすれば、世界中の教会と信徒を敵に回してしまう。
アーサマ教会主導による一種の固定通貨は、悪性のインフレーションを防ぐための手立てとしては良かったのだが、経済の活性化には足かせとなる。
そして、硬貨の劣化を禁じたアーサマ教会ではあったが、意外にも紙幣の発行は禁じていない。
これは、さっさと兌換紙幣を刷れと遠回しに勧めているようなものだ。
回りくどいやり方にみえるが、アーサマなりに社会を進歩させようとしているのだろう。
シレジエ王国政府でも、将来的な課題として兌換紙幣の研究と試験運用を進めている。
いかに信用構築するかということと、紙幣には付きものである偽造通貨への対策が不可欠になる。
もちろん当面の決済通貨不足に備えて、鉱山開発を全力で進めているところではあるが、貨幣がそれで足りたとしても硬貨というのは結構重いのだ。どちらにしろ商売の足かせになりかねない。
そこで一つの対案として、世界企業になった佐渡商会の信用を利用し、各国の港で金を預かったり引き出したりできる銀行業を始めている。
預かった資金を使って有望そうな商会への貸付事業もやっているし、ナントの港の整備は、株式会社を創設して民間から資金を募ってやっている。資金調達を考えてというより、金融市場の創設を考えてのことだ。
国際港での株式市場や銀行業の整備は、兌換紙幣の導入よりもむしろ先進的かもしれない。佐渡商会の支店がある港なら、預かり証書だけで決済できる。
どちらにしろ、海軍強国となったシレジエ王国は信用を勝ち取りつつあるので、兌換紙幣の導入も時間の問題だろう。
これからは強力な
新しいビジネスのやり方を確立したシレジエ王国の通商に、旧弊になってしまったカスティリア王国はついてこれない。
賠償金のことがなくても、いずれはカスティリアは経済戦争に敗れる。
「カスティリア王国は、借金苦で虎の子の採算部門を売り渡さないといけない。これは、身を切られるようなものでしょうね。私がカスティリア王国の閣僚でなくて良かったというものです」
「でも、支払いを待ってあげるなんてことはしないんですよね」
そう尋ねると、ライル先生は静かに頷いた。
まあ、いつものことだよなあ……むしろ魔竜王の件を交渉のカードとして支払いを急がせるまである。先生は、敵には容赦無いのだ。
※※※
あんまりリア達に世話を任せて子供に会ってないと、俺も忘れられてしまうので。
暇を見つけて、後宮の子供部屋でオラクルと俺の子である、オラケルを抱っこしてあやしている。
「いないいないばあっ!」
「キャッキャ」
この子は大器かもしれないなと、可愛い息子の笑い顔を見て思う。
赤子のくせに俺の指を強く握ってくる、惚れ惚れするほど元気な子だ。
久しぶりにやってきた俺相手でも、ムズがらずに遊んでくれる。
誰に抱っこされても平気な顔をして笑っているんだから大物である。
むしろ、父親の俺のほうが相手をしてもらっているという風格すらある。
俺は父親としてはまだ若くて頼んない感じなのだが、息子のオラケルは立派なものだ。これならなんとかやっていけるかもしれない。
「オラクルに似て、聡明そうな顔立ちだし、イケメンになるよな」
「タケル、まだ赤子じゃからわからんじゃろ」
リアにも「親の欲目ですね」と、笑われてしまった。俺は客観的に見ていってるつもりなんだけど。
それにしてもと、大きくなってきたリアのお腹を見て思う。
これからもっと子供が増えたら、父親としてはどうしていったらいいんだろうか。
これからの出産ラッシュに備えて、とりあえず後宮に子供部屋を増築してるが。
俺も冒険とかしてる場合ではないのではないか。とりあえず、出産には立ち合えるようにはしておかないと。
そのようなことを考えていたら、ライル先生がやってきた。
「タケル殿、こんなところにいらしたのですか。火急の要件ですよ」
「なんでしょう」
「カスティリア王国の北部地域で、反乱が起こりました」
「うわ、やっぱりそうなりましたか……」
先生が、カスティリアの地図を広げて見せてくれる。
カスティリアの反乱は、首都カスティリアより北東の街パンプローナで起こった。
原因はやはり賠償金支払いのために行った租税の度重なる増額であった。
カスティリア人に支配されていた、北方のダンドール人、ヴィスコン人、カンタブリア人が一斉に蜂起。
アンドラ山脈の麓の街パンプローナを中心に、三族連合王国を結成してカスティリア王国に反旗を翻すこととなった。
「国号は、かつてカスティリア王国に滅ぼされたアラゴンという国の名前を取るそうです。アラゴン王サンチョ三世の庶子ラミロの血を引くダンドール人がおり、その者を
「ダンドール人って聞いたことがありますね」
確かアンドラ山脈に住んでいる、ダンドール人は、黒髪黒目でペールオレンジの肌で東洋人にも似た少数民族である。
俺にもよく容姿が似ていると聞いたんだけど、どこで聞いたんだっけ。
「おや、そうですか。ダンドール人はアンドラ山脈の住む少数民族なのですが、カスティリア王国の上級魔術師『魅惑』のセレスティナ・セイレーンがここの出身です」
「なるほど上級魔術師が味方で、それで反乱に勝機ありとなったわけですか」
上級魔術師は、一人で戦術レベルの勝利をもたらす大量破壊兵器のようなものだ。
その片割れが反乱軍に加わるなら、十分に戦えると考えるのも無理はない。
「あとは、シレジエ王国の暗黙の後援ですかね」
「先生……やりましたね」
先生は、悪い顔でほくそ笑んでいる。
カスティリア王国は、シレジエ王国に追いつこうと大砲の開発まで進めていた。
いかに自慢の海軍力を喪失したとはいえ、北方の少数民族の反乱など簡単に武力制圧できると考えられるのだが。
奇しくも、カスティリア王国の北部地域とシレジエは領土を接している。
北部反乱軍に対して、シレジエ王国が武器を援助すれば戦の
反乱を起こした以上、北部三民族も必死になるだろう。反乱軍がシレジエの大砲とマスケット銃を手に入れれば、むしろ陸戦力を半数以上喪失しているカスティリア王国が不利になるかもしれない。
「フフフッ、書斎王陛下は、実に巧みに緻密に地方からギリギリまで租税を吸い上げて、なるべく権益を売り渡すことなく、賠償金を支払って見せようとしていたようですが……危ない橋を渡り過ぎて足を踏み外したようですね。あっちもやってきたのですから、こちらの妨害工作があることぐらい分かっていたでしょうに」
「やっぱりそうでしたか。あのフィルディナント王が、そのまま旧ゲルマニア帝国の失敗を繰り返すとはとても思えなかったから。反乱を煽ったんですね」
「ネネカ達を後で褒めてやってくださいね」
そういえば、先生にカスティリアを探らせるために
なるほど潜入させておいたネネカ達を、そのまま北部民族の反乱工作に使ったわけか。相変わらず、やることがえげつない。
「ネネカ達は褒めておきますよ。まあ、これも仕方ない仕儀ですね」
「敵国とはいえ、反乱を煽るような真似はタケル殿のお好みではないとは知ってますがご
足元に火がついたのだ。
もはや、カスティリア王国もシレジエ王国に対して何かしてくる余裕もなくなるだろう。
「しかし先生、なるべく犠牲は少ないほうがいいですね」
カスティリアの脅威がなくなるのはいいが、戦争に巻き込まれる民にとっては溜まったものではない。
民にとっては賠償金を搾り取られるのもキツイだろうが、内戦になれば命まで取られることになりかねない。
「早く内戦を終わらせるためには、カスティリア王国にこの戦は勝てないと思わせることです。そのためにも、タケル殿にお願いしたいことがあります」
「なんでしょう、俺にできることなら」
「それでは、新しくできるアラゴン王国の女王と会って下さいますかね」
ライル先生がそう言うと、それを合図にしたように子供部屋の扉のところでガタと音がした。
半開きの扉が音を立てて開き、妖艶なお姉さんが入ってくる。
「お前は……セレスティナ?」
「お久しぶりです、シレジエの勇者様。借りを返しにきました……」
紫色の長い髪に、美しく整った容貌に、濡れた黒い瞳。
聞くものをハッとさせる艶を含んだ美声には聞き覚えがあった。
胸の開いたドレス。大きくスリットが開いたスカートからは、輝かんばかりの太ももが覗いている。
カスティリア王国の上級魔術師であった『魅惑』のセレスティナ・セイレーンがそこにいた。
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